浮世離れの世迷言・続:浦和の図書館
雨の憂鬱秋のバラ

2018年10月02日

浦和の図書館

久し振りに浦和に行ったら、県立図書館が無くなっていて、しかも整地されてしまっていたことにたいへいたいへん驚いた。
ワタシどもの子供の頃は、まだ浦和市立の図書館と言うものがあったかなかったか定かでないほど記憶に薄く、図書館と言えば県立図書館と学校の図書室くらいしか知らなかった。

それが、さいたま市立図書館が充実したので、この際閉館する、などと書いてあって、そうそう、たしか高校生の頃だった、北浦和に浦和市立図書館ができて早速行ったら、図書館というより図書と触れ合う空間という、今思えばたいへんソフィスティケイトされた立派な施設だったと思うけれど、当時は何だか当てが外れたような思いがしたことまで思い出して、そうか、政令指定都市になるってのはそういうことなのかな、などとちょっとベクターがずれた感想まで抱いた。


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今のさいたま市の中央図書館はなるほど立派な蔵書の選定基準で、ははあさすがだな、と、ふだん川口市立図書館のお世話になっているワタシは思うのだけれど、こと図書館のアメニティと言う点では、川口の中央図書館が、本の探し易さと言い本の背中の見易さといい本の読み易さといい館内の明るさと言い開放感と言い動線の爽快さと言い、あの設計に判を捺した権限者に心から頭が下がる思いで、つまりそのくらいさいたま市中央図書館を凌駕していると思うのだけれど、まあそれは措いて。

ワタシが県立図書館に通ったのは小学校の3456年と予備校時代で、その後は浦和から転出したこともあるし、そもそも本なんか嫌いだから図書館なんてあんまり行かなくなったし、そういえば大学の図書館も指を折ることができるくらいしか入ったことが無いし、だからまったく室内の様子を思い出せないのだけれど、県立図書館は今でもまぶたの裏に残像が浮かび上がっていると勘違いするほどに憶えている。
そればかりじゃない、とりわけ子供の頃、児童図書室のドアを開けて入ったすぐ右手のカウンターの向こうにいた司書の小母さん、もちろん小学生が視てそう思ったのだけれども、その小母さんの顔すら思い浮かべることができるような、そんな感じなのだ。


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たいていは門を入って自転車を停めてドアを開けたようだけれど、ときどきは歩いて行き埼玉会館の2階に相当するテラスから図書館に渡り外の階段を下りてドアを開けたようでもある。

大きくなってからは当たり前に2階の玄関から入館し、カードを探して、あるいはテーブルを確保して、とか、まあそんなありきたりの記憶が多くなって、わざわざ図書館で待ち合わせて一緒に勉強した別の学校の女の子と記憶とか、もともとそんなことがあるはずがない妄想なのでもちろん記憶なんか無いわけで、予備校をさぼって図書館に潜り込んでも、結局は面白そうな地図とか図版とかそんなものばかり眺めて時間を潰していたような、情けない受験生の記憶しか浮かばない。

もうその時点で已に人生が闇ですね。


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つまるところ、勉強するのが大嫌いだったからその結果は情けないものだったわけだし、いま友人たちと話をしていると相手の言うことがよく解らずに困ることが多いのだけれど、それは五分の一くらいは学生時代に身に着いてしまった関東東部方言と、彼らも含めてワタシどもが本来は日常的にあやつっている関東西部方言の意思疎通の難しさなのかもしれないが、ともかく漢字の音訓の読み間違いも含めて日本語があるていど読めるのは、たぶんこのころに図書館に足繁く通ったおかげだろうと思わないでもない。

そう考えると、野卑そのもののワタシを涵養した場であったのかもしれないが、ただいまテレビに登場されている本庶先生や山中先生のような人たちが涵養と言う言葉を遣うと、含蓄のある、しかも字義に適った使い方と思えるけれど、オレなどがそう遣えばたちまち失笑を買うだけの話で、まあ、そうなれば無くなった図書館に迷惑が掛かろうと言うもの、思い出は自分だけのものにして、せいぜい先の台風で鉢が倒れた観葉植物の床を土寄せしてやろう。

思い出よりも、また来るらしい台風への備えが肝要ということなんだろう。




noonuki at 20:58│Comments(0)懐かしいこと 

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