東海駅巡り23冬-名鉄編(8) 名鉄三河線 三河広瀬駅跡 ~矢作川の畔の廃駅~
猿投駅前のバス停から「とよたおいでんバス」に乗車しました。
Googleマップと見比べながら車窓を眺めます。
バスはまず北に進んでいき運動公園のそばを通ります。この辺りで三河御船駅のそばの線路跡を横切ったはずですが、確認はとれず・・・。
更に北上。履歴によると浄厳寺というお寺さんをぐるっと回り込んでから向きを変え、県道11号豊田明智線を東に進むようになります。すると右車窓に矢作川が見えてきます。
その辺りに枝下というバス停があるのですが、そこがかつて枝下駅があった場所のようです。
その付近の様子。バス停が見える手前左側が駅前広場だったと思われます。
枝下駅・・・「しだれ」とよむ難読駅名。矢作川の畔にあり、かつては煉瓦や瓦用の粘土を採掘してこの駅から列車で発送していたそうです。奥に見えるのがその関連の建物かも?
駅跡はこの画像よりも左側にあるはずで、その先には矢作川が流れています。
バスはここから川沿いに走り、西広瀬町交差点で右折して川を渡ります。「広梅橋」。
渡り切ったところで右車窓に駅跡を発見! 撮影するも失敗><
しかし、駅跡撮影のチャンスは後にやってきました(微)
バスは脇道に逸れて広瀬バス停に停車。ここでは小休止時間がありました(喜)
バスを降りて撮影。ここはバスターミナルのようになっており、時間調整なのか停車時間が長く取られていて、別方面のバスも停車していました。そして奥に見えるのが・・・
ここは廃駅となった三河広瀬駅の駅前広場でした。奥が駅舎、左手前は旅館らしいです。
三河広瀬駅は1927(昭和2)年9月に三河鉄道によって開業した駅。当時は終着駅でしたが、4か月後に西中金駅まで延伸しています。廃止されたのは2004(平成16)年4月のこと。ちなみに廃止された猿投~西中金間は、1985(昭和60)年3月から電気運転をやめてレールバスが走っていたそうです。海線末端区間と同じような感じだったんですね。似たようなパターンは最近の九州でもありましたね・・・。
駅舎の様子。おそらく開業時からのものだと思いますが、きれいに残されていました。国の登録有形文化財に登録されたらしいので、これからも大切に保存されるのだろうと思います。手前は休憩中の運転手さん^^
裏手にはホームや駅名標も残されていました。廃止時は1面1線の構造でしたが、開業当初は1面2線だったそうです。つまりは島式ホームだったはずで、駅舎が面していないのはその名残りだと思います。
西中金方からの様子。線路もいい感じに残されていました。実はこの右側に矢作川が流れる素晴らしいロケーションなのですが、時間が無く川を入れて撮影する心の余裕はありませんでした^^;
そろそろ出発しそうなのでバスに戻ります。
ちなみにここまでで乗客はほとんど下車していきました。残ったのは2,3名ほど。
ここからバスは山道を抜け、国道に出てから東に進んでいくと・・・
目標にしていた西中金バス停に到着。ここで下車しました。
猿投からは300円也。Suica利用できました。
さて、そばには三河線の終着駅だった西中金駅の駅跡があります。行ってみましょう。つづく~。
※明朝はWBC準決勝のメキシコ戦ですね!
ハッキリ言ってここまでは順当・・・東京ドームで行われた"お祭り"のような感じでした。
準決勝からの対戦相手はこれまでとは別次元の強度を持っているだろうし、環境も今までとは大きく異なります。本番はこれからですね。