人との距離感についてずっと考えている。
僕は親から仲良くすることを教えられてきたので、常に人と仲良くあらなければならないと思わされている。仲良くの定義もまた人それぞれ曖昧な部分であるとも思う。
しかし、人それぞれ個人であるため、摩擦は絶対に避けられない。仲良くもなれれば、不快になることもある。こちらが相手に合わせ続けることは無理な話である。
それを客観的に眺められたのはアニメ『エヴァンゲリオン』だった。
最近では『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』なども読んだりして、人間関係について考えている。
結局は、どんなに頑張っても人との摩擦は避けられないことを悟った。
どれだけ近い人であっても、それは他人であって自分ではない。その人の都合がある。
僕がどんなに苦しくても人はそれを変われないように、人がどんなにつらくても僕がそれを変わることができない。それに尽きる。
だから仲良くあるのも自分の考える「ほどほど」レベルで十二分だという結論を今は握りしめている。
[相手]1,②,3,4,⑤,6,7,⑧,9,10←距離感
人間関係についても、好感を持って相手に2の距離に近寄る(上記を参考にしてほしい)。そして不快になって8まで離れる。この繰り返しで反応しているとひどく疲弊する。ならば最初から5の距離を保ちほどほどに付き合っていれば、疲弊もそこまでしないのではないかと思う。
好感を持っている相手ほど近寄り過ぎないのがポイントなのかもしれない。
そもそも好感や不快なんて自分の都合でしかない。
快不快が自分の都合でしかないことを考慮すると、摩擦に対してあれこれ感じるのも自分の都合でしかないことになる。
極論、自分がどう捉えるかで全て都合良く解決してしまう、が楽に生きるための答えのような気がしている。
今は「都合の良い解釈」ついて考えている。
また、人の「個人」は、「孤独」とは異なると思いたいし、そうであると思っている。
こんなにも人のことを考えて、本体である自分のことをおろそかにこれまで生きてきた。心底もったいないと思う。