「男の子」は高いところばかり見ている(あるいは昔、飛行機乗りだった父へ)‥‥『風立ちぬ』感想 - ohnosakiko’s blog

「男の子」は高いところばかり見ている(あるいは昔、飛行機乗りだった父へ)‥‥『風立ちぬ』感想

”ほっこり感動系の泣けるイイ映画”ではない。もうやりたい放題。すさまじいエゴの嵐。それを「だって仕方ないでしょ、美しいものが好きなんだもん」でぐいぐい押していく。ワクワクするようなドラマの面白さもない。観ている間中、不快だった(いい意味で)。
飛行機のプロペラ音や地鳴りの音などに充てられた異様な「人の声」に、「ほれ、ぜんぶ人力だぞ。ぜんぶ人が作ってるんだぞ」という監督のドヤ顔が目に浮かぶ。そしてメカのディティールの舐めるようなフェチな描写の官能性。ヘアスタイルといい深窓の令嬢という設定といいクラリスを思わせつつ、積極的で健気でエロいヒロイン*1 。まるで鳥のようになまなましく羽ばたく(紙)飛行機。 作り手の抜き難い”業”、というか監督の”体臭”が凝縮されて隅々にまで濃厚に立ち籠り、窒息寸前。
今さら私などが言うまでもなくこれは「宮崎駿」による「宮崎駿」のための「宮崎駿」自身の映画だ。つまり「芸術家」(選ばれてしまった者) による「芸術家」のための「芸術家」の映画であり、「男の子」(完全性に魅入られた者) による「男の子」のための「男の子」の映画。「男の子」の「芸術家」である村上隆が絶賛しているのもむべなるかな。


話はシンプルで無駄がない。そのシンプルさ、無駄のなさは、主人公堀越二郎の内面のシンプルさ、葛藤のなさと通じている。いや葛藤がまったく描かれないわけではないが、それを勝る「美しさ」=完全性への欲望が彼を突き動かしているため、1920〜30年代という激動と混乱の外界は遠景化していき、飛行機と女だけがクローズアップされていく。戦争の足音も市井の貧しい人々も、二郎にとってはほとんど対岸の火事である。二郎は一貫して自分の夢の中だけに住まっている。
そもそも物語が始まってすぐ展開されるのが、少年の二郎の見ている夢だ。その後、何回夢を出したら気が済むんだというほど夢が出てくるが、夢ゆえに全部どこか箍が外れキチガイじみている。そのうち思った。これはほぼ全編が「夢の中」なのではないかと。
常に分厚い眼鏡をかけている主人公に、現実社会の「矛盾」(監督の言い訳のように「矛盾」という言葉は何度か出てくる)は見えない。その眼鏡は己の夢しか映さないスクリーンだ。彼のいるのが夢の中だからこそ、二十歳から四十歳過ぎくらいまでを描いている絵がちっとも老けないし、世事雑事に背を向けたあらゆる”非常識”が許されるのだ。*2
もっとも二郎の心の師カプローニの「10年で何をなし遂げるか」という問いと、肺結核で余命短い恋人(妻)の存在によって、夢にタイムリミットがあることは予めわかっている。「時間がない、今しかない」(夢はいつか終わる)ということも常識を踏み越えさせる要素だ。


