「ウマ娘」でも鼻血ブー!マチカネタンホイザの「えい、えい、むん!」な競走生活を「東スポ」で振り返る
「えい、えい」の後に「おー!」ではなく「むん」と言うようになってしまったマチタン推しの皆さん、お待たせいたしました。いや、推しじゃなくても、そもそも「ウマ娘」をプレーしていなくても、マチカネタンホイザのファンは多いので、あの懐かしき日々を思い出したい人もいらっしゃるはず。「ウマ娘」で「イマイチ勝ち切れなかったり、肝心な部分でポカをするなど、天然なところも」というキャラ設定になっている名馬を「東スポ」で振り返りましょう。当時はタンホイザと呼んでいた気もするのですが、いずれにせよ長い馬名を何度も何度も出すと読みづらいでしょうから、今回は「マチタン」と呼ばせていただきます。(文化部資料室・山崎正義)
エリート候補生
「ウマ娘」で「普通の子」という扱いながら、ところどころに普通じゃない感じや才能を感じさせるマチタン。史実では普通じゃないどころか、もともとはエリート感のあるクラシック候補生でした。父は前年まで9年連続リーディングサイアー(種牡馬ランキング1位)のノーザンテースト。サンデーサイレンスより前に日本競馬の歴史を変えた大種牡馬です。それでいて管理するのは全国リーディング経験もある関西のトップトレーナー・伊藤雄二氏で、デビュー戦では天才・武豊ジョッキーが乗って2着に6馬身差をつけてレコード勝ちしました。2戦目でこんなに印がつくのも当然かもしれません。
この「いちょうステークス」というのは実力差がハッキリ出る東京競馬場の1600メートルで行われ、ダービーを目指す馬が東京競馬場を試走する意味でも素質馬が集まることで知られていました(現在の「サウジアラビアロイヤルカップ」の前身)。伊藤師もその出走意義を買っており…と、ここまで書いてピンときた人もいますよね。そう、同師が管理した〝女帝〟エアグルーヴも4年後にこのレースを使っているんです。箱入り娘や大事なお坊ちゃんを使うレースだったのは明らかで、このとき、新聞にはマチタンについて、次のようなコメントが載りました。
残念ながらレース当日が雨で不良馬場となり、直線での不利もあったため、4着に敗れるのですが、伊藤師がこの馬でダービーを意識していたのは次走でよく分かります。地元関西のレースではなく、またまた東京競馬場を使うんです。しかも、これまた実力が試される条件(1800メートル)、これまた素質馬が集まる「府中3歳ステークス」(現在の「東スポ杯」の前身)。
鞍上は天才ではなくなっていますが、指名されたのが名手・岡部幸雄ジョッキーなのですから、いかに素質を買っていたか…しかも、良馬場で行われたこのレースを2着に3馬身差をつけて快勝します。
「来年のクラシックはこの馬だ」
誰もがそう思ったはず。で、同時に、こうも思いました。
「次は年明けだろう」
はい、馬に無理はさせず、成長を待つタイプの伊藤師と同じ考えを持つ岡部ジョッキーというコンビですから、年末に新設されたGⅠ「朝日杯3歳ステークス」(当時は今の2歳を3歳と呼んでいました)という若駒ナンバーワン決定戦はスルーだろう…ということです。距離が伸びるクラシックを意識して東京競馬場の1800メートルを使ったのに、わざわざ中山の1600メートルで行われる朝日杯で忙しい競馬を経験させる必要もありません。実際、登録はしていましたが、レースの週の火曜日の時点では「回避濃厚」
と伝えられていました。しかし、翌日…
はい、突然、出走を表明し、大きなニュースとなっています。伊藤師自身、前述のように中山の1600を走らせる意義は見いだせていなかったようですが、出走馬が10頭に満たない状況を見て決断したそうです。
多頭数でゴチャゴチャした競馬というのは、もしものこともありますし、馬が嫌な思いをする可能性もあります。そういうレースは走らせたくないと言っている時点で、大切にされていることが伝わってきますよね。賞金を加算して、ダービーまでしっかりと逆算したローテーションを組みたいというのも期待の表れ。GⅠでは1着じゃなく2着でも本賞金が加算されますから、裏を返せば「2着には入れるだろう」という意味でもあるのですが、この年の朝日杯には既に大大大本命馬がいました。印をご覧ください。
