長いけど、前作の感想を貼っておく。今作の感想はもっと長いのだが。
またしても自分語りになるのを平にご容赦いただきたい。前作は「わたくしが高松にいなかった17年」を描いた作品だった。しかし今作は「わたくしが高松で暮らす中の直近の1年」を描いている。その映画が高松で公開される。これはやはり興奮せざるを得ないのであります。
文化果つる辺境の地・香川県には現在、一般映画館は4館しかない。2スクリーンのミニシアター「ホール・ソレイユ」と、7~9スクリーンの「イオンシネマ」が3館(高松東、綾川、宇多津)である。あとは成人映画専門の「ロッポニカ」(この響きにグッとくるのはおっさんだけだろうな)。「香川1区」は2022年1月21日、県内の4館すべてで同時公開された。これは極めて異例の事態である。さて香川1区に住むオレは当然香川1区にある映画館で「香川1区」を観ようとしたのだが、上映時間がオレとはイマイチ合わず、仕方ないので香川2区にあるイオンシネマ宇多津へ足を運んでこの映画を観た。なんじゃそりゃ。以下、Cinemascapeに書いた感想。
極限の重圧の中に現出する、おっさんたちの青春映画 (★4)
前作「なぜ君は総理大臣になれないのか」の劇中スパンは17年間だった。今回の続編「香川1区」のスパンは1年足らず。似ているようで、前作とはまったく違うアプローチの映画になっている。地獄の2021年の断面は記憶に新しいためにたいへん生々しく、この映画のライブ感は凄まじい。
6月、平井卓也へのインタビュー。このとき平井は大臣であり、大島新監督にも余裕綽々の貫禄を見せる。平井は「なぜ君は」のタイトルを褒めつつ、映画は観ていないと言う。これはもうホントにチャンチャラおかしい、明白な嘘である。おヘソが茶を沸かします。「なぜ」はこのインタビューの1年前に劇場公開され、とっくにDVDが発売されており、アマプラやNetflixで配信されており、CS日本映画専門チャンネルでも放送済みである。平井が「なぜ」を観てないわけがない。いくらなんでもそこまでアホじゃない。だって讃岐のメディア王ですよ。何を賭けてもいいが、平井は絶対に観たのだ。なんならこのインタビューの1年前に映画館で観てるし、RNC西日本放送の子分に事務所までDVD持ってこさせてる。ここで明らかになるのは平井卓也が顔色ひとつ変えずに堂々と嘘をつける男であり、それを有能な政治家の資質であると認識している節があるということだ。ま、別に珍しくもない。政治家にはよくいるタイプだ。
大島監督は平井に、NEC恫喝発言の話をぶつける。平井はまったく動じない。あれは税金の無駄遣いを止めようとしたんです。荒っぽい言い方をあえてすることで、スタッフに発破をかけた。普段はあんな言い方してません。するわけないじゃないですか。饒舌に語る平井。大島監督も現役大臣を前にして緊張していたのか、インタビューは平井ペースのまま終わる。ところがこの一見ぼんやりしたインタビューが、後で効いてくることになる。
それにしても小川淳也と平井卓也、2人の見事な対照はどうだ。これがフィクションの劇映画なら、絶妙のキャスティングというほかない。このキャスティングが天の配剤で実現した2003年(小川の初出馬)から香川1区に突撃し続けている、大島監督の嗅覚も凄まじい。
平井は典型的な政治家だ。地盤・看板・鞄、党利党略、利益誘導、動員に招集、上意下達。取り巻きの背広軍団の中心で、何を考えているか判らないどうとでもとれる微笑みを常にたたえている。
小川は対話型の政治家と言える。青臭い理想論を熱く語る「天然」で永田町ではバカにされるタイプだが、人心を掴み世の中をガラリと変える可能性を持つのは、案外こういう切実な天然野郎なのかもしれない。ただ天然ゆえに危険な男でもある。極端な話、ある日小川がたとえば陰謀論にハマったらどうなるか。もし突然ネトウヨ化したら、もしニセ科学にハマったらどうなるか。持ち前の情熱と行動力で、何をしでかすか判らない怖さがある。平井にそのような心配はない。平井なら常識の範疇で、凡庸な悪に手を染めることだろう。小川はそれじゃ済まない。我々の理解を超えるヘンなことを、いきなり喋り始める可能性がある。
