2021年07月 - Age of Pen

道徳好き

稲の穂が伸びていくのを見るいっときは幸せです。育てる苦労は分かっていないのですが。

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先日も引用した岩波「B面の岩波新書」サイトの、飯島渉「緊急事態宣言下の日本(私のコロナ史 第4回)」から、苅谷剛彦の言葉を孫引きします。

「本来、自粛には自己責任や自己犠牲のような自己決定の意味合いが含まれています。誰かから要請、解除されるという筋合いのものではありません。」
「自粛による行動統制には法的拘束力がなく、政治や社会に道徳的な判断を持ち込んだと言えます。市民に自己決定を強いる、政府による曖昧な権力行使であり、英国の場合とは異なります。」
「自粛という道徳領域での行動変容の要請は、政府の責任の曖昧化をもたらしました。それがさらに加速しているように見えます。他方で、強制力を伴うように法改正すべきだという意見も出ています。日本型の国家と市民社会の関係が今後どのように変わっていくのか。コロナ禍が可視化した日本社会の変容の一つです。」
(苅谷剛彦「自粛という言葉に違和感」 共同通信社『心をたもつヒント-76人が語る「コロナ」』146~147頁 最初の配信は2020年7月6日)


道徳が好き。責任をとらない。むかしから変わってない、変われない。うかうかと60年以上も生きてしまいました。(笑)

「道徳」の歌を見つけそこねて、ドウ同士の「どうてい」で、
 童貞の花芯ねむれる鬱血のいろ流血のいろよりかなし   (塚本邦雄:星餐圖)

敗れしを至福とせむ

庭の雑草刈の成果物、セミの抜け殻です。

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岩波のWEBから雑誌『科学』2021年8月号巻頭エッセイ(広瀬弘忠「政治とオリンピックの堕落――人の命よりも形骸化したオリンピックを優先するのか」)の一部を、

 報道によれば,専門家の分科会の会長と有志は,政府に提言を行ったが,首相がG7サミットでオリンピック・パラリンピックの開催を表明したという理由で,提言の中では,開催の是非についての議論は削ぎ落されたという(6月19日毎日新聞朝刊)。しかし,ことの本質は開催の是非にあり,開催を前提とした観客の有無ではない。専門家がここまで政権に忖度しなければ提言も出せないというのは,科学者としての独立性と尊厳を傷つけることにならないのか。日本には,トランプ大統領に対抗して異を唱えたファウチ博士がいない。

科学は政治に昔から負けっぱなしですね。
でも尾身会長が中止を言った時に、官房長官の発言もそうですが、マスコミの扱い方のアンバランスは酷かったと思います。
せめて、あの物理学者出身の“おかあさん“のような首相がここにもほしいなあ。

 敗れしを至福とせむにさしぐみて空蝉ふみしだきつつありき   (塚本邦雄:不變律)

あぜ道なお

なおあぜ道、なお自転車さんぽ、なお「何撮ってるの?」写真。
雑草とゴミ袋のスズメおどしです。

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”嚇(おど)す”で、
 椿一枝(いつし)ぬつと差出し擧手の禮嚇(おどか)すなこの風流野郎   (塚本邦雄:汨羅變)

あぜ道で

歩くと疲れるから自転車で30分散歩しました。これは散歩と言わないかな。
あぜ道で撮ってきました。

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写真を変えるねこたち』というタイトルに引っかかって記事を読みました。
(ネコに引っかかったのでなく写真という言葉に引っかかったのですよ。)
そうしたら以前にも引用した大山顕『新写真論』でした。
(本を買わずにネットで公開されたとこだけ読んでます。)

大山は『現代の写真論は、もはや猫を避けて通ることができない。』と言います。そして、

 猫を飼う人の気が知れない。こう言うと、多くの愛猫家は真顔でこう返す。違う、猫が私を飼っているのだ、と。・・・いくつかの研究によれば、猫が提供する唯一の実用的サービスと思われてきたネズミ退治すら、じつはたいして実行されていなかったという。基本的に人間が猫から得るものは何もない。少なくとも実利的なものは一切。やっかいごとはたくさんもたらすが。おそらく愛猫家の多くはこれを否定しないだろう。それどころか、だからこそ猫を愛することは尊いのだ、と自信に満ちた表情で断言するに違いない。つくづく気が知れない。

