日本文学研究者 ロバート キャンベルさん
1957年米ニューヨーク生まれ。専門は日本の近世・近代文学、特に漢文学。85年、九州大に文学部研究生として来日。東京大教授などを経て、2017年から国文学研究資料館の館長を務めた。テレビの情報番組などでコメンテーターとしても活躍する。著書に「読むことの力」など。
英語、フランス語、アラブやイスラエルの新聞も読む
情報番組のコメンテーターをしているので、日頃から電子版も活用して複数紙を読み比べている。日本語だけでなく、英語やフランス語、アラブやイスラエルの新聞も読む。米国でも子どもの頃から新聞に親しんでいたが、近年の電子化の進展で新聞は私にとってますます重要なものになった。
私の専門は日本の近世文学だが、恩師から一つのことを断言するのに、三つの証言がそろうことが目安だと言われた。コメンテーターの仕事も同じで、情報を並べて比較して気付くことがある。
心地いい情報ばかりを求めることへの疑問
私たちは自分が心地よく感じる情報ばかりを求め、依存症のようになってしまう傾向がある。自分の神経を逆なでするような「ざらつかせる」記事まで、多角的に読むことも重要じゃないか。
新聞を通じて追体験し、他者に共感や同情を寄せる
そもそも私たちはなぜ新聞を読むのか。理由の一つは情報を得て、自分の生活を安定、向上させること。もう一つは、日常に経験できないことを、新聞を通じて追体験し、他者に共感や同情を寄せるためだろう。
事実関係の確認が複数によってなされた、信頼性ある記事が今ほど求められる時代はない。事実に基づかない共感が積み重なると、暴力や紛争につながることもある。自分の立場や責任、権利を踏まえ、他者に思いを寄せつつ、人々に寄り添う足場となるのが新聞だ。
そぞろ読みするだけで、アイデアや言葉が浮かんでくる
とはいえ忙しい日も気分が乗らない日もある。私は週末なら、まず書評面を開くし、1面ではなく社会面の軟らかい記事から読むこともある。次に読むべき本、作りたい料理のレシピ、見たい映画まで、新聞を何げなく〝そぞろ読み〟するだけで、アイデアや言葉が浮かんでくる。それも魅力だ。
2018年5月9日公開