そんな夢の住人がふと仏心を起して貧しい姉弟に食べ物を恵もうとしても、忌避されるのは当たり前である。少年の頃から心優しい二郎だが、この場面の二郎=宮崎駿の”優しさ”は、鈍感なゆえの残酷さとして描かれている。
慈悲を無下にされて少し傷ついた二郎の気持ちを抉るように、航空機開発のための予算で日本中の子どもを食わせられると本当のことを言い放つ同僚の本庄は、もう一人の宮崎駿だろう。優しいが鈍感な駿(二郎)と自嘲的でリアリストの駿(本庄)は、「自分の仕事をやるしかない」(自分の業に従うしかない)でめでたく一致する。
反戦平和」や「エコロジー」といった”正しい課題”は、宮崎駿の作品のテーマとされてきた。何を描くにもそうしたエクスキューズがついて回っていた。だがそれらは「男の子」の夢の実現(プロジェクトX)とは両立しない。正しさと夢とどちらを取るのかと言われて、宮崎駿は夢を取ったのだ。いや最初からそうだったのかもしれない。
監督は現在、以前にも増して「反戦」や「反原発」を唱えているのではないか? たしかに。この作品も無論、戦争を肯定はしていない。でも「絵」は嘘をつかない。目を背けたいくらい率直だが、それゆえのそこはかとないヤバさに、逆に凝視を強いられる。


夢には終わりがある。零戦は墜落し、最愛の女は死ぬ。憧れのドイツの飛行機に追いつき追い越し世界一美しい飛行機を作りたいという二郎の夢はいつしか、富国強兵・殖産興業を旗印にアジアを支配下に収め西欧列強を凌ぎたいという国家の夢と重なり、そして潰えた。*3
栄光を味わった人だけがわかる挫折。夢にとり憑かれた人だけが知っている失望。その苦さと痛みは、かなりあっさりと描かれて終わる。ラストもまたもや夢の中の場面だ。主人公‥‥ではなく監督の、「それでもやっぱり夢を見ていたい」という業の深さにうんざりさせられる(いい意味で)。
とどめがエンドロールに被る荒井由美の名曲『ひこうき雲』。これだけ己のエゴの臭気で人をムセ返らせといて、最後で畳み掛けるように泣かせに入る厭らしさ。老獪な大人のくせにシレッと少年のふりしやがって。泣きながら腹が立った。


ちなみに、ヒロインの菜穂子が堀辰雄の『菜穂子』からきていることや当時の飛行機の変遷など、小ネタが満載のパンフレットは買いです。



(ここから個人的な話)
風立ちぬ』を観て何か書きたくなる人とは大概、これまでのジブリ作品を追ってきている人だろうし、レビューを読み漁るのもそういう人が多いと思う。劇場に足を運ぶ人全体でも、宮崎駿作品を初めて見るという人は珍しいかもしれない。だからこの作品は宮崎駿自身の物語だという、既にあちこちで異口同音に呟かれているだろう意見には多くの人が頷くし、「メカと美少女」という監督の欲望の中心にあるテーマも共有される。
しかしそうした”文脈”を一切知らず、「零戦」とタイトルだけに引かれてこの作品を観た人がいたとしたら、どう感じるのだろうか‥‥‥。
なぜこんなことを考えたかというと、私の父がそれに該当しそうだからだ。


大正13(1924)年生まれの父は太平洋戦争末期、二十歳を前に海軍に入隊し、特攻隊に配属されて生き延びた一人である。戦後は一般会社に就職し共産党に入党するがいずれも数年で辞め、旧帝大を卒業した年の離れた兄の後を追うように大学進学。やがて地方都市で高校の国語教員をしながら高い理想を掲げて「進歩的知識人」の末席に連ならんと努力する、ある意味典型的なオールドレフトになった。女性に対しては極度のロマンチスト(今で言えばたぶん処女厨)で、30歳を幾つか過ぎてから13歳年の離れた教え子と結婚した。
堀辰雄全集は、漱石や鴎外や藤村全集などと共に父の本棚にあった。そして日の丸・君が代が大嫌いなガチガチの左翼でありながら、海軍時代の持ち物を大切に保管し、「海軍の制服はスマートでカッコ良かったんだ」「お父さんも零戦乗ってアメリカをやっつけてやろうと思ってた」(実際に乗ったのは「桜花」)と子どもたちに話し、今思い出したが零戦の模型まで買って部屋に吊るして母に嫌がられていた。
宮崎駿より17才年長、堀越二郎より21才年少で、平凡な一教員だった父の心の中にも、少年の頃に刻み付けられた飛行機への強い憧れが、後からインストールしたイデオロギーと同じように、いやそれより根深く居座っていたように思われる。


