私は2016年にYouTubeでラプトさんに出会い、2017年から『ラプトブログ』を読んで信仰を持つようになりました。
『ラプトブログ』
【http://rapt-neo.com/?page_id=1815】
私の両親は私が高校卒業後に離婚しました。
私は高校を卒業するまで父親と母親、3歳年上の兄と7歳年下の弟、12歳年下の弟の6人家族で暮していました。
父親は公務員で母親は保育士の仕事をしていました。
父親は社交的で友人も多く、面白い人でした。
母親は容姿が綺麗で子供好きで優しい人でした。
私が中学生の頃に、母親は保育士の仕事を辞めて市役所の職員の仕事に就きました。
その頃から父親と母親は夫婦喧嘩をするようになり、父親はお酒を飲む量が増えていきました。
母親は私に父親の愚痴や悪口を言うようになっていきました。
「お父さんは育ちが悪い!」
「お父さんは頭が悪い!」
「お父さんが私にすぐ暴力を振るう!」
「お父さんは、すぐキレる頭のおかしい人間だ!」と母親から毎日のように父親の愚痴や悪口を聞かされました。
家庭内は、いつも微妙な緊張感が漂っているのを感じていました。
母親は私より7歳年下の弟が成長するにつれて弟を溺愛するようになり、私に対して容姿をバカにしてきたり、人格を批判するような発言をするようになりました。
父親と母親は会話をしなくなっていきました。
母親は父親への憎しみや恨みが酷くなり、父親自身の事だけではなく、父親の兄妹や親、住んでいた地域や育った環境までも批判しては差別的な発言もするようになりました。
私は「両親はいつか離婚するだろうな···。その時は母親について行こう!」と決めていました。
私は父親が「暴力を振るう怖い人」「すぐキレる恐ろしい人」「我慢出来ないわがままな人」だと恐れるようになっていきました。
両親が離婚する間際、父親と兄は母親に対して攻撃的になっていきました。
私は自ら身を挺して、父親や兄から暴力を振るわれようとしている母親を守ったことが何度もありました。
両親が離婚した後、父親と兄は家を出て行きました。
私は高校卒業後、就職先の会社の寮で生活していました。
母親は父親と離婚すると決めてから、父親に今までどんな事を言われてきたか、父親からどんな酷い目に合ってきたのか、離婚調停の進み具合や父親側の弁護士の発言、養育費の話や親権の話など、すべてを私に打ち明けて話をしてくれました。
母親からは「父親はアルコール中毒でDVだった。父親は家庭内暴力を行い続け、母親や兄を殴る蹴るなどの行為を頻繁に行っていた」と聞かされました。
私は母親の話を聞く度に、父親への憎しみや恨みが募り母親に同情しました。
両親の離婚調停は、なぜか3年ほど続いた様でした。
両親が離婚した後、私は暴力的で酷い事をする父親と兄とは「二度と会わない!」と決めていました。
私は高校卒業後に就職先の会社の寮で生活していましたが、会社を辞めてからは母親と弟二人と一緒に暮らすようになりました。
末の弟が小学生の頃に「学習障害」だと病院で診断されました。
母親は末の弟が学習障害になったことを自分の責任だと感じて、末の弟を溺愛するようになりました。
上の弟は中学生になってから母親のブランドバックや時計を盗み、質屋で売ってはお金に代えて当時、付き合っていた女性に注ぎ込んでいたことがわかりました。
その後、上の弟は社会人になってからパチンコにハマり出し、母親の財布からお金を盗んではパチンコに使う。
アルバイト先のレジからお金を盗んではパチンコに使う。
友達の財布からお金を盗んではパチンコに使う。
末の弟の高校通学の定期券購入代のお金を盗みパチンコに使う。
母親のブランドバッグや末の弟のゲーム機を盗んでは質屋で現金化してパチンコに使う。
上の弟はギャンブル依存症のようになり、母親や私から何回怒られても、パチンコが止められなくなっていました。
上の弟のギャンブル依存症は悪化し、今度はあちこちの金融会社からお金を借りるようになり、多額の借金をするようになりました。
更に、上の弟は彼女を作るために創価学会に入信し、学会員の人と結婚したものの、親からもらった結婚資金をパチンコで使い果たし、結婚後もパチンコに明け暮れては奥さんから叱られることを繰り返しました。
結局、上の弟は結婚3年目に離婚しました。
末の弟は母親から溺愛され続けた結果、一度も社会経験をせず、母親の会社であるフラメンコ教室の受付や簡単な事務仕事だけをし続けていました。
