【対訳】ボードレール『悪の華』12. 過去の人生 - POETIC LABORATORY ★☆★魔術幻燈☆★☆

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【対訳】ボードレール『悪の華』12. 過去の人生

悪の華 Les Fleurs du mal (1861)

Charles Baudelaire/萩原 學(訳)

憂鬱と理想 SPLEEN ET IDÉAL

〜藝術詩群〜


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邦題は「前世」とも

脚韻 ABBA CDDC EFF EGG

アンリ・デュパルクの作曲あり

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12. 過去の人生
XII
LA VIE ANTÉRIEURE

久しくも、壮大なる柱廊の下に我住まう、
海の太陽が千の火もて染め上ぐ
その大いなる柱、荘厳にまっすぐ
夕暮れ時には、玄武岩の洞窟のよう。

J’ai longtemps habité sous de vastes portiques*1
Que les soleils marins teignaient de mille feux,
Et que leurs grands piliers, droits et majestueux,
Rendaient pareils, le soir, aux grottes basaltiques.

波のうねりは天空の映るを巻き込み
荘厳に神秘的に混ぜ合わすこと
その豊かな音楽の力強い和音と
わが目に映る夕焼けの色とを共に。

Les houles, en roulant les images des cieux,
Mêlaient d’une façon solennelle et mystique
Les tout-puissants accords de leur riche musique
Aux couleurs du couchant reflété par mes yeux.

暮らしていたそこは穏やかな官能の中
青空と波と輝きのさなか
裸の奴隷たち、全員が香りに浸った

C’est là que j’ai vécu dans les voluptés calmes,
Au milieu de l’azur, des vagues, des splendeurs
Et des esclaves nus, tout imprégnés d’odeurs,

わが眉間をヤシの葉もて扇いでくれた、
その気遣いはただ、深めるばかりに
わが胸中の秘密、痛ましいばかりに。

Qui me rafraîchissaient le front avec des palmes,*2
Et dont l’unique soin était d’approfondir
Le secret douloureux qui me faisait languir.


訳注

題名はよく「前世」と訳され、それで意味は間違っていないのだが。「死者の復活」が旗印のキリスト教徒は「生まれ変わり」の概念を認めず、従って「前世」なる言葉も元来は存在しなかったようで。幾分は説明的な題名になっているのは、名分だけでもキリスト教徒たろうとするボードレールの在り方を表すものと考える。同時代のロバート・ブローニングが「来世」的なモチーフを扱ってもいるから、異教的なこの概念は、当時の流行であったらしい。我々仏教徒が故人を偲び「○回忌」などと称して自然に集まる、「転生」物語を素人でも自然に書く程度には、詩人が「生まれ変わり」を信じていた形跡はなく、思考実験としての作品と考えられる。

*1 vastes portiques:
世界の七不思議に数えられたエフェソスのアルテミス神殿を想定した表現であろう。聖書では戯画化して伝えられている。
使徒行伝19章
23 そのころ、この道について容易ならぬ騒動が起った。
24 そのいきさつは、こうである。デメテリオという銀細工人が銀でアルテミス神殿の模型を造って、職人たちに少なからぬ利益を得させていた。
25 この男がその職人たちや、同類の仕事をしていた者たちを集めて言った、「諸君、われわれがこの仕事で、金もうけをしていることは、ご承知のとおりだ。
26 しかるに、諸君の見聞きしているように、あのパウロが、手で造られたものは神様ではないなどと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説きつけて誤らせた。
27 これでは、お互の仕事に悪評が立つおそれがあるばかりか、大女神アルテミスの宮も軽んじられ、ひいては全アジヤ、いや全世界が拝んでいるこの大女神のご威光さえも、消えてしまいそうである」。
28 これを聞くと、人々は怒りに燃え、大声で「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」と叫びつづけた。
 
*2 palm:
ヤシの木、特にナツメヤシをいう。ハンムラビ法典にも出てくる、聖書なんぞよりよっぽど由緒正しい作物。

59. 何人も、庭(または果樹園)の所有者これ知らぬうち、庭の木(または果樹)倒せるなら、金半ミナを償ふべし。

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しかし本邦にはなく、見たことのない者ばかりであったから、最近までこれを「棕櫚」に置き換えた翻訳を専らにした。意図的な誤訳と言ってよい。
ヨハネによる福音書12章
12 その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスエルサレムにこられると聞いて、
13 しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、/「ホサナ、/主の御名によってきたる者に祝福あれ、/イスラエルの王に」。
逆に言うと、日本のキリスト教徒が「棕櫚の木」と記したものは原則として「ナツメヤシの木」と読み替えるべきものだ。ボードレールの作品に於いても同じこと。
ファンタジーに出てきそうな「生命の木」のモデルもナツメヤシと推定される。
創世記2章
8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。
9 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
このように中東や北アフリカで古くから親しまれたナツメヤシの用途は様々で、その葉を団扇に使う事もあり、今でも palm leaf fan なる商品がある他、上記のエルサレム入城を記念した Palm Sunday (本邦にては枝の主日(日曜日)、棕櫚の主日、聖枝祭などと教派により異なる名称の記念日)に用いる。もっともキリスト教圏でナツメヤシの育たない地域も多く、樹種を問わず小枝を振る決まりの国も少なくないようだ。なお、宮崎県で何故か「フェニックス」と呼ばれる木は、ナツメヤシ属ではあるが、カナリーヤシという別種であり、残念ながらナツメヤシと違って実は食べられない。