彼はネコ写真を次々と見たうえで『SNSには同じような(ネコの)写真がたくさんあり、それが人気を博していると』として、結論に達します。

 素朴なオリジナリティ信奉ほど怪しいものはない。フィルム時代までの芸術写真がオリジナルなものであったとしても、それは単にカメラを所有し発表できる場所を持った人間が少なかったからなだけかもしれないのだ。誰もがスマートフォンのカメラとSNSのアカウントを持っていて、目にする写真の量が以前とは比べものにならないほど大量になった現在、オリジナリティで写真を批評することにほとんど意味はない。・・・むしろ「同じような写真」こそがクリエイティブであると言えないだろうか。

面白いですねぇ。オリジナリティに限らずこだわるのがアマチュアですから、pithecantroupusはどこに住めばいいのでしょうか。

 盲(めし)ひたる猫それぞれのうちに養(か)ひ微溫浴室(テビダリウム)のごとし我家は   (塚本邦雄:日本人靈歌)

いきづまり、いきちがい、いきどまり

行きづまりです。

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 ひとよ初夏の別離再會行き違ひ老母(おいはは)獨活(うど)のごとくに立ちし   (塚本邦雄:花にめざめよ)

夜に立つ

一目で美山と分かる写真を撮らない心掛けはむかしからアマノジャクだった証明。(笑)
今日も10年前の美山の夏休みから。

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きのうの「立たざれば」に一瞬股間を見てしまったithecantroupus。きょうは「立つ」で自分を鼓舞します。
 椿ひしひしとみのりて夜の園に立つ おそらくは死に倦める死者   (塚本邦雄:水銀傳説)

立たざれば

回想の貴船、神護寺に行った日、美山でも撮りました。
記憶はもう薄れていますが。

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ちょっとはなれていますが同じ京都なので、
 六十にして立たざれば嵯峨菊の懸崖にに似て人の世たのし   (塚本邦雄:詩歌變)

絢爛

きのうの貴船をなお。七夕でした。

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回想では郷愁になってしまうので、一昨日の草刈りのあとのゴミも撮ってみました。

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っきのうにつづいて岩波の別サイト「B面の岩波新書」から、吉見俊哉『なぜ東京なのか、誰のため、何のためのオリンピックなのか』の一部を引用します。

 ・・・2020年の東京五輪をめぐる諸問題の根本は、誰のため、何のために開催するのかが実ははっきりしていない点にある。・・・東北復興と五輪開催との結びつきも、さらには福島原発事故からの汚染地域の復興も、真剣に考え抜かれてきたようには見えない。(pthecantroupusがオリンピック開催反対の理由です。)

 ・・・本来表現すべきなのは、単なる「日本らしさ」ではなく、オリンピックで日本が未来に何を成そうとするのかの明確なメッセージである。・・・1964年の東京五輪ではスローガンだった「速く、高く、強く」から、むしろ「愉しく、しなやかに、末永く」への転換であろう。64年とは異なり、人々が2020年に期待するのは、成長への夢ではなく、生活の質の充実や様々なリスクに対する回復力、そして持続可能性への信頼である。大量生産と消費の社会から文化や知識を含めた循環型の社会への転換を通じ、私たちが愉しく、しなやかに、末永く文化や生活を維持していくこと、これである。そのためにスポーツが大きな役割を果たせることを、もしも東京五輪が示せないのであれば、この五輪に開催の意義はない。

スポーツが役割を果たせることを示せるのでしょうか。pithecantroupusは懐疑的です。

 體育館まひる吊輪の二つの眼盲(し)ひて絢爛たる不在あり   (塚本邦雄:綠色研究)

夏の深淵

ブログ以前の貴船の写真で。質を数で補う作戦です。(汗)

