「何を書かないようにするか」が問われている - シロクマの屑籠

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「何を書かないようにするか」が問われている

 
 千葉バスジャック事件を通した「情報発信」について - Togetterまとめ
 
 リンク先では、先日の千葉バスジャック事件のネット実況について、当事者を交えたディスカッションが行われている。これを読んで、現在のインターネットでは「何を書かないか」が重要だと改めて痛感した。
 
 実際にバスジャックの現場に遭遇した arabian_m さんは、当時について以下のように述べている。
 

 

  

http://togetter.com/li/215179

 
 上記のように、彼は見たもの全てを手当たり次第“実況”していたわけではなく、「書かないで伏せておく」情報を選んでカットしている。つまり、「何を書くか」だけでなく「何を書かないか」について判断を下し、事件への悪影響を避けようとしている。もし彼が、現場の熱に浮かされやすい「書くことばかり考えている人」だったら、警察の突入準備までツイートしてしまっていたかもしれない。
 
 

「あなたは、どれぐらいブレーキの効くネットユーザーですか?」

 
 インターネットに何かを書き込む際、多くの人が「書く」ことに頭を使う。衆目を集めるため・大事なことを伝えるため等、書くための理由は様々だろうが、とにかくも「できるだけ上手く書こう」とする。それはそれで、大切なことには違いない。
  
 けれども、それと同じか、ひょっとしたらそれ以上に「何を書かないようにするか」という判断も重要な筈だ。
 
 自動車に例えるなら、「書く」はアクセルで「書かない」はブレーキのようなもの。ブレーキの駄目な自動車が危なっかしいのと同じく、「書かない」という判断の出来ない、何でも書いてしまうネットライフは危なっかしい。件のバスジャック事件のような、他人の命運を左右するような状況はもちろん、個人情報管理といったセキュリティ面でも、「何を書かないか」は個々人のネットライフを――特に生残率を――左右する重要因子となる。自動車教習所では「危ない場面ではブレーキを踏んで徐行しなさい」と習うけれど、あれは、ネットライフにもそのまま当てはまると思う。「ちょっと危ないかな?」と思ったら、まずは「書かない」というブレーキに限る。そして少しでも時間をかけて、書くべきか、書かないでおくべきか、考えてみるべきだ。
 
 ブレーキの効く自動車が安全面で優れているのと同じように、「書かない」ことに熟達したネットライフも安全面で優れている、と私は思う。世の人は、書かれた文章だけで書き手のことを評価しがちだが、本当は、「何を書いているか」だけで書き手のスキルを判断するのは、スピード性能だけで自動車を評価するのと同じぐらい、偏った評価なのだろう。いや、他人のことはさておき、ネットユーザーが自分自身の書き込みを省みる際には、「書かない」というブレーキ性能について入念なチェックをしたほうがよさげ。
 
 

「ブレーキの壊れた自動車には、乗っちゃいけないよ」

 
 twitterなどが最たるものだが、今時のネットメディアの多くは、リアルタイムで書き込みが進行し、しかも書き手の手許を離れて一気に拡散していく可能性がある。こうしたネットメディアのユーザーは、ダイアルアップ接続時代のホームページ管理者達とは比べものにならないくらい、「何を書くか」以上に「何を書かないようにするか」の判断力が問われるようになっている。それも、いわゆる“有名人”の類だけでなく、全てのネットユーザーの公開アカウントが、こうした「書かない」判断力を試されていると考えて差し支え無い*1。あなたが失恋して破れかぶれな気分の時も、ボジョレーヌーボーを呑んで酩酊している時も、こうした判断力は、容赦なく、問われ続けるのだ――その事を思うと、個々のネットユーザーに求められている「書かない」判断力の水準は、かなりのものと考えざるを得ない。
 
 極端な事を言うなら、「書かない」という判断力の乏しい人は、リアルタイムなネットツールのアカウントなど持つべきではない、のだろう。難儀なことだが、全世界に開かれたコミュニケーションツールが、片手に収まるサイズで庶民に普及してしまった以上、その途方もない道具を使いこなすだけの能力が求められるのは、仕方ないことかもしれない。
 
 
 [関連:]twitterのリアルタイム投稿は、素人はよしたほうがいい - シロクマの屑籠
 [関連:]黒歴史がアーカイブになってしまう時代 - シロクマの屑籠
 

*1:補足:炎上して酷い目に遭っているのは、有名人ばかりではないのだから。