こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。『「昔はよかった」病』は地道に評判が広まってるようで、売れ行きも私の本にしては珍しく好調です。おかげさまで増刷もされました。買ってくださったみなさん、ありがとうございます。
自著の評判は検索しないようにしているのですが、今回、ツイッターだけちょっと検索してみました。
以前から私の本を読んでるかたからは、おおむね好意的に評価されてるようです。もう少し突っ込んでほしいところがある、って指摘は悩ましいところなんですよねえ。調べたけど使わなかったネタがたっぷりあるので、加筆すれば2倍、3倍の分量にもできますが、長くすると読みにくくなりますし、新書だとこれくらいのバランスがいいのかな、とも思います。
絆とふれあいの回で、学校の校門で毎朝先生が生徒にあいさつしてるのは気持ち悪い、とたった2行の記述で済ませてますけど、その2行のために、そういうあいさつをいつだれがはじめたのか、というところまで調べてます。
それについては以前の
ブログでこぼれ話として紹介しましたが、そういうのまですべて入れたら新書の枠でおさまりません。
逆にいうと、そのくらいの裏打ちがあるので、薄い新書でも、そんじょそこらの文化論もどきエッセイとは次元が違うという自信があります。
私の本をはじめて読む人は、予想とのギャップにとまどうこともあるようです。予想をはるかに上回る情報量と、予想を裏切るしゃべり言葉のような軽い文体、そして予想以上の皮肉や毒の量に理解が追いつかない。
江戸弁のような文章がいいと、文体をほめてくれたかたがいたのは嬉しかったですね。私は落語が好きで、文体に落語や講談の口調やリズムを取り入れ、読みやすさにも気をつかっているつもりなのですが、活字だとなかなか気づいてもらえないんですよ。
もちろんその一方で、批判、否定的なご意見もありますが、検討する価値のあるものは見当たりませんでした。発売前に、批判は抽象的・精神論的なものばかりだろうと予告しておいたのが的中したのが残念。具体的な証拠を添えた建設的な反論でしたら、大歓迎です。
批判ではないんだけど、そもそも本を読まずに感想を述べてるかたがけっこう多いんですね。ネット上のレビューやツイートに反応して意見を述べるだけで、本を読んだかのように満足しちゃってる。
その手のもので多かったのが、「むかしはよかったというのは日本だけじゃないよ、外国にもあるよ」みたいなご意見。
そうでしょうね。ていうかそれ、みなさんに指摘される前に先回りして、『「昔はよかった」病』の冒頭、4ページ目に書いときました。2500年前の孔子も口癖だったくらいだから、むかしはよかった病は現実に失望した中高年ホモサピエンスが必ずかかる病なのでしょう、と時代と国を越えた人間心理であることを皮肉たっぷりに指摘してあります。
でも今回私はそこまでつっこんで論じてません。なぜなら、今回は日本の例を調べるだけで手いっぱいだったから。私は、調べてもいないことを想像で書くようなインチキはしないので。
「むかしはよかったというのは日本だけじゃないよ、外国にもあるよ」
「おもてなしの心は日本人だけのものじゃないよ、外国人にもあるよ」
「日本の職人の技術はすばらしいけど、外国にもすばらしい職人はいるよ」
「日本の自然は美しいけど外国の自然も美しいよ」
どれもそうでしょうね。だけどそういう人たちは、たった1個か2個の事例を根拠にしてるだけ。仮説を並べてるだけにすぎないので、反対例を3例くらいあげられたら負けてしまいます。
前から何度も口を酸っぱくしていってますが、仮説は検証を経てはじめて理論になるんです。歴史や文化論の場合、証拠となる大量の事例を集めるしか検証方法はありません。
私は今回、むかしの日本人や日本社会はいまと比べてホントによかったのか、それをテーマに1年以上かけてさまざまな事例で検証しました。その結果、べつによくはないよ、いまと変わらないか、いまより悪いことも多いよ、との確信を深めました。
教育再生が必要だとか、日本を取り戻すとかいってる懐古主義者たちは、むかしの社会の実態を調べもせず、イメージで語ってるだけなんです。むかしのほうが悪かったのだから、再生したらよけいに悪化しちゃいます。
戦前の教育のダメッぷりは、『怒る!日本文化論』ですでに書きましたし、「むかしは近所のおじさんがこどもを叱ってくれた」という伝説を私が実践してみた話などもありますので、私を嫌ってる懐古主義者のかたは、こちらのほうがおすすめかも。