時代の気分、子供の不在 「シン・ウルトラマン」 - 挑戦者ストロング

時代の気分、子供の不在 「シン・ウルトラマン」


「ウルトラマン」はオレにとって大切な作品で、そっとしておいてほしいのである。オレは各ウルトラシリーズをちゃんと観てない、というか全然観てないが、「ウルトラマン」は大切な作品だ。とりわけ「故郷は地球」、「空の贈り物」、「怪獣墓場」が好きだ。

ハッキリさせておきたいのは、オレが「シン・ウルトラマン」を是非作ってくれと願ったわけでは全然ないということだ。できればやらないでくれと思っていた。しかし連中は作ってしまった。だから仕方なく、イヤイヤ観たのである。えっ、じゃあ観なきゃいいんじゃないのと仰る方々に、「仕方なくイヤイヤ観る」理由を説明する言葉をオレは持たない。オレも全然判らないのだ。でも仕方ないから観た。映画館に行くのもホントに憂鬱でねえ。以下感想だが、ネタバレあるので映画を観てない人は読むなよということ以上に、申し訳ないがこのように心のネジ曲がったクソ野郎の感想なので読まぬ方がいいですよと言っておきます。

極めてよくできた同人映画だが、オレのマンじゃない。 (★3)


いいところ面白いところは皆さんが書かれるだろうから、気に喰わぬ点を。もちろんヤンキーみたいな当て字とか大嫌いなんだけど、科特隊の魅力のなさは致命的だと思った。こいつら基本ムーブが偉そうに現場にやってきて、場所とってノートPC開いてくっちゃべってるだけ。おいお前らブチ殺すぞ、と誰でもわりかし思いますよね。さらに皆さん、若さがなさすぎ。ハナっから疲れた顔して出てくる。総じて動きも重い。長澤まさみがフジ隊員よろしく巨大化するんだけど、これ誰が喜ぶんだ。子供から見りゃ長澤まさみってオカン世代ですよ「MOTHER」ですよ。なーんも嬉しくないよ。フジ隊員を演じた桜井浩子は当時20歳、眩しいほど溌剌としてたよ。


昔の映画で貫禄ある役を演じた役者が、実際の年は若くてビックリみたいな話がよくある。今は逆で、若い役やってる役者が実は年とってるケースが多い。この映画の、何の仕事やってんだかイマイチ判らない班長の西島秀俊。いい役者だし男前だしカッコいいんだけど、映画を観てるとなんだか動かねえしシワ多いし省エネだし、アッこいつジジイやんけと気づいてビックリするんだよな(51歳)。西島や長澤は、10年前15年前のイメージでキャスティングしてしまったのかと思う。でも考えてみてくださいよ、ウルトラマン観に来るお子さんたちは、かつて長澤まさみが東宝シンデレラの美少女だった頃とか生まれてねえんだって。子供からすりゃーちょっと顔が整ってるオバチャンだって。この映画は長澤まさみ周りがなんだかお下品で、何度もケツ叩かせたりしていったい何がしたいのやら、かなり気持ち悪いのだ。いやしくも「ウルトラマン」を観てる時に、女優の撮り方が気持ち悪いとか思いたくねえんだよな。


科特隊のようなフィクション濃度の高い組織を、漢字の洪水と早口と背広姿でリアリティ路線にアレンジ。サジ加減こそ違えどこれは『シン・ゴジラ』と同じ手法で、10年に1度ならいいが2度はしんどい。「公安」というワードもウルトラマンであまり聞きたいものではなく、何なんお前ら今どき小林多喜二責め殺す系公務員? なんて思って身を固くしていた。ハマリ役の山本耕史だけが生き生きと楽しそうで、あちこちで助演賞を獲るでしょうな。


子供子供と書いたけど、まー少子化だし客層としての子供はあんまり相手にしてないのだろう。初日の夜の回を観たんだが、オレ以外の客はオレみたいな気持ち悪いおっさん爺さんばかりだった。気持ち悪いおっさんが作って、気持ち悪いおっさんが観る。そういう映画はあっていいし、オレも気持ち悪いおっさんだから嫌いじゃないよ。でも「ウルトラマン」でそれをやられるのは、ちょっとキツかったな。


映画は時代の鏡と言われるが、1966年の「ウルトラマン」と2022年の「シン・ウルトラマン」を比べると、同じような話でも「時代の気分」が違いすぎててなかなかエグい。万博を4年後に控えた1966年の「ウルトラマン」には明るい未来への楽天的な期待と人類の愚かさへの戒めの両輪があり、未来を担う子供たちへの愛情と信頼が確かにあったと感じる。オレは「シン・ウルトラマン」から、それらをあんまり感じられない。ホシノ少年もいねえ。「ウルトラマン」の面白さを現代に甦らせようとする試みは、真っ当にやればやるほど「現代の気分」と無関係ではいられない。決して明るくなくむしろ停滞と諦念、滅びの予感に覆われた「現代の気分」が、「シン・ウルトラマン」に濃い影を落としている。 …いや、でもネットを見るとすげー楽しかった超サイコーみたいな感想が多いなあ(それも判る)。世を拗ねたオレの気のせいかもしれん。ただ1966年の作り手が疑わずに信じられたことを、2022年の作り手がかなりの部分で信じられなくなっているのは映画の端々で感じた。そらーまあ、無理もないことだけどなあ…