#水星の魔女 がなぜガンダムで #Gレコ がガンダムではないのか - 玖足手帖-アニメブログ-

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富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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#水星の魔女 がなぜガンダムで #Gレコ がガンダムではないのか

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――最初の段階からターゲットのボリュームゾーンは若い年代を考えていたと?

岡本 そうですね。今までの、宇宙世紀以外を舞台にしたガンダム作品は、基本的にはティーン層に向けた作品という印象が強かったので、この作品もそこに向けたものだろうと考えていましたし、オーダーとしてもありました。

――学園を舞台として始まるのも、そういったターゲットを意識したところがあったのでしょうか?

岡本 これまでも学校が登場するガンダムはありましたが、少年兵からスタートするとか、初手からシリアスな作品が多かったと思います。今回の『水星の魔女』も、ストーリーを考える上で何回か転換点があって、最初は結構重いところからスタートする内容だったんですね。でも、ちょうどその頃に、社会科見学で来た10代の子たちから話を聞くタイミングがあったんです。そうしたら「ガンダムは僕らに向けたものじゃない」「(タイトルに)ガンダムとついていたら見ません」と言われて……。

 というわけで、機動戦士ガンダム 水星の魔女はガンダムブランドの継続を目的としたバンダイナムコのビジネスとしての必然的に10代の新しい視聴者を獲得することが目的とされている。


  • ガンダムファンのマウント

 なぜ若者はガンダムを見ないのか。それは僕を含めためんどくさいガンダムのオタクがマウントを取ってくるからだ。
 どのガンダムを見るべきだとかどういう順番で見るべきだとか。そういうことを言ってくるおじさんが多いので、そんなジャンルに入るくらいならジャンプ漫画原作アニメや萌えアニメを見た方が楽しいよね、という選択を若人がするのは分かる。(僕はガンダムっていうより富野由悠季のオタクなので)


 そして、昨今の若者文化において、マウント、誰が上位で誰が下なのかという示威行動は僕が若かったころよりも明らかに重視されている。
 顕著なのが10年前の子ども向けアニメのアイカツ!やプリティーリズムでも描かれていた「人気の可視化」ですね。YouTuberの再生回数やらインスタグラムやTwitterのいいねやフォロワーの数など。
 そして、ニコニコ動画やYouTubeの歌い手で数字上の人気があった人がリアルにメジャーデビューしたりする。数字上の人気が生活に直結するわけ。
 昭和の時代では人間には数字では測れない価値があるとか言う価値観もあったのだけど、日本がリアルに貧しくなると、企業の側も数字で測れる人気がある、あるいみ安全牌の人を登用するし、若い人もそういう風なチャンスが生計に直結するとなれば数値化されやすいアピールを重視するようになる。
 ラブライブとか鬼滅の刃とかシン・エヴァンゲリオンとか、興行収入が作品の価値、みたいな推し活のためにお金を払う行動とか。自分自身に価値があまりなくても、数百億円の興行収入の一部になると自信が持てるというか。
 ミニシアター系でもやはり権威主義はあって、何かの賞を取ったとか、何週連続上映されたかとか、そういう数値が大事になってる。
 漫画も何百万部売れたのかどうかっていうのが宣伝文句になる。一人が買うのはせいぜい1冊か2冊なのにね。
 ソーシャルゲームの売り上げも毎日ランキングがネットで可視化されているので、ゲームを遊ぶにしても上位売り上げランクのゲームを遊びたい。なぜならランクの低いゲームはすぐにサービス終了するから。(もちろん、課金収入型のゲームのほかにゲームをする代わりに広告を見るタイプの収益タイプのスマホゲームもある)