はい、ミホノブルボンです。圧倒的なスピードで連勝しており、「短い距離なら敵はいないだろう」と言われていました。マチタンは血統的にも、デビュー後のレースぶりからもスピードタイプではありませんから、正直、「1600メートルではブルボンにはかなわないだろう」という見立て。しかし、マチタンにたくさんの印がついているように、この朝日杯はブルボン以外がかなり小粒でした。
「スピード不足でも、素質の高さだけで2着はなれそう」
「ここでブルボンに迫るようなら来年がもっと楽しみになる」
そんな状況を鑑みて、伊藤師は出走に踏み切りました。人気は1・5倍のブルボンは別格として、4・2倍のヤマニンミラクルに迫ろうかという4・9倍だったのですから、ファンも大いに期待したことが分かります。結果は…
4着。レース後、岡部ジョッキーはこう話しました。
はい、やはり少々スピードが足らなかったようです。ただ、言い方を変えれば、この馬はやっぱり距離が伸びてこそ。大敗しなかったことでクラシックへの視界は開けたとも言えました。中でも狙いは5月末のダービーですから、伊藤師は目一杯に仕上げないよう、成長を促しつつ、マチタンをレースに出していきます。まずは2月の共同通信杯(GⅢ)。
血統、厩舎、騎手を考えれば当然の2番人気。ただ、結果は4着。そして続くスプリングステークス(GⅡ)でも4番人気で5着に敗れます。正直、ファンからすると「思ったほどじゃないのかもな」といった感じでしたが、伊藤師の口癖はこう。
この焦っていない感じがやたら不気味で、岡部ジョッキーが手放していないこと、さらに体調も上がってきているようでしたから、皐月賞でもほどほどに印がつきました。
レースはブルボンの圧勝。悪い馬場に脚を取られたマチタンは7着に敗れ、ますます「たいしたことないのでは?」という声がファンから上がります。しかし、やはり名伯楽は落ち着いていました。
不気味すぎました。だからダービートライアルのNHK杯(GⅡ)でも記者からの評価は下がりません。
3番人気で2着。しっかりとダービーの出走権を確保します。そしてそして、狙いすましたかのようにマチタンは調子を上げていくのです。ダービー週の本紙の追い切り速報記事に載った伊藤師のコメントを抜粋します。まずは前走の2着を振り返って…
そして調教の動きを見て…
今風に言えば伏線回収です。ゆっくり、じっくり育てつつ、ピークに持ってきたというわけで、記者ではなく単なる一競馬ファン(今でもそうですが)だった私はこの記事を見て「へ~」でした。
「馬にはこんな仕上げ方があるのか」
「奥が深い」
「勉強になるなぁ」
そして、ダービーの直線…
1番人気の皐月賞馬ブルボンが距離不安を吹き飛ばすようなけれんみのない逃げを見せ、後続を突き放した直線で猛然と追い込んできたマチタン、8番人気ながらしっかりと脚を伸ばして4着に突っ込んできたマチタンを見て、思いました。
「馬にはこんな仕上げ方があるのか」
「奥が深い」
ここまではレース前と同じ感情。でも、その後が違う。私だけじゃない。多くのファンが競馬を学びしつつも、ワクワクしたのです。
「このまま成長したらどうなるんだろう」
「照準を合わせて馬をつくれる調教師…」
「その調教師の狙い通り成長したら…」
「この馬はとてつもなく強くなるんじゃないか」
そんな思いをレース後に名手が後押しします。翌日の新聞に載った岡部ジョッキーのコメントです。
漂っていました。ぷんぷん、においました。
大器晩成――
未完の大器――
だから、成長を促す長めの休みをとり、他馬が始動するより遅く、その2週前に軽くオープン特別をひと叩き(3着)した菊花賞では、多くの注目を集めます。追い切り速報でも春より明らかに扱いが大きくなっていました。
記者の印はこんな具合です。
最大の注目は1984年のシンボリルドルフ以来の三冠馬誕生なるか。ブルボンの単勝オッズは1・5倍を示していました。離れた2番人気がライスシャワーで7・3倍。マチタンはそのあと、11・7倍の3番人気に支持されます。皐月賞7番人気、ダービー8番人気だった馬が一気に評価を上げてきた形です。
「未完の大器が…」
「菊の舞台で花咲くかも」
そのワクワク感じが最高潮に達したのは直線を向いたときでしょうか。道中、内の4番手でしっかり体力を温存してきたマチタンがまったくロスなく4コーナーを回り、外を回るライスシャワーととともに先頭に立ったブルボンに襲い掛かっていったのです。ラチ沿いでうなる名手のムチに常に一生懸命なマチタンがこたえます。
えい
えい
むん!
