AKIのブログ

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ラプトブログに出会い、人生が変わりました。

『2024年11月11日の祝祭日の奇跡と恵み』

私は2016年にYouTubeでラプトさんに出会い、2017年から『ラプトブログ』を通して信仰を持つようになりました。

『ラプトブログ』

https://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

ラプトさんが神様の御言葉を伝えてくださる中で、11月11日の祝祭日のお話をしてくださいました。

 

『有料記事221(2017年11月4日)主に出会って救われたことを愛と感謝でお祝いしなさい。〈11月11日の主の祝祭についての御言葉〉』

https://rapt-neo.com/?p=45642

 

『有料記事224(2017年11月13日)11月11日は主と私たちが互いの愛を確認し合い、互いの愛を深め合う日だ。〈主の祝祭の日についての御言葉〉』

https://rapt-neo.com/?p=45748

 

毎年、祝祭日の日が近づいて来ると「今年はどうしようかな〜」と楽しみに待つようになりました。

 

ラプトさんや12弟子の川田さんやナナさんの証を読むと、毎年11月11日の祝祭日はサタンからの悪影響をまったく受けずに、素晴らしい奇跡と恵みに満ち溢れた日になったとおっしゃられていました。

正直、私がこれまで送ってきた祝祭日は、これと言った奇跡や恵みがあった事があまり無くて、普段の生活と何ら変わりのない日で終わる事が何度かあったので毎年、兄弟姉妹の方々の証を読みながら「羨ましいなぁ~」と思っていました。

 

しかし、今年の11月11日は、今まで味わったことのない素晴らしい奇跡と恵みを受けられる日になりました。

 

今年の11月11日は月曜日でした。

私の今現在の日常生活では、一番忙しい曜日が月曜日なので、今年は思い切って1日早い11月10日(日)に祝祭日を祝おうと思いました。

 

私には高校1年生と中学2年生の娘がいます。

2人は神様を信じて信仰を持っていますが、夫は神様を信じておらず、信仰を持っていません。

夫はかなりの宗教アレルギーの持ち主で、以前は信仰生活をしていた私を迫害したり、離婚を迫られた時期もありました。

けれど、今ではだいぶ落ち着いてきて迫害もされなくなりましたが、今だに宗教アレルギー反応は健在です。

そんな夫の悪影響を受けずに、娘2人と3人でゆっくりと祝祭日を祝いたいと思っても、毎年何かしら用事があったり、夫が一緒に居ることで細々としか祝祭日を祝えなかったのですが、今年は11月10日(日)の前日の土曜日から、夫は友人とキャンプに行く予定を入れてきました。

夫がキャンプに行くと聞いた時「神様がこの日を用意してくださった!」と思いました。

といのも、夫は普段から人付き合いが全然なくて、休日の日は必ず家に居る人だからです。

たまに、ソロキャンプに行くぐらいで、家族との外出も嫌がる人なのですが、なぜか11月9日〜10日は職場の友人とキャンプに行く予定を急に決めてきました。

信仰者だけで、ゆっくりと過ごせるように神様が取り計らってくださったと思い、神様に感謝致しました。

 

1日早い祝祭日の11月10日(日)は、お天気も良く晴れやかな朝でした。

お昼ご飯は、娘2人が以前から行きたいと行っていたオシャレなカフェでランチをする事にしました。

人気のお店なので「混んでるだろうなぁ〜」と思いながら、お店に到着すると5〜6組ぐらいの方がお店の前で並んでました。

「まぁ、しょうがないか•••」と思いながら、列の最後尾に並ぶと、犬同伴OKのお店だったので犬連れの方が何人かいらっしゃって、大好きな犬を見てる間にあれよあれよと言う間に順番が来ました。

座席に案内されると、一番奥の広々とした落ち着いた6人がけのテーブルに案内されました。

少し贅沢な気分でランチメニューを選び、お料理を堪能しました。

お料理も美味しかったのですが、娘2人との会話もとても楽しくて、終始笑ってばかりいました。

デザートに頼んだ「バスクチーズケーキ」も、とても美味しくて大満足でした。

私はバスクチーズケーキは大好物で、いろんなお店で食べるのですが味が好みではないのが多く、食べるまで不安だったんですが、このお店のバスクチーズケーキはドンピシャの好みのお味に出会えたので驚きでした。

カフェで楽しい気分を味わえた後は、カフェ周辺にある雑貨屋に寄り道しようとしました。

雑貨屋に寄る道中、小さな美術館の前を通ったので娘2人に「入ってみる?」と尋ねると「入りたい!」との返答。

早速、入ってみる事にしました。

実は、この小さな美術館は以前にも入った事があるのですが、その時は娘2人がまだ幼稚園の頃だったので、絵画をゆっくり見ずにすぐに出てしまったのを覚えていました。

その美術館は本物の絵画のレプリカが飾ってあり、サイズも本物と同じのが飾ってありました。

美術館に入って驚いたのがレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と、ミケランジェロの「最後の審判」の絵画でした。

特にミケランジェロ最後の審判の絵画を見た時、ラプトさんが伝えてくださっている神様の御言葉がまるでそのまま映像で見ているかのような感覚があり、しばらくその絵を眺めていました。

絵画にはまったく興味のない自分が、絵を見ているだけで、いろんな思いや想像、世の中のことや霊界のこと、神様の事やラプトさんの事を思いながら眺めているだけで楽しめている自分に驚きました。

 

美術館を出た後、可愛らしい雑貨屋に入り何も買わずに品物を物色だけしましたが、娘2人と楽しい時間を過ごす事ができました。

お店を出た後、そろそろ家に帰ろうと思った時、頭の中に(今日の記念にケーキでも買って帰ろうかな•••)と思っていた矢先、長女が「ケーキ買って帰ろう!」と言ってきたので、驚きました。

雑貨屋の近くに人気のケーキ屋さんがあったのですが、前を通るとかなりの行列が出来ていたので、どうしようかと思った瞬間、帰宅途中にある小さなケーキ屋さんがあるのを思い出し、そこのケーキ屋さんに行く事にしました。

時間は夕方になっていたので「ケーキは残っているかな?」と思って、ケーキ屋さんに行くとミルフィーユが2つ、モンブランが2つだけ残っていました。

実は、このケーキ屋さんの一番美味しいと言われているのがミルフィーユで、私と次女はこのミルフィーユが大好きです。

しかも、夫と長女が好きなケーキがモンブランで、長女に限ってはショートケーキかモンブランしか食べないので、まるで神様が私達家族に残してくださったとしか思えないほどの嬉しい出来事でした。

家に着いた後、夫がキャンプから帰ってくるのを待っていたのですが、少し遅くなると連絡がありました。

夫ガ帰って来る間、讃美歌を゙大音量で流しながら娘2人と一緒に踊りなから賛美しておりました。

 

しばらくして、私は正直「晩御飯も外で食べたいなぁ~」と思っていたら、夫から帰りは19:00過ぎると連絡がありました。

夫が帰ってくると、車の中から50キロの米袋に入った薪を10袋持って帰ってきました。

古民家に住んでいる友人が、食事やお風呂もすべて薪で火を起こしているらしく、夫がたまに行くキャンプで使ってくれと大量の薪を持って帰ってきました。

最後の最後で、まるでコントのような展開に家族全員が笑顔になり、楽しい時間を過ごせました。

その後、家族でラーメン屋に行って夕食を済ませました。

本当に楽で楽しくて、恵みのある日でした。

こんな楽しい日が毎日、続いたらなぁ~と思いながら1日早い祝祭日を神様と一緒に過ごせた事を心から感謝致します。

 

そして、これは祝祭日とは違う日の出来事なのですが、とても嬉しかった事がありました。

祝祭日が終わった数日後、なぜか洋服屋に行きたい衝動に駆られました。

朝から「どうしよう、どうしよう•••」と迷っていたのですが「神様にお願いしながら行こう!」と決断して家を出発しました。

お店まではバイクで30分以上かかるのですが、バイクで走りながら神様にお祈りしながら行きました。

私が一番欲しかった物は仕事で使用する長袖の柄シャツでした。

柔らかい素材の物を探していたら、可愛らしいスタジャンを発見。

その後、以前から欲しかったコンバットブーツを発見。

そして、一番求めていた柄シャツも発見しました。

その後、またまた以前から欲しかった迷彩柄のカーゴパンツも発見。

欲しかった長袖の柄シャツ、コンバットブーツ、迷彩のカーゴパンツ、おまけに可愛らしいスタジャン、すべて購入して12000円でした。

私は洋服が好きでZOZOTOWNやアマゾンなどのネットで拘りの洋服を探すのですが、なかなか自分が求めている洋服の色や形、デザインやお値段が見つからずに断念する時もあります。

特に、今回購入出来た柄シャツやコンバットブーツ、迷彩のカーゴパンツはネットや他のお店で探していたのですが色や形、デザインが自分好みの物がなかなか見つからなくて、見つかっても値段が高くて購入を諦めていました。

しかし、今回購入出来たアイテムはネットで調べた物より半額の値段ですべて購入出来ました。

本当に嬉しかったです。

帰りの道中、バイクに乗りながら神様に「本当に嬉しいです!ありがとうございます!本当にありがとうございます!」と連呼していました。

 

これまで、神様からいろんな奇跡や恵みを与えていただきましたが、過去に起こった奇跡や恵みは、まったく色褪せる事なく思い出す度に感動と喜びが蘇ります。

たくさんの方々が神様にラプトさんに出会い、素晴らしい奇跡と恵みの体験をして、色褪せる事がない人生を神様と共に歩める事を心からお祈りします。

『医師から「二度と治らない」と言われた変形性膝関節症が、神様の導きと恵みによって治った奇跡』

私は『ラプトブログ』に出会ってから、神様からたくさんの恵みを受けてきました。

『ラプトブログ』

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私は最近まで左膝の変形性膝関節症の痛みに悩まされていました。

左膝が痛み出したのが、2021年の8月頃でした。

 

私は若い頃からダンスをしていました。

20歳からバレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、ジャズダンス、ロックダンス、ポップダンス、ヒップホップダンスなど。

幼い頃からダンスが大好きで、ダンススタジオに習いに行ったり、ダンスコンテストに出場したり、イベントにも出演しました。

26歳の時、母親から勧められてフラメンコダンスを習い始めました。

30歳の時、母親と一緒にフラメンコ教室を立ち上げて、フラメンコを教える仕事に就きました。

けれど、40歳の時に会社の社長である母親と会社の経営方針や方向性の違いによって険悪な関係となり2014年11月に仕事をクビになりました。

それから約3年間ほど、踊ることをやめました。

しかし、神様の導きと恵みによって「もう一度踊りたい!」感動を受けて、2018年10月から約20年ぶりにストリートダンスのレッスンを受けました。

当初は週1回のレッスンで満足だったのですが、2019年7月に発表会に出演した時「もっとダンスを踊りたい!上手くなりたい!」感動を受けました。

発表会のフィナーレの舞台に立った時、目の前がキラキラと明るくなり、発表会が終わった安堵感など一切なく、ただ「もっと、踊りたい!もっと、上手くなりたい!」と感動を受けました。

20年以上ダンスを踊ってきて、こんな経験は産まれて初めてでした。

発表会が終わった後は、週1回のダンスレッスンを週2〜3回に増やしました。

そして、2019年の11月頃に険悪な関係だった母親と和解し、2020年3月からフラメンコを教える仕事を約6年ぶりに復帰しました。

この仕事復帰も神様からの導きと恵みでした。

ダンスレッスンとフラメンコの仕事、ほぼ毎日踊れるようになり、精神的にとても充実した日々を送れるようになった反面、肉体的には肩や膝、腰や首などに少しずつ痛みや違和感が出てくるようになりました。

そして、2021年の8月ぐらいから左膝に強い痛みが出るようになりました。

膝に痛みが出て来た当初、私は「冷せば治るだろう····。」と安易に考えていました。

しかし、左膝の痛みはどんどん悪化していきました。

日常生活にも支障を来たすほど痛みが激しくなってきたので、ネットで病院を探すことにしました。

 

自宅から歩いて5分ほどの所に数年前に通院していたT接骨院があるのですが、そのT接骨院には行く気にならずに他の病院を探すことにしました。

驚いたことに自分が住んでいる地域には、たくさんの整形外科や接骨院がありました。

私は早速、各病院の口コミを読み漁りました。

たくさんある病院の中で、一つだけ口コミの数が桁違いに多いB接骨院がありました。

私はそのB接骨院に決めて、早速予約を取りました。

自宅からバイクで7〜8分の所にある接骨院でした。

「どうにかして、左膝の痛みを無くして思いっ切り踊りたい!」

そんな期待と希望を抱きながら、B接骨院に来院しました。

私を担当してくれたのは女性の先生でした。

問診を済ませ、ベッドに横になり左膝周りの筋肉や左足を触診してくれました。

約10分ほどのマッサージと治療を受けた後、痛みの原因や症状の説明を受けました。

結果は、しばらく通院してくれれば治ると言われたので、私は素直に従いました。

次の週も「今より良くなるかな···」と期待して来院しましたが、期待を裏切るような押し売りが始まりました。

「水素水を吸ってみませんか?」(有料)

