春信など浮世絵における相合傘モチーフは恋人か藝妓的な、様式化されたキャッチーなもの
幕末近くなると便所の落書きに(本稿ではこちらを取り上げます)※広景の元ネタは北斎漫画
東京大学が取り組んでいる幕末高精細写真復元について、ときどきニュースになる。その中で相合傘が撮影されたものがあり、既に書籍でもNHKの特集番組でも取り上げられている。それなのになぜか同じ話が定期的にニュースにあがってきているので、これ、江戸研究者からみてどうなんだろう、とも思って情報をみつけたらネットにあげていたのだが、とりあえずまとめておきます。twitter→エキブロ→gooブログと掲載場所が変遷しておりました。とくに傘の形が気になっています・・・
:参考文献ですが、発売当初から品薄で、手には入りますがすぐには難しいかもしれないので、版元リンクにしておきます。早まってプレミア付きに手を出されぬよう。
(たぶん)山東京伝原作の双六の「競作」のコマに相合傘がでてきます。何と競作してるのかは陽物…幕末のモーザー写真等の高精細版で浮かび上がった相合傘と曲線的で扁平な形がよく似てます 鳥羽絵では落書きを怒る家主 幕末写真は小骨や頭を描いてる(両国回向院本堂、泉岳寺山門※)最後は清水寺の三重塔そばの相合傘。
※オーストリア原版(ネガ)を東大がさらに精細に復元した写真では、この上にも似たような落書きがあり、これら向かって左側の柱部の落書きですが右側にはえげつない「陰・陽(前者はタモリがかつて安産のお守りとして描いていたものを縦長にしただけだが、後者は楕円に棒という現在は見られない形状で面白い)」の落書きも見え、かなり汚れている模様。日本は落書きが酷い、一等国でそのような国は無い嘆かわしいと書いた明治の人(渋沢栄一だったか)の気持ちが偲ばれる。
消されかけた相合傘も見える回向院のものは妙にディテールに凝ってる。番傘の骨が洋傘より破格に多いことが表裏でわかる。泉岳寺は番傘の頭のとこをこだわってる。清水寺はわかりにくいがやはり頭がある。よく見ると骨が湾曲しているようにも思う。
この時代の相合傘は洋傘より扁平で丸みを帯びてるが細部に地域性はあるかもしれない。現代の三角形は洋傘というより図形的に簡略化したということだろう。
太田記念美術館の展覧会で気づいたが、広景の名所戯画に便所の落書きがある。この相合傘は三角形。扁平で湾曲する和傘の相合傘ではない(別に珍しくはないけど)。ヘノヘノモヘジにもならない顔と、金精様。金精様は太山寺鐘楼の落書きにもあった。変わらない日本人。「開け放し、垂れ掛け無用」
(追記)元ネタは北斎漫画十二編。
広景の戯画はオリジナル部分が少ないが(傘に掛けた雪駄の違いは時代の違いか)、要素をプラスしてデティルはしっかりしている。北斎の相合傘は形がだいぶんに崩れている。
歌川国芳の背景を長女とり(芳鳥)が描いたもの「東都流行三十六会席向島葱売宿直之介」蔵の壁に相合傘がかいてある。扁平三角。とり17歳といい、ひろいきと読めるが有吉弘行とは100歳以上離れており無関係と思われる。
港区郷土歴史館「日本・オーストリア国交のはじまり」特別展カタログでは日本橋のモーザー写真精細版に蔵の白壁へ顔(かなり巨大に見える)および相合傘が識別できるとされている。カタログは画質が高くないので何とも言えないが(前記書籍の増補改訂版を出してほしいところ)、下にあげる参考資料で相合傘はもともと顔を書くものだった、という珍説があるので念頭には置いておきたい。この資料はあまりあてにならなさそうだが、想像だけでなく記憶と資料をある程度使っている。なお個人的には相合傘が寺に書かれるのは寺を多く撮影しているからであり、一般の白壁などはすぐ修復されるからではないかと思う。厠を含む建物内にはもっとあったかもしれない。
芝居絵にあらわる心中物定番の構図。
佐藤紅霞「貞操帯秘聞:民俗随筆」S9のp.69から言及があり。明治35-6年ごろはまだ盛んだったが今は田舎でしか見ない、とある(けれど現在まだ生き残っている)。
嘉永六年の書籍(誹諧通言)にある相合傘についての説明に、遊女と情夫の名を記すもの、とあるが、遊女の心中立の一種で、二の腕に「命だれそれ」と入墨したものの転化とこの本では断言している。文字を知らない幼児は粗略な唐傘の柄の両側へ男女の似顔を意図する団子に目鼻の首を描いたものだとする。女が右、男が左というのは江戸時代から変わらないらしい(鳥羽絵は左が「おくめ」と読めるが)。男尊女卑の伝統とあるが果たして。他の子が見つけてその似顔絵のそばに名前や冷やかしの文句を書き添えた。
これを祖型として、大人が似顔絵を文字にして書くようになったからとありますが、その図像的証拠を知りません。以前載せたのはすべて文字、名前ですね(鳥羽絵は江戸時代でも少し遡る)。
国芳の有名な「荷宝蔵壁のむだ書」は弘化4年、この素っ頓狂な続き絵の中に「お仲清七」の相合傘があります(扁平にならない三角形の傘)。どちらが先かはともかく、大人の落書きとしては「告げ口」の機能、不貞を働く女房と相手の名前を、相合傘の落書きとして公衆の面前に残す。狂歌を含む落書きはお目こぼしされることが多かったらしく、国芳ももちろんそれを利用しているのですが、自由なメディアとしてのありようはネットに近いかもしれないです。
(新撰)絵本(画本)柳樽シリーズは北斎も仕事しているくらいやたらたくさん出た本で、ネットでもほんの一部しか見れませんし復刻本も全部ではなく選集だったりしてイマイチ。書名も錯綜していて出版年で確認しようとしてもわからないことがあります。天保14年版二編、直接確認できなかったのでこの本からとりますが、白壁の相合傘を消そうとしているところに「らくがきはあいあいがさの首ばかり」。あわてて名前部分を消されるものが多かったんでしょう。すごく流行っていたことは確かなんですね。
〜宮武外骨「変態知識」