鬼が宿ったライスが先頭に立ち、三冠の夢がついえたブルボンに内からジワジワと迫り、2着に上がろうというところまでいったのですから、見事な成長でした。レース後、岡部ジョッキーはかわせそうでかわせなかった2冠馬を「改めてブルボンの強さを知った」とたたえつつ、満足そうだったとか。ファンも漂っているものを感じました。ダービー後より強く、強く、感じました。
大器晩成――
未完の大器――
そう、あとはその完成を待つだけ。そして、年が明ければ、サラブレッドが完成するとされる4歳がやってきます。
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
タンホイザ
完成の予感
マチタンは1992年となって早々、1月5日の金杯(中山2000メートル=GⅢ)に出てきます。
調教助手さんもこう語っていたのですが、絶好の2番手から直線は伸びず…。ファンは「あれ?」と思ったのですが、続くダイヤモンドステークス(東京3200メートル=GⅢ)を2着に3馬身2分の1差をつけて楽勝します。さらに続く目黒記念(東京2500メートル=GⅡ)では…
えい
えい
むん!
完勝でした。しかも、2着に破ったのが前出の菊花賞を勝ったライスシャワーですから、これはもう、漂いまくりでした。
未完の大器
完成か――
翌日の本紙記事には「化けた」の見出しも踊りましたが、ファンからすると、「ついにきたか」といった感じ。岡部ジョッキーはこう話しました。
伊藤師もしてやったり。
向かうは天皇賞・春。同期のライスシャワーと、ディフェンディングチャンピオンのメジロマックイーンが強敵なのは間違いありませんが、陣営は強気でした。
伊藤師の締めはこう。
実はこの年、主戦の岡部ジョッキーには他にお手馬がいました。それは前年、ジャパンカップを制したトウカイテイオー。しかし、有馬記念大敗後、年が明けてもなかなか調整が進まなかったため、この天皇賞に間に合わなかったのです。騎手の腕がモノを言う長距離戦で心強いパートナーを手放さずにすんだマチタンへの期待はぐんぐん高まります。
単勝オッズはマックイーンが1・6倍でライスが5・2倍。マチタンは8・6倍の3番人気ですから、堂々たるものです。
「ついにきた」
「マックイーンに勝てるかは微妙だけど」
「完成は近づいている」
「いや、完成しているかも」
「だとしたら…」
「もしかして…」
えい
えい
むん!
離された4着に岡部ジョッキーは話しました。
期待していただけにファンはさすがに少なからずガクッときました。岡部騎手の最後の「…」の後に続くのは「GⅠは取れない」かもしれないとも思ったのですが、不思議なことにマチタンには「いや、そうとも限らない」と思わせる魅力がありました。例えば、さんざんガッカリさせておいて、天皇賞から1か月後のメイステークスというオープン特別を楽勝するのです。
「やっぱり本格化してるじゃないか」
で、そう思わせて続く高松宮杯(中京2000メートル=GⅡ)は2番人気で4着。
「う~ん、まだ完成まではいってないのか」
そう思わせて、秋になって富士ステークスというオープン特別を完勝します。
「ついに来たか」
「いよいよ…」
が!ジャパンカップは15着。
「強くなっているのかもしれないが…」
「GⅠを勝つまでの馬じゃないのかも」
しかし、マチタンはそう思ったファンのテンションをもう一度上げます。岡部ジョッキーが1番人気のビワハヤヒデを選んだので、関東の上位騎手・柴田善臣ジョッキーを背にして臨んだ有馬記念。抜け出したそのビワハヤヒデに、1年ぶりの出走となったトウカイテイオーが襲い掛かった奇跡のあの直線で、最後方からスルスルとマチタンが追い込んできたのです。
えい
えい
むん!