「あずきの湯たんぽしてみませんか?」(有料)

「足裏マッサージしてみませんか?」(有料)

「ふくらはぎのマッサージしてみませんか?足に羽が生えますよ!(?)」(有料)

来院するたびに、左膝とはまったく関係のない押し売り療法を勧めてきては料金を上乗せしてきました。

肝心の左膝の痛みは一向に良くなりませんでした。

そして、極めつけだったのが「当院の口コミを書いてくれたら診察料金を20%安くしますよ!」と言ってきました。

私は「あ、はい····そうですか···」と誤魔化していたのですが、ある時、治療の最中に「今回の治療費、20%安くしときました。口コミ、書いてくださいね!」と言われました。

本人の承諾なしに医師の勝手な判断で口コミを要求し、肝心の左膝の痛みは一向に良くならない治療をし、関係のない療法を押し売りしてくる病院のやり方に悪意を感じました。

私は「二度と来るもんか!」と思い、病院を後にしました。

後で考えてみると、その病院のネットの口コミが桁外れに多かったのは、そんな闇があっただからだと思いました。

そんな嫌な思いに追い打ちをかけるように左肩にも痛みが出始め、腕が上がらないほど悪化して行きました。

ネットでもう一度、病院を探そうとしましたが、また同じような悪徳病院に行きたくないし、ネットの口コミは当てにならないと思い、私は神様に「左膝と左肩が治りますように!」と祈りました。

そして、以前通っていたT接骨院に行こうと思いました。

何年ぶりにT接骨院の医院長のN先生にお会いをして診察してもらいました。

N先生は私の左膝を診て「あ〜、膝が曲がってしまってますね~。これは変形性膝関節症です。これは、元に戻らないですね~。左肩は典型的な五十肩ですね。」と、とても残念そうな口調で話されました。

私は本当にショックでした。

そして、N先生は更に「もう少し早く来院してくれたら、完治出来たんですが····」と言われました。

私は涙が出そうなぐらいにショックで凹みました。

後悔しかありませんでした。

N先生は「とにかく、これからはこまめに来院してください。戻せるところまで戻して行きましょう!」と、おっしゃってくださいました。

私は絶望感と虚しさに苛まれながら、家に帰りました。

そして、神様に「左膝と左肩を治してください!」と祈り求め続けました。

T接骨院に通院し始めてから約半年ぐらい経った頃から、左膝の痛みと左肩の痛みが軽減して行きましたが、やはり踏ん張った時や急な階段の昇り降りの時は痛みがありました。

 

半年以上経った頃、N先生が「膝が真っ直ぐになって来てますね!」と、おっしゃってくました。

しかし「でもね、膝は真っ直ぐになっても、骨の歪みはもう元に戻らないんですよ。」と言われました。

しかし、私は「どうしても治したい!」と思い神様に祈り続けながら、通院し続けました。

 

2023年の12月、私は次女と一緒にダンスコンテストのグランドチャンピオン大会を観に行きました。

そのダンスコンテストは毎年、1月から11月まで毎月1回行われているコンテストです。

このコンテストは、ジュニアの部(年齢制限が14歳まで)と、一般の部(年齢制限が15歳から)に分かれて競われるコンテストです。

そして、毎月行われるコンテストでは、ジュニアの部から1位〜3位のチーム又は、ソロのダンサーが選ばれ、一般の部からも1位〜3位のチーム又は、ソロのダンサーが選ばれます。

そして、12月に全月の1位〜3位の入賞チーム、又はソロのダンサーが集り、グランドチャンピオンが行われます。

私と次女は、そのグランドチャンピオン大会を観に行きました。

私は、この大会のジュニアの部のダンサー達を見て衝撃と感動を受けました。

ダンスのテクニックのみならず、表現力や度胸、パフォーマンス能力と完成度の高さに圧倒されました。

「私が今までやって来た踊りは、一体何だったのか!!!」と思えるような衝撃でした。

そして「あんなダンスをしたい!あんな踊り方をしてみたい!」と心底から思いました。

そして、もう一度自分の踊りを見直した時に、圧倒的な筋力不足と体力不足、関節の可動域がないことに気が付きました。

その日から「毎日、トレーニングするぞ!」と決心しました。

YouTubeで「下半身の筋トレ」「上半身の筋トレ」「膝に負担がかからない筋トレ方法」「持久力のつけ方」「全身のストレッチ方法」などを調べては実践し続けました。

筋トレとストレッチを毎日やり続け、約2週間ぐらいで、自分の体が変化しているのに気付きました。

ダンスを踊っている時、フラメンコを踊っている時、体が軽く感じました。

特に、フラメンコを踊っている時の体の変化が以前よりも違い過ぎて驚きました。

足を打つ時(タップダンスとは違って、フラメンコの足の打ち方は強い打ち方をします)楽に打てるようになり、音もクリアでキレイな音が打てるようになりました。

しかし、激しい足のステップや深く屈伸運動すると膝に痛みが出ました。

それから、トレーニングの内容を試行錯誤した結果、下半身のトレーニングと太ももの内転筋のトレーニング、腕のトレーニング、20分の全身ストレッチを毎日、行うようにしました。

(子供の用事や朝から外出しないといけない日はできないのですが···)

左膝の痛みは少しあるものの、以前よりはどんどん良くなり、ダンスやフラメンコの踊りの時でも痛みをまったく気にせず動けるようになりました。

更に、腕や肩のトレーニングを行ってからは、左肩の五十肩の痛みもなくなりました。

 

先日、T接骨院に行った時、N先生から「左膝、めちゃくちゃキレイに治ってますよ!」と褒めてくださいました。

私は毎日のように筋トレとストレッチをしている事をN先生に報告すると、先生は「偉いですね!凄いですね〜!ほとんどの方は、そんな熱心に治そうとはされませんから。皆さん、常に楽をしようと考える人が圧倒的に多いので。◯◯さん(私)のような人は珍しいです。」とおっしゃってくださいました。

本当に嬉しかったです。

 

「絶対に膝を治したい!」

「もう一度、思いっ切り踊りたい!」

そして「神様に祈り求めれば、必ず治してくださる!」と信じて祈り続けました。

もし、私が信仰を持っていなかったら、医師の診断結果を聞いた途端に、やる気を無くし、もしかしたらダンスもフラメンコを踊る事も諦めていたかもしれないと思います。

でも「神様が絶対に治してくださる!」と信じ続けたので、諦める事もなく絶望する事もありませんでした。

 

『RAPT有料記事166(2017年4月24日)あなたの病は必ず治るから、心配しないで祈りつづけなさい。』【https://rapt-neo.com/?p=43267

 

『RAPT有料記事748(2023年6月3日)天の法則は、信仰を持って祈る者がいてこそ強力にこの地に働く。そして神様の預言も、信仰をもって祈る者がいてこそ速やかに成就する。』

https://rapt-neo.com/?p=58409

 

『RAPT有料記事831(2024年4月27日)主は今年から聖霊の歴史が始まると仰ったが、聖霊の歴史とはつまり義人の祈りが叶えられる歴史だ。だから、どんなことも遠慮せず祈りなさい。』

https://rapt-neo.com/?p=59627

 

今年の9月にはダンスの発表会、10月にはフラメンコの舞台が控えてます。

再び、全力で舞台で踊れるチャンスをくださり、膝と肩を治してくださるように導き、恵みと祝福を与えてくださった神様に心から感謝します。

一人でも多くの方が神様の恵みと祝福を受けられますようにお祈りします。

『神様の導きによって、約30年前に生き別れた父親と再会することが出来ました。』

私は2016年にYouTubeでラプトさんに出会い、2017年から『ラプトブログ』を読んで信仰を持つようになりました。

『ラプトブログ』

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私の両親は私が高校卒業後に離婚しました。

 

私は高校を卒業するまで父親と母親、3歳年上の兄と7歳年下の弟、12歳年下の弟の6人家族で暮していました。

父親は公務員で母親は保育士の仕事をしていました。

父親は社交的で友人も多く、面白い人でした。

母親は容姿が綺麗で子供好きで優しい人でした。

私が中学生の頃に、母親は保育士の仕事を辞めて市役所の職員の仕事に就きました。

その頃から父親と母親は夫婦喧嘩をするようになり、父親はお酒を飲む量が増えていきました。

母親は私に父親の愚痴や悪口を言うようになっていきました。

「お父さんは育ちが悪い!」

「お父さんは頭が悪い!」

「お父さんが私にすぐ暴力を振るう!」

「お父さんは、すぐキレる頭のおかしい人間だ!」と母親から毎日のように父親の愚痴や悪口を聞かされました。

家庭内は、いつも微妙な緊張感が漂っているのを感じていました。

母親は私より7歳年下の弟が成長するにつれて弟を溺愛するようになり、私に対して容姿をバカにしてきたり、人格を批判するような発言をするようになりました。

父親と母親は会話をしなくなっていきました。

母親は父親への憎しみや恨みが酷くなり、父親自身の事だけではなく、父親の兄妹や親、住んでいた地域や育った環境までも批判しては差別的な発言もするようになりました。

私は「両親はいつか離婚するだろうな···。その時は母親について行こう!」と決めていました。

私は父親が「暴力を振るう怖い人」「すぐキレる恐ろしい人」「我慢出来ないわがままな人」だと恐れるようになっていきました。

両親が離婚する間際、父親と兄は母親に対して攻撃的になっていきました。

私は自ら身を挺して、父親や兄から暴力を振るわれようとしている母親を守ったことが何度もありました。

 

両親が離婚した後、父親と兄は家を出て行きました。

私は高校卒業後、就職先の会社の寮で生活していました。

母親は父親と離婚すると決めてから、父親に今までどんな事を言われてきたか、父親からどんな酷い目に合ってきたのか、離婚調停の進み具合や父親側の弁護士の発言、養育費の話や親権の話など、すべてを私に打ち明けて話をしてくれました。

母親からは「父親はアルコール中毒でDVだった。父親は家庭内暴力を行い続け、母親や兄を殴る蹴るなどの行為を頻繁に行っていた」と聞かされました。

私は母親の話を聞く度に、父親への憎しみや恨みが募り母親に同情しました。

両親の離婚調停は、なぜか3年ほど続いた様でした。

両親が離婚した後、私は暴力的で酷い事をする父親と兄とは「二度と会わない!」と決めていました。

 

私は高校卒業後に就職先の会社の寮で生活していましたが、会社を辞めてからは母親と弟二人と一緒に暮らすようになりました。

末の弟が小学生の頃に「学習障害」だと病院で診断されました。

母親は末の弟が学習障害になったことを自分の責任だと感じて、末の弟を溺愛するようになりました。

上の弟は中学生になってから母親のブランドバックや時計を盗み、質屋で売ってはお金に代えて当時、付き合っていた女性に注ぎ込んでいたことがわかりました。 

その後、上の弟は社会人になってからパチンコにハマり出し、母親の財布からお金を盗んではパチンコに使う。

アルバイト先のレジからお金を盗んではパチンコに使う。

友達の財布からお金を盗んではパチンコに使う。

末の弟の高校通学の定期券購入代のお金を盗みパチンコに使う。

母親のブランドバッグや末の弟のゲーム機を盗んでは質屋で現金化してパチンコに使う。

上の弟はギャンブル依存症のようになり、母親や私から何回怒られても、パチンコが止められなくなっていました。

上の弟のギャンブル依存症は悪化し、今度はあちこちの金融会社からお金を借りるようになり、多額の借金をするようになりました。

更に、上の弟は彼女を作るために創価学会に入信し、学会員の人と結婚したものの、親からもらった結婚資金をパチンコで使い果たし、結婚後もパチンコに明け暮れては奥さんから叱られることを繰り返しました。

結局、上の弟は結婚3年目に離婚しました。

 

末の弟は母親から溺愛され続けた結果、一度も社会経験をせず、母親の会社であるフラメンコ教室の受付や簡単な事務仕事だけをし続けていました。

末の弟の低堕落さを目の当たりにしたのが、フラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社拡大のために母親は銀行からお金を借りる時、私と弟二人が保証人になる書類の手続きをしていた時の事です。

末の弟は当時20歳を越えていたにもかかわらず、自分の住所と電話番号、更に自分の生年月日さえも知りませんでした。

私と主人は末の弟のその姿に愕然としました。

 

