浮世離れの世迷言・続:懐かしいこと

懐かしいこと

2021年01月04日

特急とき

たった一年だけ同じ場所で生活した。
その次の春はみんなうち揃って車で一時間ほどの距離の街に行ってしまう。
一人取り残されたような気がするに違いない。
その春休み。
みんな帰省して、そうして帰省しなかった一人と上野駅から181系電車の特急ときに乗って、雪まだ深い南魚の里に降りた。
 
駅前のロータリーを取り囲むようなアーケードだか雁木だかで足元が確保された商店街を両手を上げて走って来る男に向かって走り出して、恥ずかしげもなく抱き合って再会を心から喜んだ。
再会って言ったってわずか十日か2週間くらいの間だったろうに。
嬉しかった。
 
その雪の里にいた数日間、彼のおっ母さんにたいへん怒られてお詫びしたことは明瞭に憶えているけれど、あとの楽しかったにちがいない事々は全て靄の向こうに有らばこそ、靄すら見えないほどに40年以上の歳月は振り返って楽しむ思い出すら無きものにしやがる。

家に帰る列車が特急ときだったか急行佐渡だったか、それは憶えていない。
遊び過ぎて普通列車で帰ったかもしれないし、そうした方が話としては面白いのだろう。
 
さっき聞いた彼の訃を、意外に冷静に受け止めはした。
それは、思えばたった60kmくらいとはいえ、あの頃のオレには荷の重い距離だったことから手紙だけの関わりになっていたが故のことだろう。
 
でも、ふと地図を眺めていたら、その特急停車駅の駅前の陽射しを跳ね返す雪の明るさとアーケード下の薄暗さがありありと思い出されて、そうしたら彼の嬉しそうな顔と、一緒に行った背の高い男の大阪弁までもが目でも耳でもない、頭の中に浮かんできた。
 

記憶ってのは間抜けなもんだね。
 
もっとあれこれあったろうよ、と書いていたら次々に浮かんでくる。
脳味噌が馬鹿になる前に思い出せてオレは嬉しいよ。
 
脳味噌と言えば毎晩酒に酔って一緒に作って食ったのは味噌ラーメンだったろうか。



まあ、いいです。

noonuki at 23:37|PermalinkComments(4)

2020年07月26日

トキワ荘 ようやくたどり着きました

学生だったころ、トキワ荘が取り壊されるということで急遽出版となった藤子不二雄の「トキワ荘青春日記」というカッパブックスを読んで初めてトキワ荘の存在を知ったのだと思う。
その本を読んであれこれの子供のころの記憶が胸を突き上げるような勢いで蘇ったことで、忘れられない本になった。
 
初めてトキワ荘跡地を訪ねたのはもちろん取り壊し後で、写真や図で良く知っているつもりになっていたけれど、やはり一度は足を踏み入れたかったと思うくらいには昔好きだった漫画家に思い入れがあるわけだ。
そのころまだエデンもあったし、松葉も行ったし、目白堂もあったころの話である。。
 
それからも何度か行ったが、そのうちに首都高速道路造成に伴う山手通り拡張でエデンが閉店し、しばらくして目白堂も閉店し、でも松葉はずっとある。
車で山手通りを走るたびに南長崎の交叉点を通過するときは二又交番の方を覗く癖がついた。

その程度には関心があったけれど、まさかあれが地域の活性化の要素となるなどと思うはずもなく、ましてや豊島区がトキワ荘を再建しようなんという取り組みがあることなぞ全く知らなかった。
だから延期されていたけれど7月7日にオープンというニュースを読んだときは仰天したのだった。

こんなときワタシのような世間で必要とされていない人間は動きやすい。
密を避けるため入場予約制となっているといち早く知ったのですぐに平日の予約を入れ、意気揚々と訪れた。
南長崎通りを昔のトキワ荘よりも少し先まで歩くと左側に公園があって、そこを覗き込むと、以前からあるトキワ荘のモニュメントのずっと向こうに、二階建てモルタル造りの建物が見える。
おお、写真で見慣れた建物だ。


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名前を申告し、特段の感慨も起きずに建物に入る。ドアが開いているからだろう。
写真でよく見たように靴を脱いで下駄箱に入れ、これは今風に手指の消毒をして、いよいよ二階に昇る階段を踏むとギギギイギイと踏み板がきしむ。
いやあえらいもんだ、根太のゆるみまで再現しているわけだ。
 
