こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。前回のブログ(
エスカレーター片側空けの歴史を踏まえた提案)では、エスカレーターの片側空けをやめるべきであるとする意見を書きました。その後わかった追加情報などを補足しておきます。
片側空けの習慣がなかなかやめられないいちばんの理由は、それが合理的で効率がいいと思ってる人が多いからです。でも、片側空けが定着するまでの歴史とさまざまな人たちによる実証研究、メーカーの主張などを総合して検討すると、じつは片側空けは利用者全体の効率を下げている可能性が高いのです。みんなで両側に立って乗ったほうが、結果的に全員が早く移動できて社会全体の効率がよくなるし、事故も減って安全になります。
それと前回指摘したのは、急ぐ人のために片側を空けろというけど、真剣に急いでる人が実際どれだけいるんですか、って疑問。本気で急ぐのなら、階段を駆けるはずで、エスカレーターを歩いてる人は、たいして急ぐ用事もないくせになんとなく歩いてるだけなんじゃないの、と。
ネット上の反応を見ると、人が少ないときを見計らって、右側
(東京での歩く側)に立ってみるという、消極的なアピール活動を実践してる人もいるようです。それは決して無意味じゃないと思いますよ。
誰もやる人がいない中で何かを率先してやるのは勇気がいるんです。でも1人でもやってる人がいると、マネしてやる人が増える現象は、さまざまな心理学の実験でも確認されてますし。
そうはいっても争いごとに巻き込まれるのはイヤだから自分は片側空けを続ける、パオロさんはどうするのか、というご質問もいただきました。
私はどうするか。私は疑問に感じたことをなるべくスルーせず、事実を調べ、事実にもとづき考察し、行動する。これまでの執筆活動や普段の生活で実践してきた基本を、これからも続けるだけです。
だから私の意見はみなさんの常識や価値観とは異なるかもしれません。私は共感を求めてるのではなく、事実と事実に基づいた考察をお伝えしてるんです。共感を求めたりフォロワーを増やそうなんて考えが先に立つと、みんなが喜ぶように事実をねじ曲げて伝えるようになってしまいます。私はそういう人間が嫌いだし、自分がそうなるのもイヤなので。
で、あれから自分でもエスカレーターと階段の歩行を何度も試してみたのですが、エスカレーターって一段一段が高いから、早く上り下りしようとするとドスンドスン、と大股に踏み出さなきゃいけません。だから思ったほど早く歩けないし、脚への負担も大きいんです。階段のほうが歩数は増えるけど、スムーズに上り下りできてラクなのだと、あらためて気づきました。
エスカレーターのメーカーの人たちが、そもそもエスカレーターは歩くように設計されてないので歩くなら階段を使ってくれ、とむかしからいってますけど、たしかにそうだと実感できました。
あらためて辛辣ないいかたをさせてもらうと、エスカレーターを歩いて上り下りする人たちは、移動時間を数秒から10数秒短縮できたことでちっぽけな達成感を得てるだけなんですよ。自己満足です。
仮に、エスカレーターを歩けなかったことで10億円の取引に間に合わなかった、なんて人がいたとしても、誰も同情しませんね。そんな大事な取引に時間の余裕を持って向かえないのは自己管理能力のない人間だし、しかもそれをエスカレーターのせいにするなんて噴飯物でしかありません。
自己満足で何が悪い、と開き直る人にうかがいたい。そんな一部の人たちの自己満足のために片側を常に空けておかなきゃならない不文律ができてしまった現状を何とも思わないのですか? 歩かない側に行列ができてしまい、多くの人が時間をムダにしてる現実を何とも思わないとしたら、あまりにも鈍感です。
おおげさにいうと、社会に対する基本的な考えかたの違いがエスカレーター問題にも表れているのかなと。
私なんかは、社会システムやルールの不合理や不効率、不公平をなくしていけば、みんなが前に進みやすくなって、社会全体の利益につながると考えるのですが、そうじゃない人もいます。一部の人間がわがままを通してトクをして、そのために多くの人が損失を被ったり、おかしなルールに縛られて社会全体が停滞したってかまわない。そういう不合理・不公平な社会システムを良しとする人もいるわけです。
これだけいってもなお、疑問を払拭できない人がいるはずです。「ホントに両側に乗ったほうが効率的なのか? 片側空けのほうが効率的なんじゃないのか?」。
