和歌山の人の気風なのか、どこかおっとりのんびりとした駅員たちに対して
移動中のサラリーマンたちが食ってかかるように状況の問い合わせをする。
しかし、駅員たちも何時になったら再開するとは連絡がないようで
どうしても曖昧な受け答えになってしまう。険悪な雰囲気になる。
なんだかいたたまれなくなって
僕は12時まで「MIO」1階のコーヒーショップで時間をつぶすことにする。
特急の遅れに関係のないおばさんたちが買い物の合間にケーキを食べている。
12時前になってコインロッカーのリュックサックを取り出して、改札を通る。
再開の見通しが依然立たず。
しかし何時になったら特急が到着するのか分からないのでホームで待つことにする。
1時間もすれば現場検証も終わるのではないかと推測するが、その頃になっても終わらない。
結局アナウンスがあったのは12:15過ぎだっただろうか。
しかし、天王寺で停まっていたとしてここまで45分はかかる。13時を過ぎることになるようだ。
当初の予定では14:41到着。新宮での観光はこの日しか見込んでなくて、冬で日も短い。
速玉大社、神倉神社、中上健次の生まれた家のあった一角、これら見て回ることは可能だろうか?
気持ちが焦る。しかし、どうすることもできない。
最初のうちはなんてこなかったのが、吹きさらしのホームにいるとそのうち寒くなってくる。
リュックサックをベンチに置いて、日なたに立つ。
キオスクで熱燗を売ってるといいのに。ここにはないか。
雪まで降り出す。風に吹かれて、はらはらと。
もってきたネルシャツをセーターの上に羽織る。それでも震えが止まらない。
最終的に13:10頃となり、1時間10分遅れ。新宮には16時到着となるか。
窓側の席に座って、朝来・皆ノ川・本宮と『紀州』を読みつつ、時折顔を上げて風景を眺める。
海南に近付くと石油コンビナートとマリーナシティの観覧車が見えた。
ドアの上、1行だけの電光掲示板では和歌山観光案内が流れていた。
紀伊田辺は南方熊楠が終の棲家としたところであって…
本を読むのも疲れてきたということもあって
その紀伊田辺を過ぎた辺りから流れ去る海を眺めて過ごす。
枯木灘、周参見(すさみ)はこの一帯を指すのか。
荒々しい岩の塊が無言で波間に突き出ている。様々な色と形の石畳。
特急は山間を縫うように進む。古い民家がへばりつくように、肩寄せ合っている。
いくつものトンネルをくぐりぬける。
海と山だけ。平地がない。
漁船を見かけることもない。ただ民家と岩場があるだけ。そこにとんびが飛んでいる。
それらただそのままというのではなく、あちこちが工事中となっていた。
果たして何をどう変えようというのか。
そんなふうにして、中上健次の小説に独特な重たい雰囲気で登場する枯木灘や古座を通り過ぎる。
潮岬を越えて紀伊半島の右側へ。日が暮れ始める。
海の水が心なしかきれいなことに気づく。入り組んだ入り江。朽ちた舟に葦。
紀伊勝浦では椰子の木が植えられていた。南国のイメージか。
紀伊勝浦で皆、降りて行く。那智、宇久井、三輪崎。終点、新宮まで車両に一人きり。
ホームに降り立つ。自動改札じゃなかった。
予想以上に何もない。普通の地方都市。垣間見えた砂浜もただ砂浜というだけ。
古びた民家に衛星放送のアンテナ。
『岬』だったか『枯木灘』だったか。駅前にデパートができたという記述があったように思う。
だから今は2つ3つ建っているのではないか、なんて考えていた。
それがほんと、なにもなし。賑わいというものがない。密度というよりも温度の低さだろうか。
家々とポツリポツリ飲食店、公共施設。見かけるのは帰宅途中の中高生ばかり。
歩いているうちに予約していたビジネスホテルがすぐにも見つかる。
チェックイン。自転車の鍵を借りて、荷物を置くとさっそく出かける。
駅前に戻って商店街を走り抜けてしばらく行くと速玉大社へ。あっさりと着く。
朱色の社がこじんまりと並ぶ。静けさ。参拝客は皆無。
こんなもんかと拍子抜けする。宝物殿も閉じられていた。
お参りらしいお参りもせず、そそくさと後にする。
大通りを南に5分ほどで神倉神社へ。
隣には出雲大社新宮教会があって、大黒様が祀られていた。
鳥居をくぐり抜けて木々に囲まれた石段を登って行くんだけど
これがとんでもない急勾配で待ったなし、途中で息が切れる。
えー、これどこまで続くの? いきなりしんどい。
登った先には巨大な岩場が広がっていた。そのてっぺんに社を造って祀る。
その隣には額を寄せるように注連縄を巻いた巨岩が。
ゴトビキ岩という名で御神体となる。
ここが見晴らしのいい広場になっている。新宮の町並みを見下ろす。
地元の中学生なのだろうか、イーチ、ニー、サーンシーと部活の声。
白の袴に形ばかりの剣を持っている。剣道なのだろうか、違うか。
すれ違うときに「こんにちは」と挨拶される。
男の子3人に女の子3人だったか。岩をバックに携帯で写真を撮り合う。
石段を下りて(これはこれで急だからとても危険)、
自転車に乗って駅前に引き返す。
膝下がダボッとしたのを履いた人夫たちの姿を見かけるとなんだか中上健次っぽい。
途中、丹鶴商店街を通る。アーケードになっていて、案の定シャッター街。
人通りが怖いぐらいにない。小説に描かれている行き交う人々の坩堝のような、
噎せ返り沸き立つような新宮の町並みのイメージからはかなり遠い。
アーケードがなくなって、駅前本通り商店街へ。
その端の裏側に中上健次の生まれ育った家のあった界隈が。
掲示板があって、ここに生家があった、ここにオリュウノオバの家があったなどとある。
しかし、家が残っているわけではなく、跡・痕と呼べるものも残されていない。
ある種の市営住宅なのだろうか、普通のこじんまりとした民家となっている。
もう何十年も前に再開発で「路上」はなくなったと聞く。
ホテルに戻って、途中缶ビールとつまみを買い込んで、自転車を返却する。
17時半。たった1時間半で見たかったものが全て見れてしまった…
特急の遅れもものともせず。