四国九州横断駅巡り23夏(30) 内子線 内子駅 ~長らく内子線の終着点だった駅。旧駅跡までお散歩~
伊予大洲駅から「おさんぽなんよ」に乗車して予讃線を少し戻ります。
単行気動車は伊予大洲を出発すると、しばらく走って新線と旧線の分岐点に差し掛かりました。「伊予若宮信号場」という単線合流・分岐型の信号場です。伊予市側の向井原駅と同様に特急の走る新線側が優先の線形になっています。
向井原駅の分岐点の様子→→予讃線の向井原駅
この信号場・・・なかなか面白い歴史があります。最初に開設されたのは愛媛鉄道時代の1920(大正9)年5月のことで、内子線が分岐していました。当時は「若宮連絡所」と呼ばれていたそうです。
その後、国有化された時に内子線を五郎駅から分岐するように線路を敷設し直して若宮連絡所は廃止されます。若宮×五郎×新谷のトライアングルの一辺を別の一辺に付け替えた形となりました。国鉄は松山方面からの列車の入線を優先したんでしょうかね~。これによって伊予大洲から見るとちょっと不便になったと思います・・・。
更に、伊予市(向井原)~内子間に予讃線新線(通称内山線)が開通して内子線と接続。この時に、若宮連絡所付近に信号場を復活開設してトライアングルの一辺を元に戻した形となりました。なんと51年ぶりの信号場復活です。
その際、伊予大洲~新谷の復活した一辺は予讃線に編入されました。内子線に戻さなかったんですね~。予讃線は幹線、内子線は地方交通線なので、運賃計算に若干影響がありそうです。
さて、列車はその一角にある新谷駅に到着しました。松本零士にゆかりのある駅だそうですね。
松本零士といえば・・・→→土佐北川駅#松本零士
ここから列車は内子線の生き残った区間に入ります。といっても、次の喜多山駅の先、五十崎駅の手前からは新線開業時に付け替えられた区間となります。これによって五十崎駅と内子駅が移転しましたが、特に五十崎駅はトンネルに隣接した立地でかなりの町外れになってしまったようですね。
五十崎駅からトンネルに入ると高架上を走って内子駅に到着です。
3番線の到着。ここで下車しましょう~。
内子駅は愛媛県喜多郡内子町内子の駅。内子町の中心的な駅で特急も含めた全列車が停車します。
当駅の所属線であり当駅が終点となる内子線と伊予市方面からの予讃線(新線)の2路線の接続点ですが、新谷駅と同様に実質は中間駅となっています。
駅は1920(大正9)年5月に愛媛鉄道内子線の終着駅として開業。当時の駅はもうちょっと北にあったそうです。その後国有化され、1986(昭和61)年3月に予讃線新線が開業。この時に駅が現在地に移転して中間駅となっています。
駅構造は高架上3階相当にある島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線の計2面3線で東から1~3番。高架下に小さな駅舎があります。
島式1,2番ホーム側から見た3番線の「おさんぽなんよ」。
3番線は待避線・・・「おさんぽなんよ」はこの駅で上下特急待ちで16分間停車します。
ちなみに松山方の顔は「にゃんよ」ですが、宇和島方は「みきゃん」でした(微)
1,2番ホームの松山方からの様子。
線路は左(東)から下り1番、上り2番でこの2線が本線。右端が待避線の3番。
1番線には「宇和海」が到着。7号宇和島行きだと思います。
車番は"2105"。"N"の付かない初期タイプの2000系だと思いますが、どうかな。
それでは階段を下って改札口へ。
改札口は東向きで西側には出入口は無かったと思います。一応直営駅だそうですが、右に見えるアシストマルス端末が置かれてからは、窓口は限られた時間にしか開かないそうです。
駅舎外観。高架下にすっぽりはまった小さな駅舎です。1986(昭和61)年3月の新線開業時に移転したときからの建物だと思います。左隣には観光案内所もあります。
駅前ロータリーの真ん中は小さな公園のようになっており・・・
そこには蒸気機関車や終着駅時代の駅名標が保存されていました。
SLの形式はC12の231号機。簡易線用の小型機関車で、231号は1939(昭和14)年製。ほとんどの人生を東北地方で走っていましたが、最晩年に四国に移ってきたそうです。1970(昭和45)年廃車。
さて、次の八幡浜行きまでは30分弱あります。その時間内で移転前の内子駅跡に行ってみようと思います。地図上では北方面へ片道600m、徒歩で8分の計算。往復トライアルです。
まず駅前道路に出て南方面。右奥の白い帯が現在の内子線の高架です。
この新しい道が旧線跡で、この先で丘を回避するようにぐるっと回って五十崎の方に伸びています。そちらには線路が残されているところもあるようです。
振り返ってこの道を北に進みます。廃線跡はきれいな並木道でした。
右に目を向けると予讃線新線の高架があります。
ちょっと見にくいですが「おさんぽなんよ」が松山方面に走り去っていきました。
しばらく歩いて道が突き当たりました。旧内子駅付近と思われる場所に到着です。おそらくですが、かつての線路は左から伸びてきて、この辺りに線路終端があったと思われます。
傍らには国鉄旧内子駅跡の小さな石碑がありました。
説明板もありました。当時は1面1線の構造だったようですね。これによると、今まで歩いてきた廃線跡の道は「南京ハゼ通り」というそうです。つまり、あの並木はナンキンハゼということかな。
見学はそこそこに、急いで駅に戻ってきました💦
次に乗車する八幡浜行きは1番線にやってきました。
今回は標準色のキハ54-11の単行。この列車で当面の目標地点の八幡浜に向かいます。