いわゆる脱オタクファッションには様々な失敗の形式があるが、そのなかでもよくあるパターンの一つに、「高級ブランド物で身を固めすぎてしまう」「ピカピカした服装・華美な服装に走ってしまって、なかのひととのギャップが大きくなりすぎてしまう」というのがある。本来の“脱オタクファッション”*1というのは、2chファッション板の優越感ゲームまっしぐらではなく、“何も足さない、何も引かない”に近い控えめ路線のはずだが、そこのところをしつこく強調しても、華美なファッションへと跳躍して、転倒してしまう人が後を絶たない。
どうして、“アキバ系”から華美なファッションに跳躍してしまうのか。“無難”を超えて“派手・華美”に逝ってしまうのか。
その大きな要因のひとつとして無視できないのが、「自分の選んだ服装に対する、わずかの失望や難癖に対しても、不安を拭いきれず、自信を喪失してしまうから」という理由である。ファッションを意識していない時に自分の服装をどうこう言われても、人は思ったよりも傷つかない。なぜなら「俺は見た目なんて意識してないもんね」という免罪符が成立するからだ。だが、いざ自分で服を選んで着こなすとなると、そうはいかない。自分がわざわざ選んだファッションや審美性について否定的なことを言われた瞬間、かつてのように「俺は見た目なんて意識していないもんね」という免罪符は(自分自身に対して)成立しにくくなる。
自意識なり“俺のチョイス”なりが服飾に練り込まれる際、一般に、その人が否定のまなざしに対する耐性が弱ければ弱いほど、服飾は重武装化しやすい傾向にある*2。“くさりかたびら”や“鉄のよろい”ではなく“魔法のよろい”や“ドラゴンメイル”でなければ安心できないという気持ちが強まってくる。この気持ちが昂じ過ぎると、ファッションは「他人に対する見栄えをどうする」ではなく「自分自身の自信の無さをいかに糊塗する」為の消費財へと変質してしまいやすい。“脱オタクファッション”でも“普通志向”でもない、“ファッションオタク”の境地である。
もちろんこれは罠だ。服飾選びはロールプレイングゲームの“よろい”や“かぶと”とは異なり、とにかく高くて綺麗な品を身につければ良いというものでもなければ、派手・華美・綺麗なアイテムを揃えれば良いというものでもない。だが、ファッションをはじめたばかりで、自信も無く、不安な心境が強ければ、RPGのキャラクターよろしく、“良い装備でダンジョンに行こう!”という気持ちが先行してしまいやすい。この罠に気づかず、高価な服を身につけて自分の不安や自信の無さを覆い隠すという処世術に(無意識のうちに)味をしめてしまった人は、ファッションをはじめて間もなくファッションオタクの無間地獄に落ちる。“普通志向”はすみやかに放棄され、自分自身の自信の無さや不安を覆い隠す為の、際限なきファッション軍拡競争が始まる*3。そして、他者とのコミュニケーションを支援する為のファッションではなく、自分自身の意識・自分自身を安心させる手段としてのファッションが始まる。もちろん後者はある種の強迫性を帯びずにはいられないし、だからファッションオタクの無間地獄の道は、長く、険しい。
今までファッションや見た目に意識を用いていなかった人が、新たに服飾選びに興味を抱いて色々と試行錯誤するのはそれはそれで良いことだと思うし、ファッションが自信を補強する部分があっても良いとは思う。けれども自分自身の自信や不安を覆い隠す指向が強くなりすぎると、他者とのコミュニケーションの為のファッションとは異なった境地へと迷走しやすく、自信が無い初期段階にこそ、そのような迷走は起こりがちのようにみえる。だから、“脱オタクファッション”をはじめて間もない人が、「高い服じゃなきゃ駄目、良い服じゃなきゃ駄目」とか呟きながら新宿伊勢丹に入っていくのは、実はかなりの危険信号だ。自分自身の自信の無さや不安を糊塗するために華美な服装・高価なファッションを導入する道は、最初のうちは気持ちよくても金銭的にはコストパフォーマンスが最悪で、コミュニケーションを支援する手段としても色々と使いにくい。
だからファッションにこれから手をつける人や、最近興味を持ち始めたばかりの人は、[自分自身の自信の無さ][不安]が服選びにどの程度影響しているのか、ときどき意識してみると良いと思う。不安で仕方がないから・自信を糊塗したいからという理由が服選びに染み込みすぎている人は、気がついたらファッションオタク無間地獄に堕ちているかもしれない。自信や安心を服飾に依存するのではなく、自信や安心を勝ち取る為のコミュニケーションのサポートとして服飾を幾らか意識するぐらいがちょうど良いのではないかと思う*4。“ドラゴンメイル”でなければ我慢出来ない人は、要注意。
[関連:]「最低限のTPO」と口を酸っぱく繰り返しても無視される不思議 - シロクマの屑籠
[関連:]http://nurusoku.blog60.fc2.com/blog-entry-1793.html
*1:90年代末から言われてきた脱オタクファッション系サイトの提案してきた「脱オタ」、またはhttp://www13.atwiki.jp/datuota-2ch/に代表されるような、一連の提案をここでは指す
*2:注:この命題の逆は真ならず。服飾が重武装化しているならば、否定のまなざしに対する耐性が必ず低いとは限らない。
*3:この軍拡競争の競争相手は、他人ではなく、自分自身の自意識である
*4:確か、『脱オタクファッションガイド』を書いた久世さんもそのような意識を持ってらっしゃったと記憶している