そうして昇り詰めた正面の二階の便所もその隣の流し場もそれぞれみんなの部屋も、いかにも昔のようにエイジング処理をしてあって、当時の調度類も探してきたそうで、仕上がった原稿も並べてあったりして、やっぱり写真や図で良く知っているように再現されている。

聖地を訪れる、と言うような気持は無いはずなのに、なんともいえぬ高揚感がある。
それは、ようやくほんもの(のような)のトキワ荘の実物を観ることができた触ることができた踏むことができたと言う失せものが見つかった喜びのような感情と、いま一つはよくぞ新築の建物をここまでそれらしく仕立て上げたなという技術にもこだわりにも対する称賛のような感情が混ざったものだったろう。

ついこないだ観たばかりの薬師寺東塔の水煙の複製と同じことで、とにかくぴかぴかの新品をエイジングする技術にたいへん感心したのであった。


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美味しいものは三度食べないと身にならないという。
だから丑の日にウナギを食べてもただ排泄物になるだけだが、土用のうちに三度食べればウナギ体質になるはずだ。
だからとっとと三度ウナギを食べねばならない。

トキワ荘マンガミュージアムも、一度目はただ興奮しただけで、そういう時はほぼ確実に何も記憶に残らない。
スマホの日程アプリに、いついっかトキワ荘マンガミュージアム訪問、と記入されるだけである。
 
それで次の週にもう一度行った。
これでようやく前回来た時のあっさりした記憶がもう一度現実になって、元の紙とレイヤーがだいたい合うようになる。


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そうしてその次の週には、今度は明瞭な問題意識を持って二階への階段を昇ることになる。
念入りにあれこれを確かめて、ついにあのトキワ荘通りお休み処で案内をしてくだすった人に示唆されたトキワ荘の秘密を解き明かしたのであった。


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よく考えればすぐ解ることだけれど、別に考える必要はないといえば無い。
でも、ワタシは三度の見物を要したのであるね。


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おかげで、初回の時は時間が合わなかったので行けなかった松葉のチャーシューメンも二回目三回目は食べられたし、ほかにもお店があるし、近くの南長崎マンガステーションでゆかりの作家たちのマンガが読めるし、その一軒おいた隣のトキワ荘通りお休み処では寺田ヒロオの部屋が再現されているし、ちょっとしたお土産やパンフレットも買えるし。
 
あすこの通り全体で一つのミュージアムということなのだろう。

 
あんまりたびたび行くと気味悪がられるだろうからちょっと遠慮しようかなとは思うが、行けるうちに行っとかないと、どうなるか判らない世の中でもあるからなあ。
変なオヤジと思われても、よく考えるとその通りだしな。



まあ、いいです。

noonuki at 00:46|PermalinkComments(2)

2018年12月01日

フレドウ

待てば懐炉の日保ちが悪い。

これを言ったのがブレット・シンクレア卿なのかダニーワイルドなのか、ちょっと記憶が混乱してきているが、しかし地口が間断なく飛び出したのは広川太一郎の声だったはずだから、ダニーワイルドが言ったのに違いない。

しかし、そんなことを忘れるようではいよいよ認知症という診断になんら陰るところが無いように思える。



いまのところ自己診断だけれど。


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しかし、一所懸命やってると、海路の日和があるような気もする。
願っていれば、満額なんか無理だけれど、1万円欲しいところに36円くらいはもらえるような気がする。

いや、この際はもっと上で、1万円欲しかったら9857円くらいもらったような気分なのだ。



ははあ、だとしたら年末ジャンボは買わなきゃならん道理だな。


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だいぶひどい状態だけれど、図書館のものだから仕方ない。
よくもここまでなっても廃棄せずに残しておいてくれた、と心から感謝する。
なにしろ、本が壊れているので丁寧に扱ってください、とか、ブックポストへの返却はご遠慮ください、とか、破れていてもテープを貼ったりしないでください、とか、そういう注意書きがたっぷりあるほどで、ああ、キンドルってのはそう考えると良いものだな、と思ってしまうほどバラバラなのだ。

子供のころに親が与えてくれた本のうち、中で二冊、鼻ききマーチンと猫のフレドウとポールくんはずいぶん読み返したのだろう、今でも懐かしい表現やエピソードを思い出せる。

思わぬ失態で二冊とも手放したけれど、鼻ききマーチンは一昨年入手できた。
それならフレドウも、とずいぶん手を尽くしたけれど、見つからなかった。
ところが、県立図書館にあるという。
それで、出かけた。

