少し前に、自分の飼い犬について呟いたものをまとめておく(誤字だけ訂正)。
3月8日
飼い犬が外で甘えた声で鳴いている。犬を室内で飼う習慣はないので玄関の外。柴のミックスで寒さに強い。夏の猛暑の際は玄関に入れてやる。まだ3歳で甘えたい盛り。
朝夕の散歩以外では、家にいる時は昼頃オヤツをやって少し遊んでやる。夜寝る前は玄関のポーチに腰を降ろしてスキンシップ。いつも膝の間にはまり込んだまま動こうとしない。全体重をこちらにかけてくる。毛ほどもこちらの愛情を疑っていない恐ろしいほどの信頼ぶりに身がひきしまる思い。
犬を溺愛しているけど、犬からの「愛」があまりに純粋で大きく見えて、全力で応えなきゃという思いがある。猫には片思いだった。
しかし「愛」なんて言っては犬に失礼かもしれぬ。犬にとってはもっと生存をかけた何かかも。自己の生存をかけて全体重を預けられてごらんなさい。抱きしめざるを得ない。
子どもがいないので余計こうなるのかも。災害に見舞われたら何をおいても犬を助けたい。毎晩寝る前に「タロ、ずっとおばちゃんと一緒にいようね」とキモい呼びかけをして撫でている。夫にこういうことはしない。今遠くにいるのでしたくてもできないしどうせキモがる。犬はそういうことはないのでいい。
しかし子どもよりペットの数が多い今、子どもを作らず犬を飼っている人間がそのうち非難されるようになるのではないかと思ったりする。生まれた仔犬を他所から貰ったんですけどね。
3月9日
明け方に雨が降ったらしい濡れた路面を犬と散歩。犬は盛んに地面の匂いを嗅ぐ。田畑と家が半々の田舎町。道端の濡れた土や草の中に大量の匂い情報があるらしい。情報から情報へ。角を曲がってまた情報から情報へ。人間と同じことをしている。そしてオシッコという匂い付け。Tweetするみたいに。
今朝、犬は4カ所でtweetした。たぶん別の犬たちのtweetも読んでいる。
ツイートという語感は、犬のオシッコする様に近いと思う。
3月10日
犬は自分の日常生活の中で、身体的にも感情的にも一番親密にしている存在だが、一方で別の世界、別のルールを生きている見知らぬ者でもあって、犬の体温を感じ黒い瞳を覗き込みながらこの乖離を思う時、知らない場所に置き去りにされたような気持ちになる。
3月11日
また今日も犬に話しかけてしまった。
言葉が通じない者に話しかけることは重要だ。
しかし犬には時々通じてしまうので困る。いや困らないか。通じると思えることは嬉しい。それが続くと、通じないとわかった時に寂しくなる。その寂しさをしみじみ味わおう。
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犬と人間の接触面はわずかで、犬はまったく犬独自の世界を生きている。可愛がってるペットでも同じ。寂しいけどそう思うことにしている。
http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20170314#bookmark-327012749