 まあ、僕も働いてないのにブログを書いて広告収入を得て遊んでいたり、こういう飛ばし記事を書くけど。
 もちろん、僕が若者だった前世紀90年代でもCDの売り上げがミリオンヒットだとか視聴率がどうのこうのっていうのはあって、それが21世紀初頭のAKB48系の売り上げ枚数とかグループ内ランキングのマウンティングの可視化につながっていて、それは現代にもつながっているのだろう。
 テレビバラエティでも高級食材の値段を当てた人が偉いとか、賞金の出るゲームに必死になる人を笑いものにしたりとか、芸能人が作った俳句とか絵をプロの人に順位付けされたりとか、そういうのは多いよね。プロスポーツ選手でもよっぽどのマニア以外は質的なフォームとかトレーニング法とか戦術よりも最高記録とか最年少記録の更新に注目していて、数字で見えるものが重視されている。その本質はハッキリしたマウントです。
 ゾゾタウンの社長とかプペルの西野とか金を配ってフォロワー数を稼ぐ人とか、投資を推奨する政府とか、金があるとか利益を与えるとかで注目されるけど、その金がどうやって得られたものかとか、実際その事業がどういうものなのかは「金をくれる」というマウントの前では無視される。イーロン・マスクも目立っているけど、その下のエンジニアはあんまり知らん。僕が調べてないだけだが。


 そういうわけで、若者がガンダムをなんで敬遠するのかって言うと、知識マウントをしてくる古参ファンのおじさんが多いからです。そして学生気分のある若者にとって、マウントおじさんとは成績をつける学校の先生みたいにうっとうしい存在。
 見る前からガンダムに詳しいおじさんにマウントされるのが見えてる勝負にコスパ重視の若者が入るわけないじゃん。


 しかしながら、バンダイナムコは40年も続いてしまったガンダムを、50年も続くブランドにしたい。ゴジラやらスーパー戦隊やら仮面ライダーやらウルトラマンやら、バンダイが権利を抑えている知的財産権(IP)は非常に継続業績を上げているのでガンダムもそうしたい。企業にとってそういう甘い蜜を出す果実はどうしても手放したくない。
 なので、続けるためにガンダムファンに若い人を呼び込みたい。


 同時に、若者の側も実は「ガンダムという権威」はまだ、一応、ギリギリ、認めているので、「古参のガンダムファンにマウントを取られない、新しい見た目の新作ガンダムに詳しくなったら、逆にマウントを取れて気分がいい」。
 若者はマウントされたくないだけで、マウント自体は否定していないので、自分がマウントできる状況になると喜んで参加する。


 商業的にも、ガンプラの転売ヤーが商材にする程度には、ガンダムは人気商品である。市場規模が大きい。それは若者から見ても魅力的だ。
 むしろ「新しいガンダムは自分たち若者のもので、古参ガンダムオタクのセンスではわからない」とマウントを取ると若者はガンダムの権威を総取りできるようないい気分になる。
 まあ、若手イラストレーターのキャラクターデザイン登用とか若手アーティストの主題歌とか若い声優の起用は昔からガンダムや富野作品はやってきたけど、若い人はそれは知らんので。
 産まれる前からやってるワンピースや名探偵コナンの主題歌に好きな歌い手が起用されたら喜んで興行収入が上がる。

YOASOBIさんやPARCOとのタイアップに関しても、今までガンダムに触れてこなかった若い世代の方々に壁なく入ってきていただけるようにしたいと思いました。今のカルチャーを担っている人たちの力をお借りして、若い世代に向けてガンダムを広げていくことは意識しているところです。
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 と、プロデューサーも語っているわけで、「このアーティストの話題なら、古参ガンダムファンより自分の方が詳しく語ってマウントが取れる」という道筋ができてる。
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  • 持たざる者のガンダム

 ストリートカルチャーっぽいものを取り入れているのも、ガンダムやモビルスーツを拡張身体としているのも、主人公が田舎者の女子と政略結婚の道具にされている女子なのも、持たざる若者が自分事として共感できる雰囲気を作るためだろう。
 まあ、機動戦士ガンダムの前のマジンガーZでも、もっと前の鉄人28号からでも「子どもでもロボットを使うと社会に影響力を持てる」というロボット物のフォーマットがある。ヨーロッパでは魔法とか、アメリカだとミュータント能力とか、そういう奴。


