稲見前編集長が考えた国内学会の変革と未来展望 その1 国内学会の存在意義とは
インタビュー:
東京大学 先端科学技術研究センター 身体情報学分野 教授・博士(工学)
(一社)情報処理学会 理事・フェロー/情報処理学会誌『情報処理』 前編集長
稲見昌彦 氏
文構成:加藤由花(東京女子大学)
稲見昌彦氏に情報処理学会誌の前編集長として行った変革や学会に対する思いをお聞きし,その中から3つのトピックを選びnoteに連載します.今回はその第1回目となります.
※なお,本稿は「DXで学会誌の外への繋がりを拡大」というタイトルでWeb(https://www.powerweb.co.jp/knowledge/columnlist/interview-28/)に掲載したインタビューの際,掲載しなかった内容を番外編としてまとめました.
連載のタイトルは以下
1.国内学会の存在意義とは
2.学会運営:学会をどう運営していくべきなのか?
3.学会活動の広がり
学生時代と学会活動
実は修士まで生物工学を専門としていたのですがロボット学会の学生会員でした.ロボット技術研究会というサークルに入っており部室に置いてあった学会誌が面白くて,たしか学部1年のころから入会していました.学会誌と論文誌が一体化していて,学生が最先端のロボット技術に触れられるということで,とても面白いと思っていました.特に,ロボット学会設立10周年記念ビデオ特集,これは最新の研究が多数収録されたビデオがVHSテープで送られてきて.専門性が高いのに分かりやすい.非常に印象に残っています.あとは,博士課程のときに私の指導教員である舘暲先生が立ち上げたVR学会にも入っていて,研究発表は主にVR学会で行っていました.情報処理学会に入ったのは博士課程の学生のころに山下記念研究賞をいただいたのがきっかけだったのですが,それまでも学会誌や論文誌は読んでいました.主に大学の図書館で読んでいたのだと思います.
情報処理学会とのかかわり
会員になってからは,2003年にエンタテインメントコンピューティング研究会の立ち上げにかかわり,2007年に主査もやりました.その後,2015年に,学会の新世代委員会のメンバになり,後藤真孝理事(当時)の下,IPSJ-ONEの立ち上げを行いました.これは,情報処理学会の気鋭の研究者がTEDみたいな感じで発表できる場を作ろう,というもので,新世代委員会委員として若手研究者が何人か集められて企画・運営を行いました.ただ,当時,若手を駆り出してまで新しいイベントを立ち上げる意味があるのか,大いに悩みました.それまで,情報処理学会の運営にはほとんどかかわっていなかったですし,私の中では,研究会はともかく本会全体に対する距離感がまだ相当あった時期だったと思います.
情報系の国内学会は必要か?
こうやって,新しいイベントや研究会がどんどん作られていくのですが,一方で定期的に出てくる議論があります.日本の国内で情報系の学会が存在する意義です.世界では,ACM,IEEE,IFIPなど,超巨大国際学会がある.研究成果や論文の発表はそういうところで行うので十分ではないか.逆にそちらに集中させてあげた方が,若手が将来活躍するためには良いのではないか.国内の日本語でやる学会の運営に,かつてお世話になった自分はともかく,若手にどこまで汗を流させるべきなのか.今でも議論は続いています.当時悩みはしたものの,今では私の中では大体答えが出ています.