末の弟の低堕落さを目の当たりにしたのが、フラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社拡大のために母親は銀行からお金を借りる時、私と弟二人が保証人になる書類の手続きをしていた時の事です。
末の弟は当時20歳を越えていたにもかかわらず、自分の住所と電話番号、更に自分の生年月日さえも知りませんでした。
私と主人は末の弟のその姿に愕然としました。
両親が離婚した後、私はダンサーになる夢を追いかけながらアルバイトをする生活をしていました。
2つのダンススタジオを行き来しながら、必死でプロのダンサーになろうと努力しました。
しかし、ダンスコンテストに何度出場しても結果は得られず、叶えられるかどうかわからない夢への不安と心配が募っていきました。
夢だったダンサーになれたとしても、収入が不安定なダンサーという仕事を何十年も続けられるかどうか悩み続けました。
将来のために定職に就こうか、それとも夢を叶えるために今のアルバイト生活をしながらダンサーへの夢を追い続けるかどうか悩みました。
結局、24歳の時に介護職に就いてからは、ダンスへの情熱は徐々に冷めて行きダンスをやめてしまいました。
ダンスをやめてからは、毎日が虚無感と不安だらけで、このまま夢を諦めて平凡な人生を送って行くのかと思っていた時、母親から「フラメンコをやらないか?」と言われました。
母親は父親と離婚した後「自分が今までやりたかったことをやる!」と言って、色んな趣味に没頭していました。
その中の一つが、フラメンコダンスでした。
母親は仕事をしながら、フラメンコにのめり込んで行きました。
母親は数年間、フラメンコを習い続けた後、カルチャースクールでフラメンコを教えるようになっていました。
母親から「せっかく今までダンスを習ってきたのにやめるのはもったいない。フラメンコやったら?」と言ってくれました。
私は以前からフラメンコに興味があったのと、今までのダンス経験で「フラメンコなんか、すぐに踊れるだろう!」と高を括っていました。
しかし、実際にフラメンコをやってみて思ったのが「こんな難しい踊りがあるのか···」と思うほど、レベルの高い踊りに驚かされ、そしてのめり込んで行きました。
2001年の10月から約半年間、スペインへフラメンコ留学しました。
帰国後は、カルチャースクールでフラメンコを教えていた母親の仕事を引き継ぎました。
その後、2004年に母親と一緒にフラメンコ教室兼レンタルスタジオの会社を設立しました。
当初、フラメンコ教室の生徒さんは約20人弱で、レンタルスタジオの稼働率も10%〜20%でした。
しかし、2010年頃にはフラメンコ教室の生徒さんは120人に増え、レンタルスタジオはキャンセル待ちが当たり前になっていました。
そんな中、私は母親と会社の運営や方針の違い、金銭問題で何度も衝突しました。
母親は会社が儲かるほど金使いが荒くなり、フラメンコ教室の生徒さんやレンタルスタジオのお客さんにも横柄な対応したり、サービスを悪くしていきました。
会社設立当初から10年間、私は会社の社長である母親から3度に渡って給料を減給されました。
私は仕事で使用するフラメンコ用品は、すべて自分の給料から支払って購入していましたが、母親は自分のフラメンコ用品や弟二人分のフラメンコ用品は会社の経費で購入していました。
毎年、行っていた発表会では、私が担当するクラスは常に3〜4クラスでした。
発表会用の振付や構成、強化レッスンを行ってもギャラは出ず、発表会の準備や雑用もすべてタダ働きさせられました。
私は母親から何度も陰湿な虐めにもあいました。
母親は私の悪口を生徒さん達や弟二人に吹き込むようになりました。
真に受ける人とそうでない人もいましたが、末の弟は母親の話をすべて真に受けて、母親と一緒になって私を虐めるようになりました。
私が自分の給料で購入したフラメンコシューズを母親が無断で生徒さんに売っていた事もありました。
黒色のフラメンコシューズは、初心者の方に人気があったので、フラメンコ教室に入会された方に私が使用している黒色のフラメンコシューズを母親は私に無断で売っていました。
私が怒って母親に問いただすと、母親は謝罪どころか逆ギレをして「売ってやったや!リベートくれ!」と言われました。
子供を妊娠した時も臨月まで働かされ、出産後は1ヶ月の育休しかもらえず、すぐに復帰しろと言われました。
夜遅くまで仕事をしていたので、幼かった子供と一緒に寝る事も出来ない生活が続きました。
一方、母親はスタジオ付きの三階建ての豪邸を市内に購入し、末の弟とリッチな二人暮らしをしていました。