13番人気とは思えない末脚。最速上がりでの4着に、レース後、柴田ジョッキーは満足げに語りました。
ファンは思い直します。
「やっぱり強くなってるんだ」
「GⅠでも通用するぞ」
年が明け、年齢を重ねたことにも全く不安はありません。むしろ、あの言葉が再び浮上してきました。
大器晩成――
未完の大器――
そう、ファンはこう思いました。
「まだ完成してなかっただけ」
「まだまだ成長しているのかもしれない…」
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
タンホイザ
5歳初戦のアメリカジョッキークラブカップ(中山2200メートル=GⅡ)、ファンの予感は確信に変わります。鮮やかな差し切りを見せて、約1年ぶりに重賞を勝つのです。
伊藤師のこのコメントにマチタンを追いかけてきた人は「ついに…」という言葉を漏らしたに違いありません。
「やっぱり完成していなかったんだ」
「未完の大器が…」
「やっと完成した!」
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
タンホイザ
はい、鳴くまで待った甲斐がありました。続く日経賞の追い切りでは、調教で目立たないタイプのマチタンが出色の動きを見せます。
「完成だ」
「いよいよだ!」
そう思わせた1・8倍の断然人気で3着に取りこぼすのも後から考えればマチタンらしいですが(苦笑)、前年、勝ちと負けを繰り返していたことでファンは耐性ができていました。最後の直線でしっかりと脚は使っていましたし、「差し」という戦法も確立しつつあったので心配はしていません。何より、レース後、天皇賞・春を前に調子も上がっていきました。ビワハヤヒデは圧倒的ですが、他はドングリの背比べ。
「ハヤヒデにかなわなくても」
「ここで2着」
「完成しているところを見せてやれ!」
ファンは願いました。
鳴かぬから待った。
鳴くまで待ったのです。
「だから一発!」
「GⅠでも!」
えい
えい
むん!
この年は阪神開催なうえに稍重になったとで、力のいる馬場が苦手なマチタンに不利な状況でもありましたが、さすがにファンは待ちくたびれてきました。
「何度やっても4着か5着」
「力不足なのか~」
一戦挟み、宝塚記念でも9着…。
「あと一歩足りない」
「やっぱりGⅠ級じゃないのか…」
待っても
待っても
タンホイザは鳴かない…。
あきらめつつあったファン。しかし、一向にあきらめない、常に一生懸命走っていたマチタンに競馬の神様は千載一遇のチャンスを与えるのです。
マチタン劇場へようこそ
秋になり、毎日王冠(東京1800メートル=GⅡ)をひと叩き(6番人気5着)したマチタンは、天皇賞・秋に向かいます。
天皇賞・春と宝塚記念を含め、この年全勝だったビワハヤヒデが1・5倍でダントツの1番人気だったのですが、府中の2000メートルにはやはり魔物が潜んでいるのでしょうか、直線で伸びあぐねます。残り100メートルで先頭は3番人気のネーハイシーザーで押し切り濃厚。2番手にセキテイリュウオーが上がってきたのですが、その内から、見覚えのある勝負服が…
えい
えい
むん!
