2022-04-30 (土) | 編集 |
こんばんは、まみこです。
4月も最終日になりました。
月日の経つのは、早いですね。
今日は、4月分の頒布会寄せ植えの紹介です。
今月は久しぶりに、横長の植木鉢です。
後ろの左側は、「オステオスペルマム」です。
右後ろは「フレンチラベンダー・ストエカス」です。赤い花ではなく、後ろに小さく見える紫の花です。
前は左右に色違いの「ペチュニア」が、植えてあります。
前の真ん中は「ロベリア」ですが、まだ咲いていません。
「ペチュニア」と「ロベリア」が1年草で、ラベンダーとマムは多年草です。
ラベンダーもマムも種類が多いので、後で同じ仲間を寄せ植えにしてもいいですね。
花が終わってから、多年草を組み合わせるのも楽しいですよ。
4月も最終日になりました。
月日の経つのは、早いですね。
今日は、4月分の頒布会寄せ植えの紹介です。







「ペチュニア」と「ロベリア」が1年草で、ラベンダーとマムは多年草です。
ラベンダーもマムも種類が多いので、後で同じ仲間を寄せ植えにしてもいいですね。
花が終わってから、多年草を組み合わせるのも楽しいですよ。
2022-04-27 (水) | 編集 |
こんばんは、まみこです。
昨日精神科のクリニックに行ってきました。
本当は来週なのですが、5月5日の祝日なので昨日にしました。
前に遅刻のことで先生を𠮟った記事を書きましたが、その後の最初の通院です。
私はいつもの電車で行ったので、9時ちょうどに到着しました。
いつも行く週より混んでいて、外にも人がいました。
先生は来ているかな?と思って受付に並んだら、既に診察をしていて4番の人が会計をしているところでした。
ここは受付時に番号札をもらい、名前ではなく番号で呼ばれます。
私は22番だったので、かなり待つ覚悟をしていました。
1時間ほど待ったところで、呼ばれました。
診察室に入って挨拶をしてから、「先生偉い。ちゃんと早くきたんだ」と言うと「うん」と言ってニコニコしていました。
それから「こないだはたくさん怒ってごめんね。でも先生のこと好きだから怒ったのよ」と言うと、「嬉しかった」と言うのです。
そして「まみこさんの性格はよく知ってるから、僕のために怒ってくれたんだって分かったし」と、嬉しそうでした。
先生は小学生のころ1度怒られたことがあるけど、それ以外には1度も怒られたことがないのだそうです。
誰に何で怒られたのかは聞きませんでしたが、ある意味不幸だなと思いました。
その後私を主治医として受け持つようになって、初めて自分のために怒ってくれる人に出会ったと言っていました。
私は「先生は第一印象が悪かったので、最初は嫌いだったけど話していくうちにいい人だと思うようになった」と言って「勉強家だし研究熱心だし、私の症状に対してもすごくよく調べてくれていることが分かって、信頼するようになったの」と言いました。
診察はそっちのけで、入院中のこととか話して楽しかったです。
先生も嬉しそうで、もっと話していたそうでしたが、あまり長話をしていては待っている人に迷惑なので、切り上げて処方箋はいつも通りでいいと言って部屋を出ました。
このクリニックは診察が30分を超えると、超過料金がかかります。
それよりも待っている人のことを考えなくては、非常識だと思うのです。
それでも20分近く話していたようです。
昨日精神科のクリニックに行ってきました。
本当は来週なのですが、5月5日の祝日なので昨日にしました。
前に遅刻のことで先生を𠮟った記事を書きましたが、その後の最初の通院です。
私はいつもの電車で行ったので、9時ちょうどに到着しました。
いつも行く週より混んでいて、外にも人がいました。
先生は来ているかな?と思って受付に並んだら、既に診察をしていて4番の人が会計をしているところでした。
ここは受付時に番号札をもらい、名前ではなく番号で呼ばれます。
私は22番だったので、かなり待つ覚悟をしていました。
1時間ほど待ったところで、呼ばれました。
診察室に入って挨拶をしてから、「先生偉い。ちゃんと早くきたんだ」と言うと「うん」と言ってニコニコしていました。
それから「こないだはたくさん怒ってごめんね。でも先生のこと好きだから怒ったのよ」と言うと、「嬉しかった」と言うのです。
そして「まみこさんの性格はよく知ってるから、僕のために怒ってくれたんだって分かったし」と、嬉しそうでした。