母親は、一本30万円程するインプラントを10本ほど入れて生徒さん達に自慢していました。
更に、一匹30万円以上する猫を三匹購入し、毎週末は末の弟と外食三昧。
暇さえあれば、母親と末の弟は旅行やイベントを観に行く豪遊三昧の生活を今も続けています。
私は母親から受ける兄妹格差と陰湿な嫌がらせを受ける度に「父親に会いたい···」と思うようになりました。
会社が一番儲かっていた2014年11月、私は母親から仕事をいきなりクビにされました。
「踊る」生き甲斐を失い、仕事も人脈も失い、これから何をして生きて行けば良いのかと思っていた時にYouTubeでラプトさんに出会うことが出来ました。
『RAPT × 読者対談7 神道とユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯』
【https://youtu.be/NhNckLBYLFk】
『ラプトブログ』
【https://rapt-neo.com/?page_id=1815】
YouTubeでラプトさんを知った後、ラプトブログを通して生まれて初めて信仰を持つようになりました。
信仰生活を始めてからは、今まで経験した事のない神様からの奇跡や恵み、導きを次々と体験しました。
2019年11月、私は母親から誘いを受けて、母親と弟二人が出演するフラメンコのイベントを観に行きました。
このイベントで母親と弟二人が踊っている姿を観て、なぜか「もう一度フラメンコを踊りたい!」と強い感動とやる気を体中に感じ、2020年3月に再び母親のフラメンコ教室で教える仕事に復帰しました。
仕事に復帰して驚いたのが、120人ほど在籍していた生徒さんが40人ほどに激減していました。
レンタルスタジオの稼働率も以前はキャンセル待ちだった状況が、10%〜20%の状況になっていました。
スタジオ経営はコロナ禍の影響も受けて、すぐに赤字経営だと分かりました。
私は母親に何度も会社運営の見直しや経営方法を改善するように訴えましたが、何一つ受け入れて貰えず、すべて却下されました。
自分が担当している生徒さんに、過去にあった母親との確執や虐めの話をするようになりました。
話を聞いた生徒さんからは「なぜ、ここに戻ってきたのですか?」「よく戻ろうと思いましたね?」と言われました。
私の中では、神様が「戻りなさいと、感動を与えてくださったんだ。」と確信していたので、神様がおっしゃられる通りに行っただけだと思いました。
2023年5月頃、母親は唐突に「11月に生徒ライブをやる!」と言い出しました。
ライブの日程は、2023年11月26日に決まりました。
私の担当クラスからは、8人の生徒さんが出演希望されました。
早速、私は生徒さん達とライブに向けてのミィーティングや強化レッスンや合同レッスン、個人レッスンを開始しました。
ライブに向けてレッスンを行った後で、私は生徒さん達とフラメンコやライブの事だけではなく、いろんな話をするようになっていきました。
生徒さん達と話をする中で一番話題になったのが、私が2014年に仕事をクビになった後、フラメンコ教室の運営方法や母親と弟二人のレッスン時の指導方法のクレームでした。
(末の弟は私が仕事をクビになった後、フラメンコを始めて指導するようになったそうです)
特に母親へのクレームを多数受けました。
「レッスン内容が難し過ぎる」
「レッスンの時の説明がまったく解らない」
「自分の好きな生徒だけをえこひいきする」
「予定をコロコロ変更する」
「人の悪口を言う」
「自慢話が長い」
「生徒を見下す発言を平気でしてくる」など。
私は生徒さん達にまで母親の悪政の被害が及んでいたことに驚きました。
そして、私も母親から過去に受けた酷い扱いと差別行為を生徒さんに打ち明けるようになりました。
ライブまで後1ヶ月に迫った2023年の10月頃、私はいつも通りレッスンが終わった後に生徒さん達と話をしていました。
一人の生徒さんが、唐突に「〇〇先生(母親)が離婚したのは、〇〇先生が不倫していたからだって聞きましたよ!」と聞かされました。
私は驚きました。
私が「えっっ!?どうゆう事??」と問いただすと、その生徒さんは「〇〇先生が不倫していた時、家の前で〇〇先生と不倫相手の男性がキスしてた所をお兄さんが目撃したって、お兄さんが言ってました。」と言われました。
私は一瞬、頭の中が真っ白になりました。
私は、その話を聞いた直後は半信半疑でした。
しかし、冷静になって考えた時、過去に起きた出来事や問題、周囲の反応や母親の異様な言動や行動を思い起こした時、すべてが一つに繋がっていきました。
