
異文化理解の線引き
Muli bwanji.
青年海外協力隊のしょーたです。
活動8週目が終了。
今週は中間テスト後の休み期間で授業がない週だそう。
学生も講師陣もほぼいませんでした。
同僚には1週間会うことができませんでした。
口頭で説明して感触を探っていた内容を究極に簡単な資料にしたり、牧場でスタッフと話したりだらだらとした1週間でした。
異文化理解というか価値観の違いについて。
牛にはざっくり乳牛と肉牛がいます。
彼らって乳牛にはエサを、肉牛は放っておけばいいというマインドです。
その違い何?ってずっと思っていました。
肉牛って、太らせ続けないといけないんですよね。
エサを与えなかったら痩せるし。
極端に言えば与えたエサ代が消えるってことです。
毎日目に見える利益はないし、いつエサが買えなくなるかわからない彼らにとって、肉牛はその辺の草食って最低限の肉を数年維持してくれてればそれでいいって発想。
その結果、優先順位が「乳牛>>>肉牛」になってしまうというわけです。
乳牛だってエサを与えなかったら牛乳の量が減るし、エサを与え続けないといけないのは肉牛と同じです。
彼らが理解できない事の背景を理解して文化を受け入れすぎると、結局現地人マインドになるだけだし、理解しないと本質から外れるし、線引きが必要です。
せめて彼らに今の現状を「選択した」という実感だけ持たせられたらいいですけど。
というかどの途上国も中途半端に発展した今の時代、文化を全て受け入れると、ボランティアなんていらないのかもしれません。
ネットもあるし海外で学ぶこともできる。
彼らの実現したい未来は彼らが作ればいいわけです。
国でできない → ボランティアが必要
から
国でしたくない → ボランティアが必要
に変わってしまっているのかも。
0→1の工程は昔のボランティアの話。
井戸を作っていた30年前と今のボランティアの形は違うって話でした。
そういえばこの前、放牧場の奥の方まで歩いて行ってみたら、
全裸のおっさんが現れました。
彼は今の現状を「選択した」という実感をしっかり感じていると思います。
※好きなことで生きていく
以上です。
See you in the next post.