「閃光のハサウェイ」という物語は、ハサウェイがタクシーで運転手と話しているところで既にオチがついている作品なんですよね
— 鉄機@ロボ専門イラストレーター (@robo_robotarou) 2021年10月30日
ハサウェイが"打倒すべき"相手の象徴こそが、あのタクシー運転手だった訳で。その意味では、それ以降のマフティーの活動全てが虚無なんだよな…となる
マフティー(ハサウェイ)を暇人なんだと言ってみせたあの運転手の言葉。一見すると善良な市民が核心を突いたシーンのように見えるんだけど、読者や視聴者はそこで、「ちょっと待てよ」と思わなきゃいけないシーンでもあるのが面白い
— 鉄機@ロボ専門イラストレーター (@robo_robotarou) 2021年10月30日
ハサウェイはタクシー運転手と戦うべきだった→ハサウェイが戦うべきはシステムだった、に関して。
これに対する模範解答は、『Zガンダム』の作中でハヤト・コバヤシがシャアに言った「10年20年かかっても地球連邦政府の首相になるべきです」ってやつに限る……ように見える。ハサウェイが戦うべき相手はタクシーの運転手ではなく、無制限カードを生むようなシステムで、そのシステムを変えていくには政治しかない、いやあ、確かにそのとおり。現在の議会制民主主義な日本から眺めるとそんな風にみえるし、そう見るのが正しいような気がする。
でも『閃光のハサウェイ』のアニメ版を見て以来、そういうアングルをかなぐり捨てて、何か違った目線でガンダムの宇宙世紀世界と地球圏について考えたい気持ちが高まっている。
議会制民主主義をとおしてシステムと戦っていく、そういう政治改革の(お行儀良い)姿勢って、じつは、あの宇宙世紀世界では着想困難だったりしないだろうか。Zガンダムの時代のジャミトフ准将やブレックス准将が象徴していたように、ある程度政界に馴染んだ者でも結局は武力による解決を求めてしまう、そういう政治風土が宇宙世紀ガンダムの地球圏にはあるようにみえる。思えば、ジオンダイクンが倒れてジオン公国が戦争を始めた流れもそうだし、宇宙世紀元年の出来事だってその一部だったのかもしれない。アクシズ落としに至ったシャア・アズナブルの短気っぷりと闇落ちっぷりが目立つけれども、宇宙世紀ガンダムに出てくる主要な政治プレイヤーは、だいたい短気で武断的だ。
(中略)
いやしかし、しかし宇宙世紀ガンダムを愛する者の過半数は、ああいった政治風土の泥濘が本当は好きで好きでたまらないと思い、寝不足の頭がつむぎ出したこの文章が誰かに届くようにと祈りつつ投稿した。
僕みたいな富野オタクとして認められた男が、
(少なくとも富野由悠季の世界展のチケットを無料で10枚はもらう程度にはオタクとして認知されている。実は精神障害者なのでチケットをもらわなくてもタダで美術館に入れるんですがね。まあ、記念品にはなる)
こういう寝不足の記事について突っかかるのはおとなげないんですが。
まあ、僕も似たようなことを考えていた。それでこの閃光のハサウェイについての記事を書きたいと思っていたのですが。精神障害者なので免疫力がゴミで、ちょっと筋トレしたら熱が出たり咳き込んだり眠くなったりしてブログを書くコンディションではなかった。
(そのくせ、精神障害者なのでメルカリで死蔵していたコレクションが売れたらテンションが上って不調を押して発送してしまう)
https://jp.mercari.com/user/profile/653113502
↑メルカリで非売品グッズを販売しています。借金を返すために助けてくれ。
と言うかですね。
僕、フィクションとかテレビでよくある「頭でっかちなインテリキャラに通りすがりの一般人がズバリ正論を言ってスカッとジャパン展開」が超嫌いなの。(バーニィもつまらない酔っ払いの女の話をきっかけに、ではなく、自分の意志で戦ってほしかった)
(G-レコでアイーダさんに「アメリアではそう教えられて育ったんでしょう」と言って論破したクレッセント・シップの艦長も自分の地元の反乱分子のジット団にハチャメチャな目に合わされるので、富野アニメはバランスが取れている)
ヴァン・ダインの二十則!
