かなり前にブログに無料投稿された「宮崎駿に人生を壊された女」というネット萬画が再投稿(有料)されて話題だ。note.mu
それに関して、私の知人からもこんな意見を貰った。
ラピュタは、テレビ放送か、特別上映されていたのを映画館で見たけど、すごい感動したのを覚えている。
エヴァンゲリオンの呪い。
そんな中学時代。高校になったら、進学クラスってのもあったのかも知れないけど、恋に部活に、モータースポーツとアニメなどには関わりなさそうだった、リア充達が、社会現象となった時から、エヴァを貪りだした。
今思えば、私に生きづらさ、隠れていたモノは、彼らじゃあなかったと思うのだけど、「手のひら!お前ら、急にエヴァエヴァ言いやがって!」とか、思ってた。yarukimedesu.hatenablog.com
yarukimedesu 比較的世代の近いid:nuryougudaや、id:sasuke8に、このエントリを捧げよう。同時代に、違う価値観で生きていたかもしれない。
話題を振られたので、書く。
- 幼児の時からサイコパス
私は幼児の時からキモヲタでオタクの中でも一番凶悪なガノタだった。
宮崎駿に人生を壊された女は1979年生まれのようだ。(でも彼氏と風立ちぬを見に行ったのか)
私は彼女より3歳年下だ。
時はバブル。私は機能不全家族で生まれて育った。
アニメは、ミンキーモモ、スプーンおばさん、宇宙船サジタリウス、タッチ、小公女セーラが好きで、
絵本、高橋真琴、五味太郎、ノンタン、モーリス・センダック、コミックボンボンが好きで、ミヒャエル・エンデのネバーエンディングストーリーの映画メイキング本を読み漁り、
幼稚園ではクラスで2番目に絵を描くのが上手かったが、一番うまい子が聖闘士星矢の絵を描いているのに比べ、僕はもくもくとガンダムを描いていた。粘土で親の顔を作れと先生に言われたのにアフガニスタン紛争のニュース映像にインスピレーションを受けて、粘土で戦車を作って「この戦車に轢き殺されているのが母親です」と言う幼児から生粋のサイコパスだった。
サイコパスだけど、母親と一緒に天空の城ラピュタを公民館で見た。これは当時のオタクが企画したものだが。宮崎駿に人生を壊された女と同じように見た。
- 僕は宮崎勤の犠牲者だった
小学校低学年の時、僕は美少年だった。具体的に言うと、田舎で暮らしていた時、知らない男の人に「君かわいいね」と言われて連れて行かれそうになったことがあったらしい。その時は近所の女の子が人を呼んでくれたから助かったものの、僕にはその時の記憶が無いのでもしかしたら性的虐待をされたか、殺されかけたのかもしれない。まあ、記憶にないのでよく分からないんだが。
で、オタクバッシングも同時に始まった。
1989年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者宮﨑勤の逮捕によって"オタク"という概念に注目が集まる中、日本独特のオタク文化というものの発生に衝撃を受け、それまでも記事を書いていた『週刊SPA!』上で、1990年2月に「オタク評論家 宅八郎」として登場。翌年、雑誌だけでなく森高千里のフィギュアとマジックハンドに紙袋を持つという姿で『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』などのようなテレビ番組をはじめとする各種媒体に出演し、お茶の間に宅自身とそれが演じる"オタク"に対する強烈な印象を与えた。ただし、この宅が扮装した「オタク」の格好は宅自身の嗜好にもとづいて選ばれた服装ではなく、戯画的にオタクを演出するために敢えてダサイ服に着替えていたものだった。
