【藤沢散歩】藤沢宿の義経遺跡と遊行寺に小栗判官名跡など求める(まとめ)
2021年 02月 22日
時宗だと「教師」というのか。独特だなあ、ってどの宗派も多かれ少なかれ独特な言葉は使うか。広く開かれた宗派だとざっと理解していて、某宗派のような排他的な厳しさは非仏教徒としては怖いな、という印象だったので、時宗が鎌倉にある意味は大きいと、、、まああんま知らんからいい
posted at 23:42:50
「閻魔王の玉印」、親交のあった修験行者達から寄進された「天狗の爪」に「鬼の牙」、宗祖一遍上人が所持していた「念仏鐘」や俵藤太旧蔵とされる「仏舎利塔」、遊行上人への信仰から生まれた「かじめの杓子」、怪異的な伝承品でもある「ためいきの面」や「星の硯」まじか! http://yugyoji-museum.world.coocan.jp/tenran.htm
posted at 23:55:35
※過去カタログと記憶の限り書きました、宝物は江戸時代の図によるとまだ刀や紐などあるみたいですが、今回はだいたいこのくらいでした。大きく書いてるものは伝承物です。藤原秀郷こと俵藤太は平将門の天敵です。かじめの杓子は一遍上人が念仏札を流して海底の悪霊を成仏させた礼として浮かんできたカジメで作った漆塗りの杓子。星の硯は木で出来てると思ったほど、星の形の突起物が不規則にあって、これは自然の結晶が形をなしたものを利用したと。あと
ためいきの面、まともに書けないので適当に崩したらかえって気持ち悪くなってしまった。。
万治三年十二月三日寄進の標識あり、この妙な灯籠!(小栗判官墓、といっても詳しくは昔のブログとか) https://pic.twitter.com/8NtfPb4KVF
うーん。。二度目だが、展示見てふたたび墓に来てもピンとこない。小栗判官物語の面白いとこがわからない。贖罪で昔の展覧会カタログ買ってみたけど、最終的にいちばんピンときたのが碁盤の上に馬で立つ小栗判官。 https://pic.twitter.com/zkZVr8LYI5
熱狂的に支持された要の部分がわからない、まー、きっとじきにわかるんだろうが。今回の展示はあと少しでおしまい、
ほんとは寺宝、オカルトめいたものを含む寺宝が目当てでした。おしまい。江ノ島寄る時間ないわ。橘紋の手水に鉢状穴発見。これはあやかって勝手に欠いてるんだな。小栗判官に。 https://pic.twitter.com/VEKjDXAmrq
おどろいたのは今日行ったら江ノ島展のカタログがあったんですよ、このときは目録しか無かった。。(今回は目録すらないけど寺宝については定期的に開帳のものだろうから作らないんでしょうね。。小栗判官モノが半分を占めましたが前も小栗判官でやったそうでしたパンフ買った) https://twitter.com/ryookabayashi/status/1013692528443326464…
posted at 17:00:30
国宝一遍上人絵巻は三年前にやったきりだそうでした。
posted at 17:01:17
直江兼続の「ためいきの面」でしょうね。メインは。まあ美しい。一度も使ってないんでしょう。そりゃ汗もかくし溜息もつくわ。使われないんだから。
posted at 17:03:58
物は使われないと命も宿らない。そんなもんだとおもう。
posted at 17:04:46
お寺の名前の混乱は近年のことじゃなくて、明治初期に見える藤沢寺という名も江戸前にすでに出てくる。遊行寺は通称というわけでもなさそう。そして修験宗という特殊な形態の信仰とも関わりが深く、だから鬼の爪や天狗の爪といった険しいものがある。なかなかにフクザツだなあ。
posted at 17:09:21
ううむ、遊行寺がいまいち人気がない。ビュー一桁。いや、わたしがわるいのですすいません。 https://pic.twitter.com/HOxjnWm2gt
小栗伝説を俯瞰してなかった。説経節の段階で物語的に完成されており、一方リアルな同時期の太平後記の挿話があり、熊野と関係深い時宗の関わりが指摘され、遊行寺遺跡所在の境内寺、長生院(小栗没後照手が髪を下ろし長生尼として余生伝承)配布の小栗略縁起に繋がる。更に照天姫と神化が…うう混乱。 https://pic.twitter.com/ncNYJjf3Ni
白旗神社
秋の日が長いうちに藤沢へ行きました。
都合により傷だらけなので。判官びいきということばがありますが、判官といっても個人を特定する場合と代々を示す場合があって、小栗判官の墓といっても親父さんの墓、なのに照手の墓もあるのがこちら遊行寺の中の小栗堂(いまは長生院として遊行寺境内にあります)。江戸時代色々作ったんですな。藤沢は義経の首漂着伝承もある。仙台高尾みたい。 pic.twitter.com/BKPBXYHeP4
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
小栗判官満重(助重の父)・十勇士墓(足利持氏に敗れ落ちた後、奸計で毒殺された)照手姫墓(宝篋印塔に水輪の混ざる形はこの辺多いので様式として混乱ではなく存在したのか?)照手姫建立地蔵、愛馬鬼栗毛墓(横に穴があり何かの流用か、しかし満重以外では原型らしさが漂う)、遊行寺小栗堂 pic.twitter.com/YHTNbiBAri
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
(参考)戦前の小栗判官墓、水輪が抜かれたのがわかる。宝篋印塔に水輪を継ぐのは格好だけではなく、武家の墓たる五輪塔の形を残したかったのかも。前の妙な灯籠(万治三年十二月三日寄進)は現存しますが背は低くなってます。入口の手水鉢の橘紋と、鉢状穴が目を引きます(賑わった証拠ですね)。こうして見るとまあまあ景観は保たれている感があります。