研究の裾野を広げる
VR学会を指導教官が立ち上げた当時,たまに,私から見て何が新しいのかよく分からない研究発表がありました.5年くらい前にすでにやられているものとほぼ同じ研究が発表されるとかです.当時,血気盛んだった私は,何でこんな発表をするためにわざわざ税金を使って皆さん研究するんですか,などと周囲にこぼすこともあったのですが,当時VR学会の会長だった舘先生は「裾野が広くないと山は高くならない」とおっしゃいました.どんな有名なバンドでも最初はコピーバンドだった.作曲家もそうで,だんだんオリジナルな旋律が出てくる.裾野が広いというのは価値が低いのではなく,そこから始めないと結局は「選択と集中」の議論と同じになってしまうのです.サッカーのJ1リーグだけ残して,そこだけにお金と時間を集中したとき,そんな国で優秀なサッカー選手が出てくるのでしょうか.そしてスポーツにはさまざまな楽しみ方や健康増進などの価値があるようにプロだけを目指すやり方が本当に正解なのか? あるスポーツを過去に真剣に楽しくプレイしたことがある人こそが,トップアスリートのファンとしてプロとしての活動を生涯支えているのではないか.
逆に,今の学生は大変だなと思うことがあります.ソーシャルメディアで国内や世界のトップの研究者の活躍を目にするとともに,いきなり国際会議で発表しないといけなかったりする.私は,最初は国内の研究会で発表して,国際会議は博士で初参加で原稿を棒読み,質問にはまともに答えられず悲惨な思いをしながら段階的に成長できました.私など,少しはまともな論文が書けるようになったのは大学教員になってからだと思います.今の学生は,修士くらいでがんばって英語論文書かなくちゃいけなくなっていて,トップカンファレンスと呼ばれるような国際会議に通った,通らないで一喜一憂している.中学でサッカー部に入ったらいきなりワールドカップに出させられて,それでトップ層以外はサッカーに向いていないと落ち込んでしまう.本当にそれで情報系研究者・技術者の裾野が広がるのか?
日本語の価値
もうひとつ,言葉についても考えてみる必要があります.2007年くらい,IPSJ-ONEの前に,産総研の江渡浩一郎さんとかといっしょに,ニコニコ学会βという(プロに限らない)野生の研究者たちによるオンライン科学コミュニティを立ち上げようという運動を行っていました.初音ミクとか,ユーザージェネレーテッドコンテンツとか.草の根科学というのを調べていくと,たとえばガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)などが出てきます.当時はラテン語が西洋科学哲学の言葉だったのですが,ガリレオは科学を一般の人に広めるために,あえてイタリア語で講演をしたらしい.その後,マイケル・ファラデー(Michael Faraday)のクリスマスレクチャーも英語でなされた.ルネッサンスのころは,文語がラテン語,口語が母語でした.日本も恐らく,文語が中国語(漢語),口語が日本語という時代が相当長かったと思うのです.もちろん学問分野の共通言語により国境を越えて文化を超えたということは確かだと思います.現代の理工系の学問においては英語が世界標準だったとしても,日本の情報学研究の文語が英語になったとしても,口語の日本語を失ってしまうと,結果的に母語の深さで考えられない,英語の理解レベルの中でしか考えられなくなってしまって,それは考えが深まらない,自らの根っことなる文化や歴史や哲学を駆使して考えられなくなってしまう可能性があります.
ある調べものをしていたとき偶然見つけたのですが,バイオメカニズム学会「人工の手研究会」の月報(http://sobim.jp/journal/ahand.html)が大変面白く, たとえば1976年11月号(http://sobim.jp/downloads/magazine/ahand/geppo71_74.pdf)では,当時は気鋭の研究者だったロボット工学の広瀬茂男先生や私の指導教官だった舘暲先生らが,まだ論文になる前の仮説や研究の萌芽に関する議論を自由闊達に行っており,当時の自由闊達な議論が頭の中に再生される思いでした.これは母語ならではの時空を超えたコミュニケーションなのかもしれません.
そういえば舘先生がよくおっしゃっていたのですがVRのバーチャルという言葉は日本語や中国語に正確に翻訳できません.仮想というのは間違いで,本来は実質的とか本質的という意味です.漢字で表せないということは,東アジアの概念ではないということです.一方,東アジアに住む私が提唱している「自在化」という概念は,英語への訳がむちゃくちゃ難しいのです.自在は般若心経にも出てくる言葉ですけど,元々はヒンドゥー教や仏教の用語です.私はこの言葉に出会えたからJST ERATO稲見自在化身体プロジェクトの研究ができました.そして,仏教圏の方には一瞬で通じる一方で西洋の人が「何だこれは」と思う研究ができたわけです.はじめに言葉ありきではないですけど,言葉がオリジナリティーにつながる.皆と同じ道具を使うと,広げるのにはいいけれど,オリジナリティーを出すときに,本当にそれでいいのか.