 なので、ロボット物として水星の魔女の戦略は正統派だし、根暗なアムロが無双できる初代ガンダムを引き継いでいるのと大体同じ。

見かけ上は平等であっても実態としては上下関係があり、逆らうことは許されない。これはニカのような立場の者だけでなく、彼女と比して圧倒的に"持っている"人間も同様に味わう苦しみである。未来のエースパイロットを自負していたグエルは野望に燃える父に戦歴を尻拭いされる屈辱に唇を噛むし、デリングの娘であるミオリネは父が繰り返す相談も説明もない命令にウンザリしている。上下や強弱の抑圧というのは内側で再生産される、恩恵を受けている人間すら苦しめるものなのだろう。

dwa.hatenablog.com

 おそらく僕よりは若いであろう id:yhaniwa さんも水星の魔女について「持っている、持っていない」とか、形式的な平等の裏に親の会社とか生まれた土地などの隠れた差別があることに注目している。
 まあ、純粋な暴力と生存戦略の世界では会社も権威も糞もないんですけど、水星の第二話の時点ではそういう会社の権威っぽいのが多少戯画的にでも強調されているし、ネットで就職先をスマートに選んでいこうという年齢になってきたZ世代の関心事であろう。
 正しいものが勝つとか、強いものが勝つとか、そういう価値観は恐らくもう、古い。勝っているものが勝っている。なぜなら勝っているから。なるべく勝っているものの側につきたい。そういう様相がインターネットで散見されるようになった。
 まあ、WWIIからそうだったのかもしれないけど、現代の戦争でも国内外にインターネットなどを通じて自分が勝っているとアピールする行動がある。選挙とかも結局、政策が正しいとかではなく、勝っているから勝っている。元首相の国葬が強行されたのも負けたことにしないためだろう。そして本質的に選挙制度がカルト集団と結びついているという構造の問題から目をそらさせ、旧統一教会だけを「負けた組織」にしようという流れがあるようだ。与党公明党の創価学会を追求する人はほとんどいない。


 ただ、じゃあ強いものが弱いものを虐げるのはやめよう、というのも古い価値観だ。なぜなら日本はそんな理想論を言っていられる余裕をとっくに無くすくらい没落したからだ。どうせ日本が貧しくなるなら、自分はその中で少しでもいい役を演じたい、というのが現代人の実感だろう。
 実際、若者文化としてここ10年の流行となっている「なろう系作品」で受けているものは「異世界転生で一発逆転」です。下剋上とか成り上がりとかすごい流行っているよね。
 あと、「現代科学知識で無双」も。現代科学知識を学生はよく勉強している。でもみんなが科学を勉強している現代社会では一握りの成績優秀者以外はあんまりいい思いをしない。でも、科学を知らない未開の蛮族の中で自分だけ科学に詳しいとマウントをとれる。


 まあ、ランキングを好むのは近代オリンピック以前からの人間の習性だろうし、別に急に流行ったわけではないだろうけど。
 とりあえず、ランキング制度や数値化ができるのは、ある程度成熟した社会やルールを担保する競技会の権威が、それなりの期間定着しているという受け手側の環境が必要になる。
 日本の社会は貧しくなっているとはいえ、数回の地震や災害で外れくじを引いた人以外は割と30年くらい安定している社会だ。世紀末も去った。


 なろう系で多用されるゲーム的なドラゴンクエスト的な能力の数値化とか、ランキングは、そういうゲームの価値観や様式が視聴者や読者に常識として備わっているからだろう。(まあ、ラノベがもともとゲーム文庫とかTRPGリプレイとかそういうメディアだったこともあるけど、今回は割愛)
 シンデレラとかみにくいアヒルの子とか古典文学でも昔からあるわけですけど、低い身分の者が王子様に見初められて、っていうのもそういう身分制度の信頼感が受け手側にあるから、というわけで。


 ある程度成熟した社会だからこそ、前例の踏襲やらランキングの権威付けができるわけだな。
 そういう権威付けができているシステムをハックする形で一発逆転するのが受けるので、システム自体をぶち壊す「革命」とかシステムのない荒野での延々と続くような「闘争」は、おそらく水星の魔女では描かれないだろう。
 第二次世界大戦の影がまだあった高度成長期に描かれた梶原一騎やジョージ秋山や白土三平の漫画はもっと野蛮だった。まあ、あの当時は学生運動とか闘争が流行していたともいえるが。(手塚治虫先生はもっと変態っぽい)