端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
しかしだねえ、日本人も劣化しましてですね。気高さと強さを失っているオタクが多い。そして、1995年のオウム真理教事件や2001年の同時多発テロ事件以降、「テロは絶対悪」という思考停止が常識化している。革命権というのもあるのだけどね。まあ、ベルサイユのばらのアニメ版の最終回の話はさておき。
閃光のハサウェイのアニメを見た観客が、タクシー運転手程度の一般人目線に共感して「ハサウェイは絶対悪のテロリストw論破乙www」みたいな風潮がインターネットにあるようで、ちょっと僕はそれは嫌だなって。まあ、そういう一般人目線がヒットの要因であろうとも思うのだが、僕はノブレス・オブリージュを信じるコスモ貴族主義者なので、端役の使用人のような一般人のことが嫌いなんだ……。
まあ、この記事を書いているのも午前三時で酔っ払ってデレステのミッションができないから、というクソ状態なんですが。(明日はモバマスの対人戦が深夜なので昼まで寝ていられる)なので、そこまで厳密な記事にもならないのだけど。
というか、そういう「一般人目線の常識感覚こそが正しい」というリアルな観客の風潮こそが、まさに作中の地球連邦政府の腐敗を生む社会の土壌と共通するように思うのよ。僕は社会から逸脱している人間なのでね。
(かと言って、一時期は輪るピングドラムやガッチャマンクラウズにあこがれていたけど、実際の通り魔事件を見ると刃物ってそこまで威力がなさそうだし、(というか、素人がいきなり実戦で動くものを切るのは難易度が高い。新選組は平突)そもそも数十億人もいる塵芥みたいな一般人を数人アレしたところで大して面白みもないし、富野監督にもファンレターのお返事の直筆手紙で健康を祈願されたので下手な犯罪はしないようにしてる。どうせ僕がやらなくても馬鹿がやってくれるので。犯罪はアホでもできるけど、ガンダムについてのクソ長いブログはグダちんさんしかできないって、ブロックされる前の安田朗さんにも言われたので)
いや、もちろん、ガンダムの楽しみ方として、シャアとか登場人物の奇行をネタに「一般常識から外れている」と笑いものにするやり方もある・・・。しかし、それは野暮なツッコミだと自覚している場合に限って面白い冗談であって、ガンダムはもっとマジだから。遊びでやってるんじゃないんだよ!
というわけで、僕は人間社会が超嫌いなんだけど、アニメを作れる動物は僕の観測範囲にはホモ・サピエンスしかいないので見逃してやってるんですが。
- 閃ハサのタクシー運転手はどういう人間なのか
アニメ映画版は、まあ、富野小説を精緻にエンターテイメント映画にしたね、っていう程度の及第点以上の評価で2回も見る気はないのだが。(そういう意味で75点という記事を書いた。G-レコは採点規格外です)
一応、原作を読み返してみた。
(新装版でもほとんど差がないというか、スニーカー文庫版から誤字がかなり訂正されている)
いちいち引用をタイピングするのもダルいので、ざっくり言う。
ダバオでハサウェイが乗ったタクシーの運転手は、
学がない、
マフティーにハンターを討ってもらいたいという意見を持っているが、ハサウェイはそれを乱暴な意見だと思う反面、自分たちの武力行使を容認する民意があると安心する、
学がありすぎるマフティーはかっこうつけて偉い奴等やっつけてくれるのはいいんだけど、地元の環境汚染には無頓着でマフティーの地球保全主義がわからない、
千年先のことを考えている富野監督やハサウェイと違って明日のことしか考えられない、
偉い人を殺してほしいと思うくらい嫌っているけど、地球に住むために偉い人につぎ込む金のことを考えると明後日のことも考えられない、
それは例外規定を手に入れることで、ハサウェイはそれを不正だと思う、
しかし、気のいい人物ではある。
ということが原作に書いてある。
つまり、政治家など偉い人を嫌いながらも、生活のために偉い人に金を渡していて、それが官僚の腐敗を招くという長期的な想像力すらないという、矛盾を抱えた人物である。
自分が矛盾を抱えていることをハサウェイは何度も苦悩する描写がある。タクシーの運転手は自分が偉い人に対する態度が矛盾していることに気づいてもいない。
セーレン・キルケゴールの「死に至る病」によれば、「自分が絶望していることに気づいていない状態は最も浅い絶望である」とのこと。俗人はそういうものなのだ。