北野武やとんねるずが「おたくキャラ」をバラエティー番組の中でバカにする風潮がテレビで放送された。
「たけちゃんまん」「仮面のりだー」「ガラガラヘビがやってくる」など、子供にもビートたけしやとんねるずやウッチャンナンチャンは人気だったので、「人気タレントがオタクをバカにしているから俺たちもバカにしよう」というイジメごっこが流行した。当然、クラスで一番足が遅い上に転校生でテレビで覚えた標準語を話し、漫画を描くのが趣味で小学生にして筒井康隆の虚航船団を読破しているようなアスペルガー障害気味の俺はいじめられた。
しかし、まあ、これも変な話で、北野武もバカボンのパパのような扮そうをしたり、とんねるずもデビルタカとか、ウンナンもマモーのコスプレなど、アニメ萬画ネタをするお笑い芸人は今も昔も多い。テレビではオタクを揶揄するネタも放送されたが、アニメも、アニメをネタにしたお笑いも放送された。
なので、当時の私は小学校低学年ながら、いじめられながら「文化は文化。イジメはイジメ」「イジメをする奴もその場の空気でやっているだけで、アニメ自体が悪いわけではない」「俺がいじめられるのは辛いが、だからと言ってアニメの面白さが減じられるものではない」と思っていた。
ここら辺は、いじめられないために趣味を封印した「宮崎駿に人生を壊された女」とは違う。
僕は「僕がアニメを見ようと見まいと、どうせ僕はいじめられるのだからせめてアニメは見よう」と、そんな風にアニメにのめり込んでいった。
ここら辺は女性と男性の文化圏の違いかもしれない。ガンダムのガチャポンやBB戦士やミニ四駆やトランスフォーマーや勇者ロボでごっこ遊びをしたり玩具を貸し借りする文化が男児にはあった。コロコロ派とボンボン派での交換貿易などもあった。
「宮崎駿に人生を壊された女」はナウシカ・ラピュタ・トトロの映画鑑賞にのめり込んでいったが、男児は玩具カルチャーと言うものがあって、それが子ども同士のコミュニケーションだったりした。ゲームボーイやファミコンなどもそうだ。
- 小学校で既に現世を諦めた
なので、公立図書館に置いてあったアニメージュでナウシカも読んでいた。ホビージャパンの後ろの方のエロフィギュアやたまに買うコミックボンボンのちょっとエッチな萬画や、セーラームーンなどにドキドキした。
もちろん、オタクバッシングやオタクがキモイと言うイジメはあった。だが、僕はキモイならキモいなりに同じようにキモイ奴らとつるんでいた。クラスのカーストの最下層でフォークダンスの時は男子同士で踊らされるグループだが。もう、その頃からほとんど異性には興味が無かった。いや、小学校のころはあったんだけど、好きになった女の子に好きだって言うと泣かれて嫌がられるくらいキモかったからね。
自分は気持ち悪がられる人間だし、それはアニメとは関係なく自分がキモイと言うことは自覚していた。
で、小学1年生の時から脳内恋愛をしていた。最初の脳内彼女はビックリマンの如面菩薩だ。次はいきなりオリジナルキャラだ。その次はセシリー・フェアチャイルドだ。小学3年生の時のF91が初めてのリアルタイムガンダム視聴だ。(1年生頃に騎士ガンダムなどのSDガンダムは読んでた)
もう、その頃から僕は現実の女子と喋るよりも脳内でアニメキャラと会話する方が多いという脳内恋愛強化人間だった。
オタクだからいじめられるとかそう言うレベルじゃない、純粋にキモイ人間だ。