先生は小学生のころ1度怒られたことがあるけど、それ以外には1度も怒られたことがないのだそうです。
誰に何で怒られたのかは聞きませんでしたが、ある意味不幸だなと思いました。
その後私を主治医として受け持つようになって、初めて自分のために怒ってくれる人に出会ったと言っていました。
私は「先生は第一印象が悪かったので、最初は嫌いだったけど話していくうちにいい人だと思うようになった」と言って「勉強家だし研究熱心だし、私の症状に対してもすごくよく調べてくれていることが分かって、信頼するようになったの」と言いました。
診察はそっちのけで、入院中のこととか話して楽しかったです。
先生も嬉しそうで、もっと話していたそうでしたが、あまり長話をしていては待っている人に迷惑なので、切り上げて処方箋はいつも通りでいいと言って部屋を出ました。
このクリニックは診察が30分を超えると、超過料金がかかります。
それよりも待っている人のことを考えなくては、非常識だと思うのです。
それでも20分近く話していたようです。
2022-04-23 (土) | 編集 |
こんにちは、まみこです。
花がだいぶ咲いてきました。
今咲いている花を紹介します。
庭、ベランダ、路地、と場所はごちゃ混ぜです。
この花は、名前が分からなくなってしまいました。菜の花に似ていますが、葉っぱが全く違います。
「フリチラリア」です。球根を植えました。
椿「新世紀」です。小ぶりの花です。
「ユリ咲きチューリップ・マリリン」です。
「チューリップ・ライラックワンダー」です。
「 ジャスミン」の、蕾と花です。
「モッコウバラ」です。
「天皇梅」が今年はだいぶ育ちました。花は、粒のように小さいです。
「シラン」です。
「シレナ」です。
「スノーフレーク・リューコジウム」です。
「原種チューリップ」です。
「オステオスペルマム」です。
「オステオスペルマム・パティエ」です。
「アザレア」です。これは古いです。
「 ハコネウツギ」です。
「シャガ」が、初めて咲きました。
長々とご覧くださいまして、ありがとうございます。
花がだいぶ咲いてきました。
今咲いている花を紹介します。
庭、ベランダ、路地、と場所はごちゃ混ぜです。






































長々とご覧くださいまして、ありがとうございます。
2022-04-19 (火) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
私には永遠のファンがいます。
韓国の俳優であり歌手でもある、パク・ヨンハです。
残念なことに、彼はもうこの世にはいません。
32歳の若さで、自ら命を絶ってしまいました。
私が韓流にハマったのは、「冬のソナタ」がブームになったころです。
ヨン様ことペ・ヨンジュンさんには、あまり興味がありませんでした。
ヨンハ君もヨン様の恋敵役で出演していましたが、強烈な印象はなかったです。
ただ韓国ドラマは面白いと思って、色々な作品を観ました。
私が最初にファンになったのは、キム・レウォン君です。
彼左目がうっすらと二重瞼で、右目は一重になったり微かに二重になったりするので、ファンの間では「もどかしい右目」といって好かれていました。
ところが兵役を終えてみたらバッチリ二重に整形していたので、一気に冷めました。
ヨンハ君のファンになったのは、最初は俳優としてではなく歌手としてです。
2002年に「期別(キビョル)」というアルバムで、日本デビューをしました。
私は彼の歌にほれ込んで、ファンになりました。
ヨンハ君は努力家で日本デビューするにあたり、日本語を熱心に勉強して普通に会話ができるくらいになっています。
日本での初コンサートでも、日本語で歌った曲もあります。
プロ意識が高く、努力家で強靭な精神力を持った彼が何故自ら死を選んでしまったのかは分かりません。
見た目は柔和で優しそうな雰囲気ですが、頑張り屋さんなのです。
当時は色々な噂が飛び交いましたが、真実は彼自身にしかわからないでしょう。
在りし日のヨンハ君の姿を見てください。

最後に日本でのデビューアルバム「期別」から、タイトル曲の「期別」の韓国語バージョン日本語バージョンを貼っておきます。
私には永遠のファンがいます。
韓国の俳優であり歌手でもある、パク・ヨンハです。
