こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。お待たせしすぎたかもしれません、私の書き下ろし新作単行本ですが、12月発売予定となっております。
すでに原稿は完成して渡してあるのですが、出版社のスケジュールの都合がありますので、いましばらくお待ちください。
さて、その新刊のなかで、先日判決が出た池袋暴走事件、2年前、高齢ドライバーが運転するクルマが暴走し、幼いこどもと母親が死亡し、9名が重軽傷を負ったあの事件。それについても少し触れてますので、そこの部分だけ先取りして紹介しておきます。
そういう事情もありまして、この事件の判決には私も注目してました。以前、裁判が始まったときには、当ブログで「法の正義」の観点から言及しています。
『池袋暴走事件と法の正義』 どんなに悲惨な事件であっても、感情的に被告やその家族を袋だたきにするような野蛮なマネはすべきではない、というか、してはいけないんです、まともな法治国家のまともな国民ならば。
今回、報道された判決内容を読むかぎりでは、禁錮5年は不当な判決ではないと思います。過失運転致死傷罪では最高でも7年ですし、クルマの故障ではなく被告の操作ミスによるものだとして、被告の責任を明確にしてる点、そして被告の年齢と健康状態などを加味すれば事実上の終身刑になる可能性も高いわけで、判決は法の正義からはずれてはいないと私は考えます。
発売予定の新刊では、この事件をべつの観点から取りあげてます。それは、トロッコ問題との関連です。
トロッコ問題に関しても以前ブログで書きました。
『トロッコ問題のバカらしさを、頭の悪いひとにもわかるように解説します』 トロッコ問題を崇高な思考実験とありがたがってるシロウト哲学者たちは、私がトロッコ問題のバカらしさ・無意味さを指摘したことで、トロッコ問題はトンチではない、などと怒ってましたけど、トロッコ問題は役にも立たないし笑えもしない。だからトンチよりも価値がないんです。
私が強く違和感をおぼえたのは、「今後AIによるクルマの自動運転を開発する上で、トロッコ問題を考えることは避けて通れない」という意見でした。
それ矛盾してますよね? クルマの自動運転のAIにトロッコ問題は使えません。だって、トロッコ問題は「正解のない問題」なんでしょ。正解のない問題をどうやってプログラミングするの? 正解のない問題はAIにも解けないのですよ。
トロッコ問題を自動運転に応用しろと主張してる人は、功利主義的解法を勝手に正解とみなしてるんです。つまり、自動運転車のブレーキが故障した場合は、死者を最少にするルートで走らせろ、と。
でもそれは「正解」ではありません。そこで、仮に池袋暴走事件が、ブレーキが故障した自動運転車による事故だったと想定してみましょう。
死者2名の他に9名の重軽傷者が出たということは、あの現場にはかなりの歩行者がいたことになります。もしも違うルートを走っていたら、死者数はもっと増えていた可能性があります。無数のルート選択肢から、このルートで走れば死者は最低の2名ですむ、とAIが判断し、幼いこどもと母親が犠牲に選ばれたのだとしたら?
それはトロッコ問題の功利主義的解法に従えば「正解」になります。でもあなたはその正解に満足ですか? トロッコ問題をAIに組み入れたのは正しかったと犠牲者の遺族に説明し、納得してもらえる自信がありますか?
トロッコ問題はあまりにも非現実的な状況設定をしているために、悪問になってしまってます。現実の社会に応用することができないのです。自動運転車の安全性を高めたいのなら、開発者たちはトロッコ問題なんて無視して、ブレーキなどの故障率を極限まで下げたり、危険を察知するセンサーの改良など、現実的なことに全力を尽くすべきです。
私はいろいろな案を比較検討した上で、自動運転車のブレーキが故障した場合にAIが取るべき最善策を考えました。私のアイデアでも死者をゼロにできる保証はありません。でも功利主義的解法よりも現実的に被害を減らせる可能性を秘めてますし、トロッコ問題の発案者のひとりであるトムソンさんも賛成してくれるのではないかと思ってます。そのアイデアがどんなものかは、発売予定の新刊でお確かめください。