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 ケージの小窓をロックする金具をガシガシと力強く噛む「ちち(仮名)」さん。外に出たいのよ、早く出してよ、というアッピールですが、妻がデリケートな仕事をしている最中ですので出してやるわけにはいきません。

 ワンワンとうるさいのを無視して、ケージの前でゴロンと横になっていると、やがて彼女もクッションの上で丸くなって目を閉じます。そう、子ども達が小さかった頃の添い寝、あれにそっくりです。

 1月の第3月曜日は、キング牧師の日。彼の誕生日が15日であったことに由来するものですが、今年はたまたま、阪神淡路大震災と同じ日になりました。非暴力を軸に、アメリカ合衆国における有色人種、特に黒人に対する差別を解消すべく活動した彼の功績と栄誉をたたえる日です。

 一方、23万人の被災者を出した1995年の阪神淡路大震災。大変な災害でしたが、人と人のつながり、人の優しさといったものを強く意識させるものでもありました。震災を境として、被災地域の人たちは、それ以前よりいっそう人に優しく接するようになったのです。

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 大阪梅田の百貨店で買い求めた「売れ残り」の萬年筆。梅田から神戸三宮までは、全速力で走る電車が30分かかる道のりですが、震災後間もない頃はその線路の上を梅田まで歩いて生活物資や食料の買い出しに来る人たちがたくさんいました。よぅ揺れたなぁ、ですんだ私たちも、被災地域に暮らす知人や友人にガソリンの一缶、カセットコンロの1台でも届けてあげられないだろうか、と真剣に考えたものです。

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 この震災はまた、私たちの心の中にもボランティア精神があったのだということを認識させてくれました。われわれオッサンが街で見かけて顔をしかめるようなチャラい若者たちが、それこそ先を争って被災地に入り、困窮する被災者たちを献身的に助け、支えたのです。

 職場では当初、おまえたちは公務員だから本務に専念しなさい、といわれておりましたが、そうした動きを受けてか、すぐに「ボランティアに行きたい人は所属長の許可を取ってから行きなさい」という通達が来ました。行政がマシなこと考えることもあるんやな、と印象に残ったものです。

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 当時私が勤めていた学校にも、震災で自宅が倒壊したという生徒が転入してきました。中学3年生で受験目前にしての他府県への転校とは、いかに心細いことだろう、という思いと、現地へボランティアに行けない分、ちょっといいことができるチャンス、という気持ちで、怠け者の私にしては珍しく熱心にサポートさせてもらいました。何よりも生徒本人が努力して逆境に打ち勝ち、県内有数の難関校に見事合格してくれたことは、二重の喜びでした。

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 不幸にして凶弾に倒れたキング牧師は、まさしく「一粒の麦」となったわけですが、そこまではできない私たちも、せめて受粉に関与するミツバチぐらいのことができれば良いのになぁ、なんて柄にもないことを最近よく思うようになりました。これもおぢいさんに近づいてきたせいでしょうか。

 自分のところに福が来て欲しいのは当たり前のことですが、願わくば全ての人に福が訪れてほしいものですね。