「だから、父はお酒に溺れるようになったのか!」
「だから、あの時にあんな激しい夫婦喧嘩をしていたのか!」
「だから、あの時に親戚の叔母さんが怖かったのか!」
「だから、あの時父と兄は母親に攻撃的だったのか!」
「だから、あの頃に母親は自分を正当化するために私に嘘ばかりを吹き込み続けたのか!」
私が今まで不思議に思っていた事や分からなかった事、すべてが一つに繋がりました。
そして、2024年3月上旬頃、母親から「お兄ちゃんから連絡があって、お父さんがあんたに会いたいって。」と言われました。
これは、本当に神様の恵みと奇跡だと思いました。
私は即答で「お父さんに会うから、お兄ちゃんに連絡しておいて!」と母親に伝えました。
その後、すぐに兄から連絡があり、お父さんと会える日を段取りしてくれました。
私は「やっと、お父さんに会える!聞きたい事が山ほどある!」と思いました。
お父さんに会えるとわかった時から、頭の中がお父さんの事でいっぱいになっていきました。
お父さんと一緒に過ごした思い出が次々と頭の中から浮かんできました。
お父さんに遊んでもらった事、旅行や山登りや川遊び。
野球を観に甲子園に行ったり、コンサートに行ったり、お泊まり保育の劇で鬼役をしてくれたり、肝試しでお化け役をしてくれたり。
海水浴にプール、花火大会やお正月の親戚の家。
いつも一緒に行っていたスーパーやレストラン。
次から次へと父親との思い出が頭の中から浮かぶ度に、涙が溢れ出てきました。
「あ〜、私はお父さんから、こんなに愛されていたんだ〜!」と産まれて初めて実感しました。
それと同時に、幼い頃から母親から受け続けていた誹謗中傷や兄妹差別、兄妹格差。
母親と一緒に仕事をするようになってからは、母親から奴隷のように扱われていた事に対して、本当の親は父親であり、私を愛してくれたのも父親だった事に気が付きました。
2024年4月13日、私は娘二人と一緒に31年ぶりに父親と再会しました。
父親と最後に別れた時、私が18歳で父親が43歳の時でした。
私の中での父親は若い頃のままの記憶で止まっていたので、再会した時は別人のように年老いていた父親の姿を見て号泣しました。
ただ、私が想像していたよりも足腰も元気で、車の運転もして、自炊も毎日しているようでした。
父親のマンションに着いてから、父親と兄と娘二人と私で昼食を一緒にとりました。
私は、ずっと父親と一緒に泣いていました。
そして、父親と二人っきりで話をしました。
父親から聞いた話は、私が母親から聞いていた話とはまったく違う話でした。
父と母は高校時代に出会いました。
二人は高校卒業後、結婚を約束したものの母側の両親から結婚を反対されました。
母は身一つで家を飛び出し、父と駆け落ちした後に結婚をしました。
結婚式も二人が住む新居の頭金も、父側の両親がすべて工面してくれたそうです。
しかし、母は後に「気持ちの悪い結婚式やったわ!」と私に愚痴っていました。
結婚後、父は公務員となり、母は保育士になりました。
その後、母親は20歳で兄を出産し、23歳で私を産みました。
私が7歳の頃に上の弟を出産し、私が小学校6年生の頃に末の弟を出産しました。
私が中学生になった時、母親は保育士の仕事を辞めて市役所の職員になったそうです。
母は、そのまま保育士を続けていれば園長先生になれたそうですが、父に相談もなく役所の試験を受けて職員になったそうです。
外見に恵まれていた母は、保育士という女社会から市役所の男ばかりの職場に移り、周りの男性職員からチヤホヤされるようになったそうです。
そして、市の職員の中でも一番女たらしで有名な男性と不倫関係になったそうです。
その男性も妻子持ちだったそうです。
母は父の給料やボーナス、家族の生活費を不倫相手や自分の身なりにつぎ込むようになりました。
母は毎月40万円〜50万円のお金を使っていたそうです。
更に当時、幼かった弟二人を放置して夜な夜な不倫相手と会っていたそうです。
兄は家の前で母と不倫相手がキスをしている所を目撃したそうです。
近所に住んでいた親戚のおじちゃんは、母と不倫相手が車に乗って出かける所を目撃していたそうです。
母の職場では母の不倫の噂が広まり、隣市の市の職員だった父の職場でも有名な噂になっていったそうです。
父親は母親に「不倫をしているのか?!!」と問いただすと、母親は「してない!」と白を切り続けたので、その時だけ手が出てしまったと言っていました。
