文体は、著作家の「物」であり、彼の光輝にして、彼の牢獄であり、彼の孤独である。ACIMのあるセミナーに参加した時の話です。トイレ休憩の間ぼんやりとひとり講師の話を反芻する私がそのひとには異様にみえたのでしょう。「コースたのしんでやってます?」そう聞かれ困ってしまった。周知のとおり、言語体(langue)は、ある時代のすべての著作家たちに共通の規則や慣習の集合体である。親切なひと、なのだと思います。なのにたのしげに話し出したそのひとのつるんとがらんどうの目ははっきり私を見下していた。ヒトリボッチノアナタハナンテカワイソウ!無遠慮にひとの心情にずかずか上がり込むスピ・精神世界系関係者特有のなれなれしさに当時呆然とするばかりだった私をよそに所謂“奇跡(ミラクル)”な出来事の数々がよどみなく吐き出されるキセキノナ...あいして!アイして!愛して!
1にち24じかんみじかすぎるだれがきめたんや「1にち」きむらいちお『チ。―地球の運動について―』“Orb:OntheMovementsoftheEarth”大学で一時期専科と並行して教育課程を履修していた。先生になるつもりはなかった。取れる資格なら取っておいて損はない、・・・そんな軽い気持ちで聴講した私は師の器ではない。多くに習い学び、思い至る万感に言葉はいらない。言葉にならない。「言葉がない」自分というものを知れば識るほど、生きて死ぬおのれの自明に私は自ずと言葉を喪った。成程無知のにんげんが馬鹿になる道理である。言葉を所有する限りひとは言葉に囚われる。言葉なしでいきられないニンゲンたる業だ。「人生とは○○だ」「悟りとは××である」「本当は△△である」自分が馬鹿だと気付いていない強欲の自惚れや自分の馬鹿を...1ねん1くみせんせいあのね。
さまざまな思想・哲学・心理を学び真実を追求して来ました。その中で私たちは肉体ではなく心の存在であることを確信しました。簡単に説明すると「心=思考=考え方」の存在だったのです。心を癒し幸せな思考を選びましょう。
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