今年89才になる父は、老人ホームで暮らしている。今やすっかりボケてしまい、車椅子に固定されて終日ボーッとして(それこそ夢の中に)いる。昨日、映画館を出てから父を訪ね、膝の上にパンフレットを開いて見せながら話しかけてみた。
「今日は『風立ちぬ』ってアニメ映画を見てきたよ。零戦を設計した人のお話でね、飛行機の飛ぶシーンがたくさんあったよ。昔の名古屋駅も出てきたよ。『風立ちぬ』ってタイトルは、あの中の節子と『菜穂子』を混ぜたようなヒロインが出てくるからなのね。お父さん、堀辰雄好きだったよね」
記憶も言葉も失っている父は、いつものように無反応だった。
もし頭がしっかりしていて映画館に行けるくらい元気だったら、この作品を父はどう観ただろう。特攻隊のことを歌ったようにも思えてしまう『ひこうき雲』を聴いて、父はどういう感想を述べただろう。子どもの頃からずいぶん戦争の話を聞かされてきたのだが、本当に聞きたいことが出てきた時に答えてもらえないのが残念だ。


そんなことを考えていたら父の若い頃を無性に知りたくなり、実家に行った。書斎の戸棚から、70歳代はじめ頃に昔を回想したテキストを発見。父は旧制中学卒業後、逓信省逓信管理練習所という専門学校に入ったらしい。何かの小冊子に掲載予定のものだったらしく、好戦的な軍国少年だったという父のかつての半面を描くことは慎重に回避されている。一部抜粋。

 陸軍大臣東条英機が首相になったとき、非常に暗い想いがし、かねてから陸軍が嫌いだった私は、海軍を志願して、陸軍に徴兵されるのを逃れようと決意した。まだ専門学校在学の身だから、予備学生でなく、予備生徒だった。海軍省で選抜試験。飛行科に決まった。
 入隊が決まった時、二度と帰れないかもしれぬと想い、一人で鎌倉に遊び、帰省して母を伴い大和古寺の巡礼を大急ぎでした。入隊時に携帯を許された本二冊は、岩波文庫の「新訓萬葉集」上下だった。


 三重海軍航空隊。昭和十九年八月入隊後まもなく、我々は「桜花」という滑空特攻機に搭乗するべく運命づけられていることがわかった。滑空機の訓練に航空隊の飛行場は狭く、事故多く、不適当として転任する仲間も多かった。翌年六月、少尉候補生に任官し、同時に幹部特攻要員を命ぜられた後に、「桜花」先発隊全滅の噂を聞く。しかし訓練は以前に増して厳しかった。やがて空襲が激しくなり、防空作業に追われることが多くなった。
 終戦後、自決する仲間もあり、古風な風貌の副長が夜中、飛行学生全員を武道場に集め、「生命を祖末にするな。これからの日本は諸君の双肩にかかっているのだ」と説かれた。生き残ることができたという想いを深くした。
 八月末除隊。陽焼けのため紫色がかった古着のような第一種軍装の、例の中佐の副長が、隊門に立って、帽を振って我々の除隊を見送ってくれた。海軍に来てよかったと思った。

訓練では合板で作った練習機を使用し、松根油で飛んでいたという話を昔聞いた。戦争も末期、堀越二郎が設計した初期の零式戦闘機は既に父の周囲から消えていたようだ。*4


下は、大半の蔵書を売り払った父の本棚に残っていた、戦争関係の本の一部。古い順に『はるかなる山河に 東大戦没学生の手記』(1947年)、『きけわだつみの声 日本戦没学生の手記』(1949年)、『生き残った青年たちの記録』(1949年)、『学徒出陣の記録』(1968年)。