あわや3着!の4着にマチタンのファンは感心しつつ、春に貼り付けた「GⅠでは足りない」というレッテルを貼り替えました。
「やっぱりチャンスはあるかも」
その根拠となっているのは、やはりアレです。
大器晩成――
未完の大器――
そう、伊藤師が言っていたように、マチタンは他馬よりおくてなのです。つまり、この5歳秋で、まだ成長している可能性がある…。
「もう1段階」
「もう少し、強くなるかもしれない」
「そうなればGⅠでもあとひと押し…」
「展開が向けば勝負になる」
そう、天皇賞のレース後、柴田善臣ジョッキーは言っていました。
はい、先行有利のスローペースだったので、後方からレースを進めたマチタンには不利な展開だったのです。逆に言えば、ペースが上がればもっと着順を上げられた…。ジャパンカップ週の追い切りで絶好の動きを見せたマチタンに、伊藤師は「順調度なら外国馬にヒケは取らない」と語り、こうも言いました。
そしてもうひとつ。
あっ!と思いましたね、あのときは。そうなんです。実はマチタン、この時点で勝ち切ったレース7つのうち5つが東京競馬場でした。しかも、最後に勝ったのは脚質転換前、つまり先行馬だったころ。よくよく考えると、現在の差し・追い込み脚質に、長い直線はうってつけなので、成長度を加味すれば、勝負になりそうに見えてきます。
「きたかもしれない」
「きちゃったかもしれない」
ファンは盛り上がりました。で、驚くことに、このときはマチタン推しじゃない人たちの中にも応援する人がチラホラ現れていました。いや、そのような状況になっていました。何とこの年、日本馬が超手薄だったのです。まず、天皇賞・秋で敗れたエースのビワハヤヒデが故障で引退。そのレースを勝ったネーハイシーザーは、距離延長の不安もあって出走を予定していませんでした。で、ネーハイの2着だったセキテイリュウオーは…
追い切り後に故障発生。さらに、本来ならダービーと同じ東京2400メートルで復権を狙うはずだったハヤヒデの同期・ウイニングチケットも故障していました。
「あれ?」
「これって…」
「GⅠ馬が一頭もいないじゃん」
「日本馬は用なし!?」
そうはいっても、海外の馬ばかり買うのもつまらない。
「日本馬で勝負になるのは…」
「京都大賞典を勝ったマーベラスクラウンと…」
「あとは…」
「あとは…」
「マチタン!?」
はい、こういうファンはそこそこいたんです。で、ウイニングチケットも管理していた伊藤師はズバリ、こう言っていました。
おおおおお!となりましたよね。よくよく読めば、あれだけ「大器になる」って言ってた調教師自ら「脇役」って言っちゃってるところにツッコミたくもなるのですが(苦笑)、ファンとしては、正直、伊藤師がハッキリ「脇役」と言ってくれて、胸のつかえが取れた気もしました。だって少し前から気付ていましたから。み~んな、心の中でマチタンにツッコミを入れていましたから。
「そろそろ」はいつなんだよ(笑)
「目標は先」って、それはいつ来るんだよ(笑)
怒りじゃないんです。競馬を長くやっていれば「未完の大器」が「未完」のまま終わるなんてよくあること。鳴くまで待っても鳴かないことなんてザラ。ケガだってザラ。主役になれないなんてザラなんです。知っていました。分かっていました。マチタンの走りはどう見ても脇役であり、善戦マンでした。GⅠでは3着1回、4着4回、5着1回。でも、みんな、そう言いたくなかったのです。だって、現実社会であるじゃないですか。頑張っても頑張っても1番にはなれず、自分が脇役タイプだって気づく時が。小さいころはデキるヤツだったのに、気が付くとクラスの真ん中ぐらいだったりすることもあるじゃないですか。でも、どうやら自分が「普通」だと気づいたとしても、認めたくはない。だから、〝競馬でぐらい〟、この言葉を胸に、最後まで応援したいんです。
大器晩成――
未完の大器――
その一縷の望みをかけて
「頑張れ!」
1994年11月27日。参加国の国旗たなびく府中のターフに、15頭が姿を現しました。返し馬という名のウォーミングアップ。各馬、思い思いの方向に走っていきます。改めて確認しても、メンバー的にはやはり千載一遇でした。上位人気5頭は走るか走らないか分からない外国馬。オッズ的にも日本馬におけるマチタンの立ち位置はマーベラスクラウンの次です。ロイスアンドロイス、ナイスネイチャとともに2番手グループを形成しているのを見て、ファンの心は晴れ晴れとしていました。正直、勝てるとまでは思っていません。でも、善戦してほしい。あわよくばいつもの4着じゃなく、菊花賞以来の3着、なんなら2着とかに突っ込んできてほしい。それを世界の強豪たちの前で。
鳴くまで待とうタンホイザ
鳴くまで待つよタンホイザ
「それが今日なら最高だ」
「俺たちは応援するぞ!」
発走まで15分。ファンの耳に届いたあの場内アナウンスは悲劇でしょうか、喜劇でしょうか。
ええええーーー!
どよめく観客。ザワつくファン。
「え?」
「なになに?」
「鼻出血って…」
「それ何?」
「もしかして…」
「は…鼻血!?」
走ることなく、コースの外に出ていくマチタン。チャンスなのを分かっていたのでしょう、期待されていることを感じていたのでしょう。
気合満点
今日こそ…
今日こそやってやる!
