こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。かれこれ20年近く前から在宅ワークです。いまは書き下ろし単行本の原稿がようやく終盤に差し掛かったところです。書き上がってから全体を見直して手を入れるので、発売はまだしばらく先になると思います。
年末から録りためたテレビ番組をほぼ消化できました。『逃げ恥』の新春スペシャルドラマは、連ドラのときと変わらず、社会問題をぶっこんでくる姿勢が頼もしい。家庭と仕事の両立をはばむ日本社会のゆがみという従来からの問題に加えて、今回はコロナ禍ですよ。多くのドラマがコロナ禍という状況を無視してるなか、正面切って取り組んでたのは勇気があります。
勇気ある行動には、必ずケチをつけるひとが現れるもの。ツイッターを検索してみると、圧倒的に支持する意見が多いなか、批判的な意見もちらほらあるといった感じでした。
おもしろい反応だなあと思ったのは、少数の批判派に「説教臭くてムリ」「フェミの説教だ」みたいな意見が目立つのに対し、支持する側のひとたちは「社会問題を取りあげながらも説教臭くないエンタメになってたのがいい」みたいにほめてるところ。
同じものを見てるのに、「説教くさい」「説教臭くない」と感じかたは正反対。おもしろいでしょ。この差が何に由来するのか、考えてみましょう。
じつは1年ほど前に、同じ賛否の構図を偶然目にしました。『ミステリと言う勿れ』というマンガを読んだら評判どおりの秀作で、これはきっと、うるさがたのミステリファンもほめているに違いないと思ったんです。そこでためしに、普段あまり読まないアマゾンのレビューを確認してみました。
残念ながらミステリファンらしきひとのレビューはなかったのですが、代わりに発見がありました。全体として圧倒的に高評価が多いなか、少数の批判意見に共通するワードが「説教」であることを。
フェミの説教などと批判されてることに、私はビックリしました。え? あのマンガがフェミニズム? そんな印象、まったく受けなかったけどなあ……? そこでもういちどマンガ喫茶で1巻を読み直しました。
最初のエピソードでは、誤認逮捕された探偵役の大学生・久能が取り調べを受けている側であるにもかかわらず、逆に取り調べをする刑事たちの発言の端々から私生活で抱えている問題点を見抜いてズバズバ指摘していきます。久能がいかにも切れ者って感じではなく、ひょうひょうとしてマイペースなのが笑えます。
久能はつねに合理的な視点で物事を見ています。刑事たちがいかに常識バイアスで曇った不合理な目で物事を見ているかを指摘していくうちに、事件の真相にまでたどりついてしまうのですが、そこに関心があるかたはマンガを読んでいただくとして。
で、久能は刑事たちに何を告げたのかといいますと、娘が父親のニオイを嫌うのは近親交配を避けるための本能とする生物学の仮説を披露したり、刑事が奥さんを怒らせてるのは、ゴミをゴミ置き場に持ってくだけで家事を手伝ってるつもりになってるからだと忠告したり、アメリカの野球選手は奥さんの出産やこどもの卒業式のときに試合を休むことを父親の権利だと思い、世間も認めてるが日本ではなかなか認められない……とか、その程度の話です。
批判レビューを書いたひとたちは、この程度の内容をフェミニズムだと誤解して唾棄してるわけで、それは単なる無知、勉強不足ですね。
説教された、とひとが感じるのは、どういうときだかわかりますか。正論をいわれて反論できないときなんです。つまり、相手の意見を説教だとケチつけてる時点でそのひとは、すでに相手の正論に論破されて負け惜しみをいってる状態にあるのです。
『逃げ恥』にせよ『ミステリと言う勿れ』にせよ、主張内容は非常にわかりやすく具体的です。その主張の多くは、社会と人間の見かたとして正論であると私は感じました。フェミニズムであるかどうかは関係ありません。
もしも主張内容が間違っていると思うなら、どこがどう間違いなのかを具体的かつ論理的に指摘すればいいだけのこと。正しいと納得したなら素直に受け入れればいい。正誤を決めかねるのであれば、自分と異なる価値観もあることを認め、とりあえず異論を尊重する態度を取ることもできるはずです。
そのいずれかが可能なら――いい換えると、あなたが知的・精神的にオトナであれば、「説教された」「説教臭い」なんて言葉は出てこないはずなんです。誰かの意見を聞いたり読んだりして説教だと吠えてるとしたら、それはあなたが未熟だからです。
[ 2021/01/11 18:03 ]
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