両親が離婚した後、私はダンサーになる夢を追いかけながらアルバイトをする生活をしていました。

2つのダンススタジオを行き来しながら、必死でプロのダンサーになろうと努力しました。

しかし、ダンスコンテストに何度出場しても結果は得られず、叶えられるかどうかわからない夢への不安と心配が募っていきました。

夢だったダンサーになれたとしても、収入が不安定なダンサーという仕事を何十年も続けられるかどうか悩み続けました。

将来のために定職に就こうか、それとも夢を叶えるために今のアルバイト生活をしながらダンサーへの夢を追い続けるかどうか悩みました。

結局、24歳の時に介護職に就いてからは、ダンスへの情熱は徐々に冷めて行きダンスをやめてしまいました。

ダンスをやめてからは、毎日が虚無感と不安だらけで、このまま夢を諦めて平凡な人生を送って行くのかと思っていた時、母親から「フラメンコをやらないか?」と言われました。

 

母親は父親と離婚した後「自分が今までやりたかったことをやる!」と言って、色んな趣味に没頭していました。

その中の一つが、フラメンコダンスでした。

母親は仕事をしながら、フラメンコにのめり込んで行きました。

母親は数年間、フラメンコを習い続けた後、カルチャースクールでフラメンコを教えるようになっていました。

母親から「せっかく今までダンスを習ってきたのにやめるのはもったいない。フラメンコやったら?」と言ってくれました。

私は以前からフラメンコに興味があったのと、今までのダンス経験で「フラメンコなんか、すぐに踊れるだろう!」と高を括っていました。

しかし、実際にフラメンコをやってみて思ったのが「こんな難しい踊りがあるのか···」と思うほど、レベルの高い踊りに驚かされ、そしてのめり込んで行きました。

2001年の10月から約半年間、スペインへフラメンコ留学しました。

帰国後は、カルチャースクールでフラメンコを教えていた母親の仕事を引き継ぎました。

その後、2004年に母親と一緒にフラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社を設立しました。

当初、フラメンコ教室の生徒さんは約20人弱で、レンタルスタジオの稼働率も10%〜20%でした。

しかし、2010年頃にはフラメンコ教室の生徒さんは120人に増え、レンタルスタジオはキャンセル待ちが当たり前になっていました。

そんな中、私は母親と会社の運営や方針の違い、金銭問題で何度も衝突しました。

母親は会社が儲かるほど金使いが荒くなり、フラメンコ教室の生徒さんやレンタルスタジオのお客さんにも横柄な対応したり、サービスを悪くしていきました。

会社設立当初から10年間、私は会社の社長である母親から3度に渡って給料を減給されました。

私は仕事で使用するフラメンコ用品は、すべて自分の給料から支払って購入していましたが、母親は自分のフラメンコ用品や弟二人分のフラメンコ用品は会社の経費で購入していました。

毎年、行っていた発表会では、私が担当するクラスは常に3〜4クラスでした。

発表会用の振付や構成、強化レッスンを行ってもギャラは出ず、発表会の準備や雑用もすべてタダ働きさせられました。

私は母親から何度も陰湿な虐めにもあいました。

母親は私の悪口を生徒さん達や弟二人に吹き込むようになりました。

真に受ける人とそうでない人もいましたが、末の弟は母親の話をすべて真に受けて、母親と一緒になって私を虐めるようになりました。

私が自分の給料で購入したフラメンコシューズを母親が無断で生徒さんに売っていた事もありました。

黒色のフラメンコシューズは、初心者の方に人気があったので、フラメンコ教室に入会された方に私が使用している黒色のフラメンコシューズを母親は私に無断で売っていました。

私が怒って母親に問いただすと、母親は謝罪どころか逆ギレをして「売ってやったや!リベートくれ!」と言われました。

子供を妊娠した時も臨月まで働かされ、出産後は1ヶ月の育休しかもらえず、すぐに復帰しろと言われました。

夜遅くまで仕事をしていたので、幼かった子供と一緒に寝る事も出来ない生活が続きました。

一方、母親はスタジオ付きの三階建ての豪邸を市内に購入し、末の弟とリッチな二人暮らしをしていました。

母親は、一本30万円程するインプラントを10本ほど入れて生徒さん達に自慢していました。

更に、一匹30万円以上する猫を三匹購入し、毎週末は末の弟と外食三昧。

暇さえあれば、母親と末の弟は旅行やイベントを観に行く豪遊三昧の生活を今も続けています。

私は母親から受ける兄妹格差と陰湿な嫌がらせを受ける度に「父親に会いたい···」と思うようになりました。

会社が一番儲かっていた2014年11月、私は母親から仕事をいきなりクビにされました。

「踊る」生き甲斐を失い、仕事も人脈も失い、これから何をして生きて行けば良いのかと思っていた時にYouTubeでラプトさんに出会うことが出来ました。

『RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯』
https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

『ラプトブログ』

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YouTubeでラプトさんを知った後、ラプトブログを通して生まれて初めて信仰を持つようになりました。

信仰生活を始めてからは、今まで経験した事のない神様からの奇跡や恵み、導きを次々と体験しました。

2019年11月、私は母親から誘いを受けて、母親と弟二人が出演するフラメンコのイベントを観に行きました。

このイベントで母親と弟二人が踊っている姿を観て、なぜか「もう一度フラメンコを踊りたい!」と強い感動とやる気を体中に感じ、2020年3月に再び母親のフラメンコ教室で教える仕事に復帰しました。

仕事に復帰して驚いたのが、120人ほど在籍していた生徒さんが40人ほどに激減していました。

レンタルスタジオの稼働率も以前はキャンセル待ちだった状況が、10%〜20%の状況になっていました。

スタジオ経営はコロナ禍の影響も受けて、すぐに赤字経営だと分かりました。

私は母親に何度も会社運営の見直しや経営方法を改善するように訴えましたが、何一つ受け入れて貰えず、すべて却下されました。

自分が担当している生徒さんに、過去にあった母親との確執や虐めの話をするようになりました。

話を聞いた生徒さんからは「なぜ、ここに戻ってきたのですか?」「よく戻ろうと思いましたね?」と言われました。

私の中では、神様が「戻りなさいと、感動を与えてくださったんだ。」と確信していたので、神様がおっしゃられる通りに行っただけだと思いました。

 

2023年5月頃、母親は唐突に「11月に生徒ライブをやる!」と言い出しました。

ライブの日程は、2023年11月26日に決まりました。

私の担当クラスからは、8人の生徒さんが出演希望されました。

早速、私は生徒さん達とライブに向けてのミィーティングや強化レッスンや合同レッスン、個人レッスンを開始しました。

ライブに向けてレッスンを行った後で、私は生徒さん達とフラメンコやライブの事だけではなく、いろんな話をするようになっていきました。

生徒さん達と話をする中で一番話題になったのが、私が2014年に仕事をクビになった後、フラメンコ教室の運営方法や母親と弟二人のレッスン時の指導方法のクレームでした。

(末の弟は私が仕事をクビになった後、フラメンコを始めて指導するようになったそうです)

特に母親へのクレームを多数受けました。

「レッスン内容が難し過ぎる」

「レッスンの時の説明がまったく解らない」

「自分の好きな生徒だけをえこひいきする」

「予定をコロコロ変更する」

「人の悪口を言う」

「自慢話が長い」

「生徒を見下す発言を平気でしてくる」など。

私は生徒さん達にまで母親の悪政の被害が及んでいたことに驚きました。

そして、私も母親から過去に受けた酷い扱いと差別行為を生徒さんに打ち明けるようになりました。

 

ライブまで後1ヶ月に迫った2023年の10月頃、私はいつも通りレッスンが終わった後に生徒さん達と話をしていました。

一人の生徒さんが、唐突に「〇〇先生(母親)が離婚したのは、〇〇先生が不倫していたからだって聞きましたよ!」と聞かされました。

私は驚きました。

私が「えっっ!?どうゆう事??」と問いただすと、その生徒さんは「〇〇先生が不倫していた時、家の前で〇〇先生と不倫相手の男性がキスしてた所をお兄さんが目撃したって、お兄さんが言ってました。」と言われました。

私は一瞬、頭の中が真っ白になりました。

私は、その話を聞いた直後は半信半疑でした。

しかし、冷静になって考えた時、過去に起きた出来事や問題、周囲の反応や母親の異様な言動や行動を思い起こした時、すべてが一つに繋がっていきました。

「だから、父はお酒に溺れるようになったのか!」

「だから、あの時にあんな激しい夫婦喧嘩をしていたのか!」

「だから、あの時に親戚の叔母さんが怖かったのか!」

「だから、あの時父と兄は母親に攻撃的だったのか!」

「だから、あの頃に母親は自分を正当化するために私に嘘ばかりを吹き込み続けたのか!」

私が今まで不思議に思っていた事や分からなかった事、すべてが一つに繋がりました。

 

そして、2024年3月上旬頃、母親から「お兄ちゃんから連絡があって、お父さんがあんたに会いたいって。」と言われました。

これは、本当に神様の恵みと奇跡だと思いました。

私は即答で「お父さんに会うから、お兄ちゃんに連絡しておいて!」と母親に伝えました。

その後、すぐに兄から連絡があり、お父さんと会える日を段取りしてくれました。

私は「やっと、お父さんに会える!聞きたい事が山ほどある!」と思いました。

お父さんに会えるとわかった時から、頭の中がお父さんの事でいっぱいになっていきました。

お父さんと一緒に過ごした思い出が次々と頭の中から浮かんできました。

お父さんに遊んでもらった事、旅行や山登りや川遊び。

野球を観に甲子園に行ったり、コンサートに行ったり、お泊まり保育の劇で鬼役をしてくれたり、肝試しでお化け役をしてくれたり。

海水浴にプール、花火大会やお正月の親戚の家。

いつも一緒に行っていたスーパーやレストラン。

次から次へと父親との思い出が頭の中から浮かぶ度に、涙が溢れ出てきました。

「あ〜、私はお父さんから、こんなに愛されていたんだ〜!」と産まれて初めて実感しました。

それと同時に、幼い頃から母親から受け続けていた誹謗中傷や兄妹差別、兄妹格差。

母親と一緒に仕事をするようになってからは、母親から奴隷のように扱われていた事に対して、本当の親は父親であり、私を愛してくれたのも父親だった事に気が付きました。

 

2024年4月13日、私は娘二人と一緒に31年ぶりに父親と再会しました。

父親と最後に別れた時、私が18歳で父親が43歳の時でした。

私の中での父親は若い頃のままの記憶で止まっていたので、再会した時は別人のように年老いていた父親の姿を見て号泣しました。

ただ、私が想像していたよりも足腰も元気で、車の運転もして、自炊も毎日しているようでした。

父親のマンションに着いてから、父親と兄と娘二人と私で昼食を一緒にとりました。

私は、ずっと父親と一緒に泣いていました。

そして、父親と二人っきりで話をしました。

父親から聞いた話は、私が母親から聞いていた話とはまったく違う話でした。

父と母は高校時代に出会いました。

二人は高校卒業後、結婚を約束したものの母側の両親から結婚を反対されました。

母は身一つで家を飛び出し、父と駆け落ちした後に結婚をしました。

結婚式も二人が住む新居の頭金も、父側の両親がすべて工面してくれたそうです。

しかし、母は後に「気持ちの悪い結婚式やったわ!」と私に愚痴っていました。

結婚後、父は公務員となり、母は保育士になりました。

その後、母親は20歳で兄を出産し、23歳で私を産みました。

私が7歳の頃に上の弟を出産し、私が小学校6年生の頃に末の弟を出産しました。

私が中学生になった時、母親は保育士の仕事を辞めて市役所の職員になったそうです。

母は、そのまま保育士を続けていれば園長先生になれたそうですが、父に相談もなく役所の試験を受けて職員になったそうです。

外見に恵まれていた母は、保育士という女社会から市役所の男ばかりの職場に移り、周りの男性職員からチヤホヤされるようになったそうです。

そして、市の職員の中でも一番女たらしで有名な男性と不倫関係になったそうです。

その男性も妻子持ちだったそうです。

母は父の給料やボーナス、家族の生活費を不倫相手や自分の身なりにつぎ込むようになりました。

母は毎月40万円〜50万円のお金を使っていたそうです。

更に当時、幼かった弟二人を放置して夜な夜な不倫相手と会っていたそうです。

兄は家の前で母と不倫相手がキスをしている所を目撃したそうです。

近所に住んでいた親戚のおじちゃんは、母と不倫相手が車に乗って出かける所を目撃していたそうです。

母の職場では母の不倫の噂が広まり、隣市の市の職員だった父の職場でも有名な噂になっていったそうです。

父親は母親に「不倫をしているのか?!!」と問いただすと、母親は「してない!」と白を切り続けたので、その時だけ手が出てしまったと言っていました。

母が、私や弟二人に吹き込んだ「お父さんは暴力を奮う!DV夫だった!」と言うのは、母が自分を正当化するための真っ赤な嘘でした。

父は母の不倫を何度もやめるように説得したそうですが、母は一切聞き入れずに不倫を続けました。

父は自分の兄妹に相談したしたところ、父の親族と母の親族が我が家に集まって話し合いになりました。

相手の男も呼び出し、母と不倫相手は父と父の親族の前で「もう、会わない!」と土下座し、母の親族は父の親族の前で土下座して謝罪したそうです。

けれど、母は不倫関係を続けました。

そして、我慢出来なかった父は家を飛び出し、兄は母を殺そうと思っていたそうです。

母は、この出来事を「暴力振るわれた被害者の私や私の親族が謝罪させられたわ!」と、後に私に話していました。

確かに、私の記憶では父は母に手を挙げた事はないし、兄も同じ証言をしていました。

母親は今までずっと、父親と兄の連絡先を私に教えてくれませんでした。

真実がバレるのが怖かったからだと思います。

 