母が、私や弟二人に吹き込んだ「お父さんは暴力を奮う!DV夫だった!」と言うのは、母が自分を正当化するための真っ赤な嘘でした。
父は母の不倫を何度もやめるように説得したそうですが、母は一切聞き入れずに不倫を続けました。
父は自分の兄妹に相談したしたところ、父の親族と母の親族が我が家に集まって話し合いになりました。
相手の男も呼び出し、母と不倫相手は父と父の親族の前で「もう、会わない!」と土下座し、母の親族は父の親族の前で土下座して謝罪したそうです。
けれど、母は不倫関係を続けました。
そして、我慢出来なかった父は家を飛び出し、兄は母を殺そうと思っていたそうです。
母は、この出来事を「暴力振るわれた被害者の私や私の親族が謝罪させられたわ!」と、後に私に話していました。
確かに、私の記憶では父は母に手を挙げた事はないし、兄も同じ証言をしていました。
母親は今までずっと、父親と兄の連絡先を私に教えてくれませんでした。
真実がバレるのが怖かったからだと思います。
昼食の時、父は100枚ほどしかない家族の写真の束を見せてくれました。
離婚した時、家族の写真をすべて母に持って行かれ、自分が持っている家族写真はこれだけしかないと嘆いていました。
私は真実を知った後、なんとも言えない憤りと虚しさと、もう二度と取り戻せない過去の出来事に何日も何日も苦しみました。
母親へのさらなる憎しみや恨みや拒絶。
父親への同情と申し訳ない気持ち。
兄への感謝や弟二人への同情。
何日も何日も、家族の在り方や存在意味を考えました。
数日間、気持ちが滅入ってしまい、何もやる気が起こらない日が続きました。
しかし、2週間ほど経った頃、両親のことや兄のこと、弟二人のことを少しずつ冷静に考えられるようになっていきました。
そして、私は父親に会ってから、ある一つの大きな決断をしました。
それは、独立して自分のフラメンコ教室を開業することでした。
その決断をした時に気が付いたのですが、今まで自分の心の中にあった母や弟二人への厄介な情やしがらみ、家族への拘りが一切なくなっている事に気が付きました。
私の心の中に、捨てたくても捨てきれなかった母や弟二人への情や執着が綺麗さっぱりなくなっていました。
そして「やっぱり私には神様しかいない!」と強く思えるようになり、新たな希望や目標が自分の中でハッキリと芽生えたのを実感することができました。
父親に再会してから、母親は私に対してかなりの弱腰になり、横柄な態度や理不尽な事を言わなくなりました。
弟二人には、まだ真実を話していません。
いつか話すべき時が来たら話そうと思っています。
『有料記事438(2020年1月25日)嘘は人間の脳を害し、人間の機能を停止させる毒だ。だから私たちが真実の情報を発信し、上級国民の垂れ流す嘘を嘘だと人々に知らせなければならない。』
【https://rapt-neo.com/?p=52305】
『有料記事306(2018年8月27日)嘘を本当だと思わせることは難しいが、真実を本当だと思わせることは簡単だ。』
【https://rapt-neo.com/?p=48543】
『有料記事247(2018年2月3日)愛の根源は主だけであり、主の愛を受けた者しか真実の愛を知ることができない。』
【https://rapt-neo.com/?p=46558】
『有料記事172(2017年5月15日)嘘を常識とする世の中ではなく、真実を常識とする世の中に作り変えなさい。』
【https://rapt-neo.com/?p=43742】
2024年の今年になってから、本当に私の周りではあり得ない神様の力と奇跡と恵みが起きています。
本当にラプトさんに出会えて、神様に出会えて、御言葉を受け入れて良かったと思います。
2016年にYouTubeでラプトさんに出会った頃の私は、ドン底の人生でした。
神様が私に感動を与えてくださり、もう一度仕事に復帰するように導いてくださり、生徒さんを通して真実を教えてくださり、兄にも父にも再会出来るようにしてくださいました。
本当に神様に感謝です。
ラプトさんは、この世の中の真実を『ラプトブログ』を通して教えてくださいました。
私は『ラプトブログ』を通して、神様の愛と導きによって、実の母親からも何十年も騙されていたことや洗脳されて利用され、本当に私を愛していたのは父親だった真実を教えてくださいました。
本当に父親が生きているうちに再会できたのも、神様のお陰です。
そして、新しい目標と希望を持てるように導いてくださった神様に本当に心から感謝致します。
一人でも多くの方が真実を知って神様に出会える事を祈っております。