小川の危うさが露呈したのが、維新の立候補事件だろう。小川の過剰反応には呆れるばかりだ。維新は自民党のファシズム寄り衛星政党であって、そもそも野党ではない。ここの認識から小川はトチ狂ってて、おいおいコイツ大丈夫かよと思わざるを得ぬ。町川ジュンコ候補自身がインタビューで語ったように、注目が集まる選挙区で名を売るのが維新の目的だ。再生数乞食のyoutuberと変わらない。町川候補は本質的にシバターであって、関われば関わるほど損をするキングボンビーでもある。常識のある平井は香川県議を通して町川に出馬取りやめをひっそりと打診しており、こっちはニュースにもならない。だが小川の狼狽と奇矯な行動は平井の意のままになる四国新聞で大々的に報道され、香川県民の6割に知られるところとなった。
前作「なぜ」でオレが小川クソみっともねえなと思ったのが、政治ゴロの田崎史郎にペコペコしてる場面だった。今回小川は、過剰反応を諌める田崎史郎に食ってかかる。田崎さんはテレビで悪く言うんでしょと責めるが、田崎はそもそもこんな話テレビはやんないよと呆れ顔。田崎とケンカ別れした小川は、詫びの電話を入れる。50にもなってこの未熟さはなんなのだろう。小川とて平場では、こんな慌てかたはしないだろう。選挙を闘う極限のプレッシャーが、人をおかしくさせる。いや普段は取り繕っている態度や建前を選挙という魔物が剥ぎとり、人間性をむき出しにしてしまうのだ。
同様のプレッシャーは、平井にものしかかっている。選挙終盤に平井は豹変し、街頭演説で観てない筈の「なぜ」を対立候補のPR映画だコマーシャルだと罵倒する。たった半年前に大島監督のインタビューを受けていた平井の余裕は、すっかり剥ぎとられてしまった。もちろん問題の本質は、PR映画の存在ではない。むしろなぜ平井にはPR映画が作られないのかを考えるべきだ。小川の前に大島監督が現れたように、平井の前にドキュメンタリー作家が現れてあなたを取材させてほしいと言ってこないのはなぜなのか。小川のようにドキュメンタリー作家を野放しにして、裏も表も自宅も家族も自由自在好き放題に取材されてろくにチェックもせず、勝手に撮影され構成され編集され公開されることに耐えられないのはいったい誰なのか。イヤまー、普通は誰だって耐えられないよなあ。だが小川は耐えた。耐えたとも思っていまい。頭のネジが外れてるよな。しかしそれはそれとして、あのさー大島監督、小川や小川の御両親の自宅を取材する際には、もうちょっと建物の外観を見せないとか、強めにボカシを入れるとか配慮してもいいんじゃないでしょうか。その点はオレでさえちょっと心配になりました。
かつてオレが18歳まで暮らしたことでおなじみの瓦町駅前における、平井の街頭演説。PR映画と言われたことに大島監督はショックを受け、あわてて抗議する。平井に近づこうとするが駐輪場の出入り口や駅へのエスカレーターをうまく回り込めず、カメラは右往左往する(あそこ回り込めないんだよ)。ぐらんぐらん揺れる映像が撮影者の大島監督の動揺を意図せず表現しきっており、この場面は本当に素晴らしかった。画面に撮影者の心が映っている。こういう瞬間に出会いたくて、オレはドキュメンタリーを観ているんだ。オレがこの映画でいちばん胸がキュンとなった場面だ。小川や平井の人間性がむき出しになったように、大島監督も生の感情をさらけ出す。この監督はPR映画と言われるとちゃんと傷つく、まっとうなナイーブさを持っているのだ。ちなみにオレも前作の感想に「小川のプロパガンダ」などと書いたので実に申し訳ない気持ちだ。大島監督に謝ります。撤回はしませんが。大島監督が平井に向かって抗議を叫ぶこの場面、変な話だけどなんだかとても「青春」の匂いを感じたんだよな。小川、平井、大島監督の三者の人間性がそれぞれにむき出しになるこの映画、これってある種の意図せざる青春映画なんじゃないのかなあ。青春映画の主役は処世術を知らぬ若者たちだから、不器用にぶつかりあう。この映画では選挙という極限の狂騒の中で、重圧に狂ったおっさんたちが強制的に処世術を剥ぎとられ、まるでナイーブな若者のように狼狽、攻撃性、動揺、傷心を垣間見せる。人間の本性は、非常時にこそあらわになるのかもしれぬ。