 

昼食の時、父は100枚ほどしかない家族の写真の束を見せてくれました。

離婚した時、家族の写真をすべて母に持って行かれ、自分が持っている家族写真はこれだけしかないと嘆いていました。

私は真実を知った後、なんとも言えない憤りと虚しさと、もう二度と取り戻せない過去の出来事に何日も何日も苦しみました。

母親へのさらなる憎しみや恨みや拒絶。

父親への同情と申し訳ない気持ち。

兄への感謝や弟二人への同情。

何日も何日も、家族の在り方や存在意味を考えました。

数日間、気持ちが滅入ってしまい、何もやる気が起こらない日が続きました。

しかし、2週間ほど経った頃、両親のことや兄のこと、弟二人のことを少しずつ冷静に考えられるようになっていきました。

そして、私は父親に会ってから、ある一つの大きな決断をしました。

それは、独立して自分のフラメンコ教室を開業することでした。

その決断をした時に気が付いたのですが、今まで自分の心の中にあった母や弟二人への厄介な情やしがらみ、家族への拘りが一切なくなっている事に気が付きました。

私の心の中に、捨てたくても捨てきれなかった母や弟二人への情や執着が綺麗さっぱりなくなっていました。

そして「やっぱり私には神様しかいない!」と強く思えるようになり、新たな希望や目標が自分の中でハッキリと芽生えたのを実感することができました。

 

父親に再会してから、母親は私に対してかなりの弱腰になり、横柄な態度や理不尽な事を言わなくなりました。

弟二人には、まだ真実を話していません。

いつか話すべき時が来たら話そうと思っています。

 

『有料記事438(2020年1月25日)嘘は人間の脳を害し、人間の機能を停止させる毒だ。だから私たちが真実の情報を発信し、上級国民の垂れ流す嘘を嘘だと人々に知らせなければならない。』

https://rapt-neo.com/?p=52305

 

『有料記事306(2018年8月27日)嘘を本当だと思わせることは難しいが、真実を本当だと思わせることは簡単だ。』

https://rapt-neo.com/?p=48543

 

『有料記事247(2018年2月3日)愛の根源は主だけであり、主の愛を受けた者しか真実の愛を知ることができない。』

https://rapt-neo.com/?p=46558

 

『有料記事172(2017年5月15日)嘘を常識とする世の中ではなく、真実を常識とする世の中に作り変えなさい。』

https://rapt-neo.com/?p=43742

 

2024年の今年になってから、本当に私の周りではあり得ない神様の力と奇跡と恵みが起きています。

本当にラプトさんに出会えて、神様に出会えて、御言葉を受け入れて良かったと思います。

2016年にYouTubeでラプトさんに出会った頃の私は、ドン底の人生でした。

神様が私に感動を与えてくださり、もう一度仕事に復帰するように導いてくださり、生徒さんを通して真実を教えてくださり、兄にも父にも再会出来るようにしてくださいました。

本当に神様に感謝です。

ラプトさんは、この世の中の真実を『ラプトブログ』を通して教えてくださいました。

私は『ラプトブログ』を通して、神様の愛と導きによって、実の母親からも何十年も騙されていたことや洗脳されて利用され、本当に私を愛していたのは父親だった真実を教えてくださいました。

本当に父親が生きているうちに再会できたのも、神様のお陰です。

そして、新しい目標と希望を持てるように導いてくださった神様に本当に心から感謝致します。

一人でも多くの方が真実を知って神様に出会える事を祈っております。

『病院通いが当たり前だった日常生活が、ラプトブログに出会ってから病院や医師に頼らなくても良い生活になりました。』

私は『ラプトブログ』に出会うまで、医師の言う事を100%信じていました。

常日頃から体のどこかに痛みや違和感があると「病気かもしれない···」と、すぐ不安になり病院に駆け込んでは、しばらく通院する生活が当たり前でした。

通院生活を続けても体の痛みや違和感がなくならない場合は、また他の病院に行って通院することを繰り返していました。

 

私は小学4年生の時に「アトピー性皮膚炎」を発症しました。

アトピー性皮膚炎専門の皮膚科に通い、食事療法を3年間行って完治しました。

 

私が幼い頃から常に通い続けていたのが歯医者でした。

私は幼い頃から歯がとても弱くて、甘い物を食べた瞬間に歯に痛みを感じたり、歯磨きを少しでも怠るとすぐ虫歯になっていました。

歯医者だけでも、今まで8件ぐらいの病院を転々としてきました。

 

10代の頃のことです。

ある日突然、上の右奥歯が激しく痛み出したことがありました。

私は「また、虫歯の痛みだ···」と思って、しばらく痛み止めの薬を飲んで様子を見ていました。

しかし、歯の痛みは一向に収まらず、我慢出来ずに当時通っていた歯医者で診てもらうことにしました。

先生は私の歯を診た後、すぐにレントゲンを撮ってくれました。

先生は私のレントゲン写真を食い入るように見ていました。

そして先生は「これは歯じゃないね。鼻やね!」とおっしゃられました。

先生は耳鼻科に行くように勧めてくださいました。

私は自宅から近い場所にあった耳鼻科に行くことにしたのですが、その病院の医師からは納得出来る説明や原因は聞けずに多量の薬だけを貰って帰りました。

数日間、薬を飲み続けましたが一向に良くならず、母親に相談したところ、もう一軒耳鼻科があると教えてくれました。

私は早速その耳鼻科に行き、先生に診てもらうと「急性蓄膿症」と診断されました。

先生は「3回来て!3回で治すから!」と宣言してくださいました。

先生の宣言通り、私の急性蓄膿症は3回の治療で治りました。

 

20代の頃にも歯に関することで辛い経験をしました。

私が社会人1年目の時でした。

当時、私は会社の寮に住んでいました。

仕事中に歯が痛くなりました。

地元の歯医者には遠くて通うことが出来なかったので、寮の近くにある歯医者で治療を受けることにしました。

久しぶりの歯医者だったので、私は緊張と恐怖のあまりに怯えていたら、いきなり医師から「あんただけが患者じゃないんや!あんただけにそんな時間かける暇なんかないんや!」と大声で怒鳴られてしまいました。

治療を終えた後、しばらく痛みがなかったのですが、ある日、仕事に行こうとバスに乗っていた時、今まで経験したことのない激痛が右顎に走りました。

私は一瞬、誰かに顔を思いっきり殴られたのではないかと思ったほどの激痛に、頭の中が真っ白になりました。

仕事を休むことが出来ず、しばらく我慢をしていましたが、日に日に痛みは激しくなり3時間おきに痛み止めの薬を飲まないと我慢出来ない状態が何日も続きました。

顔の形が変形するほど右顎が腫れ上がり、職場の人達からは顔を見られる度にドン引きされるほどでした。

あまりの痛さに耐えられず、仕事を休んで以前通っていた歯医者に行って診てもらうことにしました。

先生は私の顔と歯を見るなり、すぐに「レントゲンを撮ろう!」とおっしゃってくださいました。

レントゲンを撮り終わり、先生は治療した箇所のかぶせを外してくださいました。

すると、口の中から生ゴミのような臭い匂いがした瞬間、先生が「あ〜あ、これは酷いなぁ〜!」と言われました。

治療が終わった後、先生から「歯の奥まで虫歯が進行していたのにもかかわらず、レントゲンを撮って確認せずに歯の上部だけを治療し、歯の奥底に残っていた虫歯の菌を取り除かずに被せをしたせいで、虫歯菌が歯の奥へ奥へと蝕んで、こんな酷い状態になってしまった。」と丁寧に説明をしてくれました。

後日、歯の腐食が酷すぎたので抜歯することになってしまいました。

 

他にも、私は30代の頃にも何度も原因不明の高熱で倒れました。

特に酷かったのが、フラメンコを教える仕事をしていた頃でした。

ある日の朝、いつも通りベッドから起き上がろうとした瞬間、突然激しいめまいを起こして立ち上がることも出来ない時がありました。

寝ていても目の前がグルグルと回転し、立ち上がることも出来ませんでした。

丸一日寝込んだ翌日には、めまいは治まったのですが「何か大病を患っているかも···」と思いました。

私はめまいの原因を突き止めようと、その日から内科、耳鼻科、眼科、心療内科、大学病院の脳外科など、病院を何軒も渡り歩きましたが、どの病院も、どの医師からも納得した原因が聞けず、心配と不安に押し潰されそうになった時期もありました。

結局、原因不明のままでした。

 

子供が産まれてからは、より一層病院に通うことが多くなりました。

子供の発熱や風邪、湿疹やケガなど。

病院の診察券が自分と子供達の分をまとめたら1冊の冊子ぐらいになるほど、病院通いが当たり前でした。

長女を出産したのが2008年、次女を出産したのが2010年でした。

長女を出産した時、ちょうどテレビやマスコミで「京都在住の幼児が肺炎球菌によって重病になった」と騒がれていました。

長女が幼い頃、私は子供の予防接種を信じていたので、ほとんどの予防接種を受けさせていましたが長女はだんだん病弱になり4歳の時には吃音を発症してしまいました。

長女も次女も、予防接種を打ち始めたとたんに原因不明の発熱と食欲不振により入院しました。

次女を出産した翌年の2011年、東日本大震災が起こりました。

原発事故の風評被害放射能、癌や大気汚染など、マスコミが流す嘘の情報を鵜呑みにしていた私は「これから、どうすれば子供達を守って行けるのか··。家族の健康をどうやって守って行けるのか···。」と思い悩んでいたました。

それから、毎日のようにネットやYouTubeで健康情報や社会情勢を検索していました。

そして、2016年にYouTubeでラプトさんに出会うことが出来ました。

 

『RAPT×読者対談114 癌という病気は存在しない。(前編)』

https://youtube.com/watchv=6W9hPx3hH5s&si=ToI5ETIIXXEszkpE

 

『RAPT×読者対談115 癌という病気は存在しない。(後編)』
https://youtu.be/dZusTa6srSw

 

『RAPT×読者対談56 原発も原爆も存在しない。』

https://youtu.be/lgpD0YE5RRI

 

『RAPT×読者対談57 原発も原爆も存在しない。(後編)』

https://youtu.be/dfS0Nmrmlj8

 

2017年から『ラプトブログ』を通して信仰を持つようになってから、歯医者、耳鼻科、内科、接骨院に通う回数が次第に減って行きました。

子供達も病院に通うことがなくなって行きました。

 

ラプトさんに出会ってから私が一番に驚いたのが歯医者でした。

ラプトさんに出会う前は、何度も歯の痛みに悩まされた時期がありました。

何件も歯医者に行っては、納得出来る治療をしてもらえずに歯医者難民になっていました。

ラプトブログに出会ってから、神様に「良い歯医者が見つかりますように!」と祈りました。

しばらくしないうちにネットで見つけた歯医者に行きました。

そこの歯医者は、私の話を親身に聞いてくださり、きちんと治療を説明してくださり、余計な治療やムダな治療もしないし、何度も通わせてようとせずに「痛くなったら、来てください」とおっしゃってくれる歯医者を見つけることができました。

その歯医者も、ラプトさんに出会ってからは徐々に利用する回数が減って行き、今ではほとんど通わなくても良い状態になりました。

幼い頃から体質的に歯が弱かったので、年齢と共に歯がボロボロになって行くと思っていましたが、ラプトブログに出会い、信仰を持ち始めてからは歯が悪くなることがなくなりました。

歯医者は幼い頃からずっと通い続け、ほぼ依存に近い状態だったのですが、今では歯医者に通わなくてもいい人生が送れていることに神様の恵みと奇跡を感じています。

 

『この世のどんな専門知識に従うよりも、神様の考えで行ってこそ、病気も治り、健康に生きられる!!(十二弟子・KAWATAさんの証)』

https://rapt-plusalpha.com/83655/

 

『【第35回】ミナのラジオ – 神様を信じてお祈りすると、病気も治り、若返り、それまでできなかったことができるようになり、日々、新しい自分に生まれ変わることができる!! – ゲスト・NANAさん』

https://rapt-plusalpha.com/89416/

 