 それに、革命の失敗というのは実はガンダムの様式として何度も描かれてきた。というか、ガンダムシリーズで革命に成功した作品ってあったっけ?地球連邦は腐敗しているけどそれにたてついたものは大体負ける。ガンダムファイトも続く。ワルツはエンドレス。


 うーん。21世紀に入ってからの富野作品じゃないガンダムはあんまり覚えてないけど、多少の待遇改善や個人的勝利はあっても社会システムが総入れ替えになるようなガンダムはなかった気がする。
(実はターンエーガンダムのムーンレィスとアメリアでは指導する名家の筆頭が死んでたり失踪したりしているので、ある意味では革命だったのかもしれないけど、ある意味では継承したともとれる)

 
 それで、メタ的に見てもガンダムブランドが商業的に大きく継続しているので、新作ガンダムのスタッフやそのファンも、ガンダムの権威を利用して利益を得たりマウントを取りたいので、ガンダム自体を否定する革命はないだろう。


  • 持てる者のGレコ

 そう考えるとなんでGのレコンギスタがガンダムじゃないのかっていう疑問もクリアになるわけで、Gのレコンギスタの主人公のアイーダとベルリって「持てる者」じゃないですか。家柄もよく、宇宙からの遺産の無敵ロボを引き継ぎ、次世代の統治者としての自覚をもって成長していく。
 でも、そういう人の気持ちって一般の視聴者にはわからない。なぜならたいていの人は「持ってない」ので。
 「持ってない」人がガンダムの力で拡張身体とか武力増大とかで下剋上するのがガンダムのカタルシスなのかもしれないのだが。


 しかし、実は富野由悠季監督は「高貴なる者」への憧れがとても強い。単に「持ってる人」になりたいとか出世したいというだけでなく、持っているものの義務とか責任とかそういうことを結構考えている。
 逆襲のシャアもF91もVガンダムも「家柄として持っている人」と「戦士として能力を持っている人」の戦いだったので。
 「持ってないけどロボットで少年少女が底上げされてる」というガンダムシリーズとは、富野作品は、もしかしたら相性が悪いのかもしれない。
 ロンド・ベルのアムロ大尉も滅茶苦茶責任感を持っているし。閃光のハサウェイも軍事組織のトップ同士の話なので。
 でも、視聴者が閃光のハサウェイの映画を見てたくさんネタにしたのは偽マフティーという持ってないテロリストのネタだったり、自分の数日間の生活のことしか考えていないタクシーの運転手がハサウェイの理想にスカっと言い返すようなところだったじゃないですか。


 あと、富野監督のガンダムも発表当時は支持を得ないことが多いけど、閃光のハサウェイだけでなく先日のククルス・ドアンの島とかもそうだけど、「現実の戦争がガンダムに追いついている」という点で評価されることが多い。これは創作家としてはかなり辛いことかもしれない。しかし、社会や大衆というのは作品そのものの価値より「現実を予見している」という点で評価することが多い。つまり虚構の物語より現実を重視する人の方が多い。まあ、それは当然と言えば当然だけど。富野監督だけでなく他のSF作家も国籍を問わず、面白さだけでなく先見性を評価されるところがある。


 引きこもりのゲームオタクが主人公のオーバーマンキングゲイナーですら、「不平不満をいうけど自分からは何もしないドームポリスのピープルと、自分は違う」というゲームチャンプのキングとしての自負があったからね。メインのオーバーマンの名前もドミネーターとかエンペランザとか支配者の暗示だし。


 イデオンとかダンバイン、もしくはトリトンやザンボット3のころから「主人公が力をふるうことの責任と罪」みたいなのは富野作品に多かった気がするけど。「持たざる者が成り上がるためのガンダム」と、それはちょっと違うのかもしれない。
 ただ、もちろん、持っている人だけではドラマにはならないので、∀ガンダムのキース・レジェが主人公のロラン・セアックに「お前はモビルスーツを持ってるから気楽なんだ」みたいに言って、埋めてたモビルスーツを売ってしまう話とかもある。一応庶民感覚もある。いや、パン屋のキースも結構、成り上がっているけど。