丸亀町商店街などで平井の演説を撮影する前田亜紀プロデューサーに対しての、平井陣営のオラオラ妨害。平井事務所がこんなチンピラどもを雇ってるなんて… と一瞬思ったものの、そんなわけがないんだよな。イヤつまりこれって認識の問題で、彼らはフィクションの脇役じゃないんだから、24時間100%のチンピラやってるチンピラ人間のわけがないんだ。家に帰ればよき息子だったりよき夫よきパパだったりする、現実を生きている実在の人間なわけだ。そんな彼らがここぞとばかりに100%ヤカラの顔をして、映画の女性スタッフ(前田P)を恫喝して排除する。なぜこんなことが起こると思いますか。なぜならこれが彼らの仕事であって、なおかつ彼らが権力者を内面化しているから、こんなことが起こるのだ。
映画の序盤に、内閣官房IT総合戦略室の会議でオリパラアプリ事業においてNECを徹底的に干すと豪語した平井の音声が流れる。干される会社を象徴的に作らないとナメられるとまで言っている。だから一社を干して強烈な見せしめにして、恐怖で他社をコントロールする。どこで誰に叩き込まれたのやら(自民党だよ)、平井には恐怖政治のメソッドが骨の髄までしみついている。そんな政治家の選挙事務所は、いったいどんな風になるか。平井を見習って、他者を恫喝して力で従わせることに抵抗を感じない優秀なスタッフが育つのである。人を動かすには恫喝なんだ。それでこの国は回ってんだ。力しか信じない!(長州力)。俺の心の叫びを聞いてくれ!(長州力)。テメーラもっとしんどい思いさせてやるからな!(長州力)。
あの平井事務所のスタッフたちは、平井の恫喝体質・恐怖政治を田舎者が雑に内面化するとこうなっちゃうという見本のようなチンピラ諸君なのだ。イヌは飼い主に似るのである。序盤のインタビューで平井が釈明したような言い方の問題ではなく、人間の本質の問題だ。それにしても、平井がこの映画を観たらさすがにびっくりするだろうと思う。平井にとっては名前も知らぬごく一部のザコ部下だろうが、彼らは見事に平井の戯画(カリカチュア)だ。平井が部下に直接、オイちょっとあの女を恫喝してこいと言ったわけじゃない(たぶん)。しかし平井の意図を超えて忠犬は平井の本意を汲むものだし、命令は階層を降るにつれてバカでも判るよう粗雑になってゆく。ゆえに平井が「あ、小川の映画の撮影スタッフだ。いやだなあ」と頭の中で思っただけで、平井事務所最下層の実行部隊はカメラ構えたあの女ちょっとカマしたれやとイキり散らかすという、まるで超能力じみた不思議な現象がこの国では現実にたびたび起こる。そしてカメラの前でどう振る舞えばどう見えるか、どのように描かれることになるのかさえまったく想像できてない田舎者が、平井の威を借りて生き生きと恫喝をエンジョイする。カメラが回ってるにも関わらず恫喝が行なわれた事実は重い。なぜなら連中の人生の99.9%はカメラが回っていない時間だからだ。やつらの、カメラで撮られていない日常の仕事ぶりはいったいどんな感じなのだろう。だいたい想像つくような気はするが。
高額なパー券10枚買わせて3人しか呼ばない錬金術。組織票の強制的な期日前投票とその確認作業。これらの疑惑もたいへんなインパクトで、自民党政治の腐敗の実態を示すものだ。平井だけの問題ではなく、平井のような政治家たちが安住してきたこの国のシステムの腐敗である。醜い国の醜い実態だが、これを許しているのは我々国民なのだ。我々もそろそろイヌを辞めて、何者かにならねばならないよな。
