THE TED TIMES 2024-44「If I can dream」 11/7 編集長 大沢達男
「赤いコルベアから始まる、エルヴィスの最終章」
1、ルート66
シーラ(プリシラ)の高校卒業プレゼントに何を贈ろうか。ずいぶん悩みました。
1963年の春のことです。
あの頃、『ルート66』というテレビ・ドラマが、全米で大流行していました。
バズとトッドという大学を卒業したばかりの二人が、シボレーのコルベット・スティングレーというスポーツ・カーに乗って、ルート66を旅する物語です。
シーラへのプレゼントはコルベット・スティングレーにしようかと思いました。
でもかっこいいけど、いまだに少女のような、シーラにふさわしくない。
それで同じシボレーのコルベア(Chevrolet Corvair)にしました。
コルベアはやたら大きないわゆるアメ車ではなく、ヨーロッパ車のようなコンパクトカーでした。
卒業式のその日、私からのサプライズ・プレゼントに、シーラは喜んだのはいうまでもありません。
「赤のコルベア」。
シーラにとっての生まれて初めてのマイ・カーになりました。
プリシラとエルヴィスは、ドイツで知り合ってから4年、幸せの絶頂にありました。
テレビドラマ『ルート66』は、そのヒットソング「ルート66」で有名なりましたが、 歴史の残るテレビドラマでした。
豊かになったアメリカを大学を出たばかりの二人の若者が旅する話です。
若者による「ディスカバー・アメリカ」ですが、若者がアメリカの『ゆたかな社会』を告発する、物語といっても良いでしょう。
アメリカ社会は、工業化し、都市化し、近代化しました。
でもそれによって古き良きコミュニティは崩壊し、人々の心はかわき、フロンティア・スピリッツは失われていました。
二人の若者は行く先々の社会で矛盾に悩み、怒り、そして問題解決のための手助けをする、まさしく良質のテレビ・ドラマでした。
そして、なによりもドラマの主役のコルベット・スティングレーが、そしてタイトルバックに流れる「ルート66」という音楽が、カッコ良い・・・。
後(のち)の映画『イージー・ライダー』や映画『ボニー&クライド』の原型になった、圧倒的おしゃれなロード・ムービーでした。
ヒット・ソング「ルート66」は、ドラマでのバズ役、ジョージ・マハリスが歌いました。
バズはなかなかうまく歌っていました。私は好きでした。
そしてそれをナット・キング・コールがカバーしました。
この歌がジョージ・マハリスの歌唱とは全く違う名唄になりました。
ですから「ルート66」といえば、いまではナット・キングコールになっています。
私は「ルート66」をカバーしていません。
では1曲、「ルート66」をエルヴィスは歌っていないので、エルヴィスのハイウェイ・ソング「Long Lonely Highway」(1963年録音)を聴いていただきます。
2、「Long Lonely Highway」
It’s a long lonely highway when you’re travellin’ all alone 長い長いハイウェイ たった一人で走っている
And it’s mean old world when you got no one to call your own 古い寂しい世界さ 友達なんていないのさ
And you pass through towns too small to even have a name, oh yes 小さな町を通り過ぎる 名前さえ知らない
But you gotta keep on goin’, on that road to nowhere 走って行くのさ どこへかもわからぬ道を
Gotta keep on goin’, through there’s no one to care 走り続けるのさ 愛する人はいないけど
Just keep moving’ down the line 動き続けるのさ 道をくだってね
It’s a long lonely highway without her by my side 長い長いハイウェイ となりに彼女はいないけど
And it’s a trail full of teardrops that keep on being cried 涙が溢れてくるけれど 泣きぱなしでね
My heart’s so heavy it’s a low down dirty shame oh ye 心はずっしり重いまま 残念無念さ
You gotta keep on goin’, on the to nowhere 走っていくのさ どこへかもわからぬ道を
Gotta keep on goin’, though there’s no one to care 走り続けるのさ 愛する人はいないけど
Just keep moving’ down the line 動き続けるのさ 道をくだってね
I gotta rock for my pillow ’neath a weeping willow 枕をしっかり抱きしめて しだれやなぎの下を
And the cool grass for my bed ベッドには冷たい草を敷き詰めて
My drinking water’s muddy so don’t you tell me buddy 飲み水は濁ってる 相棒って言わないで
That I wouldn’t be better off dead 死んだ方がまだマシさ
It’s a long lonely highway gettin’ longer all the time 長い長いハイウェイ 永遠に続くよ
And if she don’t come and get me あの娘が来なくて 会えないならば