残念なことに、彼はもうこの世にはいません。
32歳の若さで、自ら命を絶ってしまいました。
私が韓流にハマったのは、「冬のソナタ」がブームになったころです。
ヨン様ことペ・ヨンジュンさんには、あまり興味がありませんでした。
ヨンハ君もヨン様の恋敵役で出演していましたが、強烈な印象はなかったです。
ただ韓国ドラマは面白いと思って、色々な作品を観ました。
私が最初にファンになったのは、キム・レウォン君です。
彼左目がうっすらと二重瞼で、右目は一重になったり微かに二重になったりするので、ファンの間では「もどかしい右目」といって好かれていました。
ところが兵役を終えてみたらバッチリ二重に整形していたので、一気に冷めました。
ヨンハ君のファンになったのは、最初は俳優としてではなく歌手としてです。
2002年に「期別(キビョル)」というアルバムで、日本デビューをしました。
私は彼の歌にほれ込んで、ファンになりました。
ヨンハ君は努力家で日本デビューするにあたり、日本語を熱心に勉強して普通に会話ができるくらいになっています。
日本での初コンサートでも、日本語で歌った曲もあります。
プロ意識が高く、努力家で強靭な精神力を持った彼が何故自ら死を選んでしまったのかは分かりません。
見た目は柔和で優しそうな雰囲気ですが、頑張り屋さんなのです。
当時は色々な噂が飛び交いましたが、真実は彼自身にしかわからないでしょう。
在りし日のヨンハ君の姿を見てください。









最後に日本でのデビューアルバム「期別」から、タイトル曲の「期別」の韓国語バージョン日本語バージョンを貼っておきます。
2022-04-14 (木) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
また少し小さな苗を買いました。
見てくださいね。
「風鈴オダマキ」の八重咲き2色セットです。
「オステオスペルマム・パティエ」です。スプーン咲きの花びらが、気に入りました。
「花ほたる」です。小さくて可愛いですよ。
「エミュープランツ・フラフィー」です。目立ちませんが、花が咲いています。葉はフワフワの毛に覆われています。
「シコタンハコベ・遊花」です。とても小さいですが、増えればグランドカバーになると思います。
「カリシア」です。ピンクの観葉植物です。
八重咲きダブルオステオスペルマム・サンドベージュ」です。グレーがかった花色が珍しいでしょう。
「タイむ・フォックスリー」です。斑入りの葉で、新芽は白いんですよ。
「アイリッシュモス」の2色組です。大きめの苔です。
いかがでしょうか。
苔は難しいので、地植えにするかどうか迷っています。
また少し小さな苗を買いました。
見てくださいね。





























いかがでしょうか。
苔は難しいので、地植えにするかどうか迷っています。
2022-04-10 (日) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
今月の5日に、精神科のクリニックに行ってきました。
先生はとてもいい人で気心も知れているのですが、遅刻をするという欠点があります。
診察開始は9時なのですが、たいていその後に来ます。
私はいつもの電車に乗ると、9時ちょうどにクリニックに着きます。
早くから来ている人もいるので、1番乗りではありません。
ただ先生が入ってくるのは見えます。
先生が大学病院にいた頃も、毎回遅刻をしていました。
外来は3人の先生が担当しているのですが、他の先生が時間前に入って既に診察を始めていても10分から15分遅れてくるのです。
何度かは冗談めかして遠回しに嫌味を言っていたのですが、通じないようでした。
そこで色々言った最後に「患者舐めてんの!!」と強い口調で言いました。
浅草の姐さんを怒らせたら、怖いのです。
それから、遅刻はしなくなりました。
暫くしてから、先生は大学病院を辞めました。
自分のお父さんがやっている精神科の病院に完全に移ったのです。
その前もお父さんの病院にいて、週に1回の外来の日だけ大学病院に来ていました。
先生の病院には付属のクリニックが草加にあって、辞めた後は私もそこに通うことになっていました。
初めのころ私は10時頃に行っていたので分かりませんでしたが、9時に行くようになってから相変わらず遅刻をしていることが分かりました。
