2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧
柴田淳でのアコギの響きがよかったので、アコギ系のアルバムを。ギターだけではなく、全ての楽器において、鳴りが深くなりました。何、これ、本当に凄い。録音の良さを引き出す結果になっている。
NASの電源周りをアップグレードして初めてこのアルバムを聴く。パーカッションの輪郭がとてもクッキリと。ボーカルもフワッとスピーカーから出てくる。アコギの響きもいい。なんだ、このいいことづくし。
どうもイマイチどころか、相当にパッとしない。何か靄がかかっているような感覚。なんだろうな、これ。
本日の朝一に。
夜も更けてきたが、寝る気にもならない。寝落ちかな、今晩も。布団を敷く気にもならない。音楽だけはしんしんと夜。
何もかもが面倒臭くなってきているのだが、寝るでもなく何をするでもなく。久しぶりに聴くアルバムを引っ張り出した。
お口直し的に。気分を入れ替えると言いますか、入れ替えようがないことは分かっているのですが。
人は一人ではないと言われながらも、回帰するところは一人である。たとえ誰かと何かを分かち合うときがあったとしても、どこかに帰るべきところがあるのならば、そこへはきっと一人で行くことになるのだろう。
最後まで通して聴いた。この40曲を通して聴いている時は、大抵において、ダメな時です。気がついたら水樹奈々の声が入って来て「やってもうた」と思ったとか思わなかったとか。時間を無駄にしているのですね。わかります。
断捨離しようと思いながらもしばし放置していた物を、諸々処理しながら。
ヘッドホンリスニングしながら二度寝。
グレゴリー・ポーターからマイケル・ジャクソンへ。ま、そう言うことです。
世界は苦悩と疲労を抱え、彼の国は人間同士の大きな問題を抱えている今、希望の光を持ったこの作品は、人々に大きな力を与えてくれるはず。楽曲が眩しく心に刺さります。
何かを満たそうとしてこのBlu-rayを引っ張り出した。休み休み観ながらの2時間半。完璧なロックショー。目の細かいサンドペーパーで心を均されて行くような感覚。鑑賞し終えた後には心の何かが30%くらいまで満ちてきたような。そう簡単にはフル充電には至らな…
生ける屍ではなく、自分の中がすっかり空っぽになっているのだということに気がついた。このアルバムを聴いていたらね。この状態を何かで満たすには、どうしたらよいのだろうかね。
ポジティヴな力を持った、懐の広い抱擁力を持った作品。作品の向こう側に希望が見えてくるほど。最早ソウルミュージックですな。素晴らしい。
これを聴き始めた瞬間に猛烈な眠気がやって来たので、抗うことなく爆睡。目覚める頃に最後の曲だった。なんとなくもったいない気分だったので、もう1度再生。気がつくと、身体の重さは取れていた。なんだ、自分、寝足りなかったのか。あれほど寝ておきながら…
まるで生ける屍ですな。今の自分。かなり懐かしめな音楽で。それでも上がらない。
ここ数日続いていた、気分が塞ぎ込むような感覚を打破する目的も兼ねて、昨日は約200kmのドライブをしてきたのだが、どうやら逆に走り過ぎたようだ。とにかく調子が上がらない。
身体がダルい。なかなか上がってきませんな。
本日の朝一に。寝過ぎて身体がつらい。11時間近く寝ていた。
とある海岸にて昨日は、夏をあきらめてきました。レンタカーでとある海岸まで。DAPからはサザン。夏の終わりを確認してまいりました。夏らしいことなんて、夏にするものじゃないのだよ。夏は振り返ればそれでいいのだよ。
何となく聴いているうちに何となく日付が変わってしまった。全ては何となくで出来ている。
クラシックからのディスコクラシック。
可愛らしく、華やかな曲で、本日のクラシックタイムは終了。
人生の寄る辺と岸辺とはどこにあるのか。そこからどこへと船を出していくのか。そのようなことを、ボンヤリと考えながら聴いていた。ブルックナーは物思いに耽るために聴くのにもふさわしい。
シベリウス独特の怜悧さに、暖かみを与えるネーメの指揮。氷上に現われる光のような美しさを持って。自分の中の何かが救われ、取り戻されていくような感覚。
聴く回数こそこれまで多くはなかったけれども、好きなマーラー演奏の一つです。切れ味鋭く、かつ流麗。マーラー5番の特徴がしっかりと詰まっている演奏だと思うのですよ。これを聴きながら、気分を平常運転に戻しておりました。まだちょっとアレだけども。
FiiO M11 Pro SSからLDACでSHURE AONIC50に接続すると、オーケストラのフォルテシモ部分でリミッターのようなものがかかる。いきなり音が小さく圧縮される。
ふて腐れた後、気分は上がらず、非常にドンヨリとこれを聴いている。ああ、もう、爆音にしたろか。