いずれはまとまったテキストにするために、ここに関連ツイートを置いておく。
※スレッドになっているものが多いので、興味のあるツイートがありましたら是非スレッド全体をお読み下さい。随時追加の予定。
「正しい性知識」がないように「正しい性表象」もない。むしろどんな知識や表象も、性に関する限りすべて少しずつ間違っている。私は最初の快楽を少し間違ったものから調達し、誰かを少し間違った像で愛する。性において自由であることは怖いし、不自由であることは苦しい。私はいつもその間にいる。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2018年9月13日
昔あるフェミニストは「すべてのセックスはレイプである」と言いましたが、仮にセックスの原型がそのようなものであっても人はセックスすることをやめないし、むしろより性欲を高め快適なセックスするための様々な文化を編み出してきました。根底にあるのが「暴力性」だからです。ただこれは仮説です。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2018年9月29日
RT 「合意/不合意」問題が混迷する第一の原因は、「男女平等」なセックスが存在せず、セックスという行為そのものに本来的に暴力性が含まれているからに他ならない。そこでは、セックスを暴力から遠いものとして演出することが「配慮」とか「愛」とか呼ばれる。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2019年10月4日
RT 逆に言えば、身体構造が異なることで自動的に権力勾配が生じることになる。これは本質主義として批判されるだろうが、自分も昔から同じことを考えていた。そこにはどうしても能動態と受動態が生まれ、それは容易に権力勾配に結び付く。そういう意味で、異性間の性行為には暴力が内在している。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2020年3月15日
誤解を恐れず言うと、「性にはある種の暴力性が避けようもなく刻印されているのではないか」という意味では、「原」のような何かは想定できると自分は思っている。すべてがジェンダーに帰するとは思わない。文化や社会性(時には愛?)が剥き出しの「原」を覆い隠すベールとなっている。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2020年9月23日
RT 「挿入を伴うセックスはすべて単なる暴力。快楽や愛で粉飾されてるだけ。逆に言えば、レイプが性犯罪となるのは、もともとセックスを、快楽や愛の交換(あるいは再生産)というプラスの関係性と紐つけているからだ」と割り切れば、フーコーのような認識に至れるのではないか。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2020年10月8日
人間を人間として基礎付けている「性」と「法」の根底には、暴力がある。ものの本を読まなくても、なんとなく体感的にわかることだ。でもそれを口にすると、意外にも反発を買うことが多い。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2020年10月15日
人類が誕生したばかりの頃、性行為は男性の「自分の子孫を残す」という本能とフィジカルな快楽に突き動かされている部分が大きくて、女性にとっては殆どレイプみたいなものだったろうし、今で言うところの異性愛はその後の「発明」だったのではないかと想像する。たぶん言語の発達が関係している。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2021年2月20日
人間存在の根底には暴力があって、さまざまな文化や制度はそれを隠蔽、粉飾、あるいは軽減するものとして構築されてきたって論を、死ぬまでにきちんと書きたい。「性」をめぐっては少し書いたけどまだ展開不十分。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年3月26日
「加害する性」とはつまり「デフォルトで暴力性をもつ」ということだが、これを否定するのではなくまずそういうものだと肯定した上で、それがどのように実際の暴力とそれとは異なる文化になっていくかが大事なところ。以下もだいぶ前の考察なのでここから先に進めないとなぁ。https://t.co/hzwnA5f3i9
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年4月17日
こういうことを別の記事に書いて昔ネットのフェミの人達に叩かれたが、性と暴力が元来表裏一体であることを認めたくないのは究極的には、自分がそんな行為によって生まれてきたと思いたくないからだ。多くの人が想像したくない最たるイメージは両親のセックス。なぜ想像したくないのかを考えるべき。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年4月26日
ただ基本的に女性は、男性から女性の快楽について(フィクションではなく実例として)聞かされると反発しがちだよね。それは、セックスにおいて女性が快楽に至るためには、もちろん男性の助けも必要だけど、女性自身がすごく努力して自己暗示をかけないとならない局面が、性体験の最初の方にあるから。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年5月1日
このあたりにつなげておこう。「縛られたい、それを見られたい」という性的欲望の中にはたぶん「それまでの自分を変えたい、知らない自分に出会いたい」という自己破壊願望があると思う。それは、性欲の中のもっとも深いところにある願望だと個人的には思っている。https://t.co/FV7EeaFFPD
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年5月9日
険悪な引用RTに反応してもどうせ拗れるのでここに書くが、女性の自己破壊願望が何らかの暴力の記憶と結びついてることはしばしばあると思う。極論すれば、女性にとって性は暴力の記憶と切り離せない。従って緊縛願望が、剣によって受けた傷を剣によって癒そうとするものであっても、不思議ではない。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年5月9
最近様々な立場から被害者性を訴える傾向が強まっていますが、ことに性において男性が加害者、女性が被害者となりがちなのはジェンダーもさることながら身体構造的な面が大きく影響しているのは確実で、そもそも性差をもつ人間存在の根底には「暴力」がある、それを直視すべきだと私は考えています。→
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年6月27日
今、頭の中にある大雑把な図です。私はこれを一応の叩き台にしますが、インベさんからもいろいろユニークな視点が提出されると思います。面白そうだと思われた方は是非お申し込み下さい。尚、この場でこの図や内容についての具体的な質問にはお答えしませんので、どうかご了承ください。 https://t.co/Sjy4vTHp97 pic.twitter.com/nE3DxuUfYm
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2022年6月29日
結局のところ、真の問題は「性の商品化」ではないのだ。私たちが、性をめぐってどこまで「自己決定」できているか、真に「自己決定」できているとどのように判断できるか、という問題に他ならない。— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2023年6月15日
RT 「性」と近代的な「個人」「自由」という概念は本質的に馴染みにくい。かつてのフェミニズムが個人の自由と共に目指した「性の解放」の延長線上で、現在(女性の)性表現の自由を寿ぐことが盛んだが、このことは見落とされていると思う。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2023年6月15日
「競争」はあらゆる生物が負っている宿命だが、ヒトの世界では資本主義がそれを加速させてきた。もし仮に金銭的な均等配分が行き渡ったとしても、「多様性」がある限り「性」の均等配分は実現しない。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2023年11月28日
性差別に反対する一方で、「性」と「近代」は本質的に和解しない、ということを、近代の尻尾に生きている我々は深く自覚すべきだと思っている。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2024年2月9日