8時に起こされる。
朝食。サラダ、ハム、目玉焼き、ご飯、味噌汁。
食後にリンゴを食べる。お茶を飲む。
居間、玄関、台所と掃除機をかける。
母に頼まれて一緒に郵便局に行く。
僕名義の定期預金があって、満期になって、どうのこうの。
何年か前から郵便貯金の制度が変わって、
本人を証明する書類が必要だったり本人そのものが必要だったり。
最近は帰省するたびに何かしらそういうのが出てくる。
郵便局まで歩いて行って、窓口であれこれ書類を書いて手続きをした。
住所を変更したり新しく口座を作って移し変えたり。
母の金であって、僕の金ではない。
何がどうなってるのかよくわからない。特に知りたいとも思わない。
何も考えず言われるがまま名前や住所や生年月日を書く。
母が通帳を取りに家まで戻っている間、椅子に沈み込んで眠った。
目を覚まして母が戻ってきたことを知る。
母は僕が高校時代に着ていた白のハーフコートを、
10数年後の今に至るまで着ていることに気付く。
帰ってきて、古本屋に売るために母が選り分けていた本を段ボール箱に詰める。
BOOK OFF に売る。その買い取り手続きは東京で既に済ませてある。
ネットで申し込んで、日時を指定して、宅配便が引き取りに来る。
玄関に山と積まれた本を見て、母は「準備」をしているのだなと思った。
単に要らない本を売りたいというのではなく、
今から少しずつ少しずつ身の回りのものを整理していくのだということ。
いつか来るその日のために物を少なくしておく。
いくつかの本は背表紙に見覚えがあった。
父の持っていた本だ。小さい頃から本棚でよく目にしていた。吉川英二全集であるとか。
だけど僕が手に取って読むことはなかった。小さい頃であれ、大人になってからであれ。
それが今、二束三文で売られていく。
母の本や小さい頃の僕らの本も混ざっていて、
佐藤愛子の「娘と私の部屋」とシャーロック・ホームズ全集、
それと子供の頃によく眺めていた小さな料理の本を手元に取っておくことにした。
昼に昨日の餃子を温めて食べて、
午後中上健次を読んでいると宅配便業者が段ボールを取りに来た。
その後ずっとむさぼるように、中上健次。いっきに読み終える。
これかなりやばいね。小学館文庫の選集全部集めて読まないと。
しかも会社の行き帰りにちょっとずつ読むんじゃなく、
今回みたいな機会にガツッと読みたい。
むせ返るような言葉の渦に浸りたい。
「岬」とそれに続く連作を読んだばかりの今、
その終着点にして最高傑作とされる「枯木灘」が読みたくてたまらない。
で、次に読み始めたのが講談社文芸文庫から出ている
林京子の「祭りの場・ギヤマン ビードロ」
中学か高校の国語の教科書に乗っていたのをふと思い出し、ずっと読みたくていた。
今度帰省したときに、とずっととっといていた。あーようやく読める。
(講談社学芸文庫の棚の前に立ったとき、津島祐子とどっちを読むべきかかなり悩んだ)
銭湯に行って、帰ってきて早めに夕食。明日朝早いため。
母の作ったカレー。
2杯食べたかったが我慢する。
青森帰ると確実に太る。
昨年夏帰ってきたときは夜、すき焼きだっていうのにさらに刺身があって。
さらにあれもあってこれもあってとたくさん出てきて。
ごはんはお代わりしないのかと。
なのに食べてる途中で「腹八分目にしときなさい」と言われたりする。
・・・矛盾してるじゃん。
中学生や高校生のようにバクバク食べて太らなかった頃から、
母の中で時計が止まってるんだろうな。そういうのを計る時計が。
で、世の中の大半の巣立っていった息子を持つ母親ってのがそういう感じなんだろうな。
明日の父の27回忌にあたって、位牌を忘れないようにと母が言う。