「絶望とは、死に至る病」というのは富野監督も講演会でよく発言している。(その割に、作者をキルケゴールではなくニーチェだったりゲーテだったり、取り違えて発言なさることが多く、うろ覚えなんだろうな)
ちなみに、余談だが、明るいロボットアニメと言われがちなオーバーマンキングゲイナーの終盤は僕から見れば「死に至る病」の絶望陳列劇に見えた。(アスハム・ブーンは自分が絶望に満ちた魂であることを自覚して悪魔と取引をして自分自身の王(カエサル)になるためにアイシングゲートに引きこもっているし、主人公ゲイナーも悪魔に魂を売る。そして、キルケゴールがゲーテのファウストを引用して述べるところによれば、「(救世主を拒絶する)悪魔の絶望が一番深い」とのこと)
なので、富野監督も「死に至る病」を一応読んではいると思う。
そういうわけなので、閃光のハサウェイは二年後にコスモ貴族主義者を描いた機動戦士ガンダムF91に行く途中ということもあり、思想的には「その日暮らしの庶民の生活感覚はわかるが、それでは人類も地球環境も立ち行かない」という庶民と政治の乖離を描いている。
地球連邦政府が(具体的な成り立ちかは不明だが)、スペース・コロニーへの人種差別をほとんど無くした強制的な宇宙移民を行ったのは、閃光のハサウェイの地の文によれば、
「地球の平均気温が2度ほど上昇したころから、人類は危機意識を抱いた」
「だからといって、本当に地球が死に絶えてからでは、人類は、スペース・コロニーを建設し、進出する力もなくなってしまうだろう」
「地球連邦政府の創立は、人類は地球と共に死に向かうのではないかという認識が、都市部からひろがった時に創設されて、スペース・コロニーの建設が開始された」とのこと。
平成元年に出版された30年以上前の小説であるが、まさに2021年現在、先日11月上旬に英国グラスゴーで開催された「国連気候変動枠組条約第26回締約国会議」(COP26)での議題が「産業革命以降の気温の上昇を2度以内に抑えるかどうか」だったので、共通点がある。
また、そういう環境保護運動を始めるのは都市部のインテリ左派であろう、ということも閃光のハサウェイに書いてある。そういうわけで、富野監督はグレタ・トゥーンベリさんを気にかけている。
なので、サンライズのプロデューサーさんが閃光のハサウェイの先見の明を褒める時に20年も前のアメリカ同時多発テロ事件のようなテロリストを描いている、という点ではなく、「環境問題が原因で世代間の分断を産んでいることを予言している」という点にすべきだと思うのだが。まあ、パトレイバーとか逆シャアフォロワーで平成初期にそういう描写はあったんですが。
地球の環境を汚染し、そして利益を上げた大人たちは自分が死んだ後のことはどうでもいいのだが、そこに残される若者たちは老人たちに反感を持つ。それがマフティーの構成員の若者たちであり、グレタ・トゥーンベリさんたち環境保護活動家なのだろう。しかし、閃光のハサウェイでもマフティーの黒幕は地球連邦軍を引退した老将軍のクワック・サルヴァーであり、若者たちは老人に反感を持つと同時に、老人の手駒なのかもしれないという達観した描写がある。グレタ・トゥーンベリさんもキングゲイナーのシンシア・レーンのように彼女をそういう風に育てた人物がいるのだろう。
- カヌーの少年
アニメ映画版の閃光のハサウェイの評判ではあまり話題に上がっていないように見えるが、ハサウェイをマフティーのクルーザーまで送ったカヌー漕ぎの少年も市政の人物としてマフティーと地球連邦を語っている。
彼はタクシーの運転手とは違って、フィリピンのカヌー文化を保全する家系として正式な地球居住許可証を持っている。
しかし、彼も地球連邦政府の高官たち、自由に地球と宇宙を行き来する特権階級にバカにされていると感じて反感を持っている。
だが、タクシーの運転手とは違って、彼は「地球を自然のままにしたほうがいいっていう(マフティーの)話は、わかるよ。観光だけはやってさ……」と環境汚染を実感していないにしてもマフティーの地球保全に賛同しつつ、しかし自分が失業しないために観光はやってほしいという利己心を持っている。
それで、地球のフィリピンのような南国で観光をするような偉い人を嫌いながらも、生活のために知るべきでないことは知らないフリをする、バカはバカのままのほうが楽だって、何も考えないようにしている。
タクシー運転手より、少年がこのような職業意識で高級官僚に奴隷のようにこき使われているという描写のほうが富野小説らしいエグみを感じる。
※追記
あー、アニメの #閃光のハサウェイ ではカヌーの少年とハサウェイの会話がカットされてるのか。