それでとうとう堪忍袋の緒が切れて、5日の日に𠮟ってしまったのです。
強い口調で、いろいろ言ってしまったのですが神妙な顔で聞いていました。
それで「まみこさんが奥さんだったら怖いね」と笑いながら言うので、私も「いろいろ言って、ごめんね」と言いました。
そして「先生のこと好きだから言うのよ。これからもずっと診てもらいたいから直すことは直して欲しい」と言うと、「うんうん」と頷いていました。
私は嫌いな人やどうでもいい人には、怒りません。
ただ黙って観察をしているだけで、怒りが頂点に達したら何も言わずに縁を切ります。
先生のことは信頼をしているし、ずっと主治医でいてほしいから𠮟ったのです。
多分それは分かっていると思います。
今月の5日に、精神科のクリニックに行ってきました。
先生はとてもいい人で気心も知れているのですが、遅刻をするという欠点があります。
診察開始は9時なのですが、たいていその後に来ます。
私はいつもの電車に乗ると、9時ちょうどにクリニックに着きます。
早くから来ている人もいるので、1番乗りではありません。
ただ先生が入ってくるのは見えます。
先生が大学病院にいた頃も、毎回遅刻をしていました。
外来は3人の先生が担当しているのですが、他の先生が時間前に入って既に診察を始めていても10分から15分遅れてくるのです。
何度かは冗談めかして遠回しに嫌味を言っていたのですが、通じないようでした。
そこで色々言った最後に「患者舐めてんの!!」と強い口調で言いました。
浅草の姐さんを怒らせたら、怖いのです。
それから、遅刻はしなくなりました。
暫くしてから、先生は大学病院を辞めました。
自分のお父さんがやっている精神科の病院に完全に移ったのです。
その前もお父さんの病院にいて、週に1回の外来の日だけ大学病院に来ていました。
先生の病院には付属のクリニックが草加にあって、辞めた後は私もそこに通うことになっていました。
初めのころ私は10時頃に行っていたので分かりませんでしたが、9時に行くようになってから相変わらず遅刻をしていることが分かりました。
それでとうとう堪忍袋の緒が切れて、5日の日に𠮟ってしまったのです。
強い口調で、いろいろ言ってしまったのですが神妙な顔で聞いていました。
それで「まみこさんが奥さんだったら怖いね」と笑いながら言うので、私も「いろいろ言って、ごめんね」と言いました。
そして「先生のこと好きだから言うのよ。これからもずっと診てもらいたいから直すことは直して欲しい」と言うと、「うんうん」と頷いていました。
私は嫌いな人やどうでもいい人には、怒りません。
ただ黙って観察をしているだけで、怒りが頂点に達したら何も言わずに縁を切ります。
先生のことは信頼をしているし、ずっと主治医でいてほしいから𠮟ったのです。
多分それは分かっていると思います。
2022-04-06 (水) | 編集 |
こんばんは、まみこです。
春本番を迎え、今咲いている花達です。
椿「春風」です。薄いピンクの小輪です。
「カランコエ・ホーホ」です。ほったらかしですが、毎年咲いてくれます。
「ナデシコ・祭」で、これも全く世話をしていません。
「ラナンキュラス・ピンクバイカラー」です。
椿「玉の浦」で、大好きな品種です。
「クリスマスローズ」の花が、たくさん咲きました。
「姫ウツギ」です。
この子はどこから来たのか分かりません。花と根を付けたまま落ちていたので、植えました。たぶん鳥さんのプレゼントでしょう。
寄せ植えの「チューリップが、4つ咲きました。
真っ赤な「ラナンキュラス」です。花屋さんで安売りしていたので、買いました。
椿「新世紀」です。
「ネメシア・ネシア」です。
「八角草」です。去年植えたのですが、大きさが倍以上になりました。
「スズラン」です。日陰でも大丈夫です。
「ボロニア・ピナータ」です。元気に大きくなってきました。
「緋乙女椿」です。まだ蕾がたくさんあります。
「春蘭」ですが、うちの最古参植物です。
いかがでしたでしょうか。
また咲いたら、UPしますね。
春本番を迎え、今咲いている花達です。


































いかがでしたでしょうか。
また咲いたら、UPしますね。
2022-04-02 (土) | 編集 |
こんばんは、まみこです。
私がまだ琵琶をやっていた頃の話です。
お稽古日は、土曜日と火曜日の午後からでした。