『どんな絶望的な状況であっても、病気を癒し、希望を与え、起き上がらせてくださるRAPTさんの力と愛(十二弟子・KAWATAさんの証)』

https://rapt-plusalpha.com/31407/

 

今は踊る仕事をしているため、接骨院に通ってはいますが、治療ではなくマッサージを受けにだけ行ってます。

 

つい最近、家の中を整理整頓していたら棚の奥から名刺サイズの冊子が出てきました。

中を見ると、歯医者、耳鼻科、内科、心療内科接骨院、皮膚科、整形外科、産婦人科の診察券が多量に出てきました。

それを見て「こんなたくさんの病院に通っていたのか···」と思い、つくづくラプトさん、神様に出会えて本当に良かったと思いました。

ラプトさんに出会うまでは、癌や白血病などの病気、予防接種やワクチン、医師を信じていましたがラプトさんがこれらの事はすべて存在しない嘘だと教えてくださったことで、本当に心の底から救われました。

 

『【動画】ガン利権に騙されるな!癌という病気は存在しない | RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/26985/

 

『【ガンという病気は存在しない】オミクロン株拡大で癌検診を受ける人が減少 「癌利権」で暴利を貪ってきた医者たちに危機感』

https://rapt-plusalpha.com/29988/

 

『【癌は存在しない】コロナワクチン接種後、癌と診断される人が急増しているとのデマが拡散される ワクチンの危険性を訴え、癌利権で暴利を貪る医療業界の卑劣な工作』

https://rapt-plusalpha.com/44681/

 

『「発達障害」も捏造された病気!! RAPTブログで医療界の闇を知り、親しかった親子が救われた(十二弟子・ミナさんの証)RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/65125/

 

『【ポリオは人工的に捏造された病気】ポリオの原因は、ウイルスではなく大量に撒かれた農薬だった!! ポリオワクチンも“ただの毒”RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/50907/

 

『「野口英世」は120年前に「酸素不足は、全ての病気の原因」と発表 マスク着用の強要は、やはり日本の国力低下のためのテロだった!!』

https://rapt-plusalpha.com/50864/

 

『【コロナは存在しない】インドの感染爆発・死者続出は、すべてマスコミの捏造したデマだった!!』

https://rapt-plusalpha.com/11657/

 

『【自民党員も全員、コロナが嘘だと知っている】超密状態の党大会で大声で必勝祈念し、国民から批判殺到』
https://rapt-plusalpha.com/33087/

 

PCR検査に使われる綿棒は、はじめから「陽性用」と「陰性用」に分けられている!!』

https://rapt-plusalpha.com/5994/

 

『世界中でコロナパンデミックに対する抵抗が始まっている』

https://rapt-plusalpha.com/5557/

 

更に、神様を信じて祈り求めれば、病気も治るとおっしゃってくださっています。

実際、私と子供達は年々、元気になっていき風邪も引かなくなくりました。

最近は、体を鍛えることが楽しくて筋トレやストレッチも子供達と一緒に始めるようになりました。

ラプトさんに出会ってからは、年々健康になって行っています。

本当に神様とラプトさんに感謝しております。

一人でも多くの方が真実にたどり着き、健康で幸せに生きて行けますように、お祈り致します。

『ラプトブログに出会い、神様が私の人生をより良い方へと導いてくださっていると思える体験』

私は今年で50歳になる2児の母です。

夫は公務員、長女は今年の4月から高校に進学し、次女は中学2年生になります。

私は2016年にYouTubeでラプトさんに出会い、2017年から『ラプトブログ』を通して信仰を持つようになりました。

〘ラプトブログ〙

https://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

私は幼い頃から「ダンス」が大好きで、将来の夢は「プロのダンサーになりたい!」と思っていました。

小学5年生からジャズダンスを習い始め、20歳の時に専門学校でバレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、ジャズダンスを2年間習いました。

専門学校卒業後は、ストリートダンス系のダンススタジオに通い、ブレイキングダンス、ロックダンス、ポッピングダンス、ソウルダンス、ヒップホップダンスを習っていました。

アルバイトをしながらダンスを続けて行く生活をしていましたが、周りの友人や知人はダンスを止めて就職する人もいれば、東京に行ってバックダンサーの仕事に就く人もいました。

私は自分のやりたい事がハッキリと見い出せないままダンスに限界を感じ、24歳の時に「ダンサー」への夢を諦めてしまいました。

そんな時、母親から「フラメンコダンスをやらないか?」と誘われました。

ダンスのジャンルは違いましたが「踊れるなら良いかな····」と軽い気持ちでフラメンコを始めました。

母親からフラメンコを半年間ほど習ってから、母親の経済的な援助を受けてスペインへフラメンコ留学しました。

当時、介護職をしていた私は仕事を辞めてフラメンコを勉強するために、スペインのセビリアで半年間フラメンコ留学をしました。

帰国後は4箇所のカルチャースクールでフラメンコ講師の仕事をしていました。

 

2004年に母親が、フラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社を設立しました。

2004年〜2014年まで、私はフラメンコの先生の仕事をしていましたが、2014年に会社の社長である母親との確執により仕事をクビになりました。

 

幼い頃から「踊る」ことが大好きだった私は仕事がクビになった後、精神的にも考え方もネジ曲がり「二度と踊るものか!!!」と投げ槍になっていました。

「踊る」生き甲斐を奪われた私は絶望と失望、不安や虚無感、強迫観念に囚われながら毎日を過ごしていました。

そんな時、YouTubeでラプトさんに出会うことができました。

〘RAPT × 読者対談7 神道ユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯〙
https://youtu.be/NhNckLBYLFk

 

〘RAPT×読者対談101 日本は昔も今も悪魔教の国〙

https://youtu.be/4zv1pehIk4Y

2017年からは〘ラプトブログ〙を通して、生まれて初めて「信仰」を持ちました。

 

信仰を持った翌年の2018年の10月から、私がもう一度ダンスを踊れるように神様が強力に導いてくださいました。

更に、2020年の3月からフラメンコを教える仕事に復帰できるように神様が強力な感動を与えてくださり、導いてくださいました。

『ラプトブログに出会ってから、自分が本当にやりたかった事を見つけることが出来ました』
https://pinehas.hatenablog.com/entry/2023/06/14/160243

 

2018年の10月から、私は娘2人と同じ「Bダンススタジオ」に通い始めました。

当初は、週1回のレッスンに通っていましたが、2019年7月7日の発表会をきっかけにダンスへの熱い思いが再熱していきました。

週に1回だったダンスレッスンを週2回、3回と増やしていきました。

翌年の2020年のダンス発表会では、3曲のナンバーに出演しました。

発表会が終わってから、更にダンスへの熱い思いが燃えてきたと思った矢先、左膝を痛めてしまいました。

病院で診てもらったところ「変形性膝関節症」と診断されました。

翌年の2021年は、コロナパンデミックにより発表会は中止になりました。

それから翌年の2022年は、ダンスの発表会直前に体調を崩してしまい発表会出演を断念しました。

私は「Bダンススタジオ」に通いながら、他の「Fダンススタジオ」にも一時期通っていた時もありましたが、膝の痛みと「Fダンススタジオ」のレッスン料金の高さとレッスン内容が自分に合わなくて、短期間で「Fダンススタジオ」を止めてしまいました。

 

私は「Bダンススタジオ」に通う、ずっと前から「Dダンススタジオ」に通ってみたいと密かに思っていました。

「Dダンススタジオ」には、私が20代の頃にダンスをしていた時の知り合いや先生方が今でもインストラクターとしてレッスンをされていました。

そして「Dダンススタジオ」に習いに行きたかった理由の一つに、S先生のレッスンを受けたいと思っていたからでした。

S先生は、私が若い頃にダンスコンテストで準優勝した時に優勝された方で、世界的に活躍されてきたヒップホップダンスのダンサーです。

私はS先生のダンスが大好きで、YouTubeでS先生のダンス動画を何度も見ていました。

「Dダンススタジオ」に通ってS先生のレッスンを受けたいと以前から思っていましたが、YouTubeでS先生のクラスレッスンの動画を見た時「レベルが高くてついて行けない···」と諦めていました。

でも、いつかはS先生に習ってみたいと思って「Dダンススタジオ」のホームページを頻繁に拝見していました。

 

2023年になり「Bダンススタジオ」でレッスンを続けていた私は、今年は久しぶりに発表会に出れると思っていました。

しかし、久しぶりの発表会は出演者同士のトラブルや金銭問題が多発し、発表会が終わった後もしばらく不快な思いを引きずるような最悪の発表会でした。

私は「どうして、こんな事になってしまったのか···。Bダンススタジオに入会した当初は、あんなにも楽しくて喜びがあったのに···。自分は何か間違っているのだろうか···?」と神様に祈り求めました。

しかも、発表会終了後も人間関係の問題やトラブルが続きました。

まず、次女がダンススタジオのオーナー兼インストラクターのY先生と問題を起こし、ダンススタジオを辞めさせられる事になってしまいました。

次女はY先生から、何年も前からパワハラモラハラを受けていた事がわかりました。

以前、次女がY先生に一度だけ反発した時から、次女はY先生からパワハラモラハラを受けていたそうです。

次女から更に詳しくY先生の事を聞いた時は、本当に驚きました。

Y先生は毎時間のレッスン後、生徒にスタジオの掃除やゴミ捨てをさせていたそうです。

発表会の時は、次女は4曲のナンバーを出演しなくてはいけないのに、発表会の準備や片付けや雑用をさせられていました。

長女も次女もY先生が大嫌いで「ダンスをきちんと教えてくれないのに、スタジオの掃除や雑用をさせられたり、レッスンもまともにやってくれない!」と言っていました。

レッスンの内容を娘2人から詳しく聞くと、Y先生はレッスン中は、ほとんど受付に座っていて生徒達だけで教え合いをしていたそうです。

案の定、Y先生のクラスレッスンは次々と人数が減っていき、Y先生のクラスだけ次々と閉鎖していきました。

私は「Bダンススタジオ」に来た当初は、とても恵み深くて楽しかったのに、年々トラブルや問題が増えて行く事に思い悩むようになりました。

左膝を痛めたので、ダンスレッスンは週に一回だけにして、フラメンコを教える仕事に支障をきたさないように気を付けていました。

レッスンは週に1回だけ、T先生のポッピングダンスを習っていました。

 

T先生がある日のレッスンの時「あ、俺テレビに出るし。朝の番組でちょっと映るし!」とおっしゃられました。

T先生がテレビに出演するきっかけになったのが、T先生が撮影したダンス動画をTwitterに投稿したところ、動画がバズったそうです。

その動画は、T先生がT先生のお母様と一緒に踊っている動画でした。

桜並木の場所で、T先生はお母様と一緒にポッピングダンスを踊った動画を見た時、私は驚きました。

T先生は、私が以前から行きたかった「Dダンススタジオ」の社長さんの息子だと、その時に初めて知りました。

「Dダンススタジオ」はT先生のお母様が経営されているスタジオで、T先生も「Dダンススタジオ」でレッスンをされていました。

T先生が「Dダンススタジオ」の社長さんの息子だと知った後も私は「Bダンススタジオ」に通い続けていました。

 

そして、2023年の12月に大きな変化が起きました。

私はT先生が12月にダンスコンテストに出場すると聞いて、大阪の会場まで応援に行きました。

そのダンスコンテストは毎月、大阪で行われているダンスコンテストで20年以上続いているダンスコンテストでした。

このダンスコンテストは「ジュニアの部(14歳まで)」と「一般の部(14歳以上)」に分かれており、2人以上のチームの部とソロの部で出場できるコンテストでした。

1月から11月まで行われるこのコンテストは、毎月ジュニアの部から1位〜3位までの受賞者が選ばれ、一般の部からも1位〜3位までの受賞者が選ばれます。

そして、1月から11月に1〜3位の受賞した人達が12月に集結して、グランドチャンピオンを決める大会に私は初めて次女と一緒に観に行きました。

実は、翌月の2024年1月に次女がそのダンスコンテストにソロで出場するので、下見の目的もありました。

私は、このグランドチャンピオン大会のジュニアの部の出場者のレベルの高さと表現力の高さに驚きました。

身体の小さな小学生や、あどけない中学生が大人顔負けの表現力と技術力で踊る姿を見て、私は心の底から「凄い!!!」と感動しました。

一般の部は、大人の技術力と表現力と構成力やアイデアで「さすが!」と思いましたが、私はジュニアのダンサー達からたくさんの事を学び悟りました。

因みに、T先生は一般の部で準優勝されました。

 

翌月、2024年1月に次女がそのダンスコンテストに出場しましたが、結果は残念ながら入賞ならずでした。

 