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2021年11月20日
そりゃ原作組とアニメ組で印象が変わるわ。
少年なのにエリートに薄く殺意を持ちつつ、自分が失業しないために地球を保全しても観光だけはやって欲しいという地元民の利己心の描写はかなり強いのにね。
民衆の暖かさを持った常識的な自分の生活を優先する心が地球すら破壊するという、富野監督の当時の大衆への意識があって重要なんだけどね。
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2021年11月20日
映画では大衆向けに大衆を悪者に描けないのさ。
#閃光のハサウェイ
ただ、両者に共通するのは一般人である自分はバカのままでいいと思い、明日の自分の生活のことだけを考えて、地球全体や未来のことを考えず、地球連邦政府官僚に金やサービスを提供しているという自己矛盾も無視して、政治は偉い人がやってくれるだろう、という無責任さである。偉い人を嫌いながらも、地球全体のことは偉い人が考えてくれるだろうと判断を投げているのが世襲制が横行している民主主義の地球連邦の一般人なのである。 これは現代の投票率の低い選挙民の現状にも合致している。
現代でも、通り魔事件が起きるたびに、多くの人が「国会議事堂を襲って政治家を殺せばいいのに」とマフティーを支持する人のようなことを言う。自分で逆らう度胸もないくせに。それで、自分の既得権益を保護してくれる企業と繋がっている政治家とその世襲後継者を支持する。
そのような思考放棄した人間のタクシードライバーがハサウェイに対して正論で論破する、という観方は、僕はしたくない。ハサウェイはそのような民衆の思考を知って裏切られながらも、そのような民衆を含めた人類と地球全体のことを救おうと考えている。しかし同時に、そのような人間はいずれ処刑台に上げられるだろうとケネスに殉教者のように言っている。
なので、マフティーとしてのハサウェイが学がありすぎて一般常識から乖離している頭でっかちで間違っている絶対悪のテロリストで、労働者のタクシー運転手やカヌーの少年のような一般人の方が目の前の現実を見ていて正しい常識人、という見方はちょっと違う気がする。
※追記
新訳Zガンダムでも目の前の女性を大事にするという視点だが、そこで止まるのではなく、そこからつながる世界を想像することを表現したかったのでは?
時系列を追うかたちで振り返ってみると、テロリストをテロリストとして描く・描かなければならない要請は20世紀のガンダムには希薄で、テロリストを描いたとしてもどこか呑気だった。日本のアニメファンにとって平和な一時代だったのだろう。ところが『閃光のハサウェイ』には、テロリストをテロリストとして描かなければならない温度感があって、これから先、どのような陰惨・悲惨・迷惑が飛び出してくるのか、期待、いや怖くなってしまう。
すでにマンハンター部隊をとおして描かれたように、テロリストとしてのマフティだけが悲惨・陰惨・迷惑なのでない。そして軍人だけでなく色々な人が巻き添えになって死ぬのだろう。じゃあ巻き添えになって死ぬ民間人が無辜と言えるのかといったら……そうとも言いきれない。宇宙世紀ガンダムシリーズをとおして繰り返し述べられているように、大局的にみれば地球に民間人がたくさん住み続けること自体が問題であり、圧制を敷く体制はもちろん、明日のために明後日のことが考えられないダバオの人々もそれはそれで問題なのだ。
宇宙世紀ガンダムシリーズ、特に『Zガンダム』以降のガンダム作品は、こうした世間の縮図のような状況のなかでパイロットたちが戦い、苦悩する物語だった。『閃光のハサウェイ』もまた、そのような作品に連なるものとして体制とテロリストの戦いを物語るのだろう。
シロクマ先生も鑑賞当時では民間人も無辜ではないと述べてらっしゃるのだが。対テロ戦でのビームライフルやミサイルの被害は小説版でもちゃんと描いてあるので、「シロクマ先生ほどのガンダムのオタクも、結局、映像で見せられないとわからないのかよっ!ケッ!」という気持ちはある。
- 民衆の総体としての地球連邦政府
閃光のハサウェイでの民衆は(21世紀の我々と同様)、その日暮らしの生活のことで頭が一杯で未来のことを考えるのを放棄して、体制の偉い人を嫌いながら、政治は地球連邦政府に委任している。
では、その地球連邦政府高官殿たちは地球圏の未来をきちんと考えて民衆を導いているのだろうか?