小栗判官、この水で目を洗うと見えるようになったというが、、、魚籃観音、、、遊行寺 pic.twitter.com/Dk8WpVXX2e
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
酒井忠重の大五輪塔(後日作られた)のほうが見栄えはするかな。室町時代の塔はたいてい鎌倉の延長上で小型化したり、素朴な小宝篋印塔だったり、さらに後世にてきとうな破片を継ぎ足されてわけのわからぬ型式になってしまってたりする。徳川初期のこの頃の大五輪塔は鎌倉期大五輪塔より文字が面白い。 pic.twitter.com/A5yiWPnBRP
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
※江戸時代につづき明治の大災厄で徳川家ゆかりの立派な建造物のほとんどを失った遊行寺最古の内門(中雀門)の彫刻で、質素だが意匠が面白い。倒れたものを引き起こしたとか。フクロウの彫刻とは珍しい
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
補刻かな(遊行寺) pic.twitter.com/mDhbrGv9Zu
遊行寺 大銀杏PA080049.JPG #flickr https://t.co/73VdVGDocX
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月9日
※江嶋縁起の伝わる3巻同時開帳は今回が初だそうです。天部が鬼龍を引き連れて江ノ島を作り上げ近在の者を畏れさせるという、役行者も出てくるなかなか宗教的に混沌とした内容を最古の真名本が文章で、残りの二巻が絵で伝えています。室町時代のものを中心とした前期、江戸時代のものを中心とした後期で江戸時代のものは弁天さんが邪悪な顔に見えるなど面白そうなので後期おすすめ。古物好き珍品好きは前期で中世の江ノ島がいかにいろんな宗派の混沌とした中にあり、弁天もまた近世と違っていたのかがわかります。規模が小さいので近所ならどうぞ。展示目録は言えばいただけます。江ノ島に行く気はさらさらなくて、カメラ持ってなくても無茶行ってた時期があって撮りに行く気がせず、江ノ島をのぞむ藤沢だけまわって、こちらの展示(前期は室町絵巻が中心。ポスターの江戸時代の江嶋縁起(神社本)は後期。最古の定本は文章のみ)とか。友人住みだが用事ないので無視。 pic.twitter.com/zFXtgTQxMG
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
※白幡神社などによると、奥州より取り寄せた義経弁慶(他に4名いたとは首洗い井戸の石碑)の首実検後、後を任された者たちが酒宴している間に首が飛び去り、当時は寒川神社と呼ばれた白幡神社におりたという(目を離した隙に行方不明となり、遊行寺門前も通る境川で拾われ(亀が背負って現れたという話も)、井戸で洗って幕府に伺いをたてたところ確かに義経である、そこへ祀れと言われ白旗神社(「幡」という表記も見ましたが兄の白旗神社と同じ名前)として祀られた話のほうがメジャー)。頼朝に伝えると社名を現在のものに変えて祀れといった。おそらく弁慶もいっしょに祀られたが、伝承では街道の逆側の小山に八王子社として祀ったとある。八王子社は現存せず、弁慶塚という名の土盛りだけあるが、かんじんの証拠は石碑一つで、周囲を鬱蒼とした古木とたくさんの近世の庚申塔(と一つの石祠、小さな石仏いくつか)に囲まれ、ここで庚申の夜明かしをしたのだろうが、いずれ弁慶とは何の関係もなく、弁慶の石碑がそもそも近代庶民造の質素なもの。一応木の祠でおおわれているが、文字が不自然に摩耗している点からもこれは何かあるような気がする。いずれ、義経伝承に付随しただけで、弁慶の首の話は最初の首実検だけなので、そも顔も知られぬ弁慶やさらにそれ以外の者の首までもわざわざ取り寄せたか、含めて弁慶塚はミステリーである。ここの石段が摩耗し苔に覆われ、写真で見るより疲弊しており、短い間にこんなになるかという感じで、結果転げてカメラは凹み体は傷だらけで服を着替えるはめになった。祟るのかなここは。はい弁慶塚。義経の首は行方不明とされるが、境川に義経の首を背負った亀があがり、白旗神社として祀ったという。首を洗った井戸もしっかりある。仙台高尾の首の話はこれのパクリかも。説に弁慶含む3つ首が飛んできて落ちた社ともいう。近くの弁慶塚は庚申塔や古木に囲まれ不気味。ここですっころんだ pic.twitter.com/ZhHgXj3A68
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
滑り負傷、カメラ凹んだせいではないが、この弁慶塚妖しい。八王子社という堂があり、共に鎌倉に運ばれた義経の首が飛んで(又は流れて拾われ)白旗神社に祀られたとき共に祀られたものの、別当荘厳寺が別けられた時、高台の常光寺下で、墓山の一角に別けて作ったらしい。だが今は庚申塚の中に。不気味 pic.twitter.com/5nb9V7Z1Yh
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日
義経の首繋ぎの記念碑。こちらは現実的ないわれが書いてある。白旗神社石段脇。
私の緩いテーマの一つ力石だけど、弁慶の力石とはいえ茶屋の力試し石だったものを神社に持ち込み神石に格上げにした模様。白旗神社(義経(と従者)を祀るよう幕命があって作られた、晒し場から飛んで落ちたといわれる神社は別にある)。首洗井戸の石碑の右に、弁慶「公」これは新しい呼び方で不自然。 pic.twitter.com/Vrx4jMNdtI
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月8日