翌月の2月、T先生が全国規模のダンスコンテストに出場すると聞いて、またまた大阪まで応援しに行きました。

そのダンスコンテストは全国規模で行われる大会で、会場が1000人以上集客できる大ホールで行なわれました。

出場チームは約80チーム。

長丁場の大会でしたが、T先生のダンスは前回の12月に見た時とは遥かに上回るスキルとパフォーマンスで、私は心の底から感動し圧倒されました。

大会終了後、結果発表を心待ちにしていました。

その大会は、1位〜4位の入賞チームは全国大会の決勝戦に出場出来るシード権付きの大会でした。

私はT先生のチームが入賞するだろうと思っていましたが、残念ながらT先生のチームは入賞出来ませんでした。

私はこのダンスコンテストを見た後、更にいろんな事を感じ、気付き、悟りました。

そして、帰りの電車の中で心から神様に感謝しました。

ダンスが踊れること、習える場所があること、教えてくれる人がいること、努力した成果を観てもらえる場所あること、応援してくれる人がいること、そんな環境や機会や場所や状況を与えてくださっている神様に心の底から感謝しました。

 

当たり前の事が当たり前でない世の中になってきている今、自分自身が置かれている状況や環境がいかに恵まれているのかを悟り、感謝しました。

若い頃にダンスをしていた時は、ただただ自分が上手くなって目立ちたい、栄光を受けたい、人気者になりたいとしか思いませんでした。

自分が与えられた環境や機会や状況が当たり前で、不平不満ばかりを言っていた若い頃、自分の事しか考えなかった事を深く反省しました。

 

2023年の年末から2024年の年始にかけて、レベルの高いダンスコンテストを見続けたお陰で、私自身、何かとてつもない大きな希望と自信とやる気がみなぎってくるのを感じました。

私は改めて、自分自身で大きな目標と希望を持ち、それを神様に祈り求めました。

やる気満々になった私は、週1回のダンスレッスンを死にものぐるいで頑張ろうと思いました。

たまにしかやらなかった筋トレやストレッチも毎日、行なうようにしました。

そして、2月7日いつも通りT先生のダンスレッスンに向かいました。

そんな時、大きな問題が起こりました。

T先生のダンスレッスンは私を含め、7人の生徒が習っていました。

生徒の大半が男性で、大学生〜50代の方が習っていました。

その中で、女性は私ともう1人53歳の女性が習っていました。

その女性は、Kさん。

Kさんは、T先生のレッスンを6年ほど習い続けているベテランの方でした。

しかし、このKさんは以前からレッスン中の態度が悪く、他の生徒に対して嫌がらせや暴言を吐く事を繰り返しては、先生から注意される人でした。

私自身も、Kさんからは何度も嫌がらせや暴言を吐かれた事がありましたが、まともに相手をしませんでした。

しかし、2月7日にレッスンに行った時は違いました。

その日、T先生のクラスは生徒7人全員が出席し、スタジオ内は隣の人とぶつかりそうなほど狭い状況でした。

私は、いつもの定位置に立っていると、案の定Kさんが「ジグザグになりや!」と言ってきました。

因みに、そのKさんは自分の定位置を自分勝手に決めて、自分の定位置から絶対に動こうとせず、必ず大学生の男性生徒の横を離れようとはしない人でした。

私は彼女に言われた通り、T先生にぶつかるほど前に出てレッスンを受けていました。

そして、レッスン中盤に差し掛かった時でした。

T先生が次の曲を探してミクチャー前で準備をしていた時、Kさんがいきなり私に向かって「あんた!そこ立ったら先生が見えへんねん!」と恫喝してきました。

私は内心『いや、前に行けって言ったから行ったのに。レッスン中、いちいちKさんの見える位置を気にしながら私はレッスンしないといけないのか?』と思い、私は「じゃ、場所代わりますか?」と尋ねると「それは嫌や!!」と言われました。

その様子を見ていた周りの人達が引いて行くのを感じました。

その様子を見ていたT先生が、すかさず「K、お前そんな御局みたいな事を言うな!」と助けてくださいました。

しかし、Kさんはそれから私に対してあからさまに悪態をついてきました。

レッスンが終盤になった時、T先生が「2人組になって!」と言われた時、私は女同士という事でKさんと組まされましたが、その時も露骨に嫌な顔と態度をしてきました。

レッスン中、本当に小学生がするようないじめをKさんは私に対してしてきました。

無視、顔をさける、近寄らない、悪態、睨む。

私はレッスンが終わった後、家に帰って考えました。

そして、神様に「どうしたら良いでしょうか?」祈り求めました。

私が出した答えは「Bダンススタジオをやめよう!」と思いました。

でも、ダンスはやめたくない。

私は何気なく「Dダンススタジオ」のホームページを見ました。

すると、驚いた事に私が憧れていたS先生のレッスンが1月27日から1時間増えていました。

しかも、月曜日のお昼で夜のフラメンコの仕事には被らない時間帯で、しかも35歳以上の方が対象になっていました。

私は「これだ!」と思い、早速体験レッスンを申し込みました。

 

翌週、「Bダンススタジオ」に行くのを最後にしようと決心し、レッスンに行きました。

案の定、Kさんは私に対して悪質な態度を取っていました。

私に対して背中を向ける、顔を合わせない、避ける、無視する行為を露骨に行ってきました。

翌週の月曜日、楽しみにしていたS先生の体験レッスンを受けに行きました。

私は本当に感動しました。

若い頃から憧れていたダンサーで、YouTubeで彼の動画を見まくっていたダンスを間近で見た瞬間、本当にケタ違いの上手さだと思いました。

その日のレッスンは、とても簡単なステップやリズムの取り方を教えてくださいましたが、こんなシンプルで簡単なステップが、こんなにも凄いものなのかと思うぐらい素晴らしい踊りでした。

「Dダンススタジオ」では、月曜日はS先生のレッスンがあり、火曜日はT先生もレッスンを行ってくださっているので、私はこれからはここに通おうと思いました。

次の日の火曜日、私は「Bダンススタジオ」を辞めるためY先生に会いに行きました。

私は、Y先生に先日のレッスンで起こった出来事、Kさんからの恫喝が続いていた事を話しました。

すると、驚いた事にKさんから嫌がらせや暴言を吐かれて辞めて行った生徒さんが私を含め過去に9人もいた事を知らされました。

私は今回の事は、私とKさんだけの問題だと思っていたので、あまり事を荒立てずにT先生や他の生徒さんを巻き込みたくないと思ったのですが、スタジオのオーナーであるY先生が「Kにもっと言い返してやれば良いじゃないのか!」「一番の被害者は、私なんですよ!」「Kさんと話し合いを持ちましょう!」と事を大袈裟にしようとするY先生の話を聞いて、私は「あ、この人が一番おかしいかも···」と思いました。

Kさんは過去に何度も問題やトラブルを起こしているにも関わらず、スタジオのオーナーであるY先生はKさんを何年もそのまま放置していた。

他人に暴言を吐いたり、嫌がらせをするような人と話し合いを持たせようとさせるY先生を見て、つくづく「このダンススタジオは辞めた方が良い···」と思いました。

しかも、Y先生は話し合いの後半では次女に対しての悪口を言い続け、最後には「〇〇(次女の名前)は、学校で同級生に虐められたら良いんですよ!きつい虐めに合えば良い!」と言われました。

私は今回の事で、改めてY先生と話をした時に「頭のおかしい経営者のダンススタジオに、いつまでも居てはいけないと神様が導いてくださったんだ!」と悟りました。

 

新たに通い始めた「Dダンススタジオ」は、どのクラスの生徒さんも熱心で優しく思いやりのある人達が多いのに驚きました。

次女も私も一時期は個性才能を伸ばせる環境や状況を奪われてしまったのかと思いましたが、そうではなく、神様がもっと良い環境やもっと良い先生のいるダンススタジオに導いてくださったのだと悟りました。

YouTubeでしか見れなかった憧れのダンサーの踊りを今では毎週、間近で見れる感動と幸せを噛み締めています。

更に、憧れていたダンサーのS先生の指導方法にも毎回、毎時間驚かされます。

ただ、振付を教えるのではなく、1つの基本ステップが出来た歴史、シンプルなステップから派生する豊富なバリエーション、シンプルなステップを何パターンも組み合わせて踊れる実力と能力。

ダンスレッスンを受けに行ってるというよりは、大学の講義を受けているようで、毎時間がとても知識深く新鮮で面白くて本当に楽しいです。

 

「Dダンススタジオ」に行きたいけど、なかなか勇気を出せずに尻込みしていた私に、神様が「ここに行きなさい!」と背中を押してくださったんだと思いました。

本当に神様に感謝しました。

 

Y先生の「Bダンススタジオ」をやめてから、約1ヶ月程経った頃、私は「Dダンススタジオ」で行われているT先生のレッスンに参加しました。

T先生は、ご自身のダンススタジオでレッスンされていることもあり「Bダンススタジオ」でレッスンされている時よりも活き活きとされていました。

「Dダンススタジオ」でT先生のレッスンを受けていらっしゃる生徒さん達も、みんな仲良くて社交的で優しい方ばかりでした。

 

レッスン終了後、T先生とKさんの事を少しだけお話をしました。

私が「Bダンススタジオ」をやめた翌週に、T先生はY先生とKさんとで話し合いをされたそうです。

話し合いの結果、T先生がおっしゃるには「Kさんはもうレッスンに来ない!あいつは、もう辞めるわ!」とおっしゃってました。

話し合いの中でKさんは、理不尽な暴言や恫喝行為、迷惑行為によるレッスン妨害、他の方々に迷惑をかけ続けたにも関わらず「私は言いたいことを言ってストレスを溜めない主義だ!」と開き直っていたそうです。

更に、Kさんは「どんな言葉を言ったら人が傷つくか、嫌な思いをするかが分からない···」とも言っていたそうです。

私は、この話を聞いた時に本当に「Bダンススタジオ」を辞めて良かったと思いました。

人が傷つく事が分からない、人が嫌な思いするのが分からない、だから私は自分のやりたい事、言いたいことを言う人と同じレッスンを受けられない。

「こんな人間と関わってはいけない」と神様が私を守ってくださり、更に今よりも良い環境、良い先生のレッスンを受けられるように導いてくださったと思いました。

KさんはT先生のダンスレッスンだけではなく、他のクラスも多数受けていたのですが、そのレッスンも来なくなったそうです。

 

「Bダンススタジオ」から「Dダンススタジオ」に通うようになってから約1ヶ月程経った頃、長女から「BダンススタジオのC先生が辞めるらしいよ」と聞きました。

C先生は「Bダンススタジオ」では1番人気のある先生で、たくさんの生徒さんが習っていました。

私は驚いて「Bダンススタジオ」のホームページを見たところ、C先生だけではなくM先生もN先生も「Bダンススタジオ」を辞めていました。

C 先生もM先生もN先生も「Bダンススタジオ」では人気の先生だったので本当に驚きました。

「Bダンススタジオ」は、他のダンススタジオと違ってシステム上、レッスンの振替が出来なかったり、レッスンを休む時は必ず連絡しないといけなかったり、発表会に出演する時も毎年毎年欲しくもないオリジナルTシャツを買わされたり、年々レッスン時間は減って行ったり、インストラクターもコロコロ変わっていました。

「Bダンススタジオ」は明らかに経営不振だと思えるような状況の中で、更に人気のインストラクターが3人も辞めたのは本当に裁きだと思いました。

 

次女は小学2年生から中学1年生まで「Bダンススタジオ」に通っていましたが、仲の良い友達も出来ず、仲の良い友達が出来てもスタジオを辞めて行く人ばかりでしたが「Dダンススタジオ」に通ってからは友達にも恵まれて本当に楽しそうにしています。

神様は私だけではなく、次女にも素晴らしい祝福と導き、環境や状況を与えてくださいました。

本当に神様の御力と導き、恵みに心から感謝致します。

『RAPT有料記事647(2022年4月30日)』

【神様は真理によって人々を刺し貫き、聖霊様は恵みと愛によって人々の心をほぐされる。それによって、人類を悔い改めに導き、人類が御言葉に聞き従って祝福を受けられるように導かれる。】

 

『RAPT有料記事619(2022年1月8日)』

【主は、私たち人類の中からご自身の恋人(新婦)となる人を見付け出して、その人と永遠に愛を成していけるように導き育てられる。】

 

『RAPT有料記事615(2021年12月25日)』

【これからの時代、主のために生きる者は主の導きを受けて、成功の繁栄の道を行くことができるが、主に反逆する者は、この世をまともに渡り歩くことすら困難になっていくだろう。】

 

『RAPT有料記事267(2018年4月14日)』

【主から導き育てられる人は、人生に意味のないことが起きることがなく、良いことも悪いことも全てを益にして生きることができる。】

 

『RAPT有料記事779(2023年10月2日)』

【神様はサタンよりも百歩も二百歩も先を行かれる方だ。だから、サタンがどんなに妨害しても、必ず神様の御心が成されるように、常に水面下で救いの計画を立てて実行しておられる。】