戦死した同世代の記録を読みながら20代を過ごした父はやがて、顧問をしていた高校の文芸部誌に、自分の戦争体験を元にした反戦色の濃い小説を投稿するようになる。
『阿修羅』『積乱雲の彼方に』という題名のそれらは後に、自費出版の本『青い湖』に収録され私も読んだ。いずれも戦争に疑問を抱き戦地に赴くことに悩みながらも、仕方なく覚悟を決め自分を納得させて特攻する若者と、彼(ら)が淡い感情を抱く女学生が描かれている。少女は強くひたむきなタイプと控えめで優しいタイプ、どちらも父の理想像だったのだろう。二人とも空襲で爆死する設定。
『積乱雲の彼方に』から一部抜粋。

 「コレヨリ神風特別攻撃隊第二護国隊ハ作戦計画ニ従ッテ敵機動部隊ニ殴リ込ミヲカケル、全員低空接敵、敵空母ニ集中シ、命中セヨ。神佑ヲ信ジ、俺ニ続イテ来イ。カカレ!」
 二十五名の護国隊員は列線に待機している愛機に搭乗する。やがて猛烈な爆音と共に、一番機の隊長機から順次列線を離れて、次々に発進して行く。送る者の振る手に応えながら。いよいよ七番機の久田機の発進。指揮所の前に来たとき、浩は雄二の方を向いて大きく手を振った。離陸。二十五機見事に編隊を組むと、まっすぐ南の方に向けて飛び去った。雄二は心の中で合掌しながら、夜明けの空に見えなくなった機影の彼方の雲をみつめていた。やがて攻撃隊の無電が受信所から指揮所に送られてくる。
 「テキクウボ三、センカン三、コウジユン五、ホソクス」
 「テンユウヲシンジ、ゼンイントツゲキカイシ」
これらの無電の中に雄二は次のような無電が入っていることを知った。それは雄二だけが本当に解読できるものであった。
 「セキランウンノカナタニヒカリミユ、ヒサダキクウボニトツゲキス」

「ヒカリ」とは、既に死んでいる光という名の少女のこと。映画を観た後でこの箇所を読んだら、情景がジブリのアニメ絵で浮んでしまった。


最後に父の好きだった啄木の詩を。父がこの詩を朗読し、小学生の私に嬉しそうに解説してくれたのを昨日のことのように思い出す。

      飛行機     
            1911.6.27.TOKYO.


  見よ、今日も、かの蒼空に
  飛行機の高く飛べるを。


  給仕づとめの少年が
  たまに非番の日曜日、
  肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
  ひとりせつせとリイダアの獨學をする眼の疲れ……


  見よ、今日も、かの蒼空に
  飛行機の高く飛べるを。


「男の子」はどうして、いつも高いところばかり見つめるのだろう。いつかは墜落するのに。



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1964年の夏、波にさらわれたビーチボールの話

*1:二郎のような人間につきあえるのは、未来がなく「今」を生きるしかないと条件づけられている、ある意味我がままで恐いもの知らずのお嬢さんだ。菜穂子は初夜、彼女の病身を気遣う二郎に「来て」と繰返し言う。「いつヤるの?今でしょ!」と脳内補足された‥‥。

*2:ちなみに兄の二郎に(たしか)二度も約束を破られる妹で、医者になる加代のモデルは、『ノンちゃん雲に乗る』のノンちゃんではないだろうか。時代も同じだがおかっぱ頭で兄よりしっかりしていて、成長後は医者を目指すようになる点が似ている(ノンちゃんの兄は飛行機乗りになったが生還し、級友の長吉は戻ってこない)。

*3:もっとも戦後の「プロジェクトX」及び技術の発展には繋がっていくが。

*4:追記:「桜花」の設計をしたのは堀越二郎より6歳若い三木忠直という人だが、この人の戦後の身の振り方が興味深い。wikipediaによれば『プロジェクトX』のインタビューで、「とにかくもう、戦争はこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ」と答えているという。