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岩波のWEBマガジン「たねをまく」の記事から今更、

 ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない。
 これは使い古されたともいえる、ジョージ・オーウェルの言葉とされている(オーウェルの言葉ではないとの指摘もある)、あまりにも有名な言葉だ。だが東京五輪における報道を考える時、これほど現在のメディア状況を言い当てている言葉はないだろう。
 (中略)
実は、報道を旨とする団体が五輪スポンサーになったことは、五輪の歴史上、過去一度もない。それが日本では、全国紙全てがスポンサーになっている・・・「報道の自殺」こそは、五輪の「負の遺産(レガシー)」として、永遠に語り継いでいかなければならない。(『3.11を心に刻んで』 本間龍「今回の五輪の遺産(レガシー)とは」)


”開”で、
 快樂の口煤色に開(あ)きねむる汝こそわが夏の深淵   (塚本邦雄:水銀傳説)

アジサイの屍

梅雨がおわって庭の雑草が元気いっぱいになったので、ちょっとだけ草刈りをしました。
そのあと、”ゴミ”で写真を撮りました。(汗)

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 ライターもて紫陽花の屍(し)に火を放つ一度も死んだことなききみら   (塚本邦雄:水銀傳説)

ライターもやがては死語になるのでしょうか。むかしの映画スターの写真にはタバコが小道具としてでてきいましたが、今はそんな写真も封印されているように感じます。歴史と言えども現在の束縛からは自由でないのですね。

祕密もち

おとなりのヒマワリをきょうもまた盗み撮りです。
おばあちゃん、ごめんなさい。(汗)

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ネットで5日前に、東大が進めている猫の腎臓病治療研究に2間日で2,900件、合計3千万の寄付があったというニュースを見ましたが、昨日には総額が1億2千万になったと報じられていました。
「ネ+コ」は神だからなあ。人間の予測を超えるよなあ。

 祕密もちてこもれるわれの邊に睡り初夏(はつなつ)耳の孔紅き猫   (塚本邦雄:日本人靈歌)


神護寺も一枚。

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の日々

暑さで老化現象が進展しているのではないかと心配です。
きのう引用した記事にあった「カバディ」という競技が分からず、wikiを読んでも分からず、初心者向けに(サルでも分かる)ように説明してくれているwebでようやくぼんやりと理解できる始末です。

問題は、何度読んでも、カバディをバカディと読んでしまう事。第一印象は強いなあ。初恋もなかなか記憶から消えないもんなあ。

回想の「何撮ってるの」写真、神護寺で。

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思い出にふけっていては暑さに脳が傷んでいくだけなので、隣家のヒマワリ一枚。
あ~! やっぱり脳がダメージ受けている!(笑)

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あすから夏休みだそうなので、
 暑中休暇の日々の教室 黑板に「戰争」と百ばかり書き散らし   (塚本邦雄:汨羅變)

とりたてて

ほぼ半年ぶりのお仕事で歳を思い知って今日はぐったりです。
在庫もないし、回想の五箇荘も「昔はものを思わざりけり」で使い物にならないし、同じころに撮った回想の神護寺で。
今度は、技術的問題がありありで、また行って撮り直したいなぁ。

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よくいくサイトWEBちくまにあったオリンピックに関する岸本佐知子(翻訳家だそうです)の文に共感したので一部を。

オリンピックが嫌いだ。
 朝から晩までオリンピックオリンピックとそのことばかりになるから嫌いだ。参加することに意義があるとか言いながらメダルの数に固執するから嫌いだ。口では「ゲームを楽しみたいと思います」と言いつつ目が笑っていなくて嫌いだ。メダルを取らなかった選手と種目は最初から存在しなかったことになるのが嫌いだ。国別なのも嫌いだ。閉会式と開会式だけちょっと好きだ。あとはぜんぶ嫌いだ。・・・(「ネにもつタイプ」)


日本人アスリートの報道ばかりで、かれより好成績を残した外国人が無視されるのがpithecantroupusも面白くありません。銅や銀の日本人よりも金をとった外国人の姿を報道してほしいのです。
岸本が言う『メダルも金・銀・銅はやめにして、一位どんぐり、二位煮干し、三位セミの脱け殻とかにする。』に笑ってしまいましたが、賛成もします。(笑)