 

信仰生活を始めてから今年で7年目になりますが、家庭環境や仕事、生活面で悪い状況や環境になった事は一度もありません。

一人でも多くの方がラプトさんに出会い、神様の御言葉に出会い、神様からの素晴らしい導きと祝福と愛を受けられますように祈っております。

 

 

 

 

『神様に祈り求めることで、信仰を持たない人にも良い影響を与える事が出来ました。』

私は今、フラメンコダンスを教える仕事をしています。

 

私は2001年〜2014年までフラメンコダンスを習い、教えてきました。

2001年から約半年間、スペインへフラメンコ留学をし、帰国後はカルチャーセンターでフラメンコを教える仕事に就きました。

2004年からは、会社の社長(母親)と一緒にフラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社を設立しました。

幸運にも会社は立地や時代的なものが重なり、フラメンコ教室の生徒さんは100人ほど在籍する教室へと発展し、レンタルスタジオは常にキャンセル待ちの状態が続きました。

しかし、2014年に社長から「クビ」を言い渡され、私は仕事を辞めました。

仕事をクビになった理由は、会社の社長である母親との確執でした。

仕事に対しての考えや方向性の違い、会社運営の方針や目的が合わないことが理由でした。

仕事を辞めた私は、次なる人生の目標や夢を探しましたが見つからず、途方に暮れていた時にラプトさんに出会う事が出来ました。

2016年にラプトさんをYouTubeで知り『ラプトブログ』に出会い、神様を知ることが出来ました。

2017年から『ラプトブログ』を通して信仰生活を始めました。

『ラプトブログ』

http://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

それから、2020年の11月に「もう一度踊りたい!」と感動と恵みを受け、それからいろんな偶然が重なり2021年3月から再びフラメンコを教える仕事に復帰しました。

仕事復帰して驚いたことは、フラメンコ教室に100人ほど在籍していた生徒さんは40人ほどに激減していました。

レンタルスタジオも、周辺に同じようなスタジオが建ち並び、利用客はほぼ0に近い状態でした。

コロナ禍の影響もあり、会社はいつ倒産してもおかしくない状態でした。

 

仕事復帰した当初、立て続けに問題やトラブルが続きました。

クレーマーのような生徒さんから妨害を受けたり、従業員同士のトラブル、レッスン内容の不平不満の対処など。

私は「本当に仕事復帰して良かったのでしょうか?」と何度も神様に祈り求めました。

 

2023年になり、神様は義人には祝福が増し加わり、悪人は裁かれる時代になるとおっしゃられました。

【RAPT有料記事721(2023年2月12日)2023年に入ると、人類に対する刑罰の期間が終わり、千年王国の時代に入る。千年王国の祝福に預かることができるように、心から全ての罪を悔い改め、希望をもって神様に近付いていきなさい。】

 

その御言葉通り、私を幼い頃から迫害し仕事をクビにした母親が裁かれました。

母親(70代)は以前から股関節炎を患っていましたが、まだまだ踊り続けたいと言う理由で2023年の9月に片方の股関節を人工股関節にする手術をし、10月にもう片方の股関節の手術をしました。

本人は「手術は上手く行った!後は、リハビリをして回復するだけ!」と言っていましたが、日に日に痩せこけていき、長時間座る事も立ち続ける事も出来ず、日常生活は杖なしでは生活出来なくなり、到底踊れるとは思えない身体になりました。

 

母親が動けなくなってから、私の周りで起こるトラブルや問題が一気になくなりました。

それと同時に、母親からフラメンコを長い間習ってきた生徒さん達から深刻な相談を受けました。

「フラメンコを10年以上やっているけど上達しない!」

「簡単な振付や踊りでも、見た人がフラメンコを踊ってると説得出来る踊りがしたい!」

「一度で良いからソロ(1人)で踊ってみたい!」(フラメンコは基本ソロで踊るのが主流です)と、言われました。

私はなぜか、この言葉に大きな責任感と感動を覚えました。

私は早速、通常レッスンの他に基本テクニックを重視した振付をしないクラスレッスンを作ろうと考えました。

会社の社長である母親に提案をしたところ、案の定、猛反対されました。

しかし、生徒さんの思いを叶えたいと思い、交渉続けた結果、月2回だけのテクニック専門クラスを作る事ができました。

母親からは「以前にも、テクニッククラスは何回も作ったことはあるけど、誰も来なかった。みんな、振付ばかりをやりたがるから!たぶん、誰も来ないと思うよ!」と言われました。

その言葉を聞いた私は「クラスを作ったものの、誰も来なかったらどうしよう···」と不安でした。

そして、初回のテクニッククラスの日、私は3人ぐらいしか受けには来ないだろう思っていましたが、実際は7人の方が受けてくださり、今は5〜6人の方が常時習いに来てくださるようになりました。

 

テクニッククラスを開講した当初は、基本テクニックを重点的に教えていたのですが、毎時間同じ内容、同じテクニックを教えるわけにはいかないと思い、次は何を教えれば良いのか、どんな内容を教えれば良いのか分からなくなった時、私は神様に祈り求めました。

神様に祈り求めると、必ず「あっ、今度はこれをしよう!あれもしよう!」とアイデアが2〜3個頭に思い浮かびます。

時には、生徒さんの方から「〇〇をして欲しい!」とか「この練習方法が分からないから教えて欲しい!」と、提案してくださる事が何回もありました。

仕事の事で、困った事や悩んでる事、どうすれば良いのか分からない事は、神様に祈り求めれば必ず答えを与えてくださいます。

時には、指導方法や言葉のチョイスも与えてくださいます。

必ず、本当に必ず、祈り求めれば与えてくださる神様の奇跡と恵みに毎回、驚かされ神様に感謝をしています。

 

 

先日、11月26日に生徒さんだけが出演するフラメンコライブ(ミニ発表会)が行われました。

このライブも、神様が奇跡と恵みを私だけではなく、信仰を持っていない生徒さん達にも奇跡と恵みを与えてくださった出来事がありました。

 

生徒さん達だけのフラメンコライブをやろうと話が持ち上がったのは、2023年の5月頃でした。

生徒さん達から「一度で良いから、ソロで踊ってみたい!」と言う願いを聞き、ソリストを募ったところ4人の方が出演したいとおっしゃってくださいました。

フラメンコ歴3年目の方が1人、フラメンコ歴8年目の方が2人、フラメンコ歴10年以上の方が1人、そしてグループで出演したいと、フラメンコ歴15年以上の4人の方が出演希望をおっしゃって来られました。

早速、私は神様にお祈りをしたところ、4人グループで踊られる方々の曲の構成や振付、演出を神様からすぐにいただきました。

4人グループの方達は、15年以上フラメンコをやって来られた方達なので、テクニックや振付にあまり妥協せずにやりたい事が出来ると思い、思う存分やってみようと思いました。

一方、ソロで出演される方達は、曲を決めるところから始まりました。

各自、踊りたい曲を決めてもらい、本人のレベルに合わせた振付や構成に変更していきました。

人生で初めて人前で一人で踊るという未知の経験に、4人の生徒さんは日々不安と心配が募り、焦りと緊張が高まって行くのを感じました。

そんな生徒さんの姿を見て、私は日々の祈りの中で「この人には何を教えれば良いのでしょうか?」「この人は、何が必要なのでしょうか?」

「この人には、何を伝えれば良いのでしょうか?」と神様に祈り求めました。

まず、ソロ出演者だけのミィーティングを行いました。

そして、4人の方々に自主練習の動画を送って欲しいと伝えました。

自主練習の時に、分からない事や質問や疑問があれば、24時間いつでも連絡をしてくださいとも伝えました。

最初は自主練習方法が分からなかった生徒さん達でしたが、次第に自ら自主練習を積極的にするようになっていきました。

しかし、自分なりのやり方や考え方では、やはり上達するのが難しく、自主練習をすればするほど何が正しいのか、何が間違っているのか分からなくなってくると全員が訴えて来られました。

私は神様に祈り求めました。

そして、個人レッスンを受付ました。

正直、もっと早い時期から個人レッスンを行っても良かったのですが、会社が決めている個人レッスン料は値段が高く、生徒さんに経済的な負担をかけてしまうと思って、なかなか言い出せず躊躇していました。

しかし、神様にお祈りする中で、やはり一人一人に合った指導方法と言葉かけをしないと上達は難しいと教えていただきました。

私は申し訳ない気持ちで、生徒さんに個人レッスンを提案したところ、私の思いとは逆に「ぜひ、やって欲しい!」と何度も何度も懇願されました。

 

個人レッスンを開始してから一番驚いた事が、踊りが上達しない原因は身体的な能力や肉体的な問題ではなく、ほとんどの方が「考え方」が間違っていることに驚かされました。

例えば、フラメンコはタップダンス同様、足を床に叩きつけて打楽器のようにリズムを奏でます。

足の基本的な打ち方は出来ているのに、速度が早くなったり3連打法や4連打法になると打てなくなってしまう。

どうして出来ないのか、生徒さんに話をよく聞いてみると、ほとんどの方が「足全体に力を目いっぱい入れて打っている」とおっしゃられました。

もっと話をよく聞くと、足の打ち方だけでなく、踊る時は常に全身に力を入れて踊っていると聞いた時は、本当に驚きました。

踊る時に力を入れるのは、時と場合やタイミングにもよりますが、体の一部分だけに力を入れたり抜いたりすることが大半です。

特に足を打つ時は、力を抜かないと速く打てないと説明をしたら生徒さん全員が驚いていました。

実際、力を抜いた足の打ち方をレクチャーしたら、人によってはたった10分程度でマスターする方がいたり、10年以上フラメンコを習ってきて初めて速く打てるようになったと喜ぶ方もいました。

 

個人レッスンを行う上で、私はいかに考え方の間違いが自分の才能や能力の成長を妨げているんだと悟りました。

実際、私自身も考え方の間違いによって、なかなか上達しない時期があったので、生徒さんの気持ちがよくわかりました。

特に長い間、間違ったやり方を正しいと思い込んでやっていた人ほど、そのクセがなかなか抜けずに基本的な事さえ出来なくなって行く人もいました。

私自身も生徒さんを教えながら、基本に立ち返る事や自分で考えながらやる事がいかに大切なのかを悟りました。

 

その後、改めて生徒さん達を観察しながら、私はいろんな悟りと感動を何度も受けました。

フラメンコを好きで習っている生徒さんにも、いろんなタイプの方がいらっしゃいます。

熱心な人、努力を怠らない人、目標を持っている人、常に前向きな人。

そんな生徒さん達には、やはり私自身も努力して見える結果を出せるようにしてあげたいと指導にも熱が入りますが、生徒さんの中には趣味と割り切って意欲がない人、まったく練習しない人、プライドが高い人、自分は出来ていると思い込んでいる人、しんどい事が嫌いな人、言い訳ばかりする人もいらっしゃいます。

モチベーションが低い生徒さんが多く集まったレッスン日は、やはり私自身もやる気があまり出ないし、熱心に教えようとは思わなくなります。

レッスンでは、いろんな生徒さんが的外れな意見を発言したり、説明した事とは違う事を行うのを見て、残念に思ったり気分が悪くなる時がありますが、その日のお祈りの中で私は「神様は信仰生活をする私を見て、神様もこんな残念な気持ちになられているのでしょうか?私の足りなさや未熟さに嫌な気持ちになられているのでしょうか?」と何度も思うことがありました。

 

ラプトさんが伝えてくださっている神様の御言葉には「考え」について教えてくださっています。

【RAPT有料記事744(2023年5月15日)人にはそれぞれ考えの癖があり、その癖が直せなくて間違いを犯してしまう。神様と同じ思考パターンを持っていれば、何を行っても間違うことがなく、常に正しい選択をして救われ、成功する。】

 

【RAPT有料記事436(2020年1月13日)どんな時代も、古い考えにこだわる人は落ちぶれ、新しい考えをもって生きる人だけが成功し、発展する。】

 

【RAPT有料記事763(2023年7月31日)自分がもともと持っている考えではサタンに勝利できず、むしろサタンにその部分を突かれて滅ぼされてしまう。だから、子供のような心で完全に自分の考えを一新し、神様の御言葉で自分の中を満たさなければならない。】

 

【RAPT有料記事675(2022年8月15日)真理を悟ることで脳が一新され、新しいことを考え、新しいことを行うようになる。そうすることで人生が発展し、自分自身も楽しみを感じ、周りの人も神様も楽しませることができる。】

 

【RAPT有料記事670(2022年7月30日)考えの次元が高い人は、全ての苦悩・心配・不安・絶望といった暗い考えから完全に解放される。】

 