ちなみに、小学6年生の時のVガンダムはリアルタイム初富野テレビ視聴だったが、カテジナさんは最初は脳内恋人になりそうな憧れのお姉さんだったのだが、ちょっと12歳の子供にはついていけない内容だったので、カテジナさんは脳内彼女にはならなかった。シュラク隊で一番好きだった一番巨乳のお姉さんは早めに死んだ。
中学に入ると、より一層いじめられたが、いじめられないためにいじめに加担するという最低のこともした。だから被害者面だけもできないのだが。
しかし、中学はオタク過ぎてマウスでシャイニングガンダムをパソ・コンで描いたり、萬画研究部に入ってリアルなドラえもんのマンガを描いたり、中学生らしいことをした。
萬画研究部、先輩は男しかいなかったが(先輩も他の三年生からいじめられていた)、同学年は腐女子しかいなかった。普通にがゆんの聖闘士星矢本とか部室に置いてあったし、ガンダムWの話題で腐女子と盛り上がった。しかし、腐女子はJCでも腐女子なので全く異性として付き合うことが無かった。というか、当時の純粋な僕にはボーイズラブという概念が分からなかったので男キャラ同士でほのぼの同人誌が部室に合っても、全く何のことか理解できなかった。
まあ、いい。
それで、アニメージュで風の谷のナウシカの感動の最終回を読み、ナウシカの人気が水野亜美にひっくり返される事件を読んだり、あかほりさとるやスタチャなどの映らないテレビ東京アニメの記事に妄想を膨らませた。ホビージャパンのMAX渡辺さんたちの「究極のガンプラを作るプロジェクト」をリアルタイムで読んで、マスターグレードガンダムやザクを作って合わせ目消しと塗装にチャレンジしたり、モデラーの友人にシンナーの使い方を教わったり、そんなオタクライフをしていた。
宮崎駿監督作品だけでなく、他の俗っぽいオタクアニメも見ていたので、宮崎駿に人生を壊された女さんほどジブリ信者ではなかった。むしろ、ジブリはすでに「お行儀のいいアニメ」として評価され始めていたので、「紅の豚」とか「おもひでぽろぽろ」は見ずに、ルパン三世のテレビスペシャルとかを見ていた。
もちろん学校ではいじめられていたし、嫁姑と介護や親の事業失敗などで家庭は荒んでいたのだが、テストは毎回90点以上取っていた。
漫研では萬画同人誌を出したりしていた。
いじめられていた上に性格も歪んでいたのに、僕は意外とオタク仲間に恵まれていたのかもしれない。
blog.goo.ne.jp
言及記事では、インターネットの存在が語られている。同好の士というのは、いつの時代も心強いのだろう。
と、id:yarukimedesu さんは言うんだが、ネットが無くてもアニラジとか読者投稿欄とかスクールカーストの下部とか、近所の玩具はたくさん持ってるのに友達がいないコミュ障のクラスメイトとか、そういうオタク仲間は見つけられたように思えますし、孤独にいじめられていても脳内恋人が居ればいい…。
- 中学高校のエヴァブーム
そこで、エヴァンゲリオンブーム。
もちろん、アニメージュでのあさりよしとお先生のエヴァンゲリオン補完委員会なども読んでいたし、日高のり子、林原めぐみ、宮村優子の声優ラジオも声優ファンの友人と情報共有をして聞いていた。
「エヴァは来る!」と思った。何しろ、エヴァンゲリオンのシンジ君たちと同い年のリアル中二で食らったわけで。
放送部にリクエストをして残酷な天使のテーゼを昼休みにかけさせたり、エヴァンゲリオンのリミテッドプラモデルをフル塗装したり、美術の時間に使徒のフィギュアを作ったり、新聞のエヴァの記事をスクラップしたり、テレビ東京で深夜に再放送されたエヴァンゲリオンのビデオテープを貞子並にダビングしまくったり、キモイオタクがやりそうな中二病はだいたいやった。
