鬱のネガティブに飲み込まれるのは現実逃避の『逃げ』な場合もある【うつ病闘病ブログ】|葵井柳宇
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鬱のネガティブに飲み込まれるのは現実逃避の『逃げ』な場合もある【うつ病闘病ブログ】

今日は少し耳の痛い話をしようと思う。

今日、いま、まさに自分に起きたことの備忘録だ。

今日はゴロゴロとしてウトウトとして怠惰な1日をすごした。
今日はというか、施設には行くだけで作業もほとんどしないから普段がそういう生活なのだが。

人生を無駄にしてるような気がして辛い。ふと、そう思った。

今、自分の夢を叶えたり自分を大切にするためにイキイキとがんばって暮らしてる人だっているのに自分はなんで…。

また、ネガティブな鬱に吸い込まれてしまいそうになったから、にこっと笑ってみた。

そうしたら、今日はストレッチや筋トレをしたことを思い出したし、歯磨きして早く寝ようと思ったし、その前にこの気持ちをnoteで皆さんにシェアしたいと思ったから筆をとってみた。

鬱に飲み込まれるのはある一定の期間はどうしようもなく抗えないことではあるけれど、それを抜け出せた時期に繰り返すのは『逃げ』だと感じる。

重ねて言うけど、それから逃れられない重い鬱の時期というものも存在して、今回言うのはその時期の話じゃないってこと。

どうして?その時間だって苦しいのに!

そう思う人もいるだろう。

苦しいけれど、その苦しみを味わっている間は現実逃避ができているから『逃げ』なんだよね。

こうしてnoteを書いたり、寝支度をしたり、家事をしたり…やることはたくさんあって、どうしようもなく逃れられない時期じゃない『逃げ』をしてるときはちょっと無理してでもたくさんのやらなきゃいけないことの中ややりたいことの中からひとつでも何かに着手したほうがいい。

僕の今日の場合は、『逃げ』に流されず大好きなコーヒーを淹れてコレを書くことにした。

書き終わったら歯磨きをしてストレッチをして眠るつもりだ。

鬱がひどいときは、今日のような考えになったときにネガティブに飲み込まれていた。

それによって周りを妬ましく感じたり、自分が恥ずかしく感じたり、悔しくて泣き暮れたりもしていた。

しかし今それをするのは逃げだと思った。

そう思える余白がある分だけ回復しているということでもあると思う。

この時間にコーヒーだなんて医師に言えば怒られるだろう。
けれど、自分がリラックスできて今飲みたいものはコーヒーだったのだから、素直にそれに従う。
自分の本当にしたいことを我慢しない、それも自分を許すための小さな1歩。
そうして自分で自分を認められるようになってきてから初めて自制心というのが抑圧とは違う効果を産むのだろうと今は推察している。

バカみたいなことでもわかりきったことでもいい、自分の思うようにやっていいんだという経験をすること。
そうしてから、これじゃダメなんだなと納得感を持って自制できること。
そういう情緒の発展発達の順序があるように思う。
で、その経験があるからこそきっと『ダメなもんはダメ』とか『こうするのが定石』とかってことにもきっと納得がいくようになっていくのだろうなとぼんやりと感じている。

まずは自分を許すこと。

ネガティブになる自分を許し、それが嫌だと思う自分を許し、行動できる余白がいまはあるから「好きなことをする時間」に切り替えることができたのだと思う。

少しずつ進んでいこう。

今日は文章を練ったりすることなく、生まれいずるままの言葉を書き連ねているから、あんまりタメにならないかもしれないし読みにくいかもしれない。
そこは、ごめんなさい。

どうか貴方も、自分を責めないで。
自分を責めてしまうことをさらに責めてしまうようなことにはならないで。

どうか、許してあげて。

1歩1歩、すすんでいきましょうね。


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葵井柳宇
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