さてこの映画を観て、平井陣営の幹部に大山一郎がいることに驚かされたことも書いておかねばならない。いや実際はやつが平井陣営にいても何もおかしくなくて、オレが国政と県政を頭の中でパキッと分けすぎていただけかもしれない。映画の主題と関係ないので大島監督は描いてないからわたくしがここで説明すると、大山一郎とはこのような男である。
- 香川県議会議員(自民党所属)(2003~現在)
- 香川県議会議長(2019~2020)
- 自民党香川県政会(県議会の現最大会派)幹事長(2016~現在)
- 「日本会議」地方議員連盟所属
- 香川県議による海外視察が実態は「単なる観光旅行」だったとして市民団体が旅費の返還を県に求めた住民訴訟において、大山は海外視察(観光旅行)に参加した県議の1人として、高松地裁の判決に従って旅費の一部を返還した。
- ニセ科学「ゲーム脳」に影響された四国新聞の反ゲーム紙上キャンペーンを受け、大山は「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」いわゆるゲーム規制条例を発案。県議会議長の立場で条例可決に向けて熱心に推進した。検討委員会は非公開の密室で、議事録はいっさい作らず。パブリックコメントの募集対象者は「香川県民か、ネット・ゲーム事業者」に限定し、募集期間も通常の半分の短期間とする異例尽くし。集まったパブコメは大山陣営が動員をかけたと思われる賛同意見が9割を占めたが、情報公開請求により開示された原本には文面が酷似したものや誤字まで同一のものが多数確認された。本条例が非科学的で無根拠かつ人権を侵害しており違憲であるとの住民提訴が現在裁判中。その裁判で県が税金で支払う弁護士費用が高額すぎるという県民有志による監査請求は、香川県監査委員会に棄却された。
ゲーム規制条例のそもそものきっかけは、家で大山が娘に話しかけたら娘は夢中でゲームやってて返事してくれなかったという体験にあると聞く。当ったり前だろなんでわざわざゲーム中断して人相の悪いおっさんと話さなきゃならねえんだ気分悪いぜ冗談キツいぜ。条例は県議会が2020年1月10日に提出、3月18日に可決、4月1日に施行させると大山一郎は4月30日に県議会議長の席を同会派の県議に引き継いであっさり退任。以後は一県議として息を潜めていた。
こういう頭の悪い田舎オヤジの数え役満みたいなクソ野郎が平井陣営の幹部にいて、あれこれ差配してるわけだ。部下のチンピラどもの言動について、平井以上に責任を問われる立場かもしれない。それにしても、平井のデジタル大臣という経歴と大山のゲーム規制条例の食い合わせの悪さよ。お前らうまい汁さえ吸えれば政策の中身なんかホント何でもいいんだな。ま、大山の話はこれぐらいにして(長げえわ)。
コワモテ背広軍団で固めた平井陣営と、学生の同好会か主婦のカルチャースクールみたいな小川陣営の対照。平井の応援には岸田文雄が来た、麻生太郎が来た、甘利明が来た、香川県知事も来た高松市長も来た、でも負けた。県民が平井を拒否したのだ(比例で復活)。この映画の主役は小川でもなく平井でもなくましてや大山一郎でもなく、やっぱり有権者が主役だったんだと思う。我々次第で未来は変わる、こともある。今回はオレも香川1区の有権者のひとりとして投票した。小選挙区は小川に、比例代表は日本共産党に入れたよ。そしてこの映画の主演男優賞には、大島監督に一票を投じたいと思う。
追記。映画の中で小川たちがなじみのうどん屋で昼飯を食う、印象的な場面がある。このうどん屋「枡(ます)うどん」は「イオンシネマ高松東」のすぐ近くにあるので、香川県でこの映画を観る人はイオンシネマ高松東で観て、観終わってから枡うどんでうどんを食うというのが黄金コースであろう。1回しか行ったことないけど、うまかったような記憶がある。映画の上映時間とうどん屋の営業時間がうまく合うかは知らないので、各自調べること。まあオレは宇多津で観たので関係ないのだけど。
枡うどんURL http://www.masuudon.com/