そんな風に中学高校でエヴァブームを自分たちで作って行こうという熱気があった。そのせいで、ガンダムXの評価が十年遅れになってしまったのだが。
スポーツとアニメなどには関わりなさそうだった、リア充達が、社会現象となった時から、エヴァを貪りだした。
今思えば、私に生きづらさ、隠れていたモノは、彼らじゃあなかったと思うのだけど、「手のひら!お前ら、急にエヴァエヴァ言いやがって!」とか、思ってた。
http://yarukimedesu.hatenablog.com/entry/2015/05/29/181720
僕もクラスの体育会系の奴に「どうせエヴァなんかこどものおもちゃだろ?」って言われていじめられて「こどものおもちゃは違う…大地丙太郎監督の名作だ…」って思っていたのだが。
高校に入るとそいつが宮村優子のライブに行ったりして、みんなオタクになりだした。
画力の高い腐女子はリア充に自分の体ではなく綾波レイのエッチな絵を描いて売っていた。
エヴァブームを自分たちで作って行こうという学生運動に燃えるチルドレンだったので、リア充たちや社会にエヴァが関心を持たれるのが楽しかった。攻殻機動隊がアメリカで評価されて逆輸入された時は、アップルシードからの士郎正宗ファンとして胸を張れた。(押井ファンではないんだよね)
自分はおかしい人間だが、そんなおかしいオタクがたくさん金を出したら世間の評価が変わって、オタクは顧客としてちやほやされるようになった。名声に左右される社会はおかしいと思った。おかしくてゲラゲラ笑った。
2000年問題より、そんなことに熱中していた。浮世離れの達人だった。
幼児期からのテレビ業界での宅八郎のオタクいじりは、90年代前半にはオウム真理教ネタになっていたが、オウム真理教がテロを起こした後にメディアの責任を無視するかのように「若者に大人気の新世紀エヴァンゲリオン!」とか言う報道は、ゴーマニズム宣言も併読していた僕にとっては、オタク持ち上げもオウムヘイトも、どちらもクズだと思った。
名声や金だけでなく、人の命の価値や報道も粗雑に扱われるのが現実で、それに比べたら庵野秀明監督の病気のカルテのような作品の方がまだマシだと思った。
学校をさぼって平日に庵野秀明監督のラブアンドポップを見に行ったりした。
エヴァのビデオを10回見たり、映画を15回も見に行ったり(昔の映画館は一度入ったら3回くらいは見れたのだ)していたので母親に「息子がエヴァにとられてしまう!!!」と嘆かれた。でも成績はトップを維持していた。なので、オタク活動と学業の両立のために、徐々に精神の均衡を失い始めてきた。
社会でエヴァンゲリオンが評価されても、母親は「父親や夫の代わりに自分を愛してくれる出来のいい息子」を求めていて、オタクの息子は要らない子供だったので、母親も精神の均衡を失っていった。エヴァに取り付かれたものの悲劇。
あと、高校で入った部活が地学部だったのだが、90年代後半なのに究極超人あ~ると逆境ナイン(愛蔵版)が部室に教科書として置いてあって、高校でもあ~るのように地質キャンプをしたり、天体写真のために望遠鏡や一眼レフをいじったり、何故か部室で漫画を描いたり、部室でネコを飼ったり悪行の限りを尽くした。
学校の文化祭でガオガイガーの歌を歌ったりコスプレをしたり、オタクとしての悪行を尽くした。女装で演劇をして濡れ場を演じる男の娘AVのようなことをしてクラブ1週間停止と説教を喰らった。とにかくオタクがやりそうな悪行はだいたいやった。転売はお金が嫌いなのでやらなかった。徹夜で映画館には並ばなかったが、徹夜で流星観測をやったりした。
