柴田淳、コロナ禍と救急救命士試験を経ての4年ぶりの新譜。そして初となる武部聡志とのタッグ作。
1曲目から彼女の音楽に対する全てのスタイルが大きく変わったのだと強く印象づけられる。元来彼女が持っていた昏く濡れたボーカルのスタイルはそのままに、高域へと伸びていく境目において艶やかな色がそこに大きく加わったことがよく聴いて取れた。その瞬間に本作には大きな抜け感が存在するぞと、これまでの彼女の作品とは異なる世界への期待感が高まった。
そして最初に抱いたその印象はやはり最後まで変わることなく、徹頭徹尾、アップデートされた柴田淳がここに込められているのだと実感させられる仕上がりになっていた。
端的な、いや、極端ではあるが、彼女の歌詞の登場人物に対する印象と言えば、恋愛の最後に泣き寝入りする女性といったイメージを抱いていたのは事実。そこに前述の抜け感が加わることで、その世界の最後に希望が加わり、夜が明けるかのように目覚める瞬間が描かれているようにも感じられた。
それは単純に希望と言ってもよいものなのかもしれない。失恋における絶望の淵に立って泣き嘆くだけの姿はもうそこにはなく、本作の歌詞にも何度か現れる「朝」に必ず再び希望は蘇るのだと訴えかけている立ち姿がそこにはあった。そもそも柴田淳の世界に「訴え」なるキーワードが浮かんでくること自体、これまでにはあり得なかった話なのだ。
それほどまでに彼女の歌唱スタイルにおいて、そのキャリアが有してきた聴き手の一方的な固定観念が強く残されるようになっていたのだとの思いも抱いた次第。
その勝手に作ってしまっていた殻を、檻に掛けられていた鍵を壊し、羽化した後のような瑞々しき羽ばたきを歌に乗せる彼女のたたずまいは、傷跡とともに大きな変化がもたらされてしまったこの世界、現実を光で照らすかのようにも見て取れるのだから、リリースの空白になっていたこの4年間に蓄え得てきたものはきっと相当なものなのだろう。
本作において武部聡志の手腕がいかんなく発揮されていることにも触れておきたい。近年の氏のレコーディングにおけるアレンジスタイルは、いかにしてクラシカル、アコースティックな楽器をポップスの枠の中で響かせるか、それと同時にビートを乗せたアプローチをどのように配合、配置するかにおいて、ベテラン編曲家ならではの采配の妙がその仕事においても冴え渡っているように見受けられる。
楽曲を作り上げている歌詞、メロディ、そしてボーカルが持つ全ての魅力を最大限、それ以上に引き出しながら、決してその邪魔をしない、柴田淳の世界を新たに産み落とさせた絶妙なアレンジの背景には、おそらく二者間でのディスカッションが相当にあったのではないだろうか。
希望、光、そしてもちろん失われた恋愛もここにはある。それらが一体となって柴田淳の新たなるフェーズが始まったと言っても決して大袈裟なものではないだろう。