2023年03月反社会学講座ブログ
FC2ブログ

反社会学講座ブログ

パオロ・マッツァリーノ公式ブログ
反社会学講座ブログ TOP > 2023年03月

マンガ原作はもう要らない? 冬ドラマ評

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。この冬は珍しく5本もドラマを観てました。
 私が選ぶ今期ベストは『罠の戦争』。以下、『女神の教室』『大病院占拠』『Get Ready!』『リバーサルオーケストラ』は順位なしの同率2位とさせてもらいます。

 世間的には『ブラッシュアップライフ』の評価が高かったようですが、私は初回すら観てません。というのも、私は芸人としてのバカリズムさんは好きですが、バカリズムさんが脚本を書いたドラマや映画をこれまで一度もおもしろいと思ったことがないんです。なので今回完全スルーしたら、すごい評判。今後機会があったら観てみます。

 私は昨年暮れに『銭の戦争』と『嘘の戦争』をTVerではじめて観て、ドハマリしました。そうして上がりまくった期待値のハードルを越えてきたのが、『罠の戦争』。
 普通だったら、国会議員になり事件の真相を明らかにしたところで大団円を迎えそうなものなのに、心配になるくらい展開が早い。中盤で事件の真相をあきらかにしてしまってどうするのかと思ったら、終盤では、あれほど嫌っていた政治権力闘争に、主人公自身がのめり込み、どんどんイヤな人間になっていくんです。一筋縄でいかない、練り込まれた脚本に脱帽。
 この脚本の後藤法子さんといい、前クール『エルピス』の渡辺あやさんといい、政治や社会の理不尽さに怒り心頭なご様子が作品からビシビシ伝わってきます。そういえばWOWOWでは野木亜紀子さんが沖縄の社会問題に斬り込んだ『フェンス』が始まりまして、これも初回から引き込まれました。社会派のエンターテインメントを書いてくれるのは女性脚本家だけですか。男性陣、どうした。

 『女神の教室』は法科大学院を舞台とした教師と学生たちのドラマ。なんとなく行ってりゃ卒業できる大学と異なり、大卒後に通う法科大学院では、司法試験合格という結果を出さなきゃならないのでプレッシャーがケタ違い。最終回は卒業後の彼らが理想と現実の狭間で悩みながらも前に進もうとする姿を描いてました。あまり評判にならなかったのですが、とても良心的な秀作でしたよ。

 『大病院占拠』は序盤、『ダイハード』パロディみたいな展開が不安だったのですが、物語が破綻しないように意外と丁寧に作り込まれていたし、何が正義なのかを考えさせる要素もあってエンターテインメントとしては合格点。

 荒唐無稽な設定と堤幸彦さんの独特なおふざけ演出で賛否が分かれた『Get Ready!』ですが、それで敬遠してたならもったいない。手術不可能と余命宣告をされた患者たちがさまざまな理由で天才外科医の手術を受けるエピソードには秀逸なものがけっこうありました。娘を殺した犯人への復讐を遂げるまでの延命手術を願う父親とか、若年性アルツハイマーの妻を残して死にたくないために自身の病の手術を決断する夫とか、命と才能のどちらかを選ばなきゃならない芸術家とか。

 『大病院占拠』と『Get Ready!』はどちらも設定自体が荒唐無稽だとの理由で、序盤で見切りをつけた人もいたようです。たしかに『大病院占拠』では病院を占拠する犯人グループがハイテクな鬼の面を被ってたり、日本で入手するのは困難な重火器や爆弾で武装しています。『Get Ready!』もお面を被るという設定被りは偶然としても、すべてが機械化された近未来的な手術室で、どんな複雑な手術でも執刀医と看護師のたった2人でこなしてしまいます。どちらも荒唐無稽な設定がいかにもマンガ的なので、私は最初、どちらもマンガ原作ものだろうと思いました。でも、どちらもオリジナル脚本でした。
 近年、テレビドラマはマンガ原作に頼りすぎという批判があります。そうなったのは脚本家にはおもしろい設定のオリジナルは書けないという決めつけが局側にあったからじゃないですか。でも脚本家がこのレベルのオリジナル作品を書けることがわかったのだから、もうマンガ原作に頼らなくてもいいんじゃない? むしろ、どんどんオリジナルを書いてもらわないと、テレビドラマの可能性が開けませんよ。