もちろん、大体みんなオタクだったので∀ガンダムがある金曜日は部活が短縮された。
∀ガンダムは序盤は宇宙世紀ともアナザーガンダムとも違い、全く意味不明だったが、とにかくカッコよかったしキャラもかわいかったし、アクション絵コンテが最高だったし、ハリーがネタの宝庫だったし最高に楽しかった。
で、自分も漫画を描きたくて描いていたら受験に失敗した。
クラスの担任の先生からは「テストの成績がいいので、どこの大学にも受かるだろう」と、放置されていたし、僕もアニメばかり見ていて受験勉強のスケジュールなどが全く分からなかったので失敗した。
短期的にテスト期間だけ覚えて、あとはアニメを見る、というボンクラだったので、先生からは優等生に見えたのだが実はバカだったのだ。で、ろくな進路指導もされず。
- 大学、新卒の転落人生
で、浪人をした。
予備校に行くので昼食代を渡された。貧乏なオタクだったので、初めてお小遣いを親からまとまってもらうようになった。
予備校の学食をケチってゾイドとガンプラを買って高校の部室にOBとして入り浸って、そこに隠していた。浪人をしているのに、親に隠れてゾイド!最低の行動だがゾイドのアニメ、1期の前半が面白かったよね。
当然、ちゃんと飯を食わなかったので受験に失敗した。
仕方なく駅弁国立大学に入った。一応、ナノマシンブームだったし「カミーユの親みたいな材料工学をやりたい」と思っていたのだが、萬画を描きたいという欲求が抑えられず、「良い漫画を描くにはまず人間の心の研究と体の訓練だ」と、演劇サークルと合気道部を掛け持ちした。
漫画を描きながらサークルを二つ掛け持ちしながら学業をするのは基本的にダメです。
また、自分の大学では友達ができないで、他の大学のサークルに入ったので単位やレポートやテストの融通など、大学生が普通にやることができず、破綻しました。
ライ麦畑でつかまえて、キングゲイナー、滝本竜彦のNHKにようこそ!や本田透の電波男にハマって引きこもりになった。でも、富野アニメを見ているとちょっと元気になったので大学図書館の視聴覚室で1日1話ガンダムを見ることを心の支えに復学した。ガンダム感想をブログに書くようになった。
一応ギリギリで卒業して、バンダイビジュアルの面接には落ちたけど、KLab株式会社に入社しました。
結局理系の材料工学には失敗したけど、大学で深刻な鬱と引きこもりと人格障害の症状化に苦しんだけど、鬱から立ち直った富野監督を手本に大学在学中にガンダムブロガーとなり、ガンダムを見るために自殺を延期してなんとか卒業ギリギリ学業もやった。
で、ガンダムにかける熱い思いはバンダイビジュアルのプロデューサーには「オタクは採用しない」と断られたが、ラブライブ!のスクフェスを手掛ける直前のKLabには評価されて入社した。
入社式で50キロ走らされて、社訓を暗記するまで大声で叫ばされて、自己啓発と言う名の洗脳を受けた。prays.blog65.fc2.com
退勤タイムカードを押してからの方が労働時間が長かった。ブラック企業だった。SNSに投稿されるユーザーの正規の猥褻な画像や出会い系犯罪書き込みを消去するというメンタルに悪い仕事をした。ソシャゲ―のユーザークレームとバグ処理の仕事もした。オーバーワークだ。上司に「お前のせいでSNSが荒れたらどうするんだ」と脅され、飲み会でコスプレをさせられそれを無断でニコ動にアップされた。今も社長はスクフェスのユーザーを「廃課金」と呼ぶようなヤクザ経営だった。nuryouguda.hatenablog.com
そんなブラック企業で死にかけながらもガンダムのブログは続けた!
