見ることに執着していました、いまから思えば。

会いたい、あわねばならないと思う反面、思い出したくない、会いたくない、見たくない。の、つづきです。

その記事を書いていて、ふっと、気付いたんですが…

あれっ。
ほんの1年前、いや、もっと最近まで、私は、あんなにいろんなセミナー、アカシックレコードやチャネリングやヒーリングやアニマルコミュニケーションで、見たい見たい見たい!でも怖い物は見たくない!でも、もっと見えてもいいはず!と思ってやってきたんだけど…
一時期、シータヒーリングで、このテーマばっかりシツコクやってもらってたんですよ。
ほかに悩みなかったみたい(汗)。
ごめんなさい、みなさん〜。取り組むべきは、この、前のめりの執着心だったかもしれませんね(汗)。

で、いまは、
「うーん、できれば見えたほうがいいけど…まあ、これはこれでいいか」くらいになっています。

あれっ、これ、いつからだろう?
いま気がついただけで、もうちょっと前からそうなのかも・・・。

見ることにずいぶん執着していました、いまから思えば。
見える人がまわりにいっぱいいたしね・・・

相変わらず見るのは好きですが(笑)、気分がまえと違います、なんとなく。

劇的に変わった!とかじゃなくて、気付いたらこうなってた。
予想とは違う変化だけど、なんだかいまの方がウキウキします。
抵抗(ブロック/ブレーキ)が外れたら、願望がそこにいる必要がなくなった、そんなかんじ。

フェイスラインをメンテで、お風呂で顔中に「もしもしタッピング」してるのが良かったのか(笑)?
だとしたら、やっぱり、「習ってもらって、自分でできるようになっていただく」って意味があるなぁ〜。

ただ気持ちよくするだけじゃない、
読みに行ったり話したりしない、
心とからだのデトックス、もしもしタッピングです。

⇒「もしもしタッピング」記事まとめで読む

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