 『リバーサルオーケストラ』もマンガっぽいストーリーですが、これもオリジナル。この作品の門脇麦さんと『Get Ready!』の藤原竜也さんはクセ強めのキャラを演じて評価されてきた人なのに、今回は2人ともわりと普通の役柄でした。でもうまい役者は普通の人を演じても味があるんですね。
 あと、チャイコフスキーの交響曲第5番の良さをこのドラマで知った人も多いのでは。私のおすすめはゲルギエフ指揮ウイーンフィルの演奏。ゲルギエフさんはプーチンの熱烈な支持者だったことで西側諸国での仕事を干されちゃってるみたいだけど、演奏自体の価値はそれとは関係ないので。

 最後に、単発ドラマでぜひ紹介しておきたいのが、先日NHKのBS4Kで放送された『天使の耳 交通警察の夜』。東野圭吾さんの短編集を、前後編あわせて3時間くらいの作品にまとめたものです。前編だけだと、いくつかの事件の羅列でしかないのですが、後編で、すべてのエピソードがあるひとつの真相につながっているとわかって驚きます。この後編の見事な展開は、原作小説にはないオリジナルなんじゃないかな? まあ、いずれ通常のBSや地上波でも放送されると思うので、その日を楽しみにしててください。
[ 2023/03/29 20:00 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

続・エスカレーター片側空けの件

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。前回のブログ(エスカレーター片側空けの歴史を踏まえた提案)では、エスカレーターの片側空けをやめるべきであるとする意見を書きました。その後わかった追加情報などを補足しておきます。

 片側空けの習慣がなかなかやめられないいちばんの理由は、それが合理的で効率がいいと思ってる人が多いからです。でも、片側空けが定着するまでの歴史とさまざまな人たちによる実証研究、メーカーの主張などを総合して検討すると、じつは片側空けは利用者全体の効率を下げている可能性が高いのです。みんなで両側に立って乗ったほうが、結果的に全員が早く移動できて社会全体の効率がよくなるし、事故も減って安全になります。
 それと前回指摘したのは、急ぐ人のために片側を空けろというけど、真剣に急いでる人が実際どれだけいるんですか、って疑問。本気で急ぐのなら、階段を駆けるはずで、エスカレーターを歩いてる人は、たいして急ぐ用事もないくせになんとなく歩いてるだけなんじゃないの、と。

 ネット上の反応を見ると、人が少ないときを見計らって、右側(東京での歩く側)に立ってみるという、消極的なアピール活動を実践してる人もいるようです。それは決して無意味じゃないと思いますよ。
 誰もやる人がいない中で何かを率先してやるのは勇気がいるんです。でも1人でもやってる人がいると、マネしてやる人が増える現象は、さまざまな心理学の実験でも確認されてますし。

 そうはいっても争いごとに巻き込まれるのはイヤだから自分は片側空けを続ける、パオロさんはどうするのか、というご質問もいただきました。
 私はどうするか。私は疑問に感じたことをなるべくスルーせず、事実を調べ、事実にもとづき考察し、行動する。これまでの執筆活動や普段の生活で実践してきた基本を、これからも続けるだけです。
 だから私の意見はみなさんの常識や価値観とは異なるかもしれません。私は共感を求めてるのではなく、事実と事実に基づいた考察をお伝えしてるんです。共感を求めたりフォロワーを増やそうなんて考えが先に立つと、みんなが喜ぶように事実をねじ曲げて伝えるようになってしまいます。私はそういう人間が嫌いだし、自分がそうなるのもイヤなので。