そんな訳はない。ギギのような美少女がハウンゼンに同乗しているだけで欲情してキャバクラ嬢のように会話をしたがったり、特権を振りかざして個人の贅沢を追求している。そもそも地の文によればスペース・コロニーの方が人口が多いのに、地球連邦政府の官僚が地球に家を持ちたがり、わざわざ地球に降りて会議をする(そしてマフティーに狙われる)というのも個人的な欲求に過ぎない。
つまり、なんのことはない。未来を考えず、利己的で自分の欲求と快楽だけを追求して、それが正しいし自分にその資格があると思っているという点では高級官僚はバカで思考放棄した民衆と同じである。
いや、そういう民衆だからこそ、自分と同じような政治家に権力を委任するのだろう。
互いに見下し、嫌い合っているのに依存しているのが政治家と民衆なのである。
民衆が「政治や明後日のことを自分で考えるのが嫌だから、政治家にやってほしい」と権力を委託するが、その権力者も今日の快楽のことしか考えていない、同じようなクズである。議会制民主主義など建前で、みんな利己心しかない。
偉い人は一般人より賢いのでクズではないと思って権力を委任しても、結局選ばれた権力者も民衆と同じような人間だしクズなのは変わりがないというのが地球連邦政府の現状なのだろう。(それは現実でもそうなのかな????)
みんな自分のことしか考えていないで、コミュニケーションができていない。
- 政治は殺意を以ってやる
自分で考えるのが苦手なクズで利己的な民衆が選挙で選んだ賢くて偉い人も、結局クズで利己主義者でコミュニケーション不能者の集まりに過ぎないとしたらどうだろう?
それがマフティーの閣僚殺害である。
結局、「殺されるかもしれない」と政府の中枢を慄然とさせることでしか意見を通せないと考えるのがマフティーたちなのだ。いくら利己主義者でも自分の命は惜しいからな。
議会制民主主義で、違う意見を持つ勢力が政権を取る手続きなんか、腐敗した連邦の体制が許すわけない。殺意を見せるしかない。
※
追記
シャアですら政治的にはスウィート・ウォーターのコロニーを一つもらうのが精一杯で、地球全体を揺るがすには武力しかないとして行動し、そして圧倒的な地球連邦軍の戦力に押しつぶされた(と、ハサウェイはシャアについて調べて結論づけた)
地球連邦政府は身内や利権相手の大企業などしか相手にしない。クズで利己的な民衆が選んだクズ政治家と、利権ズブズブのクズ官僚の集まり。
議会制民主主義でバカな大衆が政治の責任を偉い人に「偉いのでなんとかしてくれるだろ」と丸投げしているけど、その偉いと思われる地球連邦政府の人は大衆や別の意見を持つグループとコミュニケーションする気がないクズ集団。利己的な大衆と同じく、利己的な贅沢や快楽を求めているようなヤニくだったゲス共(と、ケネスですら思っている)。地球連邦政府は地球の環境問題や未来を考えてくれない。ハンターたちも不法居住者を全員宇宙に送る職務を果たすより、アムロが言ったように「殺人アスレチック」感覚で不法居住者に暴力を振るったり恫喝するのを趣味にしている連中で、むしろ不法居住者が地球に住むためのみかじめ料を取って偉い人が私腹を肥やすように中途半端な摘発(銃撃で殺人をしたり、女性の股間に革靴の蹴りを入れたり)と脅しをする。
そして、なぜ地球連邦が、そういう暴力を政権を維持するための装置として使っているのかと言うと、シロクマ先生が言ったように宇宙世紀ガンダム世界の政治は武断的な風潮があると同時に、「歴代のガンダムパイロットの暴力のおかげで反対勢力を排除して来たという連邦の成功体験」が影響しているのかも。というのは悲観的すぎるかもしれないが。
(また、一年戦争の冒頭で主だった政治家が死んで地球環境がめちゃくちゃになって議会が崩壊していて、地球連邦は軍閥政治になったのが閃光のハサウェイの時代でも影響しているのかも。ジオン公国のデギン公王も和平会談の相手を連邦の政治家ではなく、事実上の軍閥のトップであったレビル将軍としていた)
(原作ではハサウェイはシャアについて調べて、アムロよりもシャアの理想である地球保全主義をもって後継者になろうとしているので、アニメでアムロの声が聞こえるのは解釈違いかも)
※
追記
そういう、未来のことや地球全体のことを考えてくれないし、大衆の人権も意識しないし、世襲制が横行して既得権益を維持することばかり考えている大人や老人の集まりが地球連邦政府(そしてその利己心は大衆も同じ)で、大衆から権力を委託される資格もなく、正しい政治を行えないクズ集団だとしたら、どうしたらいいのか?