 で、極めつけに富野監督は「50年後に政治家になるような子どもたちに問題意識を持ってほしくてGのレコンギスタを作った」というようなことをおっしゃっていて、「持っている人」に向けて作っている。


 でも、みんな自分が「持っている」とは思いたくないじゃないですか。責任は負いたくない。年収一千万の人でも「半分は税金で持っていかれる」と被害者意識を主張することがおおいし、戦争とか安全保障とかジェンダーとか生活保護などの話題でも、Twitterなどでも「自分の権利が侵害されている」と主張する人が多い。なぜそういうのかというと、「自分は不当に損をしている」と主張すると、自分が利益を得ることの正当性の主張になって、得をするからです。生存戦略です。


 でも、こんなアニメの話題とかでインターネットができる日本人は世界的に見て、僕も含めて、圧倒的に持っている側なんですよね。ただ、先行きは明るくないので、外国に追い抜かれることへの恐怖感は強いよね。でも、観光事業とか外国人を利用して特はしたい。総理大臣ですら円安のメリットとか言う。


(ちなみに、僕は確かに過労で死にかけて精神障害者になっているし親も投資や親戚関係に失敗して自殺していて、その件もあって僕はPTSDが悪化しているけど、労働禁止の診断書が出るレベルの無職なので、「健常者に比べて、時間を圧倒的に持っている」。そういう点で、富野作品やガンダムのこういう気持ち悪い長文ブログを書こうという微妙な義務感がある。働きながらブログの構想を練って週末に書いていた時期もあったけど、確実にアウトプット量が減っていたし、脳の状態も悪くなっていた。まあ、時間をかけてポイ活するのもちょっと違うんだけど)

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安部
アニメを通じてなら、自然に、
楽しみながら考えることができるなって。
やっぱり、みんなの人生って、
社会課題を解決するための人生じゃない。
なるべくなら、
楽しみながら取り組んでいきたいので。

 JAXAの人も恐らく知的エリート層だと思うけど、人生は社会問題を解決するためのものではないとおっしゃっているわけで。
 Gレコは社会問題を未来の人に解決してほしいので、現状のダメな部分を出してるけど。
 いや、富野ガンダムも完全にエリート主義ではなく、視聴者の洞察力に期待していたり、未来への種まきとかきっかけ作りみたいなところもあるんだけど。


  • コメディとしての水星の魔女

 というわけで、ウテナだウテナだと決闘システムを称して言われがちな水星の魔女ですが、主人公のスレッタ・マーキュリーちゃんはそんなに「強く気高く」という天上ウテナのような感じではない。
 他の学生も経済的に成り上がるために学校に通っているっぽいし、少女革命ウテナのデュエリストの「強く気高く」とか「永遠」とかそういう理想より、もっと世間的な利益を自覚的に求めているっぽい。
 90年代はまだ「お金に変えられない心の価値が~」って気分があったけど、今は「愛やいいね!や推し活でお金は買える」っていう時代。


 そして、同時にアニメキャラクターは鑑賞される存在だし、かつての映画俳優やアイドルがたどったのと同様、憧れの対象というより親近感が重視される流れはある。そして親近感を越えて、「ネタにしてもいいネットのおもちゃ」としてアニメキャラクターが使われるし、制作サイドもそれが広報戦略になるので、昔はやった名台詞のセルフパロディとかネットミームを水星の魔女は取り込んでいるようだ。
 まあ、ガンダム自体がネットミームになっているみたいなところはあるけど。


 なので、スレッタ・マーキュリーちゃんはたぬきなのである。まあ、アニメキャラクターは二次元なので三次元人からしたら次元が低いんですけど。アニメオタクというのが非常に一般化した昨今では、アニメキャラや漫画のキャラクターに憧れを見出す鬱屈したマイノリティとしてのオタクというより、アニメやファンアートやら二次創作やゲーム実況を通じてネットのコミュニケーションのネタにするマジョリティのオタク(にも理解がある一般人)の方が増えてる気がするなあ。
Figure-rise Standard 機動戦士ガンダム 水星の魔女 スレッタ・マーキュリー 色分け済みプラモデル