金と銀なので、
 とりたてて悼むべきこと更に無し喪服にも金銀の青海波(せいがいは)   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

ことばは神

ふるい五箇荘だけでは脳が活性化しないので今日も昔カメラをモデルに。

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回想の彼方の五箇荘も。
「アブナイ」と言われて、一瞬「アタマ」のことかと思ってしまうのが悲しい。(笑)

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 先日つけはなしのTVに下重暁子が出ていたので思わず視聴してしまいました。(徹子の部屋)
NHKテレビ初期の女性アナウンサーというだけで、pithecantroupusは賢い人なんだろうなぁと思ってしまうのです(実際、著書も多いし)。
 ところが、見ていたTV番組のなかで彼女が、「ヤバい」という言葉を使ったことに驚き、がっかりしました。それも二度も。
若い人が「ヤバい」といっても脳が発達していないだけと見過ごしますが、彼女の歳にして言われると拒否反応が起こります。
汚い言葉は、チンピラやヤクザなどアウトローが使えば違和感はないのですが、元アナウンサーが使ったので。

 言葉は神としいへどさみだれの犀川に犀のゐざる不可思議   (塚本邦雄:黄金律)

不覚に

在庫払拭につき10数年前の近江五箇荘で撮った何でもない写真でお口汚し。

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五箇荘は塚本邦雄の故郷なので、
 ふるさとのごとし 不覺に花置けば花に蠅群がる釜ヶ崎   (塚本邦雄:綠色研究)

をなに

つゆ明けした地方が増えてきて、そろそろ暑中見舞いでもと思って、先日来カメラをモデルに写真を撮るのですが、頭が硬直してまったく様になりません。きょうも悪戦苦闘の記録。

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バックの水の写真だけも。

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むかし撮った夏祭りの写真でも遊んでみました。

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大江健三郎のセブンティーン・第二部を読む前に”第一部”を読み始めました。「おれはやはり左翼でありたい気がするし、気分の点でいっても左翼の方がしっくりする」という主人公、自慰にふける主人公に、あの頃の自分を思い出します。

オナニー(をなに)の歌を、
 惡運つよき靑年 春の休日をなに著ても飛行士にしか見えぬ   (塚本邦雄:日本人靈歌)

雷すぎて

ペンSをキヤノン50mm0.96に換えてパシャッ。

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バックの写真をRAWから現像しなおしたものも参考に。

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肉眼よりも明るいというキャッチフレーズだったキヤノン0.95にちなんで、「眼」で、
 日本愛しつつ孤立せるわが朋(とも)よ雷(らい)すぎて眼のごとく濡るる石   (塚本邦雄:日本人靈歌)

七月の泡

残りものも少なってきました。蓮田の畔に咲くアジサイです。

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お口直しに、オリンパス・ペンS。
バックに、ブログ初期の風の写真をおいて。

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 七月の泡だつ蓮田 ラスコーリニコフ戦争(いくさ)にゆかば何せし   (塚本邦雄:日本人靈歌)

われの何

暑さに頭も心も弱っている証拠のような残りもの。

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すこし前にNHK「100分de名著」で三島の金閣寺をやっていたので、その影響で大江健三郎「セブンティーン第二部」を唐突に思い出しましたが、短いものなのにまだ読み始めていません。暑さを気力減退の言い訳にしています。

セブンティーン第二部は「政治少年死す」と題されているので、
 俎に雉子(きぎす)の肝のむらむらと蒼し 政治とはわれの何なる   (塚本邦雄:歌人)

さしてはるかならず

昨日と同じです。冷蔵庫の隅にあったのと、おわびの撮れたて一枚。

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フィルム時代に使っていたケーブルレリーズは長短2種類あったはずですが短い方しか見つかりません。
最初に使っていたレリーズはケーブル部分が布で覆われていたけど、いつか破れて、金属製になってました。

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二枚目のバックはA・ケルテス「読む時間」。
ずっと欲しかったのが、古本ですごく安く手に入り、その記念写真も兼ねて。
本を読む人のスナップを集めた本です。

ケルテスとマルケスはほぼ一字違いでかなり近いので(汗)、
 百歳さして遥かならねば生姜湯を飲みさして讀むガルシア・マルケス   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