議会や政界で地球保全主義を訴える政治家として、ハサウェイが体制側になることは、血筋的には可能だろうけど、腐敗して利権関係者や世襲制で方針や成員が固定されている体制の中で反対意見を押し通すのはかなり困難。(F91のロナ家は財力をつけて一時期、政界に身内を送り込んだが、体制側に暗殺されて政治的に連邦を中から変えることを断念して武力行使に踏み切った)
地球連邦政府は明日の生活のことだけを考えている大衆と大差がない利己主義者の集まりで反対意見を聞かない。そして、圧倒的な軍事力やハンターなどの暴力で権力構造の強度をガチガチに固めている。連邦政府は地球の環境問題よりも不法居住者を脅して賄賂を受け取ったり、特権で地球観光を楽しむような奴等で、あまり未来の環境問題に熱心ではない。
そんな連邦政府に対して、COP26でデモ行進した若者たちよりももっと過激な「大人たちが汚染した世界で生きていかざるを得ないのは嫌だ」と思っているマフティーの若者たちが、シャアのネオジオンよりも少ない戦力でどうやって意見を押し通すのかというと、もう、閣僚を暗殺して回って恐怖感を植え付け、電波ジャック放送で大衆に「地球連邦政府の閣僚は殺されても当然だ」とアピールするしかない。暴力による恐怖しか対話の手段がないのだ。
作中でマフティー・ナビーユ・エリンであるハサウェイ・ノアのライバルになるケネス・スレッグ大佐は敵味方でありながら、ハサウェイと奇妙な友情関係になる。
彼は体制側であり、そして市街戦で一般市民を巻き添えにする誤爆も辞さない武断的で凶暴な指揮官であるが、地球連邦政府官僚のゲスさや贅沢を痛感しており、自分も含めて「マフティーにブッ殺されても文句は言えないよなあ」と序盤からひとりごつ。中枢に近いケネスですらそう思うくらい政府は腐っている。
タクシードライバーやカヌーの少年も「マフティーはハンターや官僚を殺せばいい」と言っている。
現実の通り魔事件の報道に対するTwitterでも「電車の一般人ではなく国会議事堂や政治家を襲えばいいのに」という発言が多い。同時多発テロ事件以降でもね。
そういう漠然とした殺意を具体化したのがマフティーの行動なのである。
オーバーマン キングゲイナーで言われるように、ピープルは不平不満を言っても自分では何もしないのが習い性なのだ。政治も政治家に任せるし、政治家に対する不満と殺意はテロリストに任せる。
テロリストは絶対悪だと言うのが現代日本の常識的な見方だと思うが、しかし、タリバーンが復権する前のアフガニスタンの公式政府は駐留アメリカ軍の強さに甘えて腐敗しており、官僚たちはアメリカ軍が撤退するのに合わせて国外脱出したと聞く。政治家も民衆も、人間は基本的に利己主義者以外になるのは難しいのだ。ただ、政治家は力を使って飛行機で逃げられるけど、難民は数を頼りに国境に徒歩で押しかけるしかないという物理的な形態の違いだけがある。
もちろん、僕も(文化財と人権の保護の立場から)タリバンの政策の全てを容認しているわけではないが、地元民としてタリバンがアメリカ軍の後ろ盾に頼る政府を倒そうとした義侠心や郷土愛というのは存在しているのだろうと想像する。アフガニスタンの海外資産は凍結されているそうだが、官僚の個人資産はどんなもんだか。(インターネットでこういうことを書くのは危険な世の中かもしれないが、幸い僕には脳内妹以外に守るべき家族がいない)
アフガニスタンから撤退したアメリカ軍だが、今は中国と台湾海峡危機について米中首脳会談が行われているらしい。そこに当事者の台湾人が独立をしたいのか、中国に入りたいのか、という話はNHKのニュースレベルでも出ない。台湾人の頭の上を飛び越えて太平洋を挟んで米中首脳会談だと。結局、台湾よりもアメリカと中国が軍事力、すなわち暴力を持っているから発言力があると言うだけのことだ。
インド地方も朝鮮半島も中東も東欧も元ソ連地方も、そうしている。
現実でも政治を動かすのは結局暴力でしかないのだから、ロボット戦争アニメであるガンダムの政治運動のエゥーゴやマフティーが暴力に訴えるのは当然というか、それしかない。
シャアの反乱もハサウェイから見れば圧倒的な連邦の戦力に押しつぶされたということだ。思想的な正しさ云々ではなく暴力で決する(と、ハサウェイはシャアについて調べて、そう思った)。