Well, I’m gonna lose my mind ぼくは泣いちっち
So if you read about me tell her she’s one to blame, oh yes 分かってくれるなら 悪いのはあの娘だと言って
You gotta keep goin’, on the road to nowhere 走って行くのさ どこへかもわからぬ道を
Gotta keep on goin’, through there’s no one to care 走り続けるのさ 愛する人はいないけど
Just keep moving’ down the line 動き続けるのだ 道をくだってね
3、『ゆたかな社会』
私たちは幸せでした。アメリカも幸せでした(こちら=天国に来てから、アメリカを代表する経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイス(1908~2006)の『ゆたかな社会』の話を聞きました)。
まず1960年代のアメリカでは貧困の問題では終わっていました。
食事、交通、水道、ガス・・・1世紀前は金持ちだけのものが、いまでは普通の人のものになっていました。
次に労働時間。
19世紀末には週70時間、つまり毎日10時間7日間働いていました。
ところがいまや、週40時間、つまり週休2日、1日8時間労働が当たり前になりました。
さらに仕事は「労苦」ではなく「楽しみ」の、「新しい階級」が生まれてきました。
肉体労働ではない仕事。退屈さと制約ときびしい平凡さから逃れられる仕事。自分の思想を適用する仕事。
広告マン、実業家、詩人、大学教授・・・、新しい仕事をする新しい階級が現れていました。
エルヴィスのマム&ダッドの時代とは違うアメリカは豊かな時代を迎えていました。
しかし、しかし・・・豊かさの裏で、アメリカ社会は新しい病気に蝕まれていました。
プリシラが高校を卒業した1963年の11月に、ケネディ(JFK)大統領の暗殺されます。
みなさんもご存知だと思いますが、1960年1月20日のJFKの大統領就任演説があります。
“And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you-ask what you can do for your country.”
「アメリカ国民の皆さん。国が自分に何をしてくれるかではなく、国に自分が何をできるかを考えてください」
覚えていますね。
この言葉に私・エルヴィス・プレスリーは興奮しました。
私は25歳、60年3月5日までドイツ駐留の米軍にいました。
私はまさに、国のために貢献していました。アメリカ合衆国の兵士としてドイツにいました。
私はケネディ大統領の言葉に涙し、大統領の演説は軍隊生活の中でも忘れられない一瞬になりました。
ところが・・・・・・そのケネディ(JFK)大統領が一瞬にしてその命を奪われます。暗殺です。
1963年11月22日、テキサス州ダラスでの出来事です。
夫人のジャクリーヌ・ケネディ(1929~1994)は34歳で未亡人になり、長女のキャロライン(1957~)は16歳、長男のジョン(1960~)は3歳でした。
今こうして思い出していても、お葬式の時の映像が目の前に浮かんできて、涙が出てきます。
悲しみのキャロラインを歌った歌があります。
1969年に、私より6つ若いニール・ダイアモンド(1941~)が歌った、「スイート・キャロライン」です。
私はこの曲が気に入りました。
そして早速翌年1970年のラス・ヴェガス公演で歌っています。
5、Sweet Caroline
Where it began, I can’t begin to knowing いつ始まったのだろう 始まりを知らない
But then I know it’s growing strong だけど知っている それは強くなっている
Oh, was in the spring (ooh) 春だったのだろうか
And spring became the summer 春が夏になった時だったのだろうか
Who’s have believed you’d come alone 誰も信じない きみはひとりで来た
Hands, touching hands, reaching out 手を 手を触って 手を伸ばして
Touching me, touching you ぼくに触れて きみに触って
Oh, sweet Caroline かわいいキャロライン
Good times never seemed so good 幸せにその時、決して気がつかない
I’ve inclined to believe it never would 信じたくない 幸せだなんて
And now I, I look at the night (ooh) そしていま ぼくは夜を見つめて
And it don’t seem so lonely 思えなかった 寂しそうには
We fill it up with only two, oh ぼくたちは満たされたたった二人で
And when I hurt ぼくが傷ついたとき
Hurting runs off my shoulder 痛みは肩から消える
How can I hurt when holding you? どうして傷つくの 君を抱きながら
One, touching one, reaching out 誰かを 触って 手を差し伸べて
Touching me, touching you ぼくに触れて きみに触って
Oh, sweet Caroline かわいいキャロライン
