こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。最終回がちょっと駆け足だったけど、『エルピス』は見応えがありました。結局政治家という巨悪は野放しのまんまかい、とモヤモヤした人もいるかもしれませんが、土壇場の駆け引きで浅川は当初の目的だった冤罪事件の解決というカードを引き出したのだから、落としどころとしては最善の選択といえるでしょう。釈放された元死刑囚と冤罪を信じていた女性がしあわせそうにカレーとケーキをほおばるシーンで、浅川と岸本の苦闘が報われたんだなあと思いました。すべての悪が断罪されるなんて結末だったら、逆にリアリティのないおとぎ話になってしまいます。
作品中の重要なテーマのひとつがマスコミ報道のありかただったわけで、このドラマに不満な人たちには逆に、じゃああなたは現実の報道に満足してるの? と問いかけたいですね。旧統一教会と政治の癒着も五輪汚職も、このままだとうやむやにされそうな気配が濃厚ですけど、それで満足ですか?
私も今年、時事通信の連載を降板した者として、他人事とは思えません。私は嘘やデタラメはひとつも書いてません。いつもどおり、この人がこの本で、この記事で、過去にこんなことをいってましたよ、と根拠のある事実を書いたのですが、政治家や批評家を皮肉るような文章は掲載できないといわれました。ある程度の修正にも応じ、話しあいを重ねたのですが、折り合いがつかなかったので自分から降板を申し出たという次第でした。
で、この連載企画ですが、某出版社から書き下ろし書籍として出版できる運びとなりました。まだ書き始めたばかりなので発売は1年くらい先になると思います。とりあえずは、2月発売の新書『読むワイドショー』をよろしくお願いします。
今年もむかしの新聞雑誌資料を多数読みました。そのなかから、マスコミ報道関連で興味深かったものを紹介しましょう。
「消されたテレビ番組の全記録」。1973年の雑誌特集記事です。北海道から沖縄まで、全国のテレビ関係者100人が実名で証言した、テレビ局の自主規制や外部からの圧力でお蔵入りになった番組の実例。民放だけでなくNHKの記者やスタッフも証言してるのがスゴい。この時代のNHKはいまとは比べものにならないくらい保守的・お役所的だったので、ヘタしたら局内で自分の立場が危うくなりかねないのに、よく企画に応じましたねえ。
なにより意外だったのは、この70ページにもわたる過激な特集を掲載したのが『潮』1973年3月号だったということ。現在の『潮』は、だれに何を伝えたいのかよくわからない雑誌です。それでも休刊にならず長年続いてるのは、創価学会系の出版社なので学会員が買い支えているからですか?
全般的に、70年代までの活字メディアはトガってます。以前から指摘してますけども70年代までの読売は、庶民目線で政治家や大企業を突き上げるリベラル色の強い新聞でした。いまや『アサヒ芸能』はエロとヤクザが好きなおじさんのための雑誌というイメージですけども、70年代までは独自の切り口からの社会派記事にも力を入れてました。
73年の時点では『潮』にも、テレビの自主規制をテレビスタッフが内部告発するなんて大胆不敵な企画をやれる空気があったのだと思われます。
もちろん宗教がらみの出版社であることは周知の事実だったので、証言を寄せた関係者のなかには、『潮』にだって書けないタブーはあるだろ、みたいな皮肉を効かせてる人もいます。そういう文章も削除を求めずそのまま載せてしまう度量と自由がこの時代の雑誌メディアには、まだあったんですね。
テレビは活字メディアより一足先、60年代に自主規制が始まってました。著名な例としては、1962年に九州RKB毎日が製作したドラマ『ひとりっ子』が放送中止になった件。防衛大に合格した高校生が、母親からの強い反対に遭って悩んだ末に入学をやめるというストーリー(主人公には兄がいたが戦争で死んだのでひとりっ子になった)。スポンサーからの圧力で放送中止になったとされてますが、そもそも企画や脚本にスポンサーがオーケーしたから製作されたのに、完成してから放送するなってのもヘンな話です。
で、73年の特集記事「消されたテレビ番組の全記録」ですが、時節柄、ベトナム戦争関連のルポやドキュメンタリーが局の判断でお蔵入りしたという証言が目立ちます。
小田実、開高健など反戦文化人や自民党政治家などが参加して夜通し行われた討論会を東京12チャンネル(現・テレ東)が生中継したのですが、上層部の判断により途中で中継が打ち切られました。スタッフによると、外部やスポンサーからの圧力はなかったのに、局のおエラいさんが発言内容にびびって自主規制をしたそうです。
この当時、東京12チャンネルは赤字経営に苦しんでいて、NHKの3番目のチャンネルとして編入される計画が真剣に検討されていたという余談にもビックリしました。
NET(現・テレ朝)が土曜のお昼に放送してた『土曜ショー』は主婦向けの娯楽番組だったのですが、現場のディレクターたちが公害、憲法、天皇制など社会派のテーマをぶち込むようになったことで上層部からニラまれて番組が打ち切られてしまいました。
ただ、最終的に打ち切りのきっかけとなったのは社会派テーマではなく、泉谷しげるさんの暴走だったそうです。
放送禁止歌の特集で泉谷さんに「先天性欲情魔」という歌を歌ってもらい、放送音楽の審議員と議論をするところまでは問題にならなかったんです。ところが、スタジオに並べてあったスポンサーの鶏肉の缶詰を泉谷さんが指さして、「こんなもんうまいはずないじゃない」と暴言を吐いたことで、制作局次長が血相変えて飛んできてディレクターを叱責。番組は打ち切り、ディレクターは異動になりました。
しかしのちにわかったのですが、この件でもスポンサーは怒ってなかったそうです。
こういうケースが多いんです。誰も問題にしてないのに、テレビ局の上層部が先走って自主規制をしてしまうという。とりあえずやってみて、問題になったらやめればいいじゃん、じゃなくて、問題を起こすこと自体を極度に恐れて、ちょっとでも危ないものは自主規制するという事なかれ主義が常態化して、いまにつながっている感じがします。
[ 2022/12/31 08:08 ]
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