 で、あれから自分でもエスカレーターと階段の歩行を何度も試してみたのですが、エスカレーターって一段一段が高いから、早く上り下りしようとするとドスンドスン、と大股に踏み出さなきゃいけません。だから思ったほど早く歩けないし、脚への負担も大きいんです。階段のほうが歩数は増えるけど、スムーズに上り下りできてラクなのだと、あらためて気づきました。
 エスカレーターのメーカーの人たちが、そもそもエスカレーターは歩くように設計されてないので歩くなら階段を使ってくれ、とむかしからいってますけど、たしかにそうだと実感できました。

 あらためて辛辣ないいかたをさせてもらうと、エスカレーターを歩いて上り下りする人たちは、移動時間を数秒から10数秒短縮できたことでちっぽけな達成感を得てるだけなんですよ。自己満足です。
 仮に、エスカレーターを歩けなかったことで10億円の取引に間に合わなかった、なんて人がいたとしても、誰も同情しませんね。そんな大事な取引に時間の余裕を持って向かえないのは自己管理能力のない人間だし、しかもそれをエスカレーターのせいにするなんて噴飯物でしかありません。

 自己満足で何が悪い、と開き直る人にうかがいたい。そんな一部の人たちの自己満足のために片側を常に空けておかなきゃならない不文律ができてしまった現状を何とも思わないのですか? 歩かない側に行列ができてしまい、多くの人が時間をムダにしてる現実を何とも思わないとしたら、あまりにも鈍感です。

 おおげさにいうと、社会に対する基本的な考えかたの違いがエスカレーター問題にも表れているのかなと。
 私なんかは、社会システムやルールの不合理や不効率、不公平をなくしていけば、みんなが前に進みやすくなって、社会全体の利益につながると考えるのですが、そうじゃない人もいます。一部の人間がわがままを通してトクをして、そのために多くの人が損失を被ったり、おかしなルールに縛られて社会全体が停滞したってかまわない。そういう不合理・不公平な社会システムを良しとする人もいるわけです。

 これだけいってもなお、疑問を払拭できない人がいるはずです。「ホントに両側に乗ったほうが効率的なのか? 片側空けのほうが効率的なんじゃないのか?」。
 そう考えるのは科学的な思考態度として間違ってません。でも、科学的でありたいのならなおのこと、何が正しいのかを検証しなければいけません。
 だから前回私は、軽い強制を伴う社会実験をやってみてはどうかと提案したんです。時間帯を決めて駅構内のエスカレーターを歩行禁止にしてみて、多くの人に違いを体験してもらうことで、もっと実のある議論ができます。
 もちろん強制すると必ずゴネるヤツが出てきます。でも人々の自主性にすべてをゆだねていたら、何も変わりません。まずは実際に体験してみてから文句をいってくれ、ってことですよ。

 前回は雑誌と読売新聞記事を調べたのですが、朝日新聞記事もちょっと見てみたら、ビックリする記事がありました。2012年2月の広島版に、広島ではエスカレーターの片側空けの習慣が浸透してなくて、左右バラバラに立っているケースが多いことに他県出身の記者がとまどうレポートがありました。
 10年前の話なのでいまはどうなのかわかりませんが、ネット上の意見を調べてみると、片側空けは大都市だけの習慣で、地方都市では徹底されてないよ、という声もけっこうありました。
 やはり気持ちや慣れの問題ってことですよ。東京や大阪でもいったん片側空けをやめてみんなで両側に立ち止まって乗ってみれば、こっちのほうがいいかも、と考えを変える人が増えるんじゃないですか。

 効率的とのカン違いのほかに、もうひとつ、片側空けをやめられない大きな理由がありますよね。「急ぐ人」のなかにはまれに凶暴なクソ人間がいて、止まってる人を押しのけたり暴言を浴びせかけたりするもんだから、なかなか片側空けをやめる勇気が持てない。これも多くの人のホンネでしょう。