μ ミュウ

ハスまだありましたぁ、冷蔵庫の隅。

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発酵しかけている写真だけではと、一枚だけオリンパスμをパシャッとしました。

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発酵と腐敗は化学的には同じと習った記憶があります。
 腐敗ちかきレモンに煮湯そそぎつつ親しもよ輕騎兵ジュリアン   (塚本邦雄:装飾樂句)

へたりうらうらと

暑い~です。皮下脂肪過多のpithecantroupusには拷問です。冷たいが欲しいです。
回想の五箇荘からこおりみずで。

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 屋上に碧(みどり)の氷果くはへたりうらうらと不良少年の果(はて)   (塚本邦雄:歌人)


たびたび引用しているWebちくまの穂村弘「絶叫委員会」に、

ウィキペディアを読み出して、止まらなくなることがある。そう云えば、そう云えば、と関連項目から関連項目へ、次々に飛び続けてしまうのだ。先日は、子どもの頃に読んだ漫画やアニメについて読み耽ってしまった。

という記事があって、自分の年齢を考えてしまいました。著者はpithecantroupusより10歳若い!
同じような経験はあるし、ウィキペディアを便利に使ってはいるけど、頭のすみで『本当か?』という疑いは消えません。10歳爺いな分だけ疑い深くなってます。すくなくても、ウィキを記事にすること自身に違和感があります。

そこの微光あつめ

ハス写真が毎日続いて飽きたので。
ゴミ写真の残りものです。
大きくしときますので。

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季節が違いますが、
 水底(みなぞこ)の微光あつめしきさらぎの睡蓮死を飼ひ殺しし未練   (塚本邦雄:驟雨修辭學)


そういえば、新潮社PR誌{波」に、

家族ゆえの愛が、殺意に向かうということである。世間に迷惑をかけた責任をとる、楽になってほしい、に向かえば殺人になり、迷惑をかけたくない、楽になりたい、に向かえば自殺になる

という記事がありました。(神田桂一 「石井光太『近親殺人 そばにいたから』」書評
 日本の殺人事件の認知件数(年間)は、近年、800件から900件台で推移しているが、家族内を主とした親族間での殺人件数は400件から500件台で、20年ほど前は全体の4割程度だったのが、近年では5割強。日本では、殺人事件の半分以上で、家族や親族が殺し合っているそうです。ショックでしたがその気持ち分かるような気が。

はすかる

きのうの写真に味をしめてまたハスの花で。同じような写真が続くので食傷気味ですか。

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ハスとパスはほぼ同じだから(汗)、
 パスカルの蘆刈り拂ひわが頓挫 血を見るよりもあきらかにして   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

老睡

きょうこそはハスの花。

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きのうGoogleを誹謗したので、長田弘「対話の時間」の情報談義から、

長田:(万葉集や百人一首を例に)よく編集されたものというのは、それによって記憶を組織する。だけれども、今日のいわゆる情報というのは、そういう記憶を組織する編集というのとは違う。地上げですね。情報によって、記憶を地上げしちゃう。・・・
岸田:新しい情報がどんどん入ってくると、あたかも自分が体験しているような錯覚に陥って、直接体験しなくてもいいような感じになってくる。
・・・他人がつくった情報のほうが、自分一人の体験よりは範囲がはるかに広いわけですからね。だから、自分で体験するよりは、人が体験して編集してくれたものを受けとっているほうがよりゆたかで価値が高いような感じになってきているというのが、いまの状況ではないですかね。・・・たとえは悪いけれども、ポルノビデオばかり見ていて、そのうちそっちのほうがよくなって、実際には恋愛しないとか(笑)。・・・


対話の相手は岸田秀で、pithecantroupusが生理的に苦手な人ですが、pithecantroupusが大好きなポルノビデオを例に挙げていたので。(汗)


老衰でなく老睡なのが気に入って「百人」の歌を、
 百人永眠、千人老睡、この國は眞晝間も歯軋りが聞えて   (塚本邦雄:汨羅變)