私は最初土曜日に行っていたのですが、師匠から火曜日にするように言われ、そうすることにしました。
私達の会では、月に一度全員での研修会を行います。
私がAさんと初めて会ったのは、研修会の時でした。
その前に土曜日の人から、変な人が入ってきたということは聞いていました。
なるほど変な人で、態度がデカいしまるで古株のような振る舞いをする人です。
こういう世界では、年齢に係わらず先輩を立てるのが常識です。
上手い下手に関わらずです。
Aさんは、当時たぶん60代後半だと思います。
何事にも差し出がましく指図をし、師匠にはあからさまにおべっかを使うので、私達は陰で「出しゃばりさん」と呼んでいました。
Aさんの言動にみんな辟易して、辞めるという人も何人か出てきてしまいました。
ちょうど師匠の「芸道60周年記念演奏会」が近付いていた時期で、私が「兎に角演奏会までは我慢しようよ。その後で話し合おう」と言うとみんな納得してくれました。
その後は何となくみんなが無視する形で、月日は過ぎていきました。
そんなある日、師匠の奥さんが亡くなりました。
お通夜はちょうど「新春琵琶楽名流大会」の日で、私は出演が決まっていました。
穴をあけるわけにはいかないので、演奏が終わったら直ぐに家に帰り喪服に着替えてお寺さんに向かいました。
私達弟子達はお手伝いがあるので、弔問者の方々が殆ど帰った後にお清めの席に着きました。
その時私の向かい側にAさんがいて、いきなり「琵琶では貴女が先輩かもしれないけど、人生では私の方が先輩よ」と言うので一瞬ポカンとしてしまいました。
別に返事はしませんでしたが、心の中で「何言ってるの、この人。人生長くやってればいいってもんじゃないでしょ」と思いました。
前に「じじばばのるつぼ」という本を紹介しましたが、高齢者=善人ではないのです。
この人は年齢を重ねて、何を学んできたんだろうと思います。
無駄な年月を過ごしてきたんだなと、却って哀れに感じました。
年上というだけでは、尊敬できません。
年齢に関係なく、人柄の問題ではないでしょうか。
私がまだ琵琶をやっていた頃の話です。
お稽古日は、土曜日と火曜日の午後からでした。
私は最初土曜日に行っていたのですが、師匠から火曜日にするように言われ、そうすることにしました。
私達の会では、月に一度全員での研修会を行います。
私がAさんと初めて会ったのは、研修会の時でした。
その前に土曜日の人から、変な人が入ってきたということは聞いていました。
なるほど変な人で、態度がデカいしまるで古株のような振る舞いをする人です。
こういう世界では、年齢に係わらず先輩を立てるのが常識です。
上手い下手に関わらずです。
Aさんは、当時たぶん60代後半だと思います。
何事にも差し出がましく指図をし、師匠にはあからさまにおべっかを使うので、私達は陰で「出しゃばりさん」と呼んでいました。
Aさんの言動にみんな辟易して、辞めるという人も何人か出てきてしまいました。
ちょうど師匠の「芸道60周年記念演奏会」が近付いていた時期で、私が「兎に角演奏会までは我慢しようよ。その後で話し合おう」と言うとみんな納得してくれました。
その後は何となくみんなが無視する形で、月日は過ぎていきました。
そんなある日、師匠の奥さんが亡くなりました。
お通夜はちょうど「新春琵琶楽名流大会」の日で、私は出演が決まっていました。
穴をあけるわけにはいかないので、演奏が終わったら直ぐに家に帰り喪服に着替えてお寺さんに向かいました。
私達弟子達はお手伝いがあるので、弔問者の方々が殆ど帰った後にお清めの席に着きました。
その時私の向かい側にAさんがいて、いきなり「琵琶では貴女が先輩かもしれないけど、人生では私の方が先輩よ」と言うので一瞬ポカンとしてしまいました。
別に返事はしませんでしたが、心の中で「何言ってるの、この人。人生長くやってればいいってもんじゃないでしょ」と思いました。
前に「じじばばのるつぼ」という本を紹介しましたが、高齢者=善人ではないのです。
この人は年齢を重ねて、何を学んできたんだろうと思います。
無駄な年月を過ごしてきたんだなと、却って哀れに感じました。
年上というだけでは、尊敬できません。
年齢に関係なく、人柄の問題ではないでしょうか。
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