眠りの森の君へ(12) ~Episode 3(3) | 音井駿彦ブログ
眠りの森の君へ

眠りの森の君へ(12) ~Episode 3(3)

 翌日。Lilyは宗也に従って、ある場所に来ていた。
 普段誰も近寄らない宗也の私室に隠し扉があって、地下へと階段が続いていた。
 階段を下りた先に、重厚な扉が立ち塞がり、鍵穴の変わりに暗証コードを入力するパネルがあった。
「先ほども言ったが、ここの存在とこの扉の暗証コードは誰にも教えちゃだめだからな」
「絆にも?」
「絆にもだ。Lilyにも緊急時以外立ち入ることを禁ずる。いいな?」
「分かったわ、マスター」
 十六桁の数字を入力し終えると、重厚の扉が自動で開いた。おそらく人の力ではこの扉を開けるは不可能だろう。爆撃を受けてもひび一つ入れることも不可能そうな、重く厚い扉だった。
 自動で電灯に明かりが点き、真っ白な空間が現れた。部屋の広さは研究所のリビング程だろうか。部屋の中心に三台のコンピュータが半円を描いて二台のメンテナンス台を囲っている。後はメンテナンス台の上に何の変哲のない黒い箱が一つ置かれているだけで、この真っ白い空間は実に質素だった。
 宗也が部屋の中心へと歩きながら説明する。
「この部屋の壁は世界で一番固い物質で作られている。核兵器を使われても破壊されないシェルターだ。ただこのシェルターには一つ問題があって、部屋が頑強に作られ、空気をも通さない作りになっているせいで人間が中で生きていられる環境じゃないんだ」
「本末転倒な部屋ね。せっかく頑丈さだけが売りのシェルターも、人が使えないのなら意味がない」
「確かにな。だがLily、君にならここを扱えるだろう?」
 呼吸をしているわけではないので、酸素を体内に取り組む必要はない。ここで生きられるのは無機生物のみである。
「もしかしてマスター。この部屋はわたしだけのために?」
 宗也は振り返り、真剣な表情で頷いた。心なしか、宗也の空気が重い。
 Lilyは雰囲気を変えるように明るく言った。
「でもマスター。わたしにこの部屋は必要ないわ。わたしはあの扉のように世界とを遮断してまで長く生きたいとは思わない。死ぬときは皆一緒。わたしだけ取り残されるなんて……いやよ」
「――確かに。君の気持ちは分かる。ただこの部屋が君の一つの道具だと思ってくれているだけでいい。この部屋を使うかどうかの判断は君に任せるよ。……さて、これを見てくれないか」
 宗也はメンテナンス台の上に置かれていた黒い箱に手を置いた。
 それから慎重に箱の中身を取り出す。
 それを見たLilyは思わず息を飲み、呟いていた。
「……無機電脳……」
 現在世界で一つしか存在しないはずの無機電脳。無機電脳の製作者である宗也でさえ、その製作の成功が奇跡であり、以降何度も無機電脳の製作に取り掛かりながらも一度も成功しなかった現代のオーパーツ。
 その一つは現在進行形でLilyの頭脳にあてがわれている。だが宗也が抱えているものはまぎれもなくLilyのものと同じものだった。
 宗也は静かに苦笑した。
「驚いただろう? この世に無機電脳が二つあるなんて。この事実を知っている人間は誰もいない。如月研究所で生活している人間もだ」
「……マスター。でもどうしてそれを――」
 わたしに教えたの? 
 宗也はLilyの意図を汲み取って頷いた。
「Lily。この無機電脳は君のスペアだ。この無機電脳には既に初期設定で学習装置がインストールされ、第六感のメカニズムも存在している。つまり、この無機電脳は身体こそ有していないものの、ちゃんと生きているんだ。俺が何を言いたいか、分かるか?」
 Lilyは首を振った。
「いいかい、Lily? もし君が異常だと自分で判断し、俺のように無機電脳を扱える人間が周囲にいなかったら、自分でこの無機電脳を自分のものと換装するんだ。今からそのやり方を君に教える。一人で無機電脳を扱えるようにね」
「っつ。そんな状況、ありっこないわ、マスター!」
 無意識にLilyは声を荒げていた。
 無機電脳を換装しなければならない状況。コンピュータ・ウイルスに侵されたように狂ってしまったと自分で判断した場合。あるいは物理的に無機電脳を損傷した場合。
 Lilyはロボットである。だからたとえ脳が破壊されても取り替えれば生き延びることが出来る。
 だがたとえ生き延びることが出来たとしても、記憶(メモリ)まで新規の脳に持ち込むことは出来ない。Lilyの記憶野は第六感と完全に融合している。新たな無機電脳に換装するということは、記憶を一から始めなければならないということだ。
 この感情も、大切な人達のことも、すべて、失ってしまう。
 そんなの、死んだことと何ら変わらない。
「――わたしは、そうまでして生きたいとは思わない」
 思っていることが、口から出ていた。とても冷然とした態度で。
 宗也はしばらくただLilyを見つめていた。親として、科学者として、その表情からは複雑な心境が感じ取れる。
 宗也は俯き、背を向けた。
「……これをどう扱おうが、それはLilyに任せるよ。俺はただ、一つの可能性を提示したに過ぎない」
 宗也はコンピュータの前の椅子に座ると、無言でメンテナンス台に寝るように促した。
 Lilyは納得がいかないものの、渋々宗也に従ってジャック・ポットをメンテナンス台に接続した。

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駿彦より、ちょいメモ。

宗也は一人の親として、科学者として、そして○○として、Lilyを見ています。そのLilyはロボットでありながら、人間のような生き様、最終的な「自身の死」の在り方について、この時点で形になりつつありました。

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