ソシャゲ運営とブロガーの二足の草鞋。
過労で倒れた。精神障害者3級の手帳を取得した。会社は辞めさせられた。同期も1/4がメンヘラになった。
機能不全家族だったので実家に帰りたくなくて自殺の計画をしていたところ、東日本大震災が起きて地震酔いで精神が限界まで追いつめられて実家に帰った。
障碍者雇用で京都大学で働いた。大学職員の陰湿ないじめを受けた。
自分が東京で働いている間に、親の夫婦関係が完璧に崩壊していて、母親が誰にも相談せず投資をして失敗して借金を作って自殺した。
精神科医からは、僕は「親から自立して仕事をできるように頑張りなさい」と言われていたし、KLabでもブラック企業なのに「辞めたら一生非正規雇用だぞ」と脅された。だから実家を避けて東京で好きなアニメを見て、見終わったら自殺しようと思った。アニメを見終わる前に親が自殺した。
- 親殺しのオタク
僕はアニメが好きで、オタクでいることが楽しかったのだが、親はそんなオタクになった僕は必要じゃなかった。
僕は自立して自分でアニメを見るために金を稼ぎたかったのだが、親は夫婦関係が破綻していたので子どもに依存して、僕は大学時代のアルバイトもKLabでの給料も精神障害者として退職した後の失業保険も障害者雇用の派遣社員の薄給も親に仕送りしていた。
だが親に金を送っても、親もメンヘラだったので心が満たされずに不動産屋と銀行屋の営業トークの口車に乗って、僕のクレジットカードで借金を作って自殺した。
親が必要としていたのは、オタクの息子ではなく、親から離れてアニメを見る息子ではなく「親にたくさん金を与えて、親を見て、祖父母の面倒を見てアニメではなく親を愛して精神的に支えてあげる父親と夫の代理人」だったのだ。
だが、俺はそれを拒んだ。俺はアニメを見るために親を見殺しにしたんだ。
私はいつも、一人の男だった。
鬱病から立ち直った富野由悠季監督の「家族の支えで立ち直れました」という講演会を聞いたりした。親や社会と和解する白富野作品も見た。富野作品を見たのに、俺は家族を壊した。
富野や庵野秀明や宮崎勤に人生を壊されたんじゃない。僕が自分自身で自分の人生を壊したんだ!!!
その巻き添えで母親は死んだ。僕は長らく自殺したかったけど、精神科医に「僕は自殺したい」と言っている時に母親が行方不明だという連絡を受け、精神科から急いで帰宅したら目の前で母親が首を吊って死んでいた。
富野アニメを見て人生が分かったつもりになっていてもなあ!自分の親一人も救えないんだよ!クズのオタクは!
でも、親が死んでもガンダムは面白かった。親が死んだときは実にカミーユの気持ちが実感できた。
富野監督の最新作ガンダム Gのレコンギスタを見た。最高だった。
Gのレコンギスタが終わった後の富野監督の講演会に行った。握手してもらえた。
富野監督は73歳だけど腕に力があった。
僕も自分の創作活動をやろうと思った。親は死んだが、僕には脳内妹がいる。脳内妹が主人公の脳内恋愛小説を小説家になろうとpixivで連載中だ。
http://mypage.syosetu.com/604557/
www.pixiv.net
脳内妹の名前は「そら」ちんというが、THE IDOLM@STERでも野々村そらちんをプロデュースしている。アイカツ!のマイキャラの名前もそらちんだ。
ガンダムの同人誌も書く。
さる5月4日に文学フリマ頒布された拙著「ガンダムの見方」が約5週間で第2刷発行となりました!ひとえに文フリで20部のコピー本を買って下さった方や、増刷を希望してくださった方のおかげです。
配布の詳細はサークルの公式ブログをチェック
5/31に開かれる同人誌即売会「プリズム☆ジャンプ8」(http://www.puniket.com/rizumu/)にサークル参加します。
日時:5/31 11:00~15:00
会場:大田区産業プラザPiO 大展示場
サークル名:はなごよみ
配置番号:プリ12
※「ぷにケット31」(http://www.puniket.com/)内のイベントらしいです。他にも艦これ、アイカツ!、プリキュア関係のサークルが来るとか。
私は親を殺し、自分の人生も破壊した外道だが、一人の野生のガノタとしてガンダムを見たりガンダムの本を書いたり、一人の兄として脳内妹の非現実の王国での小説を書いたり、やがて命が尽きるまで。
だけど、親を死に追いやった社会は絶対に許さない。
というか、アニメとか映画で、親を殺した相手をキャラクターが恨むのは当然みたいな風潮があるよね。僕の場合は資本主義とか家族制度とか精神障害者に冷たい健常者たちと、自分自身を永遠に恨んでいいって、そういう大義名分を手に入れちゃったからね。
僕は自分を絶対に許さないし、それと同じくらい僕以外の全員を許さない!