こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。
週刊新潮10月1日号の老後破産についての記事を読みました。冒頭で私の『「昔はよかった」病』を引き合いに出してます。(この記事は「矢来町ぐるり」という新潮社のサイトにも転載されてるのでネットでも読めます。)
『「昔はよかった」病』で私は、むかしはよかったという老人の嘆きが歴史的事実とはかなり異なる記憶の捏造であることを検証し、むかしもいまも変わらない、どちらかというとむかしのほうがヒドかったと結論を出しました。
ところが多くの日本人はこの事実を信じたがらない。どうやら新潮の記事の筆者もその口らしく、パオロはああいってるけど、ちかごろ話題になっている老後破産の現実はどうだ。「誰がどう見ても、「昔はよかった」と言うほかない」とおっしゃる。
で、その反証例としてあげてるのが、タレントの天地真理さんと漫画家の柳沢きみおさんなのですが、記事を読んだかぎりでは、このふたりが貧窮してるのは浪費癖という個人の性格が大きな原因です。老後破産とは無関係の特殊な例を代表例にされてもねえ。だったら、ギャンブルで破産した老人もみんな老後破産に含めて論じていいの?
私の本の名前を出してくれたことはありがたいのですが、残念ながらこの記事の筆者も、やっぱり全然わかってません。
老人福祉制度に関しても、いまは歴史上もっとも恵まれている時代です。なのに、なぜその恩恵にあずかれない老人が増えたかといえば、その理由は誰がどう見ても、長生きする人が増えすぎてしまったからです。
武見太郎は早くも1967年のレポートで、将来高齢化が進んで社会保障が破綻するだろうと警告しています。戦前は老人が肺炎になれば98%死んでたが、いまは98%治るし、ガンが増えたと騒がれはじめたのも長生きになった証拠である、と医学的見地から予測しているのが興味深い。
週刊新潮の記事では、昭和の高度成長期には終身雇用で家族を養えマイホームも持てたという意見を載せてますが、これもよくあるステレオタイプ。昭和でも、終身雇用が保障されてたのは公務員と一部の大企業の社員だけでした。会社そのものが倒産することも珍しくない中小企業で終身雇用を約束されてもカラ手形。
昭和の老人はみんな恵まれていたなんておとぎ話を本気で信じてるのですか? 昭和の新聞雑誌記事にも老人残酷物語はたくさんあります。いつの時代のアンケートでも、高齢者は老後の生活不安を訴えてますし、70年代には日本の老人の自殺率が世界一高いことが問題になり、貧困や疎外感、うつ病などと関連づけて報じられてます。
高度成長期の企業は、給料の高い老いぼれ社員を早めに定年でお払い箱にして、安い賃金で使える若い労働力を雇いました。昭和40年代までは55歳定年の会社が過半数を占めてました。老いぼれを追っ払ったおかげで就職できたラッキーな若者たちが、いま老人になって老後破産におびえてます。
バブル期には、地上げで安アパートが次々に取り壊されて、貧しい老人たちが行くあてもなく困っていると報道されました。当時の企業で地上げや土地転がしの実行部隊だったサラリーマンが、いま老人になって老後破産におびえてます。
これも以前から主張し続けているのですが、いま起きている社会問題のほとんどは、規模や形式は多少違えど、むかしにも起きているんです。
貧しい老人はむかしもいたし、いまもいる。むかしは老人が少なかったから貧しい老人の姿が目立たなかっただけ。あいつらは甲斐性がないからああなったのだ、怠け者なんだよ、とばっさり切り捨てていた人が、いま老人になって老後破産におびえてます。
老後破産は他の老人問題同様、いつの時代にもつねに存在したけど、老人が増え、寿命が延びたいまになって、ようやく目立つようになったと見るべきです。
べつに私は、因果応報だとかいう、坊さんみたいな説法をするつもりはありませんよ。
社会においては、われわれはだれもが被害者でもあり、加害者でもあります。それは善悪の問題ではありません。いい心がけでいればいいことがあり、悪い心がけにはバチがあたるなんて宗教観は真っ向から否定します。
だれもが被害者にも加害者にもなる可能性があるし、気持ちだけではどうにもなりません。だからこそ、システムとしての社会保障という制度が必要になるんです。
人間ってヤツは、加害者の立場にいるときは問題に気づかないものなんですよ。被害者の立場になってはじめて問題に気づくのですが、そうなったらなったで今度は、自分だけがわりを食っていると被害妄想にとりつかれちゃう。
いまの老人のなかで、自分の世代だけが損をしていると考えてる人がいるとしたら、それもまた「昔はよかった」病なのです。
[ 2015/10/16 09:46 ]
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