スゥスゥと寝ていたのに、いきなり起き上がった「ちち(仮名)」さん。このままの状態で辺りを見回していましたが、そのうちストンと夢の中へと帰って行ったのでした。
この時点で、風呂に入った家族は3人。残る2人、私と長女が毎日ラスト争いをしておりますが、最後になった方は床に就くのが丑三つ時ぐらいになります。私は歳のせいか3時間ほどで目が覚めてまた眠る、というパターンですので、二度目の睡眠中に起床時刻がやってくることになって、毎朝不機嫌な顔で布団を出る、という哀しいスタートを繰り返しています。
飼い主は本日「密談」に参加しておりました。定例の施設長会議を前に、非公式に会談して意見のすり合わせなどをしておこう、という趣旨なのですが、臨時職員の社会保険加入やそれに伴う雇用関連の問題について協議する内に、自分たちの今後へと話が及んだのです。
本日集まった館長4名のうち、3名が元校長で、私以外は小学校一筋の人。その中の一人がいきなり言い出したのが、そろそろ担任をやりたくなってきた、ということ。いやぁ、本島にそんな気持ちになるものでしょうか。
小学校の担任なんて、空き時間もなく、子どもと一緒に走り回って遊ばなければならないのに、年金をもらうような歳でやれるものでしょうか。私などは中学校ですから、部活動の担当などもやらされるでしょうから、週7日勤務となります。できるわけがありません。
でも、もし今、あんたクビ、と言われたら、そその翌日からでも働ける、それが今の学校です。ただ、なまじ校長経験者である分、期待度が高くなってしまうでしょうから、なかなかしんどい仕事になるであろうと予想されます。
トータル15回は修学旅行の引率で行った沖縄、夜遅くなってようやく明日の授業の仕込みを終えて、その外観がゴキブリホイホイそっくりであることからゴキブリハウスなどと呼ばれていたファミリーレストランで仲間とお茶して夜更かしをした思い出。まぁ若かったからなぁ、で片付けられることばかりで、失敗しても「その先」が豊富にありました。
この歳で教壇に立ち、生徒指導で生徒を追いかけまわし、部活動で休日を潰す生活、やっぱり無理ですね。もらえるお給料は今の倍ほどになりますが、下手をすると最初の給料が振り込まれる前に退場、となるかもしれません。
やっぱり私は教育の現場に戻ることはできない、というのが結論。カビの生えかけた飾り物みたいな今のお仕事、それが程よいところなのでしょう。
それでも、今もなお、月に2〜3本は、お元気ですか? 今、何やってます? という電話がかかってきます。正規雇用の教員は十分に足りている我が県ですが、それが年度途中で次々と倒れて行くので、補充が追いつかない、ということであるようです。授業だけしてれば良いのなら、いつでも学校に戻るのですが、そんな日が来ることはまずないのでしょう。