えい
えい
むん!
とやったら
鼻血ブー!
「この大事なときに…」
「君ってやつは…」
ファンも苦笑いするしかありません。
鳴かぬから
鳴くまで待ったら
鼻血ブー
こんな結末に、皆さん、怒れますか? 怒れませんよね。競馬場でも誰も怒っていませんでした。レース中の故障とは違い、レース前ですからお金は戻ってきますし、何より、すぐにマチタンの姿が想像つきましたから。
「気合入れたんだろうな」
「入れすぎて…」
「出ちゃったんだ」
未完の大器が一生懸命頑張るあまりに見せた隙というかドジな姿がかわいくもあり、笑顔で「仕方ないか」と口にしたファン。ある意味、前代未聞とも言える衝撃のシーンを見ることができたので、ひとまず良しとしたんですが、では、肝心のマチタンは無事だったのか…。はい、一過性のもので、問題ありませんでした。そして、鼻血以外の体調自体が上々だった(もともと上々でしたから)こともあり、マチタンは私たちに、ジャパンカップで戻ってきたお金を使う場をプレゼントしてくれました。
この年、三冠馬となったナリタブライアンがダントツでしたが、他はドングリの背比べ。天皇賞・春や宝塚記念のビワハヤヒデ(ブライアンの兄)のときと同じく1強だったため、「その他となら勝負になるんじゃないか」と思わせる状況でした。ただ、春と違うのは、既にマチタンファンは、肩から力が抜けていたこと。
「せっかくだから」
「ジャパンカップで戻ってきたぶんで」
「少しだけ馬券を買うか」
しかししかし、新聞を読むと予想以上に調子がいいと書いてありました。鼻血ブー明けで万全じゃないと思いきや、レース前日朝の最終調整を終えた柴田ジョッキーはこんなコメント。
これを読んだ土曜の夕方、「むむむ!」となった人もいたはずです。中にはこんなことを言い出す人もいました。
「余力があるかどうかが有馬のポイント」
「その点、JCを走っていないマチタンは有利」
これはもう「むむむむむ!」です。
「なくなったはず」
「チャンスを逸したはず」
「なのに、もう一度きちゃった!?」
マチタンも気合を入れていたはずです。
汚名返上
名誉挽回
えい
えい
むん!
マチタンがどこにいるか見つかりましたか?
はい、そうです。
マチタンはいません。
走りませんでした。
レース当日
出走取消――
ケガ?
いえいえ、違います。
理由を知ってファンは思いました。
「気合入れたんだろうな」
「入れすぎて…」
「出ちゃったんだ」
ただ、出たのは鼻血ではなく
ジンマシンでした。
「どこまでも…」
「君ってやつは…」
使い道のなくなったお金を握りしめ、ファンは再び苦笑い。いや、笑うしかありませんでした。そして、気付いたのです。
「エリートだと思っていたのに…」
「未完の大器だと思っていたのに…」
「いつの間にか面白キャラになってんじゃん!」
鳴かぬとも
せめて走って
タンホイザ
これが1994年のマチタン劇場
好走もしておらず
走ってもいない
なのにファンが増える(笑)
「伝説」でいいですよね?