自分勝手な「思い込み」や「考え」が踊りのテクニックの習得を妨げ、出来ないという苦手意識を生み出し、やる気をなくさせてしまう。

身体的な能力や肉体的な実力がないのではなく、ただ「考え方」を変えるだけで能力も実力も伸ばすことが出来るんだと、生徒さんを通して悟る事が出来ました。

 

フラメンコライブまで後2ヶ月に迫った時、私は生徒さん達に「自主練習に思い込みをかけてください!」と伝えました。

それから、生徒さん達は時間の許す限り自主練習に励まれました。

人によっては、毎日のようにスタジオに通われた方もいらっしゃいました。

すると、ハッキリと目に見える成果が出始め、私の予想を遥かに超えて驚くほどの成長ぶりを遂げた方もいらっしゃいました。

何度かリハーサルを行った際、私が担当していないクラスの生徒さん達が「凄いですね!」「皆さん、レベル高いですね!」とおっしゃって来られました。

私は「これは私の力ではなく絶対に神様の力だ!」と確信していました。

なぜ、そう言い切れるか。

実は、私は過去に同じような取り組みをやって大失敗した事があったからです。

仕事をクビになる以前の2001年〜2014年まで、私は生徒さんのフラメンコ育成に力を入れていた時期がありました。

当時は、ラプトさんや神様の存在を知らず、自分の経験と力と独学だけで、生徒さんを育成する事に全力を尽くしていました。

今回とは比べものにならないくらい長期間の個人レッスンを行い、テクニッククラスも行っていました。

ところが、フラメンコの育成どころか生徒さんが一人、また一人と逃げるようにフラメンコをやめて行く結果になって行きました。

唯一、私が教えていた人の中にプロになった人もいましたが、その人は私が教えていた頃はあまり上達せず、他のフラメンコ教室に移ってからプロになられました。

その苦い過去の経験が今回もまた、同じ結果になってしまうのではないかと不安でした。

しかし、以前とは比べものにならないくらい早いスピードで生徒さん達が素晴らしい結果を出し始めた時は、本当に神様の力と奇跡と恵みを感じました。

 

本番1ヶ月前、私は生徒さんに「追い込み練習はやめて、イメージトレーニングや苦手な部分だけをやって、体調管理をメインに本番を迎えてください!」と伝えました。

長年、ダンスの舞台やライブをやっていると「本番前あるある」なのが、本番直前の追い込み練習でケガをしたり、体調不良を起こす方がいたので気を付けるように注意を促しました。

神様に祈り求めたお陰で、本番は誰一人欠けることなく当日を迎える事ができました。

 

いよいよ本番当日になり、リハーサルを開始しました。

リハーサルは、私が思っていた以上にみんな失敗の連続でしたが、なぜか当の本人達は冷静でした。

私だけが不安と心配の中、いよいよ本番が始まりました。

会場内に入った瞬間、会場全体にとても嫌な緊迫感と緊張感が漂っていました。

私はその嫌な緊迫感と緊張感に、一瞬押しつぶされそうになり、心臓が口から飛び出そうな圧迫感を感じました。

そんな雰囲気の中、トップバッターの方が踊り始めた瞬間、不思議なことに、さっきまで会場全体に広がっていた嫌な緊迫感や緊張感が一気に消えてなくなり、何か柔らかくて優しくて、安心出来る雰囲気が会場全体に広がって行きました。

不思議でした。

本当に不思議でした。

本当に不思議な感覚でした。

私の経験上、会場の緊迫感や緊張感などは開演しても、しばらくは続くものなのに、トップバッターの方が踊り出した瞬間、会場の空気が一瞬にして変わったのを感じました。

そして、トップバッターの方は、ほぼ完璧に踊られました。

それも、いつもよりパワフルでした。

次の方も、トップバッター同様に完璧に踊られましたが、この方もいつも以上にパワフルで素晴らしい踊りをされました。

会場は大きな拍手が鳴り響きました。

次の方は、私にとって一番心配な方でした。

結果、ミスは数カ所ありましたが、なんとか持ちこたえて最後まで踊る事が出来ました。

そして最後のソロの方が踊られました。

その方の踊りは、今まで見た中で一番素晴らしい踊りを見せてくださいました。

次の4人グループの踊りも、ほぼ完璧でした。

無事に全員が踊りが終わった後、みんな満足した顔をして楽屋でくつろいでいました。

私は、本当に驚きました。

本当に神様の力が働いてると思いました。

2001年〜2014年の間、私は生徒さんの作品をたくさん作ってきましたが、こんな成功率の高いライブは初めてでした。

しかも、人生初のソロ挑戦の4人がほぼ完璧に踊れるとは、本当に驚きました。

そして、お客さんからも高い評価をたくさんいただく事が出来ました。

私はライブが終わった後、神様の力がどれほど凄いのかを改めて悟りました。

 

ライブをやると決まってからの約半年間を振り返り、生徒さんが10年以上、8年以上フラメンコを続けて出来なかった事が、次々と出来るようになったり、物凄い早さで上達される姿を見て、私は神様の力と恵みと奇跡を何度も体験することが出来ました。

そして、私自身も神様の御言葉を改めて実感し、学ぶ事が出来ました。

神様が教えてくださった事は何か?

「寄り添ってあげること」

「話をよく聞いてあげること」

「相手の考えを理解すること」

「同じ目標を目指すこと」

「最後まで責任を持つこと」

私が過去に行ったフラメンコ育成の大失敗には、このすべてが足りていなかった。

ただ、自分の考えと経験を押し付けて、傲慢に教えていたんだと深く反省をしました。

 

神様に出会ってなかった頃の私は、何をやっても、何年やっても上手くいかず、何かやりたくても失敗に終わっていた原因がやっと理解出来るようになりました。

 

神様の御言葉通りに仕事を行い、人との関わりを持つと、こんなにも上手く行くのかと本当に驚きました。

神様の力や奇跡や恵みは、私だけに留まらずに信仰を持っていない生徒さん達にも恵みと奇跡が起こるんだと分かった今、たくさんの人達が神様の御言葉に出会える事を心から祈ります。

たくさんの人達が神様の御言葉に出会い、救われますように。

 

『ラプトブログに出会い、世の中の面倒な煩わしい事から解放されました。』

私は『ラプトブログ』に出会う前、義務的な人との関わりが面倒で煩わしくて嫌いでした。

 

今まで経験した中で一番「無意味で煩わしい」と思ったのが、子供の学校で行われる強制的なPTA活動と、住んだ場所によって活動内容が異なる町内会の行事やイベントでした。

 

私には娘が二人います。

子供が幼稚園に通っていた時に「父母会(PTA活動的な役)」を2年間努めました。

幼稚園の父母会は、ママ友もたくさん作れて行事も子供達と一緒に参加出来き、父母会の役員さんだけの優遇もあったので、楽しく役を努めることが出来ました。

しかし、子供が小学校に入学した時のPTA役員はまったく違いました。

PTA役員の決め方や規制、契約が強制的で絶対にやらなくてはいけない脅迫的な圧力に違和感を感じました。

仲の良かったママ友からの誘いと、PTA本部役員を1年間やれば永久免除(子供が何人いても、二度としなくて良い)が付く条件を聞いて、2017年からPTA本部役員の副会長を1年間努めました。

 

小学校のPTA活動をやり始めてすぐに気づいたのですが、PTA活動はあくまでも任意であり強制ではないという事でした。

地域や学校によって活動内容は異なりますが、私が経験したPTA活動は、長年に渡りPTA会長をやってきた牢名主のような人が、ただ自分の自己顕示欲を満たすための場所であるのだと解りました。

「PTA会長になりたい!」「目立ちたい!」「仕切りたい!」人が独断と偏見で意味もない会合を何回も開いては仕事は増やす。

だけど、自分は楽な仕事しかしなかったり、人から注目される仕事や先生や子供達から良く思われる行事だけをこなしているのが、後々になって分かってきました。

(※全国にはいろんなPTA活動があり、中には学校のため、先生や保護者のために仕事を軽減化させたり、エントリー制にして努力されている学校もたくさんあります)

 

PTA活動と並んで、私が煩わしく思っていたのが町内会の活動でした。

私が住んでいる地域の町内会の活動は、世帯数が少ないのに町内会の役割数が多いことでした。

どこの誰の役に立っているのか分からない防災訓練や町内会の運動会、グランドゴルフの抽選会や全地域の集会など。

いくつかの役で何度か参加しましたが、いつ、誰のために役に立ってるのか理解できませんでした。

町内会の役割決めも、毎年、役のなすり合いになり、年配の一人暮らしの人は大変だからと言われ、結局仕事量がたくさんある役を毎回させられていました。

集まらない会合の出欠確認や募金集め、町内会の運動会の準備や買い出しや片付けなど。

本当に誰も喜ばない無駄な事ばかりで、うんざりしていました。

 

 

保護者だけが負担を強いられるPTA活動や、会ったこともない近所の人のために自分の時間を無駄に削られる町内会の活動に何度も憤りを感じました。

 

当時、ラプトブログに出会っていた私はPTAにも何か闇なるものがあるのではないかと思って、いろいろ調べてみました。

 

調べてみた結果、全国から集められたPTA会費は「分担金」として全国PTA連合会に集められ、毎年役8000万円にもなるそうです。

 

『知られざるPTAの上部組織「P連」「日P」の謎 | PTAのナゾ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース』

https://toyokeizai.net/articles/-/135914?page=3

 

ジャーナリストの方が、PTAの分担金の使用内訳をPTA連合会に開示を求めたところ、開示を拒否されたそうです。

『保護者から集めた事業収益は4000万円超え 謎多き「PTA全国研究大会」で取材拒否(大塚玲子) - 個人 - Yahoo!ニュース』

https://news.yahoo.co.jp/byline/otsukareiko/20190909-00141505

 

私はPTA関連の記事を読み漁り、時期PTA会長をされる方が仲の良かったママ友だったので、すべてを打ち明けてPTA活動を見直して欲しいとお願いしました。

その後、会長になってくれたママ友が他の小学校の会長や学校の先生方、町内会にも働きかけてくれたお陰でみるみるとPTA活動が縮小されていきました。

そして2020年、コロナパンデミックが起こりました。

コロナパンデミックがマスコミで騒がれ出す以前に、ラプトさんはもうすでに「コロナは茶番だ!」と暴いてくださっていました。

『ラプト理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/

 

コロナ禍が始まった途端、PTA活動や町内会の活動はすべてなくなりました。

 

主人が公務員のため、出勤日数に規制がかかり一時期、収入が極端に減ってしまいましたが、学校行事の出費もなくなり、子供達の習い事のイベントもすべて中止になり、またまた出費もなくなりました。

 

コロナ禍によって多少の不便はありましたが、私には本当に有り難いことばかりで、本当に神様に感謝しました。

そして、私はコロナ禍をきっかけに子供の中学校のPTAは入会拒否し、町内会も退会しました。

 

 

そして、2022年。

私が住んでいる京都の京都新聞に「京都市PTAが日本PTA連合会を退会する」記事が出ました。


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私はこの記事を見て、すぐに元PTA会長のママ友(写真に写っておられる方ではありません)に連絡をしました。
(因みに、写真に写っておられる方は、私が幼稚園の父母会の時に一緒に役をされていた方です)

 

ママ友曰く、私が見つけた日本PTA連合会の分担金の使用不明の記事を、自分がPTA会長職の時に周りの人達に知らせて働きかけてくれたそうです。

現場の声、違法性のあるPTA活動内容や保護者の多大な負担の訴えをかき集め、京都市PTA連合会に訴えてくれていたそうです。

私はこの記事を見て、神様の力だと思いました。

無駄な事を排除してくださったのはきっと、絶対に神様の力だと確信しました。

 

 

私は他にも、幼い頃から正月の初詣やおせち料理、ひな祭りや子供の日などを無意味で面倒で嫌いでした。

こんな行事をして、こんな料理を食べて、本当に幸せになれるのかずっと疑問でした。

特におせち料理は大嫌いで「今のご時世、美味しい料理や食べ物がたくさんあるのに、なぜ数百年前のご馳走を食べないといけないのか?」と思っていました。

『ラプトブログ』では、日本の年間行事は悪魔崇拝儀式だとラプトさんは暴いてくださり、十二弟子のミナさんも証をしてくださっています。

『日本の年中行事は、ほとんど全て悪魔崇拝儀式だった(十二弟子・ミナさんの証) | RAPT理論+α』

https://rapt-plusalpha.com/22132/

 

 

『神様はすべてを益にしてくださる』と、ラプトさんは教えてくださいました。

神様の御力によってコロナ禍でも私の人生が良い方向に向かい、今までの思い煩いや無駄な出費や時間をとられることもなくなり、身軽で楽しい生活を手に入れることが出来ました。

 

『ラプトブログ』に出会えて本当に良かったと思います。

一人でも多くの方がラプトさんに出会い、神様に出会えることを心からお祈り致します。