みんな、互いに憎み合っている利己主義者だ。自分に近い境遇の人と徒党を組むのが精一杯の共感の限界で、未来のことや地球全体のことは考えられない。現実の温暖化やプラスチックゴミ問題やグレタ・トゥーンベリさんたちも再生エネルギーとか原子力のビジネスとか国家間のパワーゲームの一環に回収されているんだろうね。悲しいことに。
コミュニケーションが取れないが、暴力や害悪(環境汚染も含めて)だけは振るってくる利己主義者に対して意見を変えさせるには、暴力しかない。(これは僕の意見ではなく、ガンダムという虚構アニメの中の倫理観ですよ、というエクスキューズはしておく。このブログは所詮、アニメについて書いてあるだけのブログですよ)
※追記
だから、大衆も政治家もほとんど利己主義者の集まりの中の社会で、地球の未来というものを「利他的に」考えているマフティーがどうすればいいのか、ということについて、勘の鋭いギギは
「絶対にまちがわないでやれるっていうならば、理想的な独裁政権の樹立よ」と簡潔に答えを出す。
そしてハサウェイがそれができるのは神様だけだと言うと、ギギはハサウェイに「あなたが神様になればいい」と、これまた平然と言う。これはギギのトンデモ理論だとよく言われるが、利権と軍事力でガチガチに固まった利己主義者の集まりの連邦政府を利他的なものが打倒するには、例外規定による不正や賄賂を許さないで地球保全という理想をひたすら追求する独裁政権しかないという論理は、僕は筋が通っていると思う。(もちろん、それはマフティーが人柱になるということだが)
- ハサウェイとタクシー運転手の政治的な戦い
なので、マフティーであるハサウェイとしては、タクシー運転手が「マフティーがハンターを討ってくれたらいい」という意識を受け付けられていることを確認して、安堵するのである。自分たちが実力行使する大義を民意として認められているのだから。
連邦の対マフティー指揮官のケネスが官僚を見て「マフティーにブッ殺されても文句は言えねえよなあ」という気持ちになる時点で、マフティーは政治的なイメージとしての戦争に優勢である。
断絶された組織や階級の間では話し合いでコミュニケーションは取れない。
どちらがより多く「ぶっ殺されればいい」と思わせるかの勝負だ。それが実戦の前のイメージ戦略なのだ。(そういう点で、やはりマフティーは2001年の9.11事件のテロリストの実力暴力というより、それ以降の思想戦に近いようにも見える)
そういう点で、村瀬修功監督の虐殺器官と共通するモチーフはある。
だから、ハサウェイはタクシー運転手と戦っていなかったとは僕は思わない。マフティーはタクシー運転手やカヌーの少年の中に体制への薄っすらとした殺意を植え付けることは成功している。
ハサウェイ、マフティーは地球連邦政府の仕組みの深さに慄然としているからこそ、対する閣僚を殺して中枢の人々を生理的に慄然とさせるしかない。暴力で恐れさせる戦闘をし合うしか、コミュニケーション手段がない。
それのどちらかを正当化するのは民意。
ケネスのキルケー部隊の市街地にも誤爆をするのを許可している作戦の凶暴さや、民間人を殺害するマン・ハンターやキンバレー部隊の暴虐を見て、民衆は「マフティーが体制側をぶっ殺せばいい」と思う。
(アニメ版は現代社会の世論に配慮してテロリストの方が悪そうに調節してあるけども)
- ラストのネタバレ
だから、閃光のハサウェイのラストはああいう風になるのである。つまり、新聞やマスコミの報道によるイメージ戦略。
閃光として駆け抜けた彼を直接知る当事者は少なく、民衆の事実認識はイメージ戦略で左右される。
しかし、ガンダムの反骨精神と反抗の伝説は後の世にも伝わっていると信じたい……。
- 僕の政治的態度
とかなんとかエラソーなことを書いたわけだが。
まあ、京都アニメーションが燃えている時に選挙演説に利用した門川大作京都市長とそれを支持した政党を許すつもりはないけど。
僕も利己主義者なので、アベノマネーの第二弾として定額給付金をくれる政党を支持します!岸田首相!期待してまっせ!金をくれるなら自民党を応援します!