 いや、それでも野球部とかの方がまだマジョリティかもしれないんだけど、でもYouTuberが人気の職業になってるらしいしなあ。YouTuber業界も弱肉強食だし、人格の切り売りな気がするけど。


  • 破壊と再生

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小形
富野監督の視点も、
年齢を重ねるにつれて変わってきてて、
いま、監督は
お孫さんがすごくかわいくて、
その子たちの世代に、
できるだけいい状態で地球を残したい、
という思いを抱いていると思うんです。


さっきのスペースコロニーの話でも、
ぼくたちの世代では、
ひとつの夢だったかもしれないですが、
技術的に、あるいは
費用対効果も含めて難しい‥‥という
時代になってきているじゃないですか。


小形
だから無邪気に夢物語を語るわけにも
いかないかもしれないんだけど、
やっぱり、若い世代に
ガンダムの物語に触れてもらうことで、
地球や宇宙のことについて、
少しでも、想像力をはたらかせる
お手伝いができたらいいなと思います。

「地球をいい状態で残すにはどうしたらいいのか」というGのレコンギスタの富野監督の考えはガンダムとは違っていると小形プロデューサーが言っている。
 たぶん、スコード教とかタブーで地球を維持するGレコはガンダムとは違うということなのかなあ。


 それとは違う考えというと、必然的に破壊とか破局の話になると思うのだが。そう考えると初代ガンダムのコロニー落としとか、Zガンダムのハチャメチャに人が死ぬ話とか、ガンダムZZの強化人間とか、逆襲のシャアの隕石落としとか、そういう「人類存亡の危機!」みたいな世紀末感覚を見せていくというシリアスな路線が推察できる。


 たしかにGのレコンギスタに対して、「昔のガンダムに比べてぬるい」みたいな批判はあった。
 富野監督自身も「ガンダムの延長で作ると終末論にしかならない」という発言を何回かしていた。

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『機動戦士ガンダム』(1979年)以来、ずっと憂慮していたことが顕著になっていくだけなんです。僕はあと10年もせず死んでいけるけど、今後50~60年生きていかねばならない人たちは、ひどい思いをすると思う。僕には孫が3人いて、彼らがどれほどひどい目に合うんだろうか……という切迫感がすごいわけです。
『G-レコ』を考えはじめた10年前は、ちょうど孫ができはじめた頃だったので、彼らが大きくなる過程で知っておいたほうがいいことを、キチンと作品に入れておきたかったんです。それから、現実世界がこれだけ過酷なのだから、気の滅入るような作品にはしたくありませんでした。
『ガンダム』の延長線上だと隠滅な作品になってしまうので、3千年ほど時間を飛ばせば、人々は変われるかもしれないと気がついたんです。そこから新しく世界をつくりなおす話なら、若い子たちががんばれる作品をつくれるかもしれない……。

(富野監督がいつごろどんな発言をしたか覚えている僕もちょっと気持ち悪いんだが)


 そうすると陰鬱な殺人とか大規模虐殺とかは描かないわけで、Gのレコンギスタは世紀末っぽいガンダムの路線とは違ってくる。(ただ、Gレコのベルリは殺人をするのが嫌なので殺人をしないように頑張っているけど、割と殺しているし、事故は起こる)


 でも、ガンダムのパブリックイメージとは冒険ではなく、黒富野なわけで。水星の魔女も本編は学園ものだけど、ご丁寧にプロローグで「特殊部隊が一方的に虐殺する世界ですよー」みたいにおいている。ガンダムエアリアルも「強い!かっこいい!」という感じのデザインだけど「呪いのモビルスーツ」って言われているし。サイコガンダムとかゼロシステムとかガンダム00の疑似太陽炉とか、乗ってたら負荷がかかる神経質なロボは富野監督の今の気分とは関係なく、ガンダムらしさのイメージのパーツの一つかもしれん。
 なのであの学園の外は鉄血のオルフェンズみたいな陰惨な社会なのかもなー。


