この1年ほど待ちに待っていたドキュメンタリー映画「牛久」をようやく観た。当初は「牛久 比類なき不正義」というタイトルだったが、サブタイトルは削ったようだ。以下、Cinemascapeに書いた感想。
良心的納税拒否をしたくなる
なんじゃそりゃ、と思われるだろうが、ちょっと言葉を失っていたので仕方ない。要するにこの国がイヤになるぜってことだ。正直言って、映画の内容はほぼ予想通りだった。もともと入管に問題意識を持ってて報道やドキュメンタリーを気にかけていた人なら、だいたい知ってることばかりだ。にも関わらず、これは凄い映画だった。映画の力というものを強烈に思い知らされた気がしている。
映画の力といってもスカした評論家の言うポエム的なやつではなく、ただ画面がデカいこと。音声がデカいこと。まっすぐこちらを向いた彼らと、暗闇の中で対峙すること。一時停止できないこと。早送り、巻き戻しもできないこと。あらゆる意味で逃げられないこと。直視することを強制されること。これらルドヴィコ療法的な効果が存分に発揮され、「映画であること」それ自体に絶大な意味が生じる。劇場で観なくてはならぬ映画なのだ。
勿論この映画は入管で不当に拘束されている外国人の貴重な記録であるし、この国の欺瞞を容赦なく暴きだす優れたドキュメンタリーである。ただそういうのは誰か頭いい人が書けばいいので置いといて、オレはこれこそが映画なんだと思った。銀幕から無数の手が伸びてきて我々の心臓を掴み、絞り、ぐちゃぐちゃに潰す。映画だけが日常から我々をかどわかし、おとなしく生きてりゃ無縁でいられた筈のこの地獄へと連れてゆく。ほとんど暴力的に連れ去ってしまう。気づけば我々は牛久入管の壁に囲まれた面会室にいて、アクリルの向こうを見つめている。「神隠し」に遭うって、こんな感じなのかもしれない。この映画は理屈じゃねえんだ。思想でもないし政治でもない。この映画は体験だ。それも極めて異常な、しかし現実の体験だ。
知識として知っていた入管の人権侵害、憲兵か特高の如き暴力と殺人。わたくしだって様々な報道、記事、映像などに触れては眉をひそめ顔をしかめ、心を痛めていた。多くの人々と同じく、怒ったり悲しんだりしていた。そのつもりだった。ところが暗闇の中でこの映画をじっと観る体験は全然違った。全然違います。知られざる入管の内部、と言ってもたかが面会室までですわ。入ったわけでもない、映像で見ただけだ。あのねえ、全然違いました。死にたくなりました。たった87分でもこんだけキツい。だが彼らは何年も何年も、人権を奪われた状態にある。人生を奪われている。その不正義は、我々のすぐ近く(牛久なんてすぐそこだ)で行なわれている。それなのに、誰ひとり償わない。
「牛久」は隠し撮りが大半で、たぶん小さなアクションカムやウェアルブルカメラで撮影している。画質は悪いしピントも甘い。面会室の映像は殺風景で、映ってるのはどっかの知らんおっさんだ。にも関わらず、なんと凄い映像なのだろう。なんと凄い証言なのだろう。なんと酷い… 現実なのだろうか。やはりオレは、これこそが映画という芸術だけが持つ殺傷力なのだと思う。ボケッと生きてりゃ絶対に見られない何かを、まざまざと、時に無理やりにでも見せてくれるのが映画なんだ。
劇場で観ないと、たぶんピンとこない映画です。まだ3月だけどこれが2022年のベスト。今年はこれ以上はないよ。皆さんよいお年を。
追記(2023/12/26)
シネスケの点数評価を5からゼロ(評価なし)に変更した。 この映画にはたいへんな衝撃を受けたし、隠し撮りによって入管の非道な実態を暴露する社会的意義を疑うものではない。
ただ、映画に登場する外国人収容者の一部から告発があり、監督トーマス・アッシュが出演者の要望を無視してドキュメンタリー制作を進めたことが明らかになった。
https://jaccuse-filmmaker-t.blogspot.com/
このことをオレは映画を観てから1年半以上経った今日たった今、2023年12月26日にはじめて知った(遅いよ!)。この映画の制作手法の問題は単にアンフェアというだけではなく、収容外国人の心身の安全に関わる重大なものだと思った。オレとしてはこの映画に★5をつけたままではいられない。制作上重大な問題があるが、観る価値はある映画としておく。