ソシャゲのリボ払いが60万円あるのでー。
現実社会は戦争や暴力ではなくお金で解決できたらいいですね。いいですよね~~〜。
- 参考・富野小説の大衆の見方
※追記
密会での、ララァ・スンから見た大衆
密会 アムロとララァ」P102
ララァは、その機体のパイロットが、悲しいことが現実のものになったことに慟哭している、と感知する。
”かんべんしてくれっ……!!”
自分の攻撃で死んでいく人々に、おびえる。
戦争なら、仕方のないことなのに、少年は、自分とおなじものを抹殺する権利がないことを知って、泣いているのだ。
人は、おなじものに同化し、一体化しようとする性質がある。
にもかかわらず、同類を損傷し抹殺する行為が、自分の痛みになるのが、ア、ム、ロ、さん!
そうでない人は、かつてのララァのように、同類から拒否され、排除され、卑下されつづけた者たち。
そうでなければ、同類を排除することによって、自らの安逸を手にいれようとする人たち。
そうでなければ、知恵をもてるがゆえに、狂気という不幸を実践できる、肉体をもった人!
知性は、自らの動物以下の行動を、利己的な貪欲さで正当化することができる。
知というのは、肉体を動物以下にすることができる道具なのだ。
アムロには、その知恵はない。
ララァは、ようやく、なんであの少年に心惹かれるのか、ということがわかった。
『そうなんだ、優しいアムロさん……そういうあなたなら、ニュータイプだわ』
「凄いな……あのパイロットは、ニュータイプとして覚醒をはじめている。ララァとおなじレベルか、それ以上にな」
シャアは、少年の能力をスペックとして捕らえている。
リーンの翼小説版での大衆論
人ひとりには洞察力がなくても、総体として堆積し凝縮された意思は、民意といわれるものになって、ときに時流に敏感かつ狡猾に発現する。
まして、自分たちの総意を代弁してくれる一人の英雄が現れれば容易に荷担する。そして事態の進展がまずければ総意を代弁してくれた英雄を生贄にしてすますこともできるから、民意は意思の代弁者を容易に祭り上げるのである。
その英雄が民意の代弁者として立ってくれればそれでよく、次の新たな征服者があらわれれば、その英雄をスケープゴートとして差し出すことによって。民意自身は免罪符を手に入れて、新たな征服者に唯々諾々と屈服してみせるのだ。
そうすれば決定的な根絶やしにあうことはなく、次の機会を狙うことができる。
これが一般大衆といわれる集団の意思のありようなのだ。けっして自らが頭領にも大将にも統治者になることもない。
これが大衆の総意がもつ狡猾さである。
だから、突出しない大衆を指弾することはできないし、また向上心をもてと命令することもできないのは、大衆はたえず頭を下げ続けているからだ。
しかし、人の上に立つことが成功の証であり、立身出世の印であることを疑わない者はスケープゴートの役割がくるまで一時の自己満足に浸る。
生来、人の上に立つように運命づけられている人びとは永遠に安楽というもののないことを承知しつつ、その地位に立ってみせる。
隠れていれば狙撃されない。
人の上に立とうとしない大衆は狡猾である。が、それは生きてゆくうえで必要な皮膚感からきている知恵であるので、何人も指弾しえないのだ。
そして、突出した人びともまた、いつか大衆という隠れ蓑のなかに安息の場所をもとめようとするから。その存在をゆるすのである。つまりいつか有効な存在になるのだから、根絶やしになどできないのである。
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