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- 作者: 柳下毅一郎
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2003/12/21
- メディア: 単行本
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爆発的に面白かったのは、ハリー・フーディーニに関する記述。フーディーニに関しては映画『フェアリーテイル』から得た知識程度しかなかったので「引田天功の祖先みたいなおっさん」というイメージだったのだが、これほど映画に深入りしていたとは知らなかった。脱出劇を映画的トリックなしのガチンコで見せ、それがトリック以上の幻想を観客の間に生んでいく過程などは面白すぎて、読みながら身悶えした。現実には「フィルム」や「映画」を作っているけど、本当にすぐれた興行師が相手にしているのは観客の頭の中で膨らんでいく「幻想」だ(それが現ナマを呼ぶ)。
セシル・B・デミルの筋金入りのショウマンシップ、スパイク・リーがどんづまっている理由なども面白く読んだ。しかし終章の「映画祭エクスプロイテーション」に関する記述ほど胸のすく文章はなかった。アートフィルムの作り手たちはシネフィル相手のエクスプロイテーション映画を作っているのに他ならないという指摘には、長年の胸のつかえが取れたような気がした。そうかそうか、そうだよなあ。よく考えりゃそりゃあそうだよなあ。ゴダールやヴェンダースも、アンディ・シダリスやバート・I・ゴードンとそうたいして違うことをしているわけじゃないんだ。むしろ仲間だったんだ。