"Babel" (少々ネタばれあり) : NYバッグ職人日記
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"Babel" (少々ネタばれあり)

 昨晩、なんだか疲れてしまって、浜に打ち上げられたクジラのように横たわっていたら、夫に「もっとゆっくりやったら?」と言われ、その通りだわと思った。別に誰かに命令されて仕事をしているわけじゃあるまいし、なんでこうも自分を急き立てて、「○月○日までには~すべし!△日までには~すべし!」と頭から湯気を出して、二十日鼠のようにせわしく動くのか。だから疲れるのだ。もっと無理のないペースでやろう。

 夫に「今日は1日、仕事しないでみたら?」と言われて、かねてから観たいと思っていた、Gonzalez Inarritu監督の"Babel"を素直に観にいくことにした(笑)。

 3箇所で同時に起こる、4つのストーリー。モロッコの砂漠でヤギを放牧しながら生活する一家。そこを旅するアメリカ人夫婦。夫婦の子供たちを預かり、メキシコに連れていくメキシコ人女性。そして東京に暮らす、父と娘。すべての人物が、ある事件を通してつながっている。

 タイトルのBabelは、もちろん旧約聖書の「バベルの塔」に由来している。
 天まで届く塔を建てようとした人間の傲慢に怒り、神は人間が異なる言語を話すようにした。意思疎通ができず、混乱に陥った人々は、世界中に散らばっていったという有名な話である。

 この映画では、言葉が通じないだけではなく、同じ言語を話していても、理解し合えない人々の苦悩と孤独が描かれている。

 学生時代に取った「異文化間コミュニケーション」の授業で、「異文化間コミュニケーションというと、通常は異なる国や人種間のコミュニケーションと考えられるが、本当は同じ国や人種の個人間のコミュニケーションもすべて異文化間コミュニケーションである。それは、我々一人一人がすべて違う文化を背負っているからである」というようなことを聞いたが、まさにそれを思い起こさせる映画だった。

 夫婦や親子、兄弟の間でも、互いの気持ちが理解できず、心がすれ違う。その「痛さ」を一番よく表現していたのは、Brad Pittでも、Cate Blanchetteでもなく、菊池凛子だったと思う。最後の彼女のシーン、ちょっと目がうるうるしたなあ。

 映画の救いは、言葉や文化の壁を超えて、気持ちは伝わりうる、というのが究極のメッセージだと思えたところ。運悪く射撃され、出血多量でモロッコの土壁の家の中で横たわる、アメリカ人女性。激痛に顔を歪める彼女に、タバコを吸わせ、髪を優しく撫でる、その家の老女。女性がアメリカ政府のヘリコプターによって救助される際に、世話になった現地のガイドにその夫が札束を渡そうとするが、固辞する彼。互いの孤独を理解し合う、父子。

 本当は誰も傷つく前に、互いを理解し合えたらよいのに。
 なぜか人間は傷つけ合った後にしか、理解し合えないことも多い。
 それは、痛みがもっとも普遍的で理解しやすいものだからだろうか?

 なかなか面白かった。おすすめ。
 
 
by oktak | 2006-11-10 06:42 | 映画
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