県立図書館が浦和に無くなったことは書いたけれど、もともとは浦和の蔵書だったらしいことが借りてわかったけれど、ともかく高速道路を使って一時間近くもかかる図書館に借りに行ったら休館で、たいへんガッカリした。

でも、数日後にもう一度、今度はちゃんと開館していることをネットで調べて行ったので、ちゃんと借りられた。

ボロボロの本を書庫から取り出してくれた司書の女性から手渡されたときに、もっと嬉しいかと思ったけれど、感情の起伏が急に無くなったような気分になったのは、きっとこの32年間の思いとその本の重さの釣り合いの取りようが判らなくなったからだろう。


ボロボロだから、浦和の返却ポストに入れることはできない。
川口の図書館から返送してもらえると言われたけれど、こんなボロボロなんだから、ちゃんと手渡しで返したい。
そう思って返しに行ったら、休館だった。
ネットで調べて行ったのに。
でも、ホームページじゃなくてグーグルマップで、ただいま開館中、となっていただけだから、グーグルマップを信じてちゃんと調べ切らなかったオレが悪い。

三度行って二度休館にあたったくらいだから、やっぱり年末ジャンボは買った方が良さそうだな、こりゃ。

まあ、それはそれとして、次の開館日にもう一度行こう。
大事にしないと、本も、こちらの記憶も、どこかに行ってしまいそうだから。


noonuki at 00:06|PermalinkComments(0)

2018年10月02日

浦和の図書館

久し振りに浦和に行ったら、県立図書館が無くなっていて、しかも整地されてしまっていたことにたいへいたいへん驚いた。
ワタシどもの子供の頃は、まだ浦和市立の図書館と言うものがあったかなかったか定かでないほど記憶に薄く、図書館と言えば県立図書館と学校の図書室くらいしか知らなかった。

それが、さいたま市立図書館が充実したので、この際閉館する、などと書いてあって、そうそう、たしか高校生の頃だった、北浦和に浦和市立図書館ができて早速行ったら、図書館というより図書と触れ合う空間という、今思えばたいへんソフィスティケイトされた立派な施設だったと思うけれど、当時は何だか当てが外れたような思いがしたことまで思い出して、そうか、政令指定都市になるってのはそういうことなのかな、などとちょっとベクターがずれた感想まで抱いた。


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今のさいたま市の中央図書館はなるほど立派な蔵書の選定基準で、ははあさすがだな、と、ふだん川口市立図書館のお世話になっているワタシは思うのだけれど、こと図書館のアメニティと言う点では、川口の中央図書館が、本の探し易さと言い本の背中の見易さといい本の読み易さといい館内の明るさと言い開放感と言い動線の爽快さと言い、あの設計に判を捺した権限者に心から頭が下がる思いで、つまりそのくらいさいたま市中央図書館を凌駕していると思うのだけれど、まあそれは措いて。

ワタシが県立図書館に通ったのは小学校の3456年と予備校時代で、その後は浦和から転出したこともあるし、そもそも本なんか嫌いだから図書館なんてあんまり行かなくなったし、そういえば大学の図書館も指を折ることができるくらいしか入ったことが無いし、だからまったく室内の様子を思い出せないのだけれど、県立図書館は今でもまぶたの裏に残像が浮かび上がっていると勘違いするほどに憶えている。
そればかりじゃない、とりわけ子供の頃、児童図書室のドアを開けて入ったすぐ右手のカウンターの向こうにいた司書の小母さん、もちろん小学生が視てそう思ったのだけれども、その小母さんの顔すら思い浮かべることができるような、そんな感じなのだ。


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たいていは門を入って自転車を停めてドアを開けたようだけれど、ときどきは歩いて行き埼玉会館の2階に相当するテラスから図書館に渡り外の階段を下りてドアを開けたようでもある。

大きくなってからは当たり前に2階の玄関から入館し、カードを探して、あるいはテーブルを確保して、とか、まあそんなありきたりの記憶が多くなって、わざわざ図書館で待ち合わせて一緒に勉強した別の学校の女の子と記憶とか、もともとそんなことがあるはずがない妄想なのでもちろん記憶なんか無いわけで、予備校をさぼって図書館に潜り込んでも、結局は面白そうな地図とか図版とかそんなものばかり眺めて時間を潰していたような、情けない受験生の記憶しか浮かばない。