Good times never seemed so good 幸せにその時、決して気がつかない
Oh, I’ve been inclined to believe it never would 信じたくない 幸せだなんて
Oh, sweet Caroline かわいいキャロライン
Good times never seemed so good 幸せにその時、決して気がつかない
6、1968 カムバック・スペシャル
ケネディ家に悲劇、アメリカの悲劇はこれで終わりになりませんでした。
JFKの暗殺から5年後、1968年4月4日に「I have a dream」の演説で有名でノーベル文学賞を受賞したキング牧師が暗殺され、
さらにそれから2ヶ月後の6月5日に、JFKの弟・ロバート・ケネディ(RFK 1925~1968)が、42歳で暗殺されます。
RFKがロスのアンバサダー・ホテルで暗殺された時、エルヴィスはコンサートのリハーサルのために、スタッフたちと一緒にいました。
テレビを見て私たちは驚き悲しみ、誰ともなくアメリカの未来について話し合いました。
エルヴィスは政治的な発言を控えてきました。
私は社会的な問題についての発言を一切してきませんでした。しかし今回ばかりは黙っていることができませんでした。
そして「If I can dream」が生まれ、テレビ番組の「1968 カムバック・スペシャル」のクライマックスでこの曲を歌いました。
評判になりました。
7、If I can dream
There must be lights burning brighter somewhere 光があるはずだ どこかに赤く燃える
Got to be birds flying in a sky more blue 鳥が飛んでいるはず もっと青い空を
If I can dream of a better land もし夢が叶うなら 素晴らしい国の
Where all my brothers walk hand in hand 友達がいる 手に手を取り合って
Tell me why, oh why? Oh why? 教えてなぜ? なぜ?なぜ?
Can’t my dream come true? 僕の夢は 実現しない?
Oh why? なぜ?
There must be peace and understanding sometime 安らぎがあるはずだ いつかは分かり合える
Strong winds of promise that will brow away the doubt and fear 誓いの強い風が吹く 疑いや恐れを吹き飛ばす
If I can dream of a warmer sun もし夢が叶うなら あたたかい日差しの
Where hope keeps shining on everyone 希望が輝いている みんなに上に
Tell me why, oh why ? 教えてなぜ、なぜ?
Oh why? なぜ?
Won’t that sun appear? 陽はなぜ 輝かないの?
We’re lost in a cloud with too much rain 僕たちは雲に迷っている 強い雨に
We trapped in a world that’s trouble with pain 僕たちはワナにはまっている 苦しみに悩み
But as long as a man has the strength to dream だけど夢を強く 持ち続ける限り
He can redeem his soul and fly 取り戻せるさ 魂も自由も
Deep in my heart there’s a tremblin’ question 心深くにある 震えるような問いがある
Still I can sure that the answer きっとできるさ 答えはあるさ
Answer’s gonna come somehow 答えはある どこかからやってくる
Out there in the dark there’s a beckoning candle 暗闇からくる 手招きする光がある
And while I can think, while I can talk, while I can stand 考えられ話せるなら、そして立てるなら
While I can walk, while I can dream 歩けるなら そして夢が叶うなら
Oh please let my dream come true right now どうぞ、僕に夢を叶えてください
Let it come true right now 実現してください いますぐに
8、ウッドストック
1968年12月3日に「1968カムバック・スペシャル」は放送され、年間最高の全米視聴率42パーセントを記録します。
クライマックスで歌われた「If I can dream」は、不滅のエルヴィスの作品として評判になりました。
しかし・・・・・・1968年のカムバックは、エルヴィス・プレスリーの終わりの始まりでした。
時代は変わっていました。
1967年には「モントレー・ポップ・フェスティバル」、1969年には「ウッドストック・フェスティバル」が開かれています。
時代はオーティス・レディング、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ザ・フーへと変わっていきます。
1968年は世界的なスチューデント・パワー時代です。
反戦だけなく、白人帝国主義の人種差別批判、さらには西欧文明の価値観自体にも疑問が投げかけられ始めました。
米国南部の礼儀正しいエルヴィス・プレスリーの時代は終わっていました。