いづくに衰

きょうこそハスの花で。
あっ、花じゃない。花は撮らなかったのか。記憶力が不安になってきました。

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きのうの記事で「文化は衰退」と書きましたが、ほんとうは「文化はすいちょう」と書きたかったのです。
ところがスイチョウの漢字変換ができず、ネット検索すると衰微(スイビ)が出てきてしまう。

ネットで試行錯誤して書きたかった「衰凋」にたどり着きましたが、時間がかかったので、記事の方は衰退で妥協。
本当にGoogleは不便だなあ。Wiktionaryもあてにならないし。

 いづくに衰ふ娶りしものら夏至近き風は己が好むところに吹き   (塚本邦雄:水銀傳説)

妄想か虚妄か

昨夜は更新したと思ったら、FC2ブログで障害が発生して、ブログにアクセスできなくなっていました。
きのう"Age of Pen"に"アクセスしていただいた方のブログを訪問する事も出来ないままでした。

おわびのしるしにハスの花を。
と思いましたが、肝心の花はボケボケで、やっぱりヘソが曲がっています。
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「おわび」と言えば、TVのニュース番組で「わびとさび」を「詫びと寂」というのを見ました。
むかしだったら、小さなミスなんて見過ごしたのに、いまは重箱の隅をつっついてしまいます。

TVが面白くないからではないかと感じます。むかしはあんな幼稚な画面、演出でも面白かったような気がします。
懐古趣味ではなく、ある部分では”文化”は衰退してきているのではないかなぁ。

オリンパスが今つかっている「ペンちゃん」というゆる~いキャラクターと、フィルム時代の佃公彦のキャラクターとの雲泥の差が、そんな妄想をつくります。

 屋根に干しし黑き毛布はひるがへり<虛妄(いつはり)の證(あかし)をたつることなかれ>   (塚本邦雄:日本人靈歌)

はすべて

まず昨日の残りもの一枚。バックは紀信の撮った長嶋茂雄。

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この写真に関して紀信は、

これを長嶋さんに見せたら『よく撮ってくれました、ほんとうに今の僕はこういう気持ちなんですよ』と言われたんです。そしてプリントを下さい、というので1枚差し上げた。僕は長嶋家に行ったことはないんだけれど、人づてに額に入れて壁に飾ってある、と聞きました。こういうところが長嶋さんって素敵じゃないですか。こういうのを撮ってくれたのはうれしい、って。彼は写真がわかっている」(BrutusCasa

と言ってました。

残りもののお口直しはハスの写真に戻って。
と思いましたが、これって花でないし。花もいっぱいあったのになぁ。やっぱりヘソは曲がっているか。

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蓮の「はす」で、
有能多才、それはさておきシモーヌ・ド・ボーヴォワールが「人はすべて死す」   (塚本邦雄:汨羅變)

欲望の

きょうは”PENの日”だそうなので、記念撮影です。
EP-1につけたレンズがパナソニックなのはご愛嬌。パンケーキがこれしかないので。

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カメラのバックは篠山紀信「新・晴れた日に」展のカタログです。田舎住まいのpithecantroupusは会場へ行けないので、7月1日発売のカタログだけ予約していました。
カタログ巻頭「嵐の日も雨の日もぼくが撮る写真は、いつも晴れた日。」という言葉に紀信のパートナーが南沙織だったことを思い出しました。

 晴天に葬りの儀式畢れりとはやあざらけし欲望の翳   (塚本邦雄:感幻樂)

怒りにむせぶ

ハスの花を撮りに行ったのですが。アマノジャク!

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TVでニュースもたまには見ますが、職域接種の映像を見ながら違和感が払拭できません。
エッセンシャル・ワーカーに感謝と言いながら、なぜ、彼等が職域接種の先頭にいないのですか。
だからニュースを見てはいけません。(笑)

 思ひ出でて父の怒りにむせぶ日もあらむ蓮田に花刈りつくす   (塚本邦雄:閑雅空間)

ハスかいにさす

ハス、なお。

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”ハス”の歌、
 梅雨の身はからくれなゐの傘隱れこのかなしみを斜交(はすかひ)に刺せ   (塚本邦雄:されど遊星)