 争いや暴力を避けるのは賢明な態度です。以前の著書でもそこは強調しました。
 私はご近所や電車内でマナー違反を積極的に注意してみる活動をしてたことがあります。その経緯をまとめたのが『日本人のための怒りかた講座』という本です。(内容紹介ページ
 その活動を実行するにあたって、私は自分に非暴力を課しました。マナー違反にムカついたからといって、相手を殴ったり暴言を吐いたりは絶対しない、ってのは当然として、自分も暴力を受けないようにしなければいけないと考えました。その原則を守って相手に注意するにはどうするのが効果的かを、実践を通じて研究したんです。
 過去の報道から、マナー違反を注意したら相手が逆ギレして暴力を振るわれたという事例を抽出したところ、圧倒的に多かったのが喫煙への注意でした。暴力だけでなく殺人になった例もあるくらいです。
 だから私は著書で、禁煙の場でタバコを吸ってる人だけは注意してはいけないと警告しました。そういう連中は法や常識が通じない、頭のおかしい危険人物である可能性が極めて高いので、警察や警備員に任せるべきです。
 実際、数年前にも電車内での喫煙を注意した高校生が暴力被害に遭った事件が報道されました。車内で映画『ジョーカー』みたいなコスプレでタバコを吸ってた男がその直後、次々に人を刺し放火する無差別テロを起こした件もまだ記憶に新しいところでしょう。

 エスカレーターで片側空けをしなかったことで、ケガを負うほどの暴力を受けたという事例は、2022年の年末に1件報じられてますが、他には見当たりません。押しのけられたり、暴言を吐かれたりという程度でおさまっているようですが、それでもされたら不愉快ですよね。

 暴力を避けるのは最優先としても、だからといって何もしないというのは、どうなんでしょうか。
 行動を起こさないにしても、声を上げるくらいはできるはずです。実際に声帯を使うという狭い意味じゃなく、社会にはびこる不合理や不条理をスルーせず、おかしいと思ったらおかしいと、ネットなどで主張するくらいなら、誰でもできます。

 あなたが何もしなければ、何も変わりません。もし、あなたが何もしなかったのに何かが改善されたとしたら、それは他の誰かが行動してくれたからです。他の誰かが声を上げてくれた結果なんです。何もしなかったあなたは、誰かの行動や努力の結果にただ乗りしてるのだという自覚は持ってください。そこに忸怩たるものを感じるのなら、消極的でもいいから行動や発言をしてみてください。
 自分ひとりが何かしたって社会を変えることなんかできない、と思ってる人には、以前当ブログで紹介した、ウィリアム・マッカスキルさんの『〈効果的な利他主義〉宣言! 』という本を再度オススメしておきます。
レビュー記事
[ 2023/03/23 18:12 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

『日本人のための怒りかた講座』著者解説

『怒る!日本文化論』
『日本人のための怒りかた講座』(文庫版)
著者解説





単行本・技術評論社 税別1480円 2012年11月発売
文庫・ちくま文庫 税別840円 2016年7月発売

※単行本と文庫の本文内容はほぼ同じです。文庫版には、まえがき 有名人の怒りかたを採点してみよう を加筆しました。

 たいてい書き下ろしで出すもので、私の本は、当初の企画段階と完成時とで内容やコンセプトが大幅に変わってしまうことが珍しくありません。文献調査などで材料が集まったら、なんとなく書き始め、疑問が出たらまた調べて何度も書き直すという、行き当たりばったりで非効率な書きかたしかできないのです。
 今回の本もご多分にもれず変わりました。当初の仮題は「驚育快革」として、既存のいろいろな教育法を検討して批判したり茶化したりしつつ、さまざまなアイデアを提案しようというコンセプトだったのです。
 でも書いてるうちに、これまで自分で実践してきた他人に注意する、怒る、叱る方法論の説明部分が膨らんできたので、内容と全体の構成をかなり変えて、怒りを軸に理論と実践の両面から、日本文化や日本社会、日本人について考察する内容になりました。
 怒りをむやみにガマンせず、相手に伝えてコミュニケーションをはかる努力をしてみようじゃないかという主張を込めて、書名は「ユー、怒っちゃいなよ」にしたかったのですが、ジャニーさんからクレームがつくと面倒だということで、『怒る!日本文化論』に落ち着きました。