そう考えるのは科学的な思考態度として間違ってません。でも、科学的でありたいのならなおのこと、何が正しいのかを検証しなければいけません。
だから前回私は、軽い強制を伴う社会実験をやってみてはどうかと提案したんです。時間帯を決めて駅構内のエスカレーターを歩行禁止にしてみて、多くの人に違いを体験してもらうことで、もっと実のある議論ができます。
もちろん強制すると必ずゴネるヤツが出てきます。でも人々の自主性にすべてをゆだねていたら、何も変わりません。まずは実際に体験してみてから文句をいってくれ、ってことですよ。
前回は雑誌と読売新聞記事を調べたのですが、朝日新聞記事もちょっと見てみたら、ビックリする記事がありました。2012年2月の広島版に、広島ではエスカレーターの片側空けの習慣が浸透してなくて、左右バラバラに立っているケースが多いことに他県出身の記者がとまどうレポートがありました。
10年前の話なのでいまはどうなのかわかりませんが、ネット上の意見を調べてみると、片側空けは大都市だけの習慣で、地方都市では徹底されてないよ、という声もけっこうありました。
やはり気持ちや慣れの問題ってことですよ。東京や大阪でもいったん片側空けをやめてみんなで両側に立ち止まって乗ってみれば、こっちのほうがいいかも、と考えを変える人が増えるんじゃないですか。
効率的とのカン違いのほかに、もうひとつ、片側空けをやめられない大きな理由がありますよね。「急ぐ人」のなかにはまれに凶暴なクソ人間がいて、止まってる人を押しのけたり暴言を浴びせかけたりするもんだから、なかなか片側空けをやめる勇気が持てない。これも多くの人のホンネでしょう。
争いや暴力を避けるのは賢明な態度です。以前の著書でもそこは強調しました。
私はご近所や電車内でマナー違反を積極的に注意してみる活動をしてたことがあります。その経緯をまとめたのが『日本人のための怒りかた講座』という本です。(
内容紹介ページ)
その活動を実行するにあたって、私は自分に非暴力を課しました。マナー違反にムカついたからといって、相手を殴ったり暴言を吐いたりは絶対しない、ってのは当然として、自分も暴力を受けないようにしなければいけないと考えました。その原則を守って相手に注意するにはどうするのが効果的かを、実践を通じて研究したんです。
過去の報道から、マナー違反を注意したら相手が逆ギレして暴力を振るわれたという事例を抽出したところ、圧倒的に多かったのが喫煙への注意でした。暴力だけでなく殺人になった例もあるくらいです。
だから私は著書で、禁煙の場でタバコを吸ってる人だけは注意してはいけないと警告しました。そういう連中は法や常識が通じない、頭のおかしい危険人物である可能性が極めて高いので、警察や警備員に任せるべきです。
実際、数年前にも電車内での喫煙を注意した高校生が暴力被害に遭った事件が報道されました。車内で映画『ジョーカー』みたいなコスプレでタバコを吸ってた男がその直後、次々に人を刺し放火する無差別テロを起こした件もまだ記憶に新しいところでしょう。
エスカレーターで片側空けをしなかったことで、ケガを負うほどの暴力を受けたという事例は、2022年の年末に1件報じられてますが、他には見当たりません。押しのけられたり、暴言を吐かれたりという程度でおさまっているようですが、それでもされたら不愉快ですよね。
暴力を避けるのは最優先としても、だからといって何もしないというのは、どうなんでしょうか。
行動を起こさないにしても、声を上げるくらいはできるはずです。実際に声帯を使うという狭い意味じゃなく、社会にはびこる不合理や不条理をスルーせず、おかしいと思ったらおかしいと、ネットなどで主張するくらいなら、誰でもできます。
あなたが何もしなければ、何も変わりません。もし、あなたが何もしなかったのに何かが改善されたとしたら、それは他の誰かが行動してくれたからです。他の誰かが声を上げてくれた結果なんです。何もしなかったあなたは、誰かの行動や努力の結果にただ乗りしてるのだという自覚は持ってください。そこに忸怩たるものを感じるのなら、消極的でもいいから行動や発言をしてみてください。
自分ひとりが何かしたって社会を変えることなんかできない、と思ってる人には、以前当ブログで紹介した、ウィリアム・マッカスキルさんの『〈効果的な利他主義〉宣言! 』という本を再度オススメしておきます。
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レビュー記事)