http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080804/1217810488
「自分のことを好きだと言ってくれる人のことが好きになる」、というのは僕もすごく納得できる。自分のことを嫌いだという人よりは、自分のことを好いてくれる人のことを好きに思うのは、非モテに限らず、殆ど全ての人間の性質だと思う。
ただし、「相手がどこまで好きになってくれたら満足できるのか」には個人差はかなりあると思う。
一言で「自分のことをどの程度好いてくれる人」とは言っても、好いてくれる度合いは様々で、毎朝挨拶するぐらいの小さな好意から、内面の隅々・ケツの毛一本まで肯定してくれるような圧倒的な好意までのグラデーションがある。そして大抵の大人は、幾らかの好意をお互いに持ち合っていれば、まずまず気持ちよく付き合うことが出来る。「駄目な俺も肯定してくれる異性」でなければ好きになれないというのは、この視点でみた場合、異性に対する「好き」の要求水準がべらぼうに高い、ということになるだろう。また、リンク先のエントリ「だけ」をみている限りでは、望ましい異性を選択する際の基準として、自分自身が受け入れられる度合いが極めて高水準であることが第一の要件として挙げられているようにみえる*1。
そして、「駄目な僕も含めて認めて欲しい」などという異性に対するハイレベルな要求水準を異性に期待するからには、本来、それと等分のギブアンドテイクを異性との間で成立させるのが筋というものだろう。だが実際の男女交際のなかで高水準の全肯定・全承認のギブアンドテイクを維持するというのは超絶難度な話で、普通のカップルでは長続きするものではない(炎のように燃え上がった後に、氷のように冷えていくのが定め)。
おそらく、非モテの場合はそれ以前の話なのだろう。そもそも、異性とのギブアンドテイクを端から考えていない可能性が高い。第一、「駄目な僕も含めて認めて欲しい」というニュアンスのなかには、「俺があなたに“見返り”を提供しなくても、俺を好いて承認してくれ」という、一方向的な期待が含意されている。そういえば、非モテは誰とも限らぬ異性に対して「○○してほしい」「○○してくれない」と表現することは沢山あるけれど、特定の誰かに対して「××を提供出来ずに悔しかった」「××してあげたかった」と言及することは極めて稀だ。このことも、非モテがギブアンドテイクの、テイクに視野が偏重していることを示しているのかもしれない。そんな一方向的なテイクアンドテイクに応えてくれる異性など、どこに存在するというのか*2 *3。
heartless00さんは、「女性側のほうから近づくなオーラを発している」と仰っているけれど、僕はそれだけじゃないと思う。同時進行で、正反対のオーラ放出/オーラ読み取りも起こっているんじゃないだろうか。非モテ的な、「駄目な僕も含めて認めて欲しい」という願望が透けて見えるさまが、女性の側からみて「あれはやばいオーラ」として認知されているんじゃないか、ということだ。
聡明な女性達は、言外の雰囲気や振る舞いから男性側の願望を察知することに長けており、とりわけ自己中心的な男性に気付くのが非常に巧みだ。そうした女性達にとっては「駄目な僕も認めて欲しい」という願望を察知するのは容易で、「あれはやばいオーラ」と認知したうえで、「わたしはお前のママじゃない。」というシグナルを言外に滲ませ距離をとろうと画策することは十分に有り得るし、実際、そのような距離の取り方の現場を何度も僕は見かけてもいる。どちらがタマゴでどちらが鶏なのかはさておき、こうなれば、非モテ側と女性側の間では近づくなオーラを相互に出し合い、相互に検知しあって、お互いに距離をとりあう構図になってしまう。
なので、この件は、少なくとも女性の側が発しているシグナルだけが非モテの男女交際を妨げているという事は無いと僕は思う。その、「駄目な僕も含めて認めて欲しい」という非モテ的願望がスケスケであればあるほど、その透けてみえる「駄目な僕も含めて認めて欲しい」オーラが女性側を引かせる強烈なシグナルになっている可能性は高く、一種の異性避けオーラとして作動してしまっている可能性は、指摘しておきたい。
なんか嫁が言いたがってる。
うちの嫁さんが横で、「実戦経験の違い」「脳内フォルダの貧困性」「男女の価値観の違い」「接触機会が無さ過ぎて、異性への想像力が乏しすぎるがゆえの悲劇」などなど、色々とコメントしてくれていますが、眠いので今夜は寝ます。もし、いつか機会があったら、嫁さんの意見もまとめてみたいところ。