こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。ここ数か月というもの、自民党の政治家とオリンピック関係者が口を開けばふたこと目には「安全安心」。具体的にどんな対策でどれくらい安全になるのかは示されず、連日連夜、「安全安心」というおまじないの言葉だけを何千回も聞かされてきたことにうんざり、イライラしてるかたも少なくないのでは。
そんなみなさんに残念なお知らせです。彼らは安全安心の連呼をやめないでしょう。なにしろ、「安全安心」というおまじないを日本中に広めたのは、他ならぬ自民党だったのです。
「安全安心」「安心安全」は、1980年代中頃に食品業界の一部でぼちぼち使われはじめた言葉です。それ以前の日本人には、「安全」と「安心」を同時に組み合わせて使う発想がほぼありませんでした。
数少ない例外が、1969年4月号の『月刊社会党』に掲載された論文「安全の論理と安心の論理」。
ん、社会党? 自民党じゃないの?
書き間違いではありません。じつは「安全安心」に最初に目をつけた政党は社会党だったのです。
1986年7月に予定されていた参院選
(実際には衆議院の解散によって衆参同時選挙になった)に向けて、3月の時点で社会党がいくつか掲げていた選挙スローガン候補のひとつが、「安全・安定・安心の社会づくり」。
ところが選挙戦がスタートしたとき、社会党が採用したスローガンは、
「強い国家より、やさしい社会です。」
社会党はせっかく掴んでいた掌中の珠「安全安心」をあっさり捨ててしまいました。
それをちゃっかり拾ったのが――そう、自民党です。自民党が採用した選挙用スローガンが、
「自民党だから、安心・安全・安定です。」
安心・安全・安定というフレーズは選挙期間中、テレビCMでも使われました。全国放送の電波に乗って日本の津々浦々にまで拡散し、日本人の脳裏に刷り込まれたのです。
そして選挙結果はといいますと――自民党の圧勝に終わりました。
もともと精神論や言霊なんてものが大好きな日本人が、このご利益を見逃すはずがありましょうか。さまざまな業種、分野で「安全安心」が浸透していく兆しが見えましたが、本格的なブレークを果たしたのは1995年のことでした。
1995年は年頭から阪神淡路大震災、続いて地下鉄サリン事件と、大きな事件・災害が立て続けに起きました。国民が不安感に押しつぶされそうだったこの年の7月に行われた参院選では、もはや与党も野党も関係なく、こぞって「安全安心」を連呼しまくることで支持を訴えたのです。
これ以降、日本では建築業界も防犯業界も飲食業界も原発関連団体も、やたらと「安全安心」をアピールするようになりました。このありがたいおまじないさえ唱えていれば、具体的・科学的な安全対策がなんら取られていなくても、日本国民はこころ安らかに日々を過ごせるようになったのです。
私は2015年刊の『「昔はよかった」病』のなかで、「安全安心」という概念がいかに危険であるかを論じ、「日本国民から思考力を奪い取り、うつけものだらけにしてしまった、おそるべき魔法のことば」と警告しました。「安全安心」に疑問を持ったなら、ぜひ、ご一読を。