はじめに「むかしから叱れなかった日本人」
 本書での私の主張とスタンスは、「はじめに」に集約されているといってもよいでしょう。『反社会学講座』以来、一貫して主張してきた歴史観である、”人間いいかげん史観”を今回も踏襲しています。人間は少なくともこの数百年、たいした進歩も退化もしていない、いまもむかしも相変わらずダメでいいかげんな存在なのだ、とする史観です。
 ここでは、むかし存在したとされる、よその子を叱る近所のおじさんを例に取りあげてます。そういうおじさんのことはだいぶ美化されて語られてます。実際には戦前だって大部分のおじさんたちは、よけいなトラブルに首をつっこむのをおそれ、見て見ぬフリをしてたんです。お叱りおじさんみたいな一部の奇特な人は、おそらく当時は周囲から、口うるせえおやじだな、と煙たがられていたのだろうと思いますよ。いまの世の中で実際にやってみた私の実感からしますとね。
 私は、「むかしの日本人は立派だった」という人たちが嫌いです。そういう人たちは、現代の日本人を憎み、蔑み、貶めているからです。だったらご自分もお叱りおじさんになればいいのに、やろうとしない。現代に不満があるのに自分がなにもできない情けなさを、美化した過去をしのぶことでごまかしているだけなんです。
 私は現代の日本人だって、けっこうがんばってると思いますよ。いつの時代にも、立派な人もいればダメな人もいる。そんなあたりまえの歴史の真実を、なぜ受け入れられないのでしょうか。
(キーワード:戦前・戦後の道徳教育 こどもを叱る近所のおじさん)

1「叱りかたの三原則 1まじめな顔で」
2「叱りかたの三原則 2すぐに」
3「叱りかたの三原則 3具体的に」
 なにしろ本書は「生きる技術!叢書」の一冊として刊行されています。哲学や思想を気の合う仲間同士で語るだけでは、生きていることにはなりません。現実の世の中で生きるとは、人生観や道徳観や知的レベルの異なる他人と、どうにかこうにかつきあっていくってことなんですから。
 というわけで、さっそくですが、1章から3章までは、実践編。近所で、電車で、図書館で、他人に注意するお叱りおじさんを実践してきた私の体験から、効果的だったと思える注意のしかた、まずはその三原則からはじめましょう。詳しくは本書で。
 『怒る!日本文化論』は文化論を語る人文書でありながら、生活実用書としてもお読みになれる希有な本なのです。

4「怒りと向き合う」
 怒りをおさえるだの、怒りをなくすだのといった本が売れてるのだそうです。怒ることはいけないこと、怒りは穢れだとみなす風潮が広まっていることに、なにより腹が立ちます。
 怒ってる人は、なんらかの被害を受けている(受けていると感じている)から怒ってるんじゃないのですか? なのに怒るなというのは、被害者に泣き寝入りを強いる一方で、怒りのもととなった加害者の権利のみを全面的に容認することになります。なんとも理不尽極まりない。
 笑いも悲しみも怒りも、人間の自然な感情であることにちがいはありません。怒りだけを忌み嫌って遠ざけるのでなく、怒りにとことん向き合って考えることも大切です。そうすることで怒りの正体が見えてきて、改善への道が開けることもあるのですから。
(キーワード:波平とバカモン 怒らないための本 仏教と怒り 甘えた大人への復讐 ガマンのメリットとデメリット)

5「怒るのは正義のためではありません」
 ここでは怒りと正義について考えます。カン違いしてる人がもっとも多いのが、この点かもしれません。社会正義や大義のために、マナー違反者や迷惑な人を注意しよう、なんて意気込んでいる人は、絶対に長続きしません。
 過去、あまたのヒーローたちは、必ずといっていいほど正義という概念の矛盾に悩み苦しんできました。なぜ矛盾が生じるのでしょう? じつは正義にとっての最大の敵は、悪ではなく、完璧主義だからです。
(キーワード:正義と大義 ガーディアン・エンジェルス 完璧主義)