第3幕
有馬記念を取り消したマチタンは、前年、華麗な差し切りを見せたアメリカジョッキ―クラブカップを目指します。しかし、フレグモーネ(化膿性の外傷)で回避。
「やっぱり…」
「そういうキャラになってる!?」
いやいや、馬も陣営も一生懸命なんだから、そんなこと言っちゃダメ! そう思いつつ、なんだか目が離せない存在になりつつあったマチタンは、立て直しを図るため、リフレッシュ放牧に出ます。春は完全休養。復帰の舞台は7月の高松宮杯(中京2000メートル=GⅡ)でした。
レースの主役はもう一頭の復帰組、前年、重賞6連勝でエリザベス女王杯を制し、マチタンが取り消した有馬でナリタブライアンに食い下がったヒシアマゾン。春に米国遠征を行ったものの、現地で脚部不安を発症して回避したため、これが有馬以来のレースとなりました。ファンが多い馬だったので、中京競馬場には大観衆。〝女傑〟がどんな再スタートを切るかに大いに注目されたのですが。そんな中、マチタンのファンは何を願っていたかというと…
「まずは無事に…」
「今度こそレースに…」
はい、面白キャラになりつつあるのは分かってはいたものの、やっぱり、走ってほしかったです。ただ、正直、パドックで「マイナス14キロ」という数字を見たときは不安になりました。
「鼻血ブーの後遺症があるんじゃないか」
「そろそろいい年だし、衰えがきてるんじゃないか」
「ちゃんと走れるのだろうか」
だから、返し馬を終え、無事にゲートに入ったのを見て、本当に、心の底からホッとしたのを覚えています。安堵しながら、行きっぷりよく6番手の内を進むタンホイザを見ていました。既に、
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
タンホイザ
ではなくなっていました。
鳴かずとも
僕らは待とう
タンホンザ
そう、まずは無事で。あれだけいろいろあったのですから、あとはゆっくりいこうよ、と。一緒に伴走していこう、と。そう思ってレースを見ていると、引っかかったアマゾンが逃げることになってしまい、場内では不安も混じった歓声が沸き起こっていました。タンホイザは向こう正面で5番手。4コーナーで外に出そうとしています。
鼻血も出ません。
ジンマシンも出ません。
しっかりレースに出ています。
「良かった」
「良かった」
「頑張れよー」
のんきに見ていた私たち。のんきだったからこそ驚きました。余計にビックリしました。直線半ば、不本意な逃げでスタミナ切れしたアマゾンの外から、タンホイザがグングン伸びてきたのです。
「え?」
「え?」
「え?」
声が出なかったのは私だけではなかったはず。
誰もが呆気に取られていました。
呆気に取られているうちに、
えい
えい
むん!
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
タンホイザ
そうです。
待っていました。
マチカネていました。
でも…
「今日なの?」
「今日なのーーー?」
はい、応援はしていましたが、まさか勝ち切るなんて思っていなかったのです。
「これだから…」
「君ってやつは…」
レースに出たのに、好走したのに、ファンはなぜか苦笑い。で、思い出しました。
「やっぱり…」
「いつの間にか…」
「面白すぎるじゃないか!」
いやいや、かける言葉が違うよな…そう思った私の周りから、いくつも声が聞こえてきました。先に言われてしまいました。
「おめでとう!」
翌日の紙面を読み、私は面白がったことを反省しました。伊藤師はこう話していたのです。
鼻血ブーとか言ってごめんなさい。
笑いごとじゃなかったのに
笑ってしまってごめんさい。
でも、この後のマチタンもやっぱり微笑ましかったです。「この休みで精神的に落ち着いたのか、稽古で走らなかった馬が坂路で好タイムをバンバン出すようになった」という伊藤師の言葉や、「予想以上にいい内容の競馬ができた。器用さも出てきて、これからが楽しみ」という柴田ジョッキーの言葉で、懲りないファンはまたまたまたワクワク。
「まさか…」
「まだ成長中なのか…」
「未完の大器は…」
「これから完成するのか!」
しかも、天皇賞・秋の前、伊藤師が言うんです。
やめてやめてやめて!と心で叫びつつ、買いましたよ、ニヤニヤしながら。そして、燃えましたよ、あの直線で。みんなが外を回る中、内をスルスル上がってきたタンホイザ。直線を向いたとき、その前がぽっかり開いた瞬間の興奮を私は忘れません。
目の前にビクトリーロード
突っ込んだ未完の大器
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
そう思っていたのに
待ち切れなかった
君が鳴くより先に私が叫んでしまいました。
「行っけ―――!!」
鼻血が出ても
ジンマシンが出ても
えい
えい
むん!
いつも一生懸命走り続けた名馬はこの年でターフを去りました。
重賞は4勝
GⅠに挑むこと14回
でも、1度も勝てず…
戦績を見ればやっぱり未完かもしれません。
でも、25年以上経った今、驚くべきことが起きました。
ゲーム内でも「普通」
キャラ設定はどう見ても脇役
なのに人気は主役級――
やっぱりファンの目に狂いはなかった。
未完の大器
令和に完成――
待った甲斐がありました(苦笑)。