 それに、ドラマツルギーとして破壊と再生、みんな好きですよね。「世界の危機が訪れる!タイムリミットまであと何秒!しかし奇跡的に生存!」みたいな。
 そういうクライマックスアクションの後にギリギリ生き残ってカタルシス~っての、割と売れる映画のセオリーみたいなところがある。ヤシマ作戦とかシン・ゴジラとか・・・。サマーウォーズとか君の名はとか。最初の機動戦士ガンダムのアムロが脱出するのもまあ…そうだよね…。


 そういうわけで、水星の魔女もそういうシリアスなアクションやらダーク要素を入れてくるような気がするわけで。小形プロデューサーが「無邪気な夢物語ではなく地球や宇宙を想像してほしい」というのはGのレコンギスタで微妙に流されたムタチオンをもっと強調して、「過酷な宇宙に出るためにはサイボーグ技術が必要なんだ!」みたいなのを入れるのかもしれん。って言うかすでに義手をホイホイ外すおばさんとか出てきてるし。
 サンダーボルトとか鉄血とか、最近のガンダムは手足がよくもげますよね。
 まあ、∀ガンダムでも手足以外がもげたりしてたけど・・・。グランチャーも義手義足だし。Vガンダム…。
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 富野監督はまあ、小説版とかを見ると、そういうゴア趣味は確実にあったと思うけど、本人だからこそ反省してなるべくグロ要素を減らしたいと考えた面もある。しかし、ガンダムらしさや富野作品を過去のそういう部分に感じるプロデューサーとかファンからすると、Gのレコンギスタの方がガンダムっぽくないという感じになるのかもしれない。


 あと、破壊の後に生き残ったり再生するのも割とセオリーだけど、増えすぎた人口をスペースコロニーに捨てたりしたけどニュータイプが出てきたり、暗い要素から進歩の芽が出たり、っていうのもドラマチック。
 (当時としては)リアルな科学考証の延長の世紀末的なスペースコロニーや一年戦争が進歩とか進化とかのきっかけになるっていうのもガンダムっぽいのかも。
 そのまま「破壊と再生」をテーマにしたガンダムもあるし。


(ちょっとわき道にそれるけど、機動戦士クロスボーン・ガンダムDUSTのラストで主人公たちが黙示録の軍団でありノアの箱舟というのはそこら辺を自覚的につまんでいるよなーって。)


 なので、水星の魔女のガンド・アームも現代の義手義足とかVRとかの拡張身体というものは、かつての宇宙開発と同じく、現代の時点で若者に流行っている未来っぽい要素なので、ガンダムっぽいのかもなあ。
 しかし、ロボットとの神経接続、エヴァンゲリオン以前のサイコガンダム、下手したらエルメスの時点でやってるのでは???そんなに新しいか????
 あと、学生が企業経営に参加っていうのは、戦争を知らない世代が知ってる経済戦争なのかなあ。キラキラハイスペック学生社長、増えたよね…。別に僕は関係ないけど。



 というわけで何が言いたいのかというと、僕は富野ファンなので、富野監督はガンダムを置き去りにしたと考えたい。


 まあ、ヒミコヤマトがガンダムより新しいのかって言うと前世紀と弥生時代…。うーん。


 とりあえず、ガンダムはもう若い人に渡してエルフは去るべきなのではないだろうか。(一応、ウォッチはするけど、もうGレコ特集の時くらいしかガンダムエースも買ってないしなあ)
 でも富野監督は80歳になってしまったとはいえ、40代のころにイヤイヤガンダムの続編を作っていたころに比べると、ガンダムっぽいけどガンダムじゃないアニメを作れるようになってよかったのかもしれない。次回作にご期待ください。いや80歳だけどな。でもやるって本人が言ってるんだから…。
 

 やっぱり所詮飛ばし記事なので、なんか長い割に内容がない記事になってしまった気がするけど、ガンダムと富野監督のオタクのおじさんとして思いついたので書いてみた。

  • ほしい物リスト。

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