思春期を搾取する 「14歳の栞」 - 挑戦者ストロング

思春期を搾取する 「14歳の栞」

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実在の中学生が映る画面カットはとても使えないので、プロデューサーさん(左)と監督さん(右)

ネタバレあります。

高田純次かよ (★2)


ほとんど実現不可能に思える企画を実現させ公開まで持っていったのは凄い、と映画を観る前は思っていたのだ。実際、将来のソフト化も放送も配信も不可能だろう。学校とは誰もが通過した場所ではあるのだが、ではありふれた場所かと思えばさにあらず、おっさんであるところのわたくしが散歩がてらブラリと近所の学校に入っていったら即事案、即通報でおロープ頂戴となるのが現代だ。国会議事堂よりも不可侵の領域なのである。学校それは最後のフロンティア。ゆえに数えきれぬほど膨大なフィクションが学校を舞台にしてきた(AV含む)。しかしリアル学校の実在中学生を描くのは非常に危険なことで、容易に人権問題になりうる。だからこそフィクションは架空の学校で非実在青少年を描いてきたのだ。


この映画企画が画期的なことは言うまでもないが、企画そのものにちょっと見過ごせぬ暴力性があることも明白だ。撮影の同意を得たことをタテにして、暴いてはならないかもしれぬ他人の人生を暴く企画だからだ。その同意もオレから見る限りペラペラで、ひどく失礼なことを言って申し訳ないんだけど、中学生も保護者も学校も教員もアホだから同意したにすぎない。オレは、アホの同意に意味を見いだせない。たとえば日本における性行為同意年齢は13歳とされており、これはわたくしの如きよきロリコンからすると低すぎやろ絶対アカンやろと思わざるをえぬ。この未開の国では悪しきロリコンが法律を作っているのである。イヤまあそれはそれとしまして、まずまともに考えて2年6組全員の同意は得られないし、学校や教員の同意も絶望的だし、登場する生徒の家族、卒業する先輩たちだって同意するとは思えないのだ。しかるに同意は得ましたと、この映画はそうおっしゃるのである。なんとなく想像はつくよ、まず学校と教員を落として、次に保護者会を落とせば、ガキンチョなんか同調圧力でどうにでもなるってなもんだろう。100校にアプローチして1校落とせれば確かに成立、ロケ開始できるだろう。しかし個人インタビューの映像を見ていると、露骨に大人に命令されたからイヤイヤ会話に応じているようにしか見えない子とかいるんだよ。その映像を平気で使う無神経。インタビュアーの、子供をナメた態度。これは搾取というほかないと思う。大人が未成年を搾取するポルノだ。大人は気持ちよく子供でヌイて(泣いて)スッキリという寸法だ。画面に映っている少年少女は自覚なき犠牲者である。


制作者は、そりゃ綺麗事を言いますよ。綺麗事なんか無限に言えます。その中にはホントのこともあるだろう。それとは関係なく、この映画が明らかに未成年者の人生を人質にしたポルノであることはハッキリさせておかなくてはならない。


そのうえでポルノは嫌いかと問われれば、わたくし、いやーここだけの話ですけど実は非常に… 好きなんですよ。しかしこの映画はポルノ好きのわたくしから見てもポルノとして粗雑で、素材は最高なのに酷い映画だと思った。なにしろ作為が丸出しでキツいんである。冒頭の馬は無用。冒頭のナレーション無用。タイトルバックが校舎は零点。音楽がうるさいうえにしつこい。全編を貫く無神経。


とりわけいたたまれなかったのが、バレンタインデーから続くホワイトデーの描写だ。少女にチョコレートを貰った少年が、ホワイトデーに向けてプレゼントを選ぶ。少女の友人に電話で相談すると、当の少女もそこにいる。ホワイトデーの放課後、少年は少女の家へ。少女は家の中で待っている。少年が来たよと母親に告げられる。少女は家の前に出ていき、少年からプレゼントを渡される。


この展開があからさまに「撮れすぎ」なんですよ。プレゼントを渡すシーンをクライマックスにして、逆算で撮影できすぎてるんだ。少女の家の中と家の外には今や遅しとカメラが陣取ってて、外のカメラはわざとらしいロングの隠し撮り風で、でも音声はバッチリ録れてるから玄関付近にマイク仕込んでるんだ(下手すりゃ2人にピンマイクつけてる)。なんだよこれ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「勇気を出して初めての告白」コーナーかよ。高田純次かよ。ドンウォーリービーハッピーかよ。ふざけるのもいいかげんにしろよ。これホワイトデーはプレゼントイベントあるぞとなってからスタッフどもが色めきたって、必死で想定してロケ仕込んだんだろうよ。


短い逢瀬を終えた少年は、おそらく間近でカメラを構えている薄汚い大人に向かって「人生でいちばん緊張した」と照れ隠しに言ったのだ。聞かせる他者のいないところで少年が独白するなどありえない。それを音編集でズラして、自転車で去ってゆく少年の背中にかぶせて言わせている。汚ねえ… お前ら本当にクソ野郎だよ… 本当に気持ち悪いよ… もうさー、これがテイク2とかテイク3だとしても驚かねえよ。


被写体の少年少女にいっさい罪はない。この映画における「リアル」とは何なのか、何をどう見せればそれは「リアル」であると考えているのか、その考えかた、いや作り手の「考えてなさ」にオレは苛立っているのだ。この映画はハッキリ言って観客の集中力や知性を低く見積もっている… 要するに侮っている… ナメられてしまったな、と感じる。


この映画に登場してしまった中学生たち全員が、この映画の公開に影響されることなく自分の人生を生きていけるように願う。そして、もう少しだけ慎みと抑制を知るスタッフが作っていたら、どんなに美しい映画いや美しいポルノになったかなと想像する。残念だった。