もうその時点で已に人生が闇ですね。


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つまるところ、勉強するのが大嫌いだったからその結果は情けないものだったわけだし、いま友人たちと話をしていると相手の言うことがよく解らずに困ることが多いのだけれど、それは五分の一くらいは学生時代に身に着いてしまった関東東部方言と、彼らも含めてワタシどもが本来は日常的にあやつっている関東西部方言の意思疎通の難しさなのかもしれないが、ともかく漢字の音訓の読み間違いも含めて日本語があるていど読めるのは、たぶんこのころに図書館に足繁く通ったおかげだろうと思わないでもない。

そう考えると、野卑そのもののワタシを涵養した場であったのかもしれないが、ただいまテレビに登場されている本庶先生や山中先生のような人たちが涵養と言う言葉を遣うと、含蓄のある、しかも字義に適った使い方と思えるけれど、オレなどがそう遣えばたちまち失笑を買うだけの話で、まあ、そうなれば無くなった図書館に迷惑が掛かろうと言うもの、思い出は自分だけのものにして、せいぜい先の台風で鉢が倒れた観葉植物の床を土寄せしてやろう。

思い出よりも、また来るらしい台風への備えが肝要ということなんだろう。




noonuki at 20:58|PermalinkComments(0)

2017年11月14日

南海電車

この日記が9月15日以来ということで、自身、驚いている。

この間少しばかり面白くないことが続いたものの、投げるほどではないつもりだったけれど、さらに面白くないことが出来したので諦めて投げだしたところで、掬われた。
救われた、が本来の謂いだけれど、掬われた、と書く方が気持ちに合っている。
投げ出したんだからね。


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電子ブックは偉い。
iPad mini でも iPhone でも、どちらでも続きが読める。
これからはあれば電子ブックにしようと、身辺整理も含めてそうしようと思ったけれど、なかなかそうはできないのだけれど、やはり紙に印刷されたもののありがたみには勝てないけれど、少なくとも電車の中とか病院の待合室ではたいへん重宝する。
なにしろ時間が細切れになるので、いちいちしおりなんか持たなくとも、呼び出せば最前の続きになってくれるうえに、コンタクトレンズが見えにくくなってきたり手許眼鏡がカバンの奥に入ったりしたときに、画面の文字の大きさを拡大すればなんとなく、読める。
おまけにページ繰りが速くなるので速読しているつもりになれて、なんだか頭が良くなった気持ちがしないでもない。

もう本なんか読まないし、時間もないからもう読めない、そう思った。
もう落語なんか聴かないし、時間もないからもう聴けない、そうも思った。
もう好きな服なんか買わないし、時間もないからもう買えない、と決めた。

だけれど、救いの手はもう一本あって、さっきのは明らかな人だけれど、こっちのは見えざる手で、オレは無神論者だからそれが神様の思し召しなどとは思わないけれど、も少しなんとかしろってことかな、しなけりゃいけないんだろうな、というところまでは思いが至った。
だからそれはそうしようと思う。


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電子ブックは、ガラス面の保護シートをマットにしないでおけば Newton のような極彩色の雑誌を読むのにも優れているので嬉しいけれど、それよりは、むかし読んですっかり忘れてしまったような本を読み返すのに都合がよいようだ。
漱石の小説は書棚に並んでいるばかりで重たいし、出先で突如気が向いて文庫を買ったりしたけれど、次の外出時には忘れていたりで、そのうちまあいいやと言うことになってしまう。
そうしていたら、無料でダウンロードできるので、買うより安いじゃんと言うことに先だって気付いた。それでたくさんダウンロードして読みなおしている。

行人と言うのは、読めば読むほどオレはやっぱり馬鹿なんだな、ということを畳みかけられて、ある種のサディスティックな快感を得ることができる小説であると今回は思った。
以前はどう思ったか憶えていないけれど、ともかく、あー、もういい歳になったけれど、オレは死ぬまで間抜けなんだな、ちっとも改善されなかったな、と思う。
というよりは、頭の好い人と間抜けな輩は生まれながらに違うのだろうと言うことを痛感した。

南海電車のパーラーのウェイトレスが出てくることもすっかり忘れていたので仰天した。
記憶力が悪いと言うことは、プレートがぶつかってできる場所よりもよほど深い悲しみであるのだった。
そういう深い悲しみを、記憶力に優れる友人たちは知らない。

そう言うものだと、昨日頓悟した。

だから11月13日は解脱記念日である。



noonuki at 23:27|PermalinkComments(0)