国外から見たとき,たとえば,和食とかラーメンとか,海外でとても流行っている料理なんですけど,それは別にグローバルフードを作ろうとしたわけではなく,むしろ日本で舶来の食を改良したりどんどん新しいことをやっていく中で,しかも海外の現地の人たちに伝わるようにうまくアレンジして出していって,結果的に世界に広まった.キッコーマンの醤油なんかもそうだと思います.ローカルで磨いた中で,たまたま世界の人たちに喜ばれるものが出てくるというふうにしておいた方が,世界の中における日本の独自性と存在感を出しやすい.ワインにテロワールがあり,それがときにグローバルな価値に繋がるように,社会と密接につながる情報系の研究にもテロワールがあるかもしれない.私は研究のテロワールを大切にしたい.
さらに,今後自動翻訳がさらに発達したとき,母語で学術成果を発表することこそが,英語を母語としない研究者の権利であり,学術の多様性・包摂性の実践であると国際的にも見なされる可能性だってある.
そのように考えたときに,日本語を母語とする人がカジュアルにかつ深く議論するためのアカデミアの意義というものが見えてくる.それならお世話になった日本社会の将来のためにも,日本の学術の将来のためにも国内学術コミュニティのためにもう少し汗を流してもよいのかなと.そして,それには,若い人もかかわる価値があるかもしれない.そう納得できたので,IPSJ-ONEを手伝うことにしたのです.
参入のしやすさ
このようにだいぶ悩んだのですが,ニコニコ学会βがあったから,納得したんだと思うんですね.ニコニコ学会βは,日本語で議論できて,我々が「野生の研究者」と名付けた非職業研究者,学会よりさらに幅広い人たちがファンとして参加していました.情報という分野は,一般の人たちが参加しやすい学問分野なんですよね.私自身がVRという分野に入れたのもそうです.最初は趣味としてVR機器を手作りしていました.先に述べたように元々は生物工学出身で,修士課程までは分子生物学やバイオセンサが専門でした.サイボーグに興味があったのですが,神経に直接触れる生体側から入った方がよいと思ったので.VRとかロボットとかはロボットサークルで趣味でやっていたので,完全に独学です.その独学のために,情報処理学会誌も読んでいました.でも,普通,化学とか物理とかは独学でそこまでキャッチアップできません.博士から分野を変えて進学するとか難しいと思います.それが,情報,なかでもVRは新しい分野だったので,あと,開発するために皆が使える道具が比較的揃っているので,参入しやすかった.この参入のしやすさ自体が今後広がっていく学問に大切なところです.白い巨塔とか,権威ある殿堂というのでは一般の方からしたら他人事になってしまう.
私はこの10年ぐらい,超人スポーツという新しいジャンルのスポーツを作るということもしているのですが,普及の議論をしているときによく話に出るのは,サッカーがここまで世界に広まった理由です.誰もがボールを蹴ることができる,でも誰も真似できないようなめちゃくちゃすごい技もあり,みんながそれに憧れる,ということです.その両方がないと世界には広まらない.情報はまだ新しい分野で,この分野のすごいパイオニアの方々がまだご存命だったりします.新規参入もできれば,高みを目指すこともできるという両方がなくてはなりません.その新規参入の人たちを担保するためにも,母語によるメディア,日本ということだけでなく,世界のどこにあっても母語によるメディアはあるべきだというのが,私の今の立ち位置です.
(2023年7月14日受付)
(2023年9月19日note公開)