オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子
リンク先の記事を読み、90年代のオタク差別を思い出した。実際、90年代〜00年代前半にかけて、クラスメートに向かって「アニメ大好き人間です」「ゲームが趣味です」と表明できるオタクは少なかったと思う。ネットの論調も“オタクは差別されるもの”という前提で、だからこそオタク自虐芸が流行していたわけで。
ただ、中森明夫さんの「おたくの研究」や宮沢章夫さんの『80年代地下文化論』を引用したうえで「サブカルがオタクをバッシングしていた」と看做しているのは、ちょっと違うかな、と思う。中森さんや宮沢さんはサブカルだったのではなく新人類だったのであって、対立の図式は「オタクvsサブカル」ではなく「おたくvs新人類」だった。私が文献的に調べた範囲では、「サブカル」という四文字スラングは80年代にはまだ登場していない*1 *2。
[関連]:ARTIFACT ―人工事実― : 最近話題の80年代論本/「おたくと新人類」についての自分史観
その新人類がマスメディアや大手資本と結託しながら、消費個人主義についての価値基準――何が恰好良く、何が恰好悪いのかについてのヒエラルキー――を普及させていった一時代があった。そのうえ宮崎勤死刑囚による幼女連続誘拐殺人事件が起こるうちに、オタクに対するネガティブなイメージが一般に定着していったと記憶している*3。だから「サブカルがオタクを差別したのがことの始まり」ではなく、問題の発端は「おたくvs新人類」にあったことを、ここで確認しておく。
いずれにせよ、オタクが被差別階級とみなされ、アニメやゲーム等を趣味としていることが若者の間で“恥ずかしかった”時代は、遠い昔のものになった。ひとことでオタクと言っても、世代やジャンルによって体験の相違は大きく、オタク差別の時代を知らなかったり、無かったことにしていたりする人もいるようだ。
けれども実際にそれはあった。
世間に向かって「アニメやゲームが趣味です」と表明しにくい時代、マトモな趣味とはみなされない時代は確かにあった。オタクの間で“一般人”“カタギ”といった表現が盛んに使われ、趣味がバレることを“カミングアウト”と呼んで憚った、90年代〜00年代のオタク界隈の空気を、覚えている人は覚えているはずだ。
そうしたオタク差別を振り返る一材料として、以下に、「脱オタ」というムーブメントについて記憶を綴ってみる。
1.90年代の「脱オタ」サイトの記憶
私が知る限り、「脱オタ」系ウェブサイトは98年には相当数が存在していたと思われる。当時、「脱オタ」を看板に掲げていたウェブサイトには幾つかのカテゴリがあって、
1.オタク趣味から足を洗って、オタクを非難するサイト
(=脱オタク趣味&脱オタクファッションサイト)
2.オタク趣味から足を洗わず、容姿を整えて差別を避けようとするサイト
(=脱オタクファッションサイト)
3.とばっちりでオタク呼ばわりされるのを避けようとするサイト
(=オタク差別のとばっちりを避ける為のサイト)
などがあった。注目に値するのは3.の存在だ。趣味とは無関係に、身なりに優れない人間がオタク呼ばわりされて侮蔑される事があり得た、ということだ。オタクという単語それ自体がスティグマになっていた事を象徴していると思う。
これらのウェブサイトは殆ど残っていないが、簡単なレビューは残っている。
[参考]:脱オタサイト・オタク研究サイトレビュー集(汎適所属)
これらを根拠として、当時のオタク全員が被差別意識を抱えていたと強弁するつもりは無い。だが、少なくとも一定の割合で、オタクであること、オタクと呼ばれることに悩んでいた人が存在していたのは事実だ。脱オタ系のウェブサイトは、そうした事実が具現化したもの(のひとつ)だった。
2.『電車男』と『脱オタクファッションガイド』
転機が訪れたのが『電車男』のヒットと、これに端を発したオタクブームだった。芸能人がオタク趣味をカミングアウトするような風向きになると、オタクに対する風当たりも、オタクという単語に対するイメージも変わり始めた。今日に至る、オタクのカジュアル化・オタクという単語の軟調化の起点は2005年とみなして間違いない。
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「脱オタ」もこの時期最高潮を迎え、書籍版『脱オタクファッションガイド』は相当数を売り上げたと記憶している。このほかにもオタク向けのファッション指南書は幾つも発売された。
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「オタクだからモテない」「オタクだから差別される」という時代が終わりを迎えつつあった。ただし、「モテないのはオタクだから」「差別されるのはオタクをやっているから」という免罪符が失効しつつあったということでもあり、それを反映してか、この時期には「非モテ問題」が盛んに語られていた。
「屈託の無いオタクの出現」
そこからは早かった。
『涼宮ハルヒの憂鬱』のハルヒダンスがメディアを駆け巡り、『けいおん!』が大ヒットし、『新劇場版ヱヴァンゲリオン・破』では綾波がポカポカした。
オタクという言葉からも、アニメやゲーム等を趣味とするライフスタイルからも、コンプレックスや屈託は大幅に減少し、“ライトなオタク”が現れたと言われるようになった。
[関連]:「脱オタ」が無意味になる時代は来るか? - Something Orange
[関連]:若いライトオタクの流入と、中年オタクの難民化 - シロクマの屑籠
もちろん、オタクという言葉に負のイメージを託す人がいなくなったわけではない。年長世代においては、特にそうだろう。それでも90年代に比べれば大幅にラクになった。オタクだからという理由で屈折したり趣味をひた隠しにしたりする人も少なくなった。“一般人”“カタギ”“カミングアウト”といった言葉も、だんだん見かけなくなっていった。
「脱オタ」という言葉もその存在意義を失い、過去のものになっていった。オタク趣味を隠す必要性が低下すれば、隠れてコソコソとアニメやゲームを嗜む必要なんて無い。後は、個々人のコミュニケーション能力の問題だ*4。
あの時代を共有したオタクなら、たぶん、覚えているはず。
以上、「脱オタ」の歴史を振り返りながら、オタク差別の風景について略記してみた。
振り返ってみると、オタク差別の厳しかった風景を記憶しているのは、90年代〜05年にアニメやゲーム等を熱烈に追いかけ、趣味生活を隠さなければならなかった(恥じなければならなかった)オタクと、その周辺世代ぐらいと思われる。1970〜85年頃に生まれたオタクが直撃世代で、それよりも年上のおたくや年若いオタクには、あまりピンと来にくい話かもしれない。
ただ、そういう時代は確かに存在していたし、私はそのように記憶しているので、この機会にまとめてみた。もっといろいろと知りたい人は、以下の文献もどうぞ。
[参考リンク集:]自分が過去に書いたオタクとサブカルネタのリンク集 - ARTIFACT@ハテナ系
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