6「注意するのは危険なことなのか」
 迷惑な人を注意したら、逆ギレされて殴られた――そんな報道をときたま耳にします。
 迷惑な人を注意したら、素直に応じて迷惑行為をやめてくれた――そんなニュースが報道されたためしがありません。
 迷惑な人を注意したが、シカトされて何事も起こらなかった――これも報道されません。
 これはいわゆるメディアリテラシーの問題です。事件は報道されますが、事件にならなかったことは報道されないのです。なのに報道された偏った事実だけをもとに、注意すると殴られるというイメージを組み立ててしまってはいませんか。
 さて、他人に注意することは、実際にはどれだけの危険を伴うものなのか。駅や電車での暴力事件は、本当にむかしより増加しているのか。モンスターは急増しているのか。実際に注意してみた私の経験と、統計資料などから探ってみました。
(キーワード:公共マナー世論調査 世論調査のウソ 図書館での携帯電話マナー カッとなる理由 犯罪統計 電車内暴力)

7「電車マナーの近現代史」
 この章が、これまでの私の著作ともっとも近い内容だと思います。各種資料をもとに、世間の通説を覆す、みたいな? 感じっすか? マジで? そういうのを望んでいるかたは、「はじめに」を読んだら次にここをお読みになるのもいいかもしれません。
 電車で年寄りに席を譲らない若者は100年前にもいたのです。明治時代から都市部の市電や電車内はずっと禁煙だったのに、無視して吸う人たちに鉄道会社は手を焼いてました。
 そして、車内で化粧をする女性。彼女らをコラムでは激しく叱っても、面と向かっては叱れないヘタレ識者・文化人のみなさんに送る、車内化粧の歴史検証と海外比較による現実。これを読めば、世間に流布する庶民文化や庶民道徳の通説が、いかにあてにならないものか、思い知ることになるでしょう。
(キーワード:電車のマナー 老人に席を譲らない若者 車内禁煙をめぐる戦い ご遠慮ください 人前での化粧 都市伝説化する庶民史)

8「犬とこどもと体罰と」
 2012年に中国で起きた反日暴動には、私も激しい失望と憤りをおぼえました。異なる意見が衝突することは当然あるし、それを主張することはかまわない。けど、なにが許せないって、強奪や破壊行為を、愛国無罪などと唱えて政治思想で正当化してたことが不愉快なんです。中国人だろうが日本人だろうが、右であれ左であれ、政治思想で暴力犯罪を正当化する連中は最低です。
 とはいうものの、国際問題のような大きな問題に怒りを表明することばかりにかまけて、身近な問題から目をそらしてしまってはいけません。いえ、身近な問題にこそ真剣に取り組まねばいけません。どんな大きな問題も、発端は小さな問題からだったりするのですから。
 ここ数年、日本ではペットブームの広まりとともに、愛犬無罪とでもいうべき不愉快な思想が幅をきかせつつあることに、私は怒ってます。
 しつけのできてない飼い犬が近所の人にどんな迷惑をかけようが吠えまくろうがへっちゃら。苦情をいわれてもなんの対処もせずに知らんぷり。犬は大切な家族だけど、近所の人は無関係な他人だから、不幸になってもかまいやしないと考える勝手な人たち。
 もちろんそれは一部の心ない飼い主だけでしょう。だからといって、実害が出てるのを放置してよい理由にはなりません。
 私は犬が嫌いなのではありません。きちんとしつけもせずに犬を甘やかして喜んでいるダメな飼い主が嫌いなのです。
 いろいろ調べるうち、犬のしつけと人間のこどものしつけは、基本的に同じなんじゃないかと思えてきました。そのひとつが、体罰には効果がないということ。
 犬を蹴飛ばしてしつけてたら、きっと動物虐待と大騒ぎされ、異常者呼ばわりされます。なのに、こどもへのしつけと称して体罰をふるうと許されるどころか指導力があると尊敬されかねない、歪んだ日本の倫理観にメスを入れます。
(キーワード:体罰 動物愛護 イルカ肉とイヌ肉 犬による咬傷被害 吠える犬 犬のしつけとこどものしつけ)
[ 2023/03/23 17:35 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
つっこみ力

読むワイドショー

思考の憑きもの

サラリーマン生態100年史

偽善のトリセツ

歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告