2016年01月04日|さて 365連休

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ボクからの ごあいさつ

2016.01.04(00:01) 745

新年 明けましておめでとうございます。
正月3が日も済み、皆様には楽しいお正月を過ごされた事と存じます。



改めまして、ご挨拶を申し上げます。


ボクは、12月31日をもちまして、、、、 【千の風】になりました。
みなさまには、いつも可愛がっていただいた事、応援していただいた事、御礼申し上げます。

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思えば、20年6か月。(人間に直せば、98歳です)
よくよく、長生きしたもんだと思っています。




お母さんが勤めていた会社の(社長さんの留守宅の縁の下)で生まれたボクを、(事務服のポケット)に入れて拾ってもらった時、ボクは、(390グラム)でした。

お父さんの名前の1字を貰って (マーちゃん)と名付けられました。
一度(尿路の病気)になり、その後は1度も(ニボシ)を食べさせて貰えませんでした。

家飼いだったので、拾われて以来 1度も外へ出た事が有りませんでした。
(乳歯)もコタツの上で抜けたり、タマタマを取られたりは有りましたが、
大した病気をしなかったのが、良かったのでしょう。





定期的に、予防注射を受けたり、カリカリ中心の食事も良かったのかも。
ボクは、お婆ちゃんを(自分の親)と間違って、、、
夜寝る時、(お婆ちゃんの耳たぶ)を「チュウ~チュウ~」吸って腫れたことも有りました。
お婆ちゃんには、 (傷バン)で、シャットアウトされてしまいました。(笑)


ボクは男なので、常に(攻撃的)に生きてきましたが、
一人ぼっちで留守番させられるのが、大嫌いでした。(さびしがり屋なのです)


晩年、年のせいか痩せて来たりしましたが、動物病院の先生は、
「歳が歳なので、、、仕方が無いのです」と言いました。


秋には お母さんは、抱っこして外に連れ出して日向ぼっこをさせてくれました。

「ボクの兄弟たちは、野良猫で何年くらい元気で暮らしていたのかな。
ボクは、お母さんに拾われて、、、、何の心配もなく暮らせて良かった~」


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12月30日昼間までは、ボクはちゃんと一人でトイレも行きましたし、水も飲みました。
お母さんは、2階の自分の部屋へも抱っこして「ほら、ここで一緒に寝んねしてたでしょ~」って連れて行ってくれました。


30日の夜、チョット苦しそうなので、お母さんは2時間おきに様子を見に来てくれました。
31日、前橋家がスキーに行った後は、ず~っとボクを抱っこしていてくれました。


でも、お母さんは(おせち料理の、卵の裏ごし)をするのにちょっと台所へ立ちました。
その間、15分。


ボクは、 「今だ!」と思いました。

【ネコは、死ぬところを人に見せない】と言われています。
でも、ボクは(家ネコ)なので・・・ 困っています。


お母さんが、ちょっと目を離した11時15分。。。ボクは(風)になりました。


お母さんは、 「悔しい」と、泣いてばかりいます。
でも そんなことは無いのです、ボクは、そうしたかったんです。



《 一年の最後の日、12月31日を旅立ちの日にしよう。ボクは 決めてありました。
それも、お歳取りが始まる夕方はダメです。  大晦日の午前中ですね 》








11時15分、と言う時間もちゃんと自分で決めたのです。
この時間なら、役所へ電話しても(留守番)が居て、(火葬証明書)を発行してもらえます。
案の定、お母さんは(許可証)を貰い、斎場とも連絡がついて、

1月1日の午前9時丁度に(お葬式)の許可をもらう事が出来ました。


31日の夜は、帰省していたみんなからお花を入れて貰って、嬉しかったです。

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お母さんは、ボクが夢中で遊んだ、 【ポ~ンよ】も入れてくれました。

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ネコタワーの上で、待ち構えていて、、、お婆ちゃんが、この(紐のついた玉)を「ポ~ンよ」と、投げてくれると、
ボクは、飛びついてキャッチして(ネズミを捕ったつもりになって)咥えて、、お婆ちゃんの所へ持っていくのです。

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この遊びを 何十回も、、、何百回もやりました。

この(ポ~ンよ)で、野球もしました。
ピッチャーはお婆ちゃんで、ボクはバッターです。
イチロー選手なんてもんじゃありません、打率6~8割打者でした。
「ボーン」と打った球を、お婆ちゃんは立つのが面倒くさいから(紐を引っ張って来て、又投げるのです)。


ボクは、この玉は(宝物)でした。。。お母さん、忘れないでいてくれてありがとう。







お母さんは、みんなの元旦の(お雑煮)を準備して、自分では食べずに、
ボクを(柿崎区の斎場)へ連れて行ってくれました。
二人っきりで、最後のドライブをしました。


お母さんは、途中何度も車を道端に停めて、、、 頭を撫でてくれます。


お母さんは「マーちゃんと、長~く一緒に暮らせて楽しかったよ」って言いました。
ボクも「ここの家の子になって、幸せだったよ」って言いました。






ここの家は、いつもボクの為に(戸を20センチ位)開けてあります。
来る人に「マーちゃんの出入り口、開けておいて!」と言っていました。


今年の冬から、襖もガラス戸もピッタリ閉めることが出来ます、20年ぶりにです。
暖かい冬が過ごせるでしょう。

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お母さんも、お婆ちゃんも、ニャ~ ってマーちゃんの声が聞こえる」と言います。
多分 あの人たちの耳には、一生聞こえ続けると思っています。







お母さんは、泣いてばかりいます。

どうか、もう泣かないで。
(98歳)まで、長生きしたボクを「よく頑張ったね~」褒めて欲しいな。